決闘勃発
「何をぼんやりしているのだ、迅太郎」
茜の声で迅太郎ははっと我に返った。迅太郎が隣に目をやると茜が怪訝そうにこちらの顔を覗き込んでいた。
「あ、すまん。ちょっと……」
迅太郎は、自分が得体の知れない剣気の残り香に身震いしていたことを茜に告げるべきか迷った。その場に滞留した剣気を察知するなど普通の人間にはできない、迅太郎だけの特技だからである。
「親分に隠し事か? この不届き者め、不届き者め」
茜がぼかぼかと迅太郎の胸を拳で叩く。そこそこ身長差があるので、傍から見れば歳の離れた妹が兄に対して駄々をこねているように見えるかもしれない。
「わかった、わかった。言うよ」
やはり黙っているよりきちんと打ち明けた方が絶対にいいと迅太郎は思った。糸をたぐるように剣気を辿ることができれば闇叺の尻尾を掴めるかもしれない。
迅太郎は自分の特技についてざっと茜に説明した。すると茜は目を輝かせ、
「何、そんなことができるのか! やはりお主を連れて来たのは正解だったな」
と、上機嫌そうに笑った。
「ずいぶんあっさりと信じてくれたな」
「なあに、他人の話はしっかりと聞くべきだなと反省したまでだ」
そうして二人は剣気の主の追跡を開始した。ようやく茜が進展を見出したのもつかの間、剣気は吾妻橋の向こう側の本所竹町でぴたりと途絶え、それ以上足取りを追うことはできなかった。
「むむ、また振り出しに戻されたか」
「そうみたいだな。そもそもあの剣気が闇叺の奴らのものかどうかもはっきりしてないんだけど」
迅太郎は肩をすくめ、深く溜め息をついた。と、そのときまたしても迅太郎は別の剣気を感じ取った。今度のは残滓ではなく、人体から放出されている真っ最中の剣気だ。そのため茜にも感知できたらしく、彼女はビクッと身を震わせた。
「おい、茜ぇ! その小便臭そうな小僧は何者だ!」」
迅太郎がだみ声のする方に振り向くと、小袖の上に白い巻き羽織を着た四十絡みの大男が閻魔もかくやといった形相でこちらを睨みつけていた。腰に大小を帯びていることから武士であることが伺える。どうやら今の剣気はこの男が発しているもののようだ。
武士を見て茜は「父上!」と嬉しそうに叫んだ。
一方、迅太郎は見知らぬ武士に突然敵意を向けられたことで戸惑いを隠せずにいた。
「娘? 父上? 茜、あの方がお前の父君なのか?」
視線は武士に向けたまま、迅太郎は茜に耳打ちした。
「うむ。名は恵比寿山勇海。私たちは親子であり同心・岡っ引きの関係でもあるのだ」
迅太郎は言われてみて思い出したが、白の巻き羽織は妖から江戸を守る妖同心の象徴的な装いだ。
それにしても親子で手を組むとはかなり意外だった。
迅太郎は勇海の前に歩み寄り、「迅太郎と申します」と名乗ったが勇海はそれを一顧だにせず茜のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か、茜。何かその小僧に不埒なことはされてねえだろうな? くそ、やはりお前には一人暮らしなんかさせずにわしの屋敷に置いておくべきだった! ようし、今すぐ長屋を出てわしの所に帰ってこい。な?」
勇海は茜の肩を揺さぶりながら早口でまくしたてた。
厳めしい武士が若い娘の前で取り乱す様はどこか滑稽で、通り過ぎる人の中には失笑をこらえている者もいた。
「父上!」勇海を制するように茜が叫んだ。
先ほどまでの笑みは消え、一転して険しい表情へと変わっている。
「私はもう十九です。いい加減子ども扱いはやめていただきたい。それにこの男は怪しい者ではありません。私の下っ引きです」
「す、すまん。しかし茜よ、こんな得体の知れねえ奴がお前のおともをするなんてわしは許せねえ――おい、貴様」
勇海はぐるりと身を捻って迅太郎を睨みつけた。完全に油断していた迅太郎は勇海の刺すような視線に思わずすくみ上がってしまう。
「な、なんでしょうか」
「金輪際、茜の前に姿を現すんじゃねえぞ」
「父上!」
勇海の身勝手な物言いに茜が思わず横槍を入れる。だが今度は勇海も動じない。
「餓鬼に遊び半分で妖同心の仕事に首を突っ込んでこられちゃ虫唾が走るんだよ」
「お言葉ですが俺はもう茜についていくと決めましたので。大親分に何を言われようがそれが覆ることはありません」
迅太郎も負けじと反駁する。いくら温和な迅太郎といえど、ぽっと出の武士に自らの立場を脅かされて黙ってはいられないのだ。迅太郎のその毅然とした態度に茜はどこか頼もしさを感じているように見えた。
「貴様に大親分なんて呼ばれる謂れはねえ。どうしても茜のおともがしたいって言うんなら――このわしを倒してからにしろ!」
「……どうしてもその必要があるのなら、受けて立ちましょう」
互いに譲れない想いと想いがぶつかり合い、銀光のように迸った。