六節/4
「院長! ただいま!」
「『ただいま』ではありませんよ、ウェンディ。
今から探しに行くところでした。
帰りが遅くなるならば、予め教えなさい」
「……ごめんなさい」
ルーカスもですよと釘を刺を刺せば、直ぐに謝罪の声が聞こえた。
『悪ガキ』と呼ばれるほどの二人が素直に謝ったのは、言葉の裏に丁重に隠された不安感を、僅かながらにも感じ取ったからだろう。
「そして、オルガ。
私の言いたいことは分かりますね?」
「……はい、すみませんでした!」
見事なまでに直角のお辞儀。
最早芸術だ。
「……よろしい。今後、このようなことはないように」
溜息を吐いた院長は、微笑んで彼らを赦す。
彼がオルガたちを叱ったのは、身の安全を心から心配していたからだ。
現在は凡そ六時。
もう少しで三度目の鐘がなるはずだ。
初冬となり、日も短くなったこの時期。
暗い中、いつまでも帰ってこない子どもたちを想う彼の心の内は用意に想像が付く。
無事に帰ってきたとはいえ、何度も同じようなことがあってはいけない。
今度こそ、本当に事件となる可能性もあるのだ。
穏やかなこの国でも、『絶対』は無い。
厳しく言い付けて置くことは、大切なことなのだ。
「遅ればせながらご挨拶を。
レイフォード様、お初にお目にかかります。
私はこの孤児院の院長を務めさせていただいております、ジェームズと申します。
どうぞお見知りおきを。
「お噂はかねがね伺っております。
アーデルヴァイト伯爵家当主シルヴェスタ・エルトナム・アーデルヴァイトが第三子、レイフォード・アーデルヴァイトです。
こちらこそ、よろしくお願いします」
ジェームズと名乗った男性は、細い瞳を僅かに見開く。
「驚きましたか?
父に……いいえ、父たちに似ているとはよく言われるのです」
「……ええ。
本当に、よく似ておられます」
懐かしむように発したその声には、幾分か悲哀か含まれていた。
彼、ジェームズは、レイフォードの父シルヴェスタの。
そして、シルヴェスタの兄であるルーディウスの、初等学校時代からの恩師である。
高等学校の神秘科を卒業していることもあり、時折精霊術の談議をしていたという。
現在は年齢を理由に教職を引退しており、五年ほど前からこの孤児院の院長を務めている。
最も、彼を院長に推薦したのは、他でもないシルヴェスタであるらしいのだが。
「……先程はお見苦しいところをお見せしました、申し訳ございません」
「いえ、どうぞお気になさらないでください。
彼らの帰りが遅くなった原因の一端は、私たちにありますので」
「……そうなのですか?」
頭を下げ謝罪するジェームズに、レイフォードはオルガたちの擁護をした。
事実、レイフォードたちが首を突っ込まなければ、事はもっと早く集結していただろう。
衛兵に隠蔽術式の使用を咎められたり、彼らが知らないままシャーリーが亡くなったり。
衣を着せずに言えば、『余計なお世話』をしてしまったせいで、これほどまでに時間が経ってしまったのだ。
「詳しくお話したい気持ちは山々なのですが……今日はもう遅いですね。
また後日、時間の余裕があるときにお伺いさせていただきます」
本来ならば、事の詳細をジェームズに伝える必要があるのだが、今日は少し都合が悪い。
今日、というよりは近日中だろうか。
彼、もしくは彼女が全てを終わらせた後でないと、レイフォードは動けない。
まだ、今回の件は終わっていないのだ。
起承転結の結。
皆が笑顔になる大団円を迎えていない。
今ここで彼に話してしまえば、筋書き通りに進んでくれるかは怪しい。
彼の性分ならば、もしかしたら彼らの道を阻む『敵』となってしまうかもしれないからだ。
だから、彼に伝えられるのは、舞台挨拶の後でなければいけない。
全て終わった後でなければ。
「では、私たちはこの辺りで……」
「お待ちください」
レイフォードは話を切り上げようとするが、ジェームズがそれを止める。
「彼らが、話したいことがあるようなのです。
どうか聞いていただけませんか?」
ほら、と彼が背を押したのはオルガだ。
ふと見上げた彼の瞳に、昼のような焦りと乱暴さはない。
少し粗雑ではあるけれど、確かに上に立つ者の目をしていた。
「……ああ、その。何だ。
改めて言うのは小っ恥ずかしいんだが……ありがとな。
オレたちを助けてくれて」
「ありがと、テオドールとセレナさんも!」
「ありがとうございます!」
照れ臭そうに頬を染め、首に手を添えながら感謝を述べるオルガ。
後を追うように言うウェンディとルーカス。
彼らの目元は赤く腫れているけれど、心までは落ち込んでいない。
哀しくはあった。
苦しくはあった。
シャーリーを思い出して寂しくなったり、泣いたりすることもある。
過去を懐かしみ、過去に想いを寄せる。
それは、自らが歩んで来た道を振り返ること。
未来へ歩み続ける糧とすること。
彼らはもう、理想は見ない。
ただ真実だけを見て。
けれど、心に希望を抱いて。
未来を向くのだ。
「……どういたしまして、でいいのかな」
「寧ろ、それ以外にある?」
「このような感謝は素直に受け取るべきですよ」
返答に困り背後に助けを求めると、呆れた二人の声が聞こえた。
慣れていないと分かっているはずなのにと苦笑して、レイフォードは正面に向き直る。
「また困ったら教えてよ。出来るだけ手伝うから」
「そこは『何でも』って言うべきじゃねェの?」
「残念ながら。僕は出来ることしか出来ないからね」
肩を竦めてみせれば、彼は鼻で笑った。
「……じゃ、そういうことで。またな」
「じゃあね、また明日!」
「さようなら!」
「本日はありがとうございました。ご機嫌よう」
三者三様、いや四者四様の別れの挨拶を交わし、レイフォードたちは孤児院を後にする。
夜の街に消えていく彼らの背。
少年少女は、それらが見えなくなるまで眺めていた。
そうして、ジェームズは後ろ手に扉を開ける。
「……さて、夕飯にしましょうか」
「今日は何?」
「蒸煮肉です。好きでしょう?」
「やった!」
駆け足で入るウェンディとルーカス。
それにオルガが続くと思っていたが、彼は、空を見上げたまま動かない。
「……どうしたのです?」
返事はなかった。
けれど、『答え』は示された。
紅葉色の瞳を見開いて、輝く星に手を伸ばす。
どれだけ手を伸ばしても、あの光に届くことはない。
星は、遥か遠く。
少年の背に翼でも生えない限り、彼は距離を縮めることなど出来やしない。
当然、そんなことは起きるわけがない。
そもそも、少年は、本当に星に手が届くことを願っていないのだ。
あれは、ただの鑑賞物。
眺めるだけの美術品。
だから、あんなに近くで星を見ることなんて。
ましてや、その光に導かれることだって。
何一つ偶然で、奇跡のようなもので。
本来、あり得ないはずだった。
ふっと微笑み、ぐっと手を握る。
しかし、あり得てしまったのだ。
星は眩い光を放ち、骨の髄まで残さず灼き尽くす。
その熱に耐えられるわけもなく、ただ焦がれ続ける。
あの夜鷹が良い例だ。
彼は星のことを『神様』などと称しているが、その実、星は神ほど優しくなく、神よりも優しい。
神はどこでも我らを見守り続けるが、手を差し伸べることはなく。
星は暗く晴れた日の夜にしか姿を表さないが、手を差し伸べてくれる。
絶望の淵にいる者が、希望を見出すのは果たしてどちらか。
答えは聞くまでもない。
ああ、分かるさ。分かるとも。
星に近付き過ぎた者が正気を失うことが。
数刻のみ過ごしただけでも火傷してしまいそうだというのに、数年、十数年共にいれば灰も遺らないだろう。
少年は幸運だった。
少し目が眩み、肌が灼けるくらいで済んだのだから。
星に、光に魅せられずに済んだのだから。
少年は鳥にはならず、星に願うこともなく。
蒼空に飛び立って、かの光に灼かれることもない。
けれど、まあ。
少し落ち込んだときくらい、星を見上げることくらいはあるのだろう。
かくして小さな冒険は終わり、これから始まるは終曲。
答え合わせと、大団円に至るまでの小噺。
物語は、最後まで見届けるのが礼儀なのだ。