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第七話 付きまとう死のかげ

 向かい合って昼食をとる。


 メニューは日と昼夜で違うが、提供されるものは一種類だけである。そのため、金のある生徒は学外で食べたりもする。時間帯もずれ込めば、食堂は人も疎らだ。


 ラッセルとは決して仲が良いわけではなかったが、同じ研究会に所属していることもあって、過去にも何度か、一緒に食事を取る機会があった。だから、いつになく暗い雰囲気に、ノエルは彼の話が深刻なものであると察することができた。


 まさか自分から切り出すわけにもいかず、しばしの無言を居心地悪く甘受していると、ラッセルが意を決した様子で食事をする手を止めた。


「単刀直入に聞くのだがな、昨日の夜なにをしていた」


 単刀直入に胸を刺された気分だった。


「き、昨日の夜ですか」


「ああ」


 瞬間的に、いくつもの記憶の断片が浮かんで、ノエルは咄嗟に嘘を吐きそうになった。が、例の出来事をラッセルが知る由はなく、そしてそれを除けば、決して後ろめたいところはない。学院生だって遊びに出れば酒も飲もう。要らぬ嘘を理性で嚥下して、


「野暮用で出掛けていましたね」


「野暮用か」その答えに苦い顔をしてラッセルは、こちらの視線に気付くと、「いやな、おぬしが三番街の方へ向かうのを見たという奴がいてな」


「それなら確かに僕だと思います。昨日は三番街に出向いたのです」


「用事の方を聞いてもよいか」


 逡巡ののち、「気晴らしに、ちょっと」


「酒か」


「まあ、そんなところです」


「ふむむ」


 ――なんだろう。


 ラッセルの質問攻めはいまいち要領を得なかった。こちらが避けていることもあるが、彼にしては何とも歯切れが悪い。その理由が分からない。


「むう」


 埒が明かない。彼もそう思ったに違いない。深呼吸をして落ち着き払うと、彼は地の底から響くような声音で、言った。


「今朝方、三番街で死人が出たという話を聞いておるか」


 死人。そう聞いた瞬間、首飾りの売人である男の顔が浮かんだ。


「どうも浮浪者らしいのだがな、ナイフを突き立てられて、路傍に転がっていたというのだ。いや、別にこれだけであれば何でもないのだが、この男と酒場で話している学院生を見たものがいる、という噂話を小耳に挟んでな」 


 すぐには反応できなかった。一拍おいて、


「う、噂でしょう?」


「ああ。噂だ。しかしよからぬ噂だ」


 ラッセルの表情はあくまでも生真面目で、からかうような意図も、ゴシップを楽しむような忽滑さも感じられない。彼は学院の一生徒として、この噂を憂慮しているらしかった。

 ――誇り高き学院生として好ましい姿だとは思わんからな。

 リチャード・ラッセルという男は、確かにそういう男だ。


「噂は尾ひれがつくものだ。話していたが口論になっていたに変わり、口論が喧嘩に変わることもあろう。早々に噂のもとを突き止めて真実を明らかにするのがよいと思ってな」


 彼は取り繕うように、


「別におぬしを疑っているわけではない。ただ、三番街へ出向いたと聞いてな、何か事情を知っているかもしれんと声を掛けたまでのこと」


 どうだ、と真っ直ぐに見つめられたまま問い掛けられる。

 ノエルは黙っているしかない。心当たりがあった――と惚けることもできないほどに、ラッセルの話には身に覚えがあった。三番街、浮浪者、酒場、学院生。偶然の一致にしては出来過ぎているだろう。


 ――真実はこうだ。件の学院生は気晴らしに酒場に向かい、浮浪者から儲け話を持ち掛けられ、乗り、どういう経路でもたらされたのかも分からない魔具を買い、それが原因で浮浪者は殺され、自身も狙われている。


 言えるわけがない。 

 どうして相談できると思ったのだろうか。

 ノエルはそっと、一枚布をずり上げた。


「すまぬな。まるでおぬしが件の人物であったかのような詰問であった」


 ラッセルが視線を外す。瞬間、呪縛が解けたように口が動いた。


「い、いえ。その本当に僕、何も知らなくて。何か力になれたらと思ったんですけど、思い返しても全然それらしいことはなくて」


「いや、構わんさ。本当に学院生だったかすら分からぬのが現状だ。こちらこそ、飯がまずくなるような話をしてすまなんだ」


 それきり、ラッセルは昨晩のあれこれについて詮索することはなかった。食事が再開され、とって付けたような世間話が交わされ、彼の皿が空になるのと同時に、昼食会はお開きになった。「論文、楽しみにしておるぞ」去り際、彼が残した言葉はそれだった。


 最後に一切れの残ったパンの端を口に放りながら、ラッセルとの会話を反芻する。


 ――あの人殺されちゃったのか。


 首飾りの奪取が目的であれば、もとの持ち主まで殺す必要はないだろう。やはりこれだけの逸品、歴史に登場しないことも含めて、裏があるに違いない。

 ノエルは小さく十字を切って、名前も知らない死者を悼んだ。


「あれ、あんたって聖教徒だったっけ」


 投げられた声に振り返れば、そこにいたのはアデールだった。珍しいものを見た、という顔をしている。ノエルは軽く首を振って、


「いや、僕は違うよ」


「あれ、でも今」


「そういう気分だったんだ」 


 他に死者を悼む術も知らなかったというだけで。


 アデールはふうんと視線を宙に逃して、「お仲間だと思ったのに」


 主の奇跡を信じる聖教会と、人為的な奇跡を起こす魔術師は、昔からすこぶる仲が悪い。そんなわけで、聖教を信仰する魔術師は少なく、地方によって様々な神々が奉じられている帝国となれば、魔術師や魔術師見習いが集まる学院ですら数えるほどだったりする。「にわか聖教徒なんじゃなかった?」


「そうだけどね。でも帝国内なら立派な聖教徒かもしれないわ」 


 と、彼女はノエルに視線を戻してから、頭をこつんと叩いて、


「で、なんで言い返さなかったのよ」


「へ?」


「さっきのやり取りよ。ああ言ってたけど、完全に犯人扱いだったじゃない」


 まずいところを聞かれたと思う。方向性に若干の差異はあれど、彼女もまた、ラッセルに負けず劣らず真っ直ぐな人間だ。案の定、彼女はこう主張した。


「違うなら違うって言えばいいのよ。ついでにぐーの一発でもくれてやりなさいよ」


「無理だよ……」


 そもそもラッセルの推測は間違っていないのだ。彼の言っていた浮浪者とは首飾りの売人で、学院生とは間違いなく自分のことだろう。もちろん、アデールにそんなことは言えず、


「それに本当なら大変なことだし、ラッセルさんだってそりゃ深刻になるよ」


「そうかしら。別に学院の子が刺し殺したわけじゃないんでしょ?」


「刺殺の原因の一端でもあれば大問題だよ。あの感じだと、そういう噂もあるんじゃないかな」


 アデールは呆れた様子で、「あんた、誰の味方なのよ。それとも本当にあんたが犯人とか?」


「ち、ちちち違うよ?」


 別に本気でそう思ったわけではないのだろう。彼女は至極どうでもよさそうにノエルの返答を流して、「でも実際、浮浪者に学院生がなんの用事があったのかしらね」


 ノエルが言葉に詰まったのを、彼女はどう解釈したのか、


「だってそうじゃない。ここに通ってるのなんてほとんどが貴族の子でしょ。そんな低層の人間と繋がりなんてないだろうし。何を好き好んで浮浪者に会ってたのかしら」


「たまたま同じ場所で飲んでいただけとか」


「それならもう名乗り出ててもおかしくない気がするのよね。朝からどこもこの話で持ち切りだし。言っちゃあ悪いけど、どこの馬の骨ともつかない浮浪者が一人死んだくらいじゃ、憲兵だって大して動かないでしょうに。誰かさんの言葉じゃないけど、噂に尾ひれがつく方が余程の大事よ」


 アデールは真面目な顔になって言葉を続ける。


「何か裏があったりしてね」


 なるほど確かに、とノエルは彼女の推考に頷いた。よくよく考えれば、当事者以外からすれば、ありふれた刃傷沙汰でしかないのだ。ラッセルがあれほど深刻になっていたのも、そういった気配を敏く感じ取ったからかもしれない。


 ――なまじ完全に近い情報を持っているのも困りものだ。


 アデールとの会話の中で見つけられてよかったと思う。他人への興味が薄い彼女だからこそ、こちらに矛先が向かなかったのだ。これがアデールでなければ、つまり興味本位で自分に水を向けてきた人間であれば、果たしてどうなっていたことか。


 ――というか、彼女なら真相を知っても何も思わないんじゃ。


「ねえあのさ」


 宙を見つめて考え込んでいたアデールが、吐息を洩らして視線を下ろす。その表情は、まごうことなき童女のそれで、ノエルは相談するどころか自己嫌悪に襲われてしまった。確かに魔術師としては二歩三歩と言わずずっと先を行く彼女だけれど、巻き込むような真似をしては本格的に人間として終わりだろう。


「なによ」


「ああ、いや」ぐるりと脳内を巡らせても、手頃な言い訳は思い付かなかった。「なんでもない」


 アデールがため息をついて、「今日はいつにも増して煮え切らないわね」


 ノエルの乾いた笑いに、彼女は処置なしと肩をすくめた。やがて、午後の講義が近付いてきて、いつものように、彼女は別れの挨拶もなしに去っていった。

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