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第一話:紫黄と雫──scene1『龍撃』

────



 …………月明かり。


 部屋の全てが黄の瞳の子に夜晒しにされて、瓦礫の上に横たわる私の腕すら破壊されていた。

 痛みも臭いも遠のいた頃に、ようやく崩れ落ちる瓦礫から守れた少女を窺うと、その子は千切れた私の腕を抱えながらこちらを見上げていた。

 白い装束が私の血で汚れてしまって申し訳なく思うも、二人して言葉を発することはなく、ただ今するべき事の為に禁忌を冒す覚悟を決めたか、小さな歯を肉塊に食い込ませる。


 瞬間、少女の体からドス黒い煙が湧き出しては悪魔に蝕まれていくかの如く体は溶け──それでも狂うなどとは程遠い無垢な紫色の瞳を輝かせる龍の再生を前に、この状況の何もかもが、一月前この子達と出会った瞬間から始まったんだと思い返した。



──────



「──逃すなッ、必ず仕留めろ!」


 広大な洞窟中に男の怒号が響いた。

 続いて白い甲冑姿の人々が編隊を成し、男女問わず皆が物々しい殺傷具を携え駆け抜けて行く。物騒な一団が進んだ道には照明が設置され、点々と続く血溜りが露わになる矢先に踏み荒らされる様子を、私はランタンを抱えたまま見下ろしていた。


「この出血量……龍と言えど、もう空へお帰りいただく事は出来ないのだろうな」


 そう分かってしまうだけに、やはりやり切れないものがある。今回の龍──……いや、大地に堕ち禁忌を犯した龍『堕心龍(だしんりゅう)』は、今まで手を焼かせて頂いた若い個体とは違って老衰した小さな体躯であった。

 人の世に根付いている龍を崇める心を持つ以前に、そのような御身に刃が向けられるなど良心が痛んで堪らない。


「──どうした、アガルタ。仕事中に考え事か?」


 手を止めてしまっていた私に、一人の隊員が声を掛けて来た。


「ぁ、いやなんでもない。……ブレイドは、またお手柄か?」

「おいおい。御龍が全てな家系の坊ちゃんであらせられるアガルタ殿が、お手柄なんて言ったら不謹慎だろ」

「はは。言葉のあやだよ」


 ブレイド。私の同郷の幼馴染みであり、堕心龍を討つ隊では『勇者』と煽てられる程の実力を持つ。

 こいつが二つある堕心龍の心臓の一つを潰したとの報告は、龍の返り血を浴びた姿からして本当だったようだ。


「アガルタも前線に来いよ。男が廃るぞー」


 私から手拭きを受け取り、他の隊員から水を持ってくるよう頼みながらブレイドが茶化してきた。


「よく言う。ブレイドだって私の龍信家系と深い関わりのある家の出だろうに。いつか罰が下るぞ」

「そりゃあ困るな。あー、だったら常日頃から御守りを抱えておきますかね」


 そう言って見せびらかしてきた御守りとやらは対龍武具で最も殺傷能力の高い長剣の事で、ブレイドが名前を付けるほど愛用している一品である。


「……おい、それ、剣身が……」


 だが、朝見た時は煌びやかだったその剣は堕心龍との戦いで激しく傷み、無残にも朽ち始めていた。


「堕心龍と言えど、龍様の心臓に触れたんだ。こうなってもおかしくない。だろ?」


 それに──と、ブレイドは柄から剣身を取り外して背負った鞘に納めると、真新しい剣身を伴って再び現れる。これを豪快に振り下ろし、ブレイドは少年の様に笑った。


「愛剣『リジル』は何度でも蘇る! よく覚えとけよ」

「よく覚えてるよ。そのセリフ聞かされるの何回目だろうな」


 堕心龍の心臓を貫いた男とは思えないあどけなさに、私もつられて笑い返す……が、その時洞窟の奥から断末魔の叫びと思える声が轟いた。周りの隊員達にも緊張が走り、作業する手が止まる。


「お。……堕心龍の咆哮か?」

「誰かが討ち取ったな。俺達も行こうぜ。息を引き取ったんなら、弔ってやんねぇと」

「ああ……。そうだな」


 差し出されていた水を手早く浴びた彼は、私を促して走り出した為、私も武具を携えるとすぐにブレイドの後ろに付いて洞内を駆け抜けた。

 いよいよ堕心龍が死ぬのだろうが、『私達』が相手では当然の結果だ。


(──『龍撃のマルドク公国』の力か)


 強大な力を持つ龍に対抗すべく、人類が持ちうる全ての英知を一点に収束させた武装集団と謳うだけに、あのような衰えた個体に勝ち目などあるわけがなかった。


 これだけを聞けば、龍──堕心龍に苦しめられている側にとっては、頼もしい機関であろう。でも、今回はどうなんだ。

 頼もしい組織だと、誇れるような事をしているのだろうか。


「──どうした、アガルタ。仕事中に考え事か?」

「……まあ、堕心龍とは言え、老いた龍を殺めるなんて寝つきが悪くなるだろ」

「そか。そりゃ同感だけど、そもそも人は大地で、龍は空で暮らすものだったんだ。それを破って暴れられたら、俺らは討つしか方法はない。違うか!?」

「……違わない!」

「そうだ。俺らだって本当は殺したくなんかないんだから、龍は大人しく人に崇められる存在のままジッとしてろって話なんだよ!」


 ブレイドの言う通り、私達は『救済』を謳う身分であるわけがなく、人々の平和を守る為にと龍殺しの罪人と言われて然るべきだ。

 赦されたいと願う心を持つ事は大事だが、どんなに龍への信仰心が強かろうが優先順位を間違えてはいけない。

 私は罪人の一人だ。龍信家系の人間としてではなく、龍撃組織の一員としてここにいると思い出せ。


 ──そんな事を考えている内に、私とブレイドは追撃隊が集まる場所へと辿り着いた。

 堕心龍の姿はないようだが、彼ら彼女らの足下には今まで以上の血溜まりと咽せ返る程の臭気が立ち込め、激闘を物語るように地は抉れ、龍の鱗や鬣の蒼い毛が散乱していた。


「仕留めたのか?」


 ブレイドが、近くの肩で息をしていた隊員に問い掛ける。


「ああ、向こうで皆に担ぎ上げられて喜んでいる奴がな」

「なら堕心龍の骸は何処に?」

「健気にも最後の力を振り絞って奥へ逃げたよ。だけど、二つ目の心臓を突かれたんだ。そう遠くには行けてないと思うぞ」


 私も見やれば、ここの空間に留まっている追撃隊から分離した索敵班が動いているらしい。


「……なあ、アガルタ。老いた龍にしては、なかなかにしぶとくないか? 死に目を人に見られたくないタイプだとか?」

「どうだろうな」


 思えば、あの堕心龍を見た時から老龍と言う時点で多少の違和感を感じてはいたが、奴には人々を襲う事とは別の目的があったのか。

 例えば人の世で余生を過ごしたい等……それは夢を見過ぎているか。


「俺達も索敵班に混じろうぜ。倒したならちゃんと骸を確認しなくちゃ、気分が晴れねぇ」

「居ても立っても居られなくなったと。私も同感だ」


 ブレイドの言う事に任せて、我々も後に続こうと思った矢先の事である。奥へ続く暗がりで複数人が慌ただしく叫んでいる声が耳に入る。


「整備班、灯りを早く!」

「誰か、毛布を持ってませんか!?」


「……あ? なんだ?」

「ブレイドの班じゃないか。灯りならあるぞ!」


 さっきブレイドに絡まれた時に設置し損ねた光水ランタンを掲げ、私が大きく声を上げた。さらに後ろから来ていた別班の隊員が「毛布ならあるけど、怪我人が出たの?」と続けると、こちらへ走って来た一人が大きく首を横に振った。


「違う、人間の子供だ! 奥にいるのを見たんだ!」

「……? 子供?」


 一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。

 どうしてこんな山岳地帯の洞窟に人間の子供がいると言うのか。あまりに場違いで突拍子のない発言に、ブレイドが舌打ち混じりに詰め寄る。


「あ゛? 冗談かましてンのか?」

「冗談であれば面倒な報告もしなくて良いがな。とにかく、早く来てくれ!」


 ブレイドが凄んで見せても、彼は変わらない調子で急かした。嘘を言っている様子ではないと、私とブレイドは顔を見合わす。


「行ってみようか?」

「嘘つく理由も……ねぇだろうしな」


 としている横を、本来ならば怪我人に使う筈の毛布を持った隊員が私達を余所に走って行った。それを見て、ようやく私達も遠くで手招きをする彼に従った。


 ──話の通り人の子が居たとして、それは何故だ。

 遭難者?

 浮浪民族?

 近くに人里は無かったはず。

 なら、堕心龍が餌として遠くから攫って来たとも考えられる。

 だとすると、その子供が抱く恐怖は計り知れないな。


「ブレイド、灯りを持つ私が先に行く。後ろに付いていてくれ」

「んあ? ……あー、了解」


 前を走っていたブレイドを下げさせ、私は細く息を吐いた。

 血の匂いは今更だが、この洞窟は奥に進む度に強まる生々しい生き物の臭いで満たされている。いつ運び込まれたかもわからない動物の死骸が所々に転がる地獄みたいな場所に、人の子だ……?

 あまり考えたくはないが、凄惨な状態である可能性は大いにある。見た瞬間叫んでしまわないよう気を引き締めた。


「……ここか?」

 少し掲げた光水ランタンの灯りが、辿り着いた洞窟の最奥を照らす。


「……ぅ」

 堕心龍の遺体が横たわっている。

 傷だらけで痩せ細った長躯は黒く重量感のあるモヤを吐き出し、虚空に浮く為の浮き袋は露出しズタズタに破れ、蒼天を掻く為の鰭は力無く地面で折れ曲がり土塗れになっていた。

 本来なら陽の光に煌めく、神々しい姿であるのに……なんという。

 目を逸らしたくなる気持ちを抑え、脚を進めた先──堕心龍の臓器が散らばる、その傍らに──。



「……ぁ、……な……?」



 光水の明かりの中、本当に人間の子供の姿があった。それも……二人の女の子だ。

 龍の皮らしきモノを身に纏い、蒼色の髪が乱れ、あどけない横顔は瓜二つ。全身が龍の血に塗れて見えづらいものの、この子達が喰われた痕跡などはない様に思えるのは良い事なのだがそれよりも。


「……待ってくれ。なんだ、何を食べている?」


 グチグチと、耳に届く粘膜を掻き回す音。

 小さな手は真っ赤に染まっており、老龍の体内と己の口を行き来している。


「……」

「……?」


 口元から下を血塗れにした子供達が私に気付き振り返った。その拍子に照らされた手元からぶら下がる肉の塊を見て、背筋が凍る。

 二人が引き摺り出しているモノは心臓であり、あろう事か口にもしているのだと察すると同時に私は弾かれた様に二人に駆け寄ると、その手を掴み上げた!


「喰うな! それを早く手離せ! ──救護班早く!!」


 なんて良くない状況だ。先程、龍の心臓を貫いたブレイドの剣身がフラッシュバックする。

 鋼鉄をも腐食させた代物だぞ。

 既にその兆候が出始めているかも──!

 冷や汗が頬を滑り、私は咄嗟に彼女達を振り返る。



「────……?」



 どうして……そんな不思議そうに見返してくるんだ。まるで変なのはお前の方だとでも言いたげな視線に、私が早とちりでもしたのかと思ってしまう。


(……それより、なんだ。この子達)


 黄の瞳の子と紫の瞳の子──。

 今までそんな瞳の人間など見た事がない。

 眼を患っているのかと思う他に、耽美的な絵画に心を惹かれる時の様な、この場には相応しくない感動を覚えてしまった。


「──……ぉいおい、マジかよ。アガルタ、いきなり怒鳴る系の兄ちゃんだったか?」


 私の肩に手を置いたブレイドは「まぁ、コレはしょうがねぇか」と此方の心情を察してくれた。


「ブレイド……! これ、この子達は──!」


 彼の声でハッとした私であったが、二人の子供を照らす以外に為す術を思い至れずにいた。

 そうこうしている内に他の隊員が彼女らを毛布で絡み、灯りを設置する為に入って来た整備班や野次馬共で、この場は一気に人気が多くなった。

 すると……この騒々しさに圧倒されたか、黄色の瞳を持つ子が泣き出してしまった。


「うわぁ。……おいおい、お前らさぁ」


 慌て優しく宥める女性隊員と、隣で舌打ちをかまして野次馬を追い返すブレイドに私も加勢する。その後ろで、泣いてしまったその子の頭を、紫色の瞳の子は無表情のまま頭を撫でてあげていた。


 ──この後、駆けつけた救護班が彼女達を洞窟の外へと運び、私達は予定通り老龍の遺体の回収作業に入った。以降我々がマルドク公国への帰路に着いてからも、あの子供達の事は耳にしていない。


 龍の心臓を口にした以上は、すぐに症状が現れなくとも無事ではいられないだろう。ともあれ、どんな形になっていても彼女達が故郷に戻れる事を祈るだけだ。


 私は夕闇に落ち行く空を仰ぎながら、帰りの送車に揺られ……そして。



「──……蒼い髪……か」



 瞳の他にもう一つ、胸に引っかかっていた事を吐き捨てた。





──────

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