妖奉行の御用聞き
ぴいぃぃひょろろ。
澄み渡った水色の空を一羽のトンビが輪を描いて滑っていた。
恐るべき連続人さらい事件の渦中であることが嘘のように、浅草寺門前通りは活気に満ちた賑わいを見せている。
浅草寺へ参拝に向かう者や彼らを狙った威勢の良い物売り、一仕事終えて蕎麦でも食おうと話しながら店へ向かう職人たち。
種々様々な人たちの流れの中に、迅太郎は翻弄されるように立っていた。
「うわ……ものすごい人の数だな。さすがは浅草の町」
思わずひとりごちる迅太郎。
彼は網代笠をかぶり、股引に脚絆を巻いた旅装姿をしていた。誰もが認める色男というわけではないが、若者らしく活き活きとした印象の好青年である。
広すぎてどこに何があるのかさっぱりわからないな。
困り果てた迅太郎が通りがかった棒手振りの男に道を尋ねようと近づいたとき、女の黄色い声がそれを阻んだ。
「きゃあぁぁっ! 誰か!」
迅太郎がそちらへ視線を飛ばすと、若い女が三匹の妖に囲まれていた。
それは緑色の肌をしていて、鷲鼻と尖った耳が特徴的な【五侮利童子】と呼ばれる小鬼だった。
大きさは人間の子ども程度で個々の戦闘能力は高くないが、恐ろしいのは仲間と連携を取ることで何倍もの強さを発揮する点だ。周囲の者たちはそれを恐れているのか不安げに立ち尽くすことしかできずにいる。
「今、助けるぞ」
迅太郎は咄嗟に腰に帯びている長脇差の柄に手をかけて飛び出した。
二匹の五侮利童子がそれに反応し、左右から挟み撃ちを仕掛けてくる。残りの一匹は女の前に立ちふさがったままだ。
「邪魔だ!」
迅太郎は身を捻り、反動を利用して長脇差を斜めに斬り上げる。銀色に煌めく剣筋が左側から飛びかかってくる五侮利童子を捉えた。
横真っ二つになった五侮利童子は事切れ、その亡骸が地面にぼとりと落ちた。迅太郎は素早く転身し、返す刀で右から襲ってくる五侮利童子も両断。
残った一匹は一瞬だけ動揺を見せるが、すぐ血に飢えた野犬のような目つきを取り戻し、女の胸元へと飛びついた。どうやら女が髪に差している笄(装飾品の一種)を狙っているようだ。
「やめて、離れて!」
五侮利童子に組み付かれた女は恐怖で冷静さを失い、声を上擦らせて叫んだ。
五侮利童子は女の笄をむしり取るように奪ったが、女が激しく抵抗したため手のひらからすっぽ抜けて地べたへと落とす。
「この妖め! 女子を放せ」
迅太郎は長脇差を納刀して鞘で五侮利童子の背中を思いきり突いてやった。抜き身のまま刺突すれば五侮利童子の体を貫いて女まで傷つけかねないからだ。
ゴフッ、とくぐもった呻き声を上げて五侮利童子が女から剥がれ落ちる。と同時に見物人たちからどっと歓声が巻き起こった。
「怪我はないか?」
「は、はい! 大丈夫です」
迅太郎がにこやかに問いかけると女は目に涙を浮かべて答えた。
少し過呼吸気味で、着物の内側で足が小刻みに震えているのが見て取れた。下級の妖とはいえ、大の男すら殺すこともある恐ろしい相手だ。恐怖を感じるのは無理もない。
よし、この女子に浅草の案内を頼み込んでみるか。歳も近そうだし仲良くやれそうだ。
迅太郎は地面に落ちた笄を拾い上げると、近くの茶屋で女を休ませようと手を取った。ここにいては周りの人たちの歓声がうるさくて仕方がない。
そのとき、迅太郎に背中を突かれて倒れていた五侮利童子がおもむろに体を起こした。
「おい、まだやる気か?」
迅太郎が再び長脇差を抜いて白刃の煌めきを見せつけるや、五侮利童子はビクッと体を震わせて一目散に逃げていく。迅太郎は深追いしようとしなかった。戦意を失った敵は既に敵ではないのだ。
「そこの旅装の男ー。御用だ! 御用だ!」
今度こそ一件落着かと思った矢先、甲高い叫びが迅太郎の耳朶を打った。
旅装の男とは俺のことだろうか。恐る恐る振り返ると腰切半纏に股引姿の少女が大槌を担いでこちらに走り寄ってくる姿が視界に飛び込んできた。
小柄な外見に不釣り合いな怪力に迅太郎は驚いて目を見開く。
「な、なんだきみは!?」
「ふっふっふ、聞いて驚け。私の名は茜。江戸が誇る妖奉行の御用聞きだ」
茜は大きく胸を反らせて得意げに名乗った。幼い見た目に見合った舌足らずな話し方である。
「その妖奉行がいったい何の用だ?」
「何の用だとは白々しい。その抜き身の脇差でいったい何をしていた?」
「これは――」
「問答無用っ! 本当は辻斬りの捕縛は管轄外だが、悪を見過ごすわけにはいかない。覚悟ー!」
迅太郎の言葉を遮って茜が大槌を振り回してきた。捕縛どころか本気で迅太郎を叩き潰すつもりらしい。
「人に質問を投げかけておいて答えを聞く気はないのかよ!」
半泣きになってその場から逃げ出す迅太郎。その手には女から預かった笄を持ったままだった。