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第三話 落ちこぼれ学院生活②

「いた。おいノエル」


 今日はよく声を掛けられる日だ。

 図書館で調べ物をしていたノエルは、ふいに背後から呼ばれてそう思った。振り返らずとも分かる。リチャード・ラッセル。数少ない、落ちこぼれノエルに声を掛ける人々、通称ノエリストの二人目。腹の底に響くような声音が今日も渋い。


「どうしたんですか、ラッセルさん」


「どうしたんだいではない」彼は周りを見回して、「談話室へ行こう」


 正直なところ、ノエルはこの男が苦手だった。まず威圧するような身体つきが苦手だった。次に真っ直ぐな言葉や考え方が苦手だった。北の貴族らしい血統と、それが全面に押し出された金髪と碧眼も苦手だった。アデールいわく、それらはすべて嫉妬に起因するらしい。余計なお世話だ。


「えっと、その」


 まごついていると、ラッセルは帝国軍人とも見間違う体躯で詰め寄ってきた。


「ここでは他の生徒の邪魔になるだろう」


「は、はい。すみません」


 こうなるともうどうしようもない。唯々諾々と従うしかない。


「それで要件だが」


 談話室に入るなり、ラッセルは本題に入った。まるで時間が惜しいとばかりに、椅子に座ろうともしない。こういうところもノエルは苦手だった。


「あれですよね、研究会の論文」


 魔具に関する歴史的考察。春先から続いたテーマも佳境で、論文を査読し合う段階まで来ていた――否、本来であれば先週には終わっている予定だった。


「話が早いな。出来上がっているか?」


 真っ直ぐな目でラッセルが見つめてくる。

 ノエルは目を逸らして、


「ええと、あとちょっとです。はい」


「……三日前もそういっておったな」


「いやもう、近日中に、絶対」


「ノエル。ノエル・フォーチュン。お前のせいで会の進行が滞っているという自覚はあるのか?」


「……すみません」


 ラッセルがため息を吐く。言うまでもないが、遅れているのはノエルだけである。モールディング研究会の主、ジョセフ・モールディングの専門は理論魔術。だからというわけでもあるまいが、会のメンバーはみな生真面目でマメな人物ばかりで、こういう問題を起こすのは決まってノエルだった。


「すみません。本当にあとちょっとなんです」


 嘘ではなかった。全体の進捗でいえば半分よりは進んでいる。多いか少ないかでいえば、少ない。つまりちょっとだ。


「モールディング卿はああいう性格だから何も言わんがな……」


 同級生からのお説教に平身低頭する。彼が自分より一つ上の二十歳である、というのが唯一の救いだった。これで彼まで九歳だったら涙も枯れる。


「……というわけだ。次回までには完成させておけよ。全く、帝国第一の学び舎で学ぶ若者の姿かこれが。情けない」


「はい。すみません」


 他に言葉がなかった。そのことに呆れたのか、ラッセルは最後にもう一度ため息を吐いた。「邪魔したな」 


 どうしようもないのはあんた。アデールの言う通りだろう。


 ラッセルのため息はもっともなものだ。秀才の中の秀才、そう呼ばれる彼からすれば、落ちこぼれどころか、周囲の足まで引っ張る人間は理解し難い存在だろう。あまつさえ、そいつが同じ研究会に所属しているとなれば。


 自分もこのように生きることができれば、もっと楽だったろうに。

 彼であれば、自分と同じ立ち位置からでも、立派に大成してみせるだろうに。


「なんだ、まだ用でもあるのか」


「へ?」


 談話室の扉に手を掛けた状態で、ラッセルは立ち止まっていた。どうやら我知らず彼を見つめてしまっていたらしい。それが彼の生真面目さを刺激してしまったようだ。


「あーいや」


 ない、とは言い辛い。

 あなたのように生きることができたら楽なのに、とはもっと言い辛い。


「猶予なら私ではなくモールディング卿に申し出るべきだと思うが」


「いや、そうじゃなくて」脳裏に浮かんだのはアデールとの会話だった。溺れるものは藁をも掴む。「ラッセルさんは教育課程を終えたらどうするか決まってますか?」


 ラッセルは何を藪から棒にと目を白黒させた。が、彼は聞かれれば答えずにはいられない男だった。


「私か? 実のところ決まっていないのだ」


「ほ、本当ですか!?」


 思わぬ吉報に声がうわずった。


「何を喜んでいるんだ」


「い、いえ。ラッセルさんでも悩むことがあるんだなあと」


 慌てて取り繕うノエルに、彼は首を横に振って、


「そうではない。悩んでいるわけではないのだ。私は以前から軍属志望でな」


「軍属?」


「ああ。祖父からかくあるべしと教えられてな。以前もそうだったのだ。本当であれば士官学校に入るはずだったのに、親父殿が猛反対してしまって」


 それはそうだろうと思う。ラッセルの父は帝国議会の議員として、王都でも名の知れた人物だ。そしてラッセルは嫡男。ここしばらく目立った戦争は起きていないとはいえ、進んで戦地に出るような真似を止めるのは、親心からしても、家長としても、当然のことだろう。


「センチネル議員やオーランド議員はともに海軍出身だ。バーナード議員などは現役の陸軍将校であらせられる。そういった道もあるというのに」


「じゃあラッセルさん自身は、修了後に士官学校に」


 そう珍しいことではない。遠回りをして、金だけではなく銀の箔を付けて、将校になろうというだけの話だからして。この男の場合は、ちょっと事情が違うようだけれど。


「うむ。俺は今度こそ親父殿を説得して士官するのだ」


「あー、士官の話を蹴られたからここに入ったんですね……」


 天才の中の天才があれなら秀才の中の秀才はこれである。


「そういうことになるな。しかし、ここの暮らしで得た学びは少なくなかった」


「はーそりゃもう」


 聞かなきゃよかったなと思う。徹頭徹尾、共感できる要素がない。なんだか自分がちっぽけであることを再認識させられるばかり。


「そういうノエルはどうなのだ?」


 夏は秋になる。それでもやはり、ノエルは支度ができていなかった。


「決めるなら早い方がいいぞ。一部の生徒は、すでに研究課程へ進む準備を始めていると聞く。私が言うのも難だが、実際どうなるかは別として、自らの身の振り方すら決められないのは、誇り高き学院生として好ましい姿だとは思わんからな」

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