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第五話 大罪人

 四番街は路地裏も路地裏。背の高い建物群に遮られて、雨粒すらほとんど届かない夜の底。寄ってくる足音は三つ。死神にしては急ぎ足のそれが、止まった。


「首飾りを出せ。そうすれば命だけは助けてやる」


 袋小路の前で、壁に向かってぺちゃんと座り込む若者に、三人のうちの一人が声を投げた。その声はどこまでも平然として、踏んできた場数を如実に示している。フードの付いた漆黒の外套、目深に隠された眼光の鋭さも透けて見えよう。


「おい、聞いているのか」


 若者が一向に返事をしないからだろう。別の一人が苛立ったような声を上げた。場末の酒場に出入りしていそうな、労働者階級然とした身なりをしているが、どういうわけか、衣服には糸のほつれ一つ見当たらない。


「おい!」


 二度目はもはや激昂である。それでも若者は身じろぎ一つしなかった。壊れてしまったのか。白けたような空気が漂い始め、誰からともなく目配せが交わされる。最後の一人、やはりフード付きの外套を纏った男が、ゆっくりと若者に近付いていった。   


 その背に伸ばした手が触れる、瞬間だった。


 獣に突き飛ばされたかのように、男の身体が真横に吹き飛んで、壁に叩きつけられた。前触れは何もなかった。さながら神の悪戯。気絶して転がった男の身体一つが、嘘のような事象の結果として残った。


 しばしの静寂。

 唐突に、哄笑が響いた。

 その発生源、若者が悠然と立ち上がり、振り向いた。


 泥だらけの貫頭衣と一枚布トガ

 首元には、どこからか迷い込んだ微かな光に煌めく、小さな翠玉。

 頬に雨と涙。しかし、その上下、目には闘志が、口元には笑みが。


「他人様の身体だからな。命だけは助けてや、」


 若者の言葉が終わるよりも早く、男が飛び出した。三人の内もっとも冷静だった、最初に言葉を掛けた男だ。右手には暗器。小ぶりのナイフが若者の胸元に向かって伸びる。手慣れた動きだった。タイミングも、速度も、申し分ない不意打ち。


 それが外れた。


 若者はすでに男の懐。幽霊ゴーストのようにぬるりと一撃をかわしながら歩を進めたのが半瞬前のこと。身体の向きは男に対して垂直、僅かに身をかがめ、左手は拳、右手は掌、組まれて一身となったそれはまさしく棍のごとく、力の溜まった先端、左肘が胸元から勢いよく、鐘を突くようにして、男へと突き出される。


 ようは上半身を総動員した肘打ちである。殺人的な威力を持った。


 男が吹っ飛んだ。瞬間に意識が飛んでしまったのだろう、受け身を取ることもなく地べたに転がる。ぴくぴくと痙攣しているあたり、まだ死んではいないようだ。


「て、てめえ、ただのガキじゃねえのか!?」


 天下の学院生相手に何たる言い分、けれど、肩書きが意味をなさない世界は確かに存在して、言うならばその台詞は、男がそういった世界に生きることを暴露したようなものだった。が、若者はどうでもよさげに、額面通りに受け答えをした。


「私か? そうだな。ただのガキではないな」


 若者は、今度はゆっくりと、誰の目にも明らかな速度で、一歩一歩距離を詰め始めた。急ぐ必要はない。そう言外に告げていた。

 その姿に何を見たのか、男が情けない声を上げて、後退ろうとした。

 できなかった。

 狂乱の体で男は振り向いて、あるはずのないものを見た。


 壁。


 ああ何が起こってしまったのか、薄汚れた路地裏の道が続くはずの背後には、びくともしない壁が出来上がっているではないか。真新しい壁。背で押しても拳で叩いてもびくともしない、道をふさぐ高い壁。


 魔術。

 それも尋常ならざる領域の。


 男の顔が絶望で満たされる。

 ミイラ取りがミイラになる。行き止まりに追い詰めたと思ったら行き止まりに追い詰められていた。そのアイロニカルな構図がツボに入ったか、若者がけらけらと笑い始める。歩は止めない。一歩一歩、しかし確実に距離が詰まっていく。


「笑えたので教えてやろう。私はただのガキではない」


 男が最後に見たのは、闇の中でもはっきりと分かる、獰猛な笑みだった。


「大罪人だよ」



 死後の世界を信じていなかったノエル・フォーチュンは、その光景を目の当たりにして、息を忘れるほど驚いた。天には月。高い建物の隙間にある路地裏のような空間に、三人の男が転がっている。ぴくりともしない。流石に死んではいないだろう死後の世界でまで死んでしまうなんて可哀想過ぎる話だ。しかしどこかで見たような場所だ。どこだっけ。ああそうだ。あれは確か――。


 凍り付く。


 胸元に手を伸ばす。冷ややかな感触。

 翠玉の首飾り。

 となると目の前の男たちは追手なのか。


 ――何があったんだ?

 ――というかこれ、生きてるよね……?


「………………………………………………………………」


 平常心でいられたのは三秒だけだった。生存確認をするだけの精神的な余裕があるはずもなく、ノエルはさっと身の回りを走査して――光が薄過ぎて見えないよ!――自らの痕跡が落ちていないことを確認すると、一枚布越しに首飾りを握りしめ、


「ごめんなさい!!!!!!!!!!」


 逃げるが勝ち。

 脱兎のごとく駆け出した、その判断は劣等生らしからぬ早さだった。



 雨上がり、月に照らされた石の街は、いつになく美しく見えた。

 生きているって、素晴らしい。

 ノエルは風となって生を謳歌する。その胸には、貞淑な恋人のように、翠玉の輝きが抱かれている。王都の夜更けに、ゆっくりと静寂が帰ってくる。

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