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影向  作者: 水上祐真
第一章 人が消える街
2/19

1.

「ねえ、あの噂聞いた?」

 カップの中の真っ黒な湖面を見つめる同期の漠然とした質問に、千尋ちひろは一瞬答えに詰まる。

「噂?」

「うん。……人が消えてるってやつ」

 不安そうに周囲をうかがいつつ、恵子がポツリと続ける。お昼も過ぎて人が出払った刑事課のオフィスは静まり返っており、小さな声もよく響く。

 彼女は千尋の警察学校時代からの友人であり、交番勤務になってからも時折こうして顔を出しては『情報共有』と称してサボりに来るのである。ただ、今日は心なしかいつもと様子が違って見えた。

「なにそれ、また怖い話?」

「いや、わかんないんだけどさ……。最近パトロール中によく聞くんだよね。見かけなくなった人が増えたって話」

「見かけなくなった、って……それだけ? 行方不明とかじゃなくて?」

「うん。どこそこのコンビニに毎日来てた人とか、毎朝決まった時間に公園で散歩する人とか」

 相槌代わりに怪訝けげんな顔を返して続きを待つ。彼女が怪しげなオカルトや都市伝説の知識を披露すること自体は珍しくない──その度に千尋は眠れぬ夜を過ごすことになり、大変迷惑を被っていた──のだが、こうまで胡乱うろんな話をするのは記憶にある限り初めてのことだった。

「分かってる、引っ越しでもしたんでしょって思うよね。あたしも最初は聞き流してたよ? けど……全く別々の場所で十人以上に同じこと言われたら、ちょっとは気になるでしょ」

「……偶然、って思いたいけど。届け出はあるの?」

「少なくともウチの交番には来てない。でも町では噂になってるよ。例の感染症で皆死んでるんじゃないかとか、人さらいが出たとか」

 ひとしきり話し終えた恵子がカップをデスクに置く。結局一口も飲まなかったようだ。

「人さらいって……いつの時代の話?」

「こっちが聞きたいっての。ていうか真面目な話、あんまり噂が大きくなるようなら単身者世帯を一件一件訪問しないといけなくなるかも」

「うわ、大変そう……」

 当署管轄の交番は全部で九つ。担当区域の広さを思えば少ない方である。単身者世帯は市内でも年々増え続けており、普段通りの業務をこなしながら一戸ずつ安否確認をしていくというのは察するに余りある激務だろう。

 予測可能回避不可の未来を憂う同僚に哀れみの視線を送っていると、当の恵子からは暗い笑みが返ってきた。

「他人事のように言いますけどね。事件性あり、ってなったら千尋も駆り出されるんだよ? 分かってる?」

「うっ。わ、分かってるよ……でもまさかそんな──」

「残念ながらそのまさかだ」

「きゃあっ!?」

 不意を突かれた二人が悲鳴をあげる。千尋が慌てて振り返ると、すぐ後ろで上司でありペア長でもある綾城衛二あやしろえいじが幽鬼のように突っ立っていた。

「あ、綾城さん……脅かさないでくださいよ……心臓止まるかと」

「気づかないくらい雑談に夢中になってる方が悪い。橋田も、いつまで油売ってるつもりだ」

「す、すいません……でも、あの、『そのまさか』って……?」

 上司とはいえ年齢もさほど変わらない。多少の苦言程度でこのメンタル強者が揺らぐはずもなく、流れるように情報収集を始めようとする。その姿勢は引っ込みがちな千尋としても見習いたいところであった。

「今お前らが話してたことだ。行方不明になった会社員の勤務先から届け出があったんだよ。『無断欠勤が続くので自宅を訪ねてみたが帰っている様子はない。近親者からの連絡も繋がらない』ってな。正式に捜索願が出された分だけですでに五件、橋田の話も踏まえるとおそらくこれからもっと増える」

 言いながら綾城が千尋の頭に何やら紙の束を乗せる。受け取って見ると、いくつかの人名と住所、連絡先が雑多に書き連ねられたリストと地図のコピーだった。それが刑事課巡査部長の綾城から交番勤務の恵子でなく千尋に渡されたということは。

「え、地域課すっ飛ばしてウチで捜査するってことですか!?」

 思わず立ち上がった千尋に目もくれず、綾城は自席に掛かっていたジャケットを羽織る。

「ちょっと前に感染症対策で渡航規制が出ただろう。最近、帰国できずに食い詰めた不法就労者の素行があちこちで問題になってるらしい。……関係あるかは知らんが、署長がこの話を添えてそれを俺に渡してきたってことは、まあそういうことなんだろ」

「……どういうこと?」

 恵子が首を捻ったのに対し、突っ立ったままの千尋の表情は険しいものに変わった。

「組織犯罪に巻き込まれた可能性がある、と?」

「これからそれを調べるんだ。行くぞ」

 壁のキーボックスからパトカーの鍵を取り、綾城がオフィスを出る。

「ちょ、待ってくださいよ!」

「お気をつけて〜」

 慌てて後を追う千尋に、未来の激務から解放された恵子が呑気な声援を送る。彼女の背後で佇む女に気付く者はなかった。

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