七節〈英雄譚なんて碌でもない〉/1
「はい、ということで。答え合わせです」
「いえーい、どんどんぱふぱふ」
「おお……」
門を抜けた先。
屋敷が建つ、町外れの森へ向かう途中。
周りに誰一人居ないことを確認したレイフォードが、唐突に手を打ち鳴らした。
間髪入れずセレナが盛り上げ、テオドールは勢いで流れに乗ろうと──。
「いや、どういうことだ?!」
「アタシが言うべきじゃ無いとは思うんだけど、アンタらそれでも良いわけ?」
夜中の街道に少年の叫び声が木霊する。
意味の分からない二人の言葉にツッコんだかと思えば、頭上から声が聞こえたためである。
ずっしりとした重みのあるそれを引き剥がし、自身の視界に入れる。
雪のように白い体毛。
頭頂部についた三角型の耳。
青い瞳を細めた、ふてぶてしい表情。
ぶらんと伸びた手足に、ぷっくらとした肉球。
それはどこからどう見ても──。
「……は? 猫?」
「猫だね」
「猫です」
「猫よ」
テオドールの脳は回転を止めた。
何故この見覚えのある猫は突如現れたのか。
何故自身の頭部に張り付いていたのか。
何故彼らはこの状況に付いて行けているのか。
全て、理解不能だったからだ。
「……ほら、ちゃんと説明しなさいよ。
この子、動かなくなっちゃったじゃない。
っていうか、そろそろ離してくれる?」
「はいはい。テオ、失礼するよ」
レイフォードは、固まったテオドールの手を取り外し、猫を自由にさせる。
拘束を解かれた猫は、疲れたように溜息を吐いて空中を浮遊し始めた。
「……夢でも見てるのかな。
シャーリーが生きてるし、空を飛んでるように見えるんだけど?」
「残念、現実だよ」
ほらと頬を抓ってくるレイフォードの手を丁重に叩き落とし、テオドールは説明を要求する。
「……どこから話すべきかな。取り敢えず、始めからでいいか」
彼が語る内容は、テオドールにとって筆舌に尽くしにくく。
更に、頭を抱えたくなる内容であった。
ことの始まりは、皆でオルガたちの秘密基地に辿り着いた時だった。
彼らでは絶対に出来やしない隠蔽術式の数々。
強い精霊の気配。
そこで、二人は気付いてしまったのである。
──シャーリーは、受肉した精霊だ。
と。
特殊な〝眼〟を持つレイフォードと、精霊の愛子であり、その辺りの感覚に敏感なセレナ。
二人が気付くのは、当然と言っても良いことだ。
テオドールが気付かなかったのは、彼自身が精霊の存在に近く、精霊の気配に鈍感であるからだろう。
彼にとって、人と精霊の気配は相違ない。
人混みも精霊混みも変わりないのである。
あの場はいつも共に居る二人以外の気配があったことも、気付なかった一因であった。
そうして、シャーリーが受肉した精霊であるとすると、一つの問題点が浮かび上がってくる。
今回の出来事が全て仕組まれた『演劇』とされてしまう、最低最悪の一手。
しかし、全てが大団円になる神の一手。
それは──精霊は、死ぬことがないということだ。
精霊とは何か。
そう問われれば、研究者たちはこう答える。
『意思を持つ源素の塊だ』と。
源素は世界に満ちる、神秘の原動力そのもの。
それが特定環境を原因として一点に集まり塊となり、意思を持つことで精霊となる。
アーデルヴァイト領にある精霊領域とは、前述の特定環境の中で最も条件に適している土地であり、精霊を生み出し続けることからそう呼ばれている。
アーデルヴァイト家が最東端の領地を任されているのも、『精霊領域の管理に精霊の視認化が必須である』というのが大半の理由だ。
そして、研究者たちはと注釈を付けたのは、一般的には精霊は超自然的存在として扱われているからである。
神によって作られ、神より近い場所で世界を見守るもの。
人々の生活に寄り添い、共に生きるもの。
この価値観もまた、神秘の情報規制によるものだ。
精霊の区分は形状と存在強度の格でそれぞれ四つずつ、計十六ある。
人の姿をとる《人の精霊》、空を飛ぶ生物の姿をとる《空の精霊》、海に棲む生物の姿をとる《海の精霊》、地上で暮らす生物の姿をとる《地の精霊》。
それらが《下位》、《中位》、《上位》の三つと、例外である《特位》という格に区分される。
格が上がれば上がるほど精霊の知能は高くなり、姿も鮮明になっていく。
姿を表すだけなら下位・中位でも出来るが、受肉できるのは、形の固定化が可能な上位か特位の精霊である。
そのため、特位の希少性からして、シャーリーは上位精霊であると推察できたのだ。
精霊は半永久的存在だ。
源素というものは、物質ではなく。
物質でないならば、定命はない。
意図的に壊されない、精霊は死ぬ──この場合の『死ぬ』とは、存在を保てなくなること──ことはないのだ。
更に、受肉──自らを物質化すること──をしても、核である精霊自体には何の影響もない。
つまり、シャーリーが精霊である時点で、今回の件の行き着く先はほぼ決まっていたようなものなのである。
急に体調が悪くなったのも。
死ぬことがない精霊が『死ぬ振り』をしていたのも。
そして、『死んだ振り』をしているのも。
全てが全て、張本人が仕組んだ計画だったのだ。