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影向  作者: 水上祐真
最終章 陽仰
18/19

4.



 ふと目を開けると、懐かしい光景があった。


 遊具の一つもない、砂場とベンチだけの殺風景な公園。

 私と綾城さんは幼い時期の大半をここで過ごしていたのだ。

 

 彼は近所に住む二つ上のお兄さんで、両親のいない私が何かと気にかかったらしくよく遊んでもらっていた。

 一人下を向いて何をするでもなくベンチに座っていた私に、砂のお城の作り方を教えてくれた。

 友達の作り方も、ケンカの仕方も、仲直りの仕方も、笑い方も。全部彼が教えてくれた。


 そんなある時、将来の夢について話すことがあった。作文のテーマになっていたからだ。

 彼は「警察になりたい」と言った。どうしてか聞くと、「泣いている人の一番強い味方になれるから」とのことだった。

 テレビで見るような正義のヒーローにはなれなくてもいい。できる範囲で、一番頼れる人に。

 それを聞いた私は、「じゃあ千尋も警察になる」と言った。


 「千尋はお兄ちゃんの味方になりたい」と。


 

 ***



 ──どうやら、気を失っていたようだ。

 千尋が恐る恐る目を開けると、そこには開ける前と同じ真っ暗闇が広がっていた。

 春も近いというのに温度を感じない、冷たく閉ざされた空間。


 私は死んだのだろうか?


 ぼんやりとそんなことを考えていると、窘めるように強い感触があった。

 右手と左手。それぞれ温かい手と冷たい手が強く握っている。

 とても懐かしい感触。


「……尋! 千尋! おい、聞こえるか!」

 

 綾城の声。

 そしてようやく、自分たちの置かれた状況を思い出した。


「あや、しろさ……ここは……?」

「多分だが……"あいつ"の腹の下だ」


 あいつ。

 そう、自分達が追いかけていた"なにか"。人を攫うもの。人ではないもの。

 やっと見つけたと思った矢先に"それ"でないものに襲われて、それで──


「──庇って、くれてるの……?」


 答えるものはない。

 誰もこの状況を説明出来なかったのだ。

 よく聞けば周囲では影達の無数の手が蠢く葉擦れのような音がざわめいている。

 それに混じって、幾重にも折り重なった人の声のような、途切れ途切れの音も。

 

「……分からん。ただ少なくとも、俺たちはまだ生きてるらしい」


 綾城が呟く。

 すぐ横で恵子は黙りこくっている。


 状況は辛うじて理解できた。しかし、何故?

 ふと疑問がよぎったその時、ぶちぶちと嫌な音が聞こえた。

 続いて刺すような悲鳴。


「何!?」

「おい、まさか──!」


 周りを囲んでいた壁の一部に小さな穴が空く。

 痺れを切らした影達が、"それ"の抱え切れない大きな身体を少しづつ、啄むように。千切っているのだ。


「嘘でしょ……!」


 恵子の悲痛な声が狭い空間に響く。

 そうしている間にも穴は増えていき、外に犇く線虫のような腕が微かに見えた。

 千切れたところからは血の代わりに黒いタールのようなものが噴き出し、その度に押し殺したような悲鳴が聞こえる。


「なんでそこまで……もういい、もうやめろ! 殺したり庇ったり、お前一体何がしたいんだ!」


 黒い壁に手を付き、綾城が堪らず叫ぶ。

 


「……から」

「──!?」


 微かに。

 だが、確かに。

 喚き散らす影達の喧騒の中、声が聞こえた。

 小さな子供の声。


「やっと……見つけたから」

「……なに、を……?」


 千尋が震える声で問う。


「ほんとうにあたたかいもの。やさしいもの。こわくないもの」


 時が止まったかのような静寂の中、幼い声は続ける。


「うれしかった。ずっとほしかった。でも……もらうものじゃないって、やっとわかった。だから、取られたくない。……ごめんね」


 そう告げると、それきり声はしなくなった。


「……お前、泣いてたんだな」


 綾城が小さく呻く。

 何も見えない闇の中だったが、どんな表情をしているかは分かった気がした。


 ふと目に刺激を感じ、咄嗟に目蓋を閉じる。

 再び時が動き始め、喧騒が押し寄せる。しかし先ほどまでとは雰囲気が違う。それはまるで、苦しんでいるような。

 今や頭一つ分ほどに空いた穴から垣間見えたのは。

 

「……太陽」


 思わず呟く。

 木々の隙間を縫うように差し込んだ陽光は影達を容赦なく掻き消して行き、後には穴だらけの"なにか"と千尋達だけが残った。

 彼は傍らに避けるようにして崩れ落ち、ほんの僅かに脈動している。

 

「終わった、のか……?」


 綾城が誰にともなく言う。その手はまだ銃を携えている。

 傍らでは気を失った田村が倒れており、その隣には目を伏せた澤田が寄り添っていた。

 そして、もう一人は──


「──まだ、ですよ」

「恵子……?」

「まだやり残したことがある。……この子を連れて行かなくちゃ」


 彼女は困ったような顔で、穏やかに呟いた。

 それを聞いて澤田も顔を上げる。


「ちょっと恵子、何言って……」

「このままにしておけないでしょ。二人が頑張って見つけてくれたから、今度はあたしの番」

「俺たちが? どういうことだ」

「この事件に関わった人の中で、犯罪捜査以外の結論に辿り着いたのは綾城部長と千尋の二人だけだった。この子はずっと、二人に興味を持ってたんですよ」

「それって……」


 ふと恵子の言葉を思い出す。

 『人の考えてることを読み取って、一番気を引けるものになることで、”気づいてもらう”んだ』

 千尋たち二人の気を一番引けるものとはつまり、恵子と、元凶である自分自身だ。両者がこの公園に揃ったのはそういうカラクリだったということである。


「じゃあ、あの時逃げたのは……」

「そ。あたしが姿を見せておかしな行動を取れば、カンの良い綾城部長なら相手がどういうものか察せるでしょ?」

「……随分分の悪い賭けをしたもんだな」

「信じてましたよ。……それと、ウソついてごめんね、千尋」

「いいよ、そんなの……それより、『あたしの番』ってどういうこと?」


 千尋が問うと、彼女は少し気まずそうに言いよどむ。


「ああ、うん……見つけた後のこと、ずっと考えてたんだけど……やっぱり一緒に逝ってあげるしかないかなって」

「……!」

「一緒にって……そいつの故郷に、か?」


 綾城が半信半疑で尋ねる。


「どこから来たかまで分かりませんよ。オカルト話は好きでも死後の世界なんて信じてもなかったし、自分が成仏前提の幽霊って言えるのかも分かんない。ただ……もし連れて行ける場所があるなら、ひとまずそれで良いかなって」

「簡単に言わないでよ……」


 ことここに及んでも落ち着いた様子を見ているとかえって悲しくなり、また視界が滲んだ。

 

「……ごめんね。でも、もう時間、ないみたいだから」

「──っ!」


 見れば、恵子の身体が薄れている。

 思わず差し伸べた手は、何も掴めず空を切った。


「…………大丈夫、なんだな?」

「ええ。迷子の相手なら慣れっこですから」

「……そうか」


 千尋が何も言えず佇んでいると、澤田が田村の手を取って口づけているのが見えた。別れを告げているのだろう。

 それを見た恵子が念を押すように告げる。


「千尋……もう、行かなきゃ」

「……うん」


 絞り出すようにして、千尋は答えた。

 

「また、会えるよね?」

「向こうで? 冗談、待ちくたびれちゃうって。……こっちはこっちで楽しくやるから、あんたは長生きしてよ」

「…………うん」


 恵子はしばし目を伏せ、意を決したように顔を上げて微笑んだ。


「──じゃあね」


 彼女はこちらに背を向け、澤田とともに黒い水溜りのようになった"なにか"に歩み寄る。

 風とともに差した木漏れ日が目に入り、瞬きをした刹那。


 彼女らはもう、消えていた。



 残された綾城と千尋は二人、ただ立ち尽くす。

 色を取り戻した公園には鳥達の声がさざめき、新たな朝の訪れを祝っていた。



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