婚約を破棄された二人の逃亡
政略で婚約をした二人だったが、一目見たときからお互いを気に入り、一緒に生きて行けるようになるのが待ち遠しいと思うようになれるとしたら・・・。だがそれは叶わない。それなら手に手を取って・・・。
「逃亡した二人の婚約破棄」の別バージョン(結末ソフトバージョン)です。
貴族の婚姻など、政略で左右されるものだと分かり切っている。シュテファーニアとツィリルもその政略で定まった婚姻だったはずだが、二人が手に手を取って逃げたところで、本人たちは真剣だったと分かった。家同士で決まった婚約に対して、相手を愛したのであれば目出たいということなのかもしれない。だが、両家は全くめでたいどころか、顔を青くしておろおろする者、顔を赤くして喚き散らす者、焦点の定まらない視線を宙に向けて居る者、座り込んで泣きじゃくる者、そして皮肉っぽい笑みを浮かべて当事者たちを見つめる者で、右往左往していた。
その日は王都で、二人の顔見せが行われることになっていた。二人の応接室は、色とりどりの花が花瓶に活けられ、甘い香りを放っている。中にはこの北に存在するクバーセク国には咲く種類のない花も活けられて、両家の本気具合が分かる。北の国で咲かない花は、咲いた後10日程しか持たないため、貴族でもおいそれとは活けることなど出来ない。婚約や婚姻などで活けることはあっても、それ以外では注文されることもないため、王都の花屋でも特別な店以外に取り扱いはない。そのような花を活けているのだから、婚約者達は相当気合が入っていると、屋敷に運び込まれようとする花を、通りがかった者達が目にし、噂話になったのだった。
「ど、どうするんだ、どうすればいいんだ・・・」
シュテファーニアの父であるマチェイが青い顔で取り乱している。胸ポケットからハンカチーフを取り出して顔を拭き、それを胸ポケットに戻し、それを取り出してはまた顔を拭き、戻してから、取り出して・・・。落ち着いているとは当然言えない仕草に、使用人たちはそれを指摘することすらできず、一様に皆口をつぐんでいる。執事が居ないのは、執事が先方の邸宅に事実確認をしているからだろうか。マチェイは執事が居ないと何もできない男と言うのは噂話の通りだろうか。シュテファーニアの母のノエミは気分が悪くなって寝込んでしまったと聞く。メンタルの弱い両親なのか。
「・・・」
じっと立ち尽くし、応接室のドアを睨みつけているツィリルの父ルボシュは昔取った杵柄か、声を荒げるでもなく、喚き散らすこともなかった。しかし握りしめた両の拳が小刻みに震えているのを見れば、怒りを何とか抑えているだけで、きっかけがあれば暴発しそうだ。
ドアにノックがし、返事のないまま、ドアが開けられる。執事が中に入ってきて、丁寧に礼をした。
「旦那様、今、先方の家の使用人が目通りを願って来ております」
「・・・」
ルボシュはだまったまま、自家の執事をねめつけているのみで、口を開こうとはしなかった。
「・・・」
執事も心得たものか、見返すその眼には何の表情はない。ただ返事を黙って待っている。
「・・・通せ」
ようやくルボシュのしわがれた声がする。
「かしこまりました」
執事が礼をして出て行くと、ルボシュは手に持ったステッキを半ばから叩き折り、部屋の隅にたたきつけた。
「私に楯突きおって!」
ルボシュは戦で痛めた膝を庇う様に壁に寄り掛かる。
「あのぼんくらには、今度の相手の地位がどういうものかわかっておらんのだ・・・。パトリクを動かすか・・・」
シュテファーニアとツィリルの逃亡は翌日の王都を駆け巡った。
「聞いたかい?あの二人のこと」
カフェで集まれば、話題がそれ一色になる。
「やったことはどうかなあと思うが、まさかお互い嫌ってたってことか」
「・・・政略結婚だしなあ、自由がないことが嫌だったんじゃないか」
「ねえ、まさかツィリル様は未練があったとか?」
「もしわたしならさ、ツィリル様のほうがいいわ」
「それを言うならシュテファーニア様だって、あんなの嫌だろうさ」
もはやひそひそではなく、皆が声高に話している。
隣国ベェハル国の女男爵は商談で王城に立ち寄った帰り、喉の渇きを覚えてふと立ち寄ったカフェでのひそひそ話ならぬ大っぴらなうわさ話に眉を寄せる。
同じ席に着いた侍女と護衛騎士に不審げな顔を見せた。
「なにかあったの?」
護衛騎士は当惑した表情を見せたが、侍女は飲みかけたお茶を置いて口を開いた。
「御屋形様、シュテファーニア様とツィリル様が逃亡されたと噂になっておられるのですよ」
「へえ」
女男爵はベェハル国に来て1年未満なので、隣国の事情に疎く、その二人がどういう人物なのかよくわかっていない。市井の事などは今はまだ二の次だ。
「なに?二人は恋仲だったの?」
「御屋形様、ご存じなかったのですか?」
今度は護衛騎士が答えた。侍女はお茶を口に含んで飲み干そうとしている。
「ごめんなさいね、わからないわ」
「・・・」
護衛騎士の表情には複雑な表情になっている。
「・・・実はですね、・・・」
お茶を飲み終えた侍女が説明を始めた。
「ここまでくれば、たぶん大丈夫だ」
ツィリルが、滑り降りるように馬から降りる。傍らのシュテファーニアに手を差し伸べて馬から降ろしてやる。馬は疲れがにじむように立っているのがやっとという様子だ。
「ここは?」
シュテファーニアは周りを見回した。
「もう隣国さ。ここはベェハル国だ」
「クバーセク国と変わらない風景ね」
「何だい、ニアは国が変わると風景まで変わると思ってたのかい?」
「・・・わたしは、一人で家から出たことなんてなかったし、こんなに遠くまで行くことすらなかったから・・・」
うつむくシュテファーニアを見たツィリルが慌てて謝る。
「ご、ごめんごめん、責めてるんじゃないよ、ごめん。これから知っていけばいいんだよ」
ツィリルが優しくシュテファーニアを抱きしめる。不安げなその額に軽くキスをして、身体を離す。
「さて、もう少し先まで行こう、そこに家を用意してあるんだ」
ツィリルはシュテファーニアを馬に乗せると、手綱を片手で持ち、自分の馬の手綱をもう片方の手で持って、先導を始めた。傾き始めた陽が時間の経過を知らせている。春になったとはいえ、陽が落ちると寒くなる。2日目も野宿だと、シュテファーニアには辛すぎる。もう無理だろう。
ツィリルは足早に目的の家を目指して歩き始めた。
二人が逃亡してから5日もたった。そして今クバーセク国の王城では、シュテファーニアとツィリルの事案について議論が交わされていた。
「あ奴らを生かしてはおけん!我らをコケにしよって!」
激情で怒鳴りたてているのは、国王の弟、王弟のネズベダ公爵だった。顔を赤くして会議場のテーブルを叩いている。
だが、怒りの表情をしているのは、このネズベダ公爵と公爵の腰巾着の貴族二人と、王家の者のみでそのほかは一様に白けた表情でいた。ただ国王は無表情で席に座っている。
「・・・つまり、公爵はあの二人を捕らえて来いと言われるのですか?」
怜悧な表情で宰相が尋ねる。
「そうだ!当たり前だろう!われらはコケにされたのだぞ!あ奴らを捕らえて、責任を取らせろ!」
「・・・報告では、二人はもはや隣国ベェハル国に居るとのことですが?どうやって連れてくるのです?」
手に持つ書類を見ながら、宰相であるオンドジーチェク侯爵が静かに尋ねる。
「軍隊の特別部隊が有ったろう、あれを使って暗殺をしたらどうか?」
その言葉に、会議に出席していた貴族の面々が目をむいた。
「ばかな!」
「そんなことを!」
「公爵!」
口々に非難の声が上がる中、嬉々とした声が上がった。
「伯父様!わたくし、素晴らしいと思います!わたくしを袖にしたツィリル、許しません!」
第一王女は、喜びで小躍りせんばかりだ。
しかし第一王子は公爵の言葉を拒否する。
「伯父上!私は嫌です!私は生きているシュテファーニアをこの手に抱きたい!」
「公爵、何ということを・・・」
国王は不快らしく眉を寄せている。
言葉を失う会議の貴族の中で、宰相だけは冷静に書類を見ていた。
「つまりは、公爵は隣国であるベェハル国に特別部隊の存在を教えろと言われるのですな」
「!」
宰相の言葉が会場に大きく響き渡った。会場の全員が息を呑む。
「確かにクバーセクの特別部隊で暗殺は成功するかもしれません。ですが、クバーセクから逃れてきたものが、ベェハル国で婚姻して、すぐに死亡したとしたら、我がクバーセクの仕業とわかるのではありませんか?あと、そんな下らない任務で我が国の特別部隊の存在がベェハル国に知られたらどうするのです?何もしないのが一番ではありませんか?」
「・・・」
公爵は不服そうに黙り込んでいる。実のところ公爵は軍部に近いため、軍の特別部隊を使ってみたくて仕方がなかったのだった。
「もう一つ申し上げます。我がクバーセクでは、貴族は婚姻時に届け出がなければならないと明記されております。ですが国外で婚姻した者も妻帯者として認定します。この婚姻を白紙にすることはできません。このクバーセク国の法は、国外で婚姻した者でも夫婦として扱うとしております。そのように婚姻が保証されているのにも関わらず、軍を派遣して暗殺をするなど、クバーセク国の法を曲げることになります。法を護らない王族が居れば、国は滅びます」
「国が亡びるなど、あろうはずがない!」
ガタンと立ち上がったのは、第一王女だった。怒りの形相で、オンドジーチェク侯爵を睨みつけている。
「滅びます」
宰相が王女を見返す。
「公正な裁きが行われなければ、民は絶望し、その絶望は怒りとなって、法を護らないものに向けられます」
「わたくしの婚約者が逃げたのです!わたくしの顔に泥を塗ったのです!知らしめてやらなければなりません!」
そう言い募る王女の言葉に宰相が手に持っていた書類をテーブルの上に投げ出す。
「何を言っておられるのやら。反対に私は聞きたい。王子と王女はどうして婚約をしていたシュテファーニアとツィリルの中を引き裂き、婚約をわざわざ破棄をさせたのですか?私の調査では二人は婚約破棄をするような瑕疵はなかったと報告されましたが。さらには夜会であの二人を見たあなた方第一王子と第一王女は、執拗に二人に絡み、婚約を破棄するようにと何度も言っていたと証言もあるのです」
顔を青ざめさせて、王女が黙り込む。
「・・・よろしいですか、私は宰相と呼ばれておりますが、私の血はあなた方王家の者とそう差はありません。これでも先々代の王女殿下が降嫁されたことで、私の家は王位継承権を持っているのですよ。私はその血を持って、あなた方の驕慢を正したい。私はあなた方の我儘がこの国の未来の一つを閉ざしたことが口惜しくてなりません。あの若い力が国外へ出てしまった。その影響は計り知れないものとなるでしょう。あなた方、王女と王子の下らない行為で。あのようなことをさせた王族には仕える気がなくなり、国外へと出て行く民が増えることでしょう」
すとんと王女が座り込む。
しわぶき一つしなかった。全員、青ざめさせた顔をうつむけ、黙って座っている。
「さてと、皆の者、この会議はシュテファーニアとツィリルの処遇についてどうするかだったな」
「その通りで御座います、陛下・・・」
「宰相の意見は、何もしないということだったか」
「その通りでございます。二人が恨みを忘れてくれれば、また元の様にこの国に仕えてくれるでしょう、いつになるかはわかりませんが」
「では、国王として皆に命じよう、決して不服を言うなよ」
「・・・」
列席している者は全員立ち上がった。王妃も王子もそして王女もよろよろと立ち上がった。
「よいか、あの二人には手出し無用だ。だが、あの両家がどうするかはあの両家に任せよ。我ら王家はあの者たちには一切かかわらないと民に宣下する」
ところで婚約解消の後、一緒に逃げた二人は、ベェハル国で婚姻し、2男2女をもうけたとのことだった。貴族の地位はなかったが、商人としてそこそこ成功し、家を次代に引き継いだとのこと。
お互いの家は実のところ、婚約は本当は政略結婚となるはずだった。お互いは存在価値が正反対であったので、ないところを補えると考えて婚約をさせたのだが、二人は顔見せの時にお互いに惹かれ合った。両家と両人にとっては瓢箪から駒の婚約になったのだったが、第一王女と第一王子が夜会に婚約者として出席した二人を見て、自分の物にしたがり、欲望の塊だった両家の当主は、当主同士が会談して強引に婚約破棄をお互いに言い出し、ここに婚約は当人の意思に関係なく破棄された。
両家は、王の宣下が下った後も、色々と二人に手を出し続けたが、それが王の不興を買い、冷遇されて、改易された。痩せた土地に住む民すら少ない領地に、両家の当主はしばし言葉を失ったという。それでも何とか生きなければならない。両家は細々と収穫をし、今では覇気のない暮らしをしている。両家とも子供は一人しかおらず、現当主が居なくなれば家は途絶えることになっている。
「へえ、それであなた方はそのシュテファーニアとツィリルの逃亡事件の当事者なのね?」
女男爵は応接室で一人の商人と会っていた。その商人は女男爵領の特産物として売り出そうとしている商品の取り扱いをしてほしいと女男爵が招いた男だった。
「ええ、そうです。私は当人です」
「そうなんだ。私は当事者じゃないからわからないけど、案外苦労したんじゃない?」
「一番苦労したのはマチェイ・プストコヴァー子爵とルボシュ・ドチュカル伯爵の入れてきた横やりですね。逃げると決めて知り合いに即連絡して家を用意したり、逃走経路を確認したり、すぐに換金できるものを一纏めにして逃走前に友人に隠してもらったりしたのですが、そこから父に特定されて、軍の重鎮だったプストコヴァー子爵の伝手を辿って、ベェハル国に軍が身分を隠して侵入したり、ドチュカル伯爵が徴税史として財産を差し押さえようとしたらしくあの妨害が一番面倒でした」
「婚約破棄は自分たちの意思じゃなかったってことなのね」
女男爵がちらりと遠くを見るようにし、その様子を傍らに控えていた侍女がくすりと笑いを漏らした。
「逃亡した二人の婚約破棄」の別バージョン(結末ソフトバージョン)です。結末を少し変えてあります。実は最初、結末はこちらのものを考えていたのですが、過激にした方が面白いかなと考えて過激なものを書き直して投稿しました。投稿してから考えると、何かソフトにした方が内容にふさわしい気がして、ちょっとだけ手直しして投稿します。お読みになられましたら、もし、よければですが、どちらが良かったという感想をお送りいただけると嬉しいです。