2話 管理者と私
そこを天国というのは、あまりに何も無さ過ぎた。
無。
地面も無ければ、空もない。
ただ、薄い黄色のもやのようなものがかかっている。
優は気が付いた時にはそこにいた。
少しずつ、忘れかけていた自分という存在を紡いでいく。確か、時田優という人間で、仕事に出かけたところまでを思い出すことができた。意識を集中させる。
「俺、死んだのか?」
多分、この光景は死後のものだろう。到底受け入れられるものでは無いが、そう思った途端、やり残した事に対する後悔の念が湧いてきた。
「幼女とお風呂に一緒に入る俺の夢は?!」
「先輩といい感じだったのに、まだ告白すらできてねーよ!」
「金持ちになって老後は別荘生活送りたかったのに!」
優が慟哭していると、急に目の前に男か女か分からない人が覗き込んできた。
「随分、歪んだ性癖だな。」
薄緑色の見たこともない素材の服は、ローブというのだろうか。ふんわりとした長い袖の服に身を包み、その人物はこう続けた。
「幼女か先輩か、まずどっちかにしろよ。いや、幼女は駄目だな……」
「き、聞いてたのか…!?あんたは誰だ?」
顔から火が出る思いをしたが、ここで引けばただのムッツリになってしまう。実際、優は外面は真面目なムッツリなので間違っていないが。
見たこともない人に虚勢を張ることで、何とか自分を保とうとした。
「あんまり聞きたくは無い人の恥ずかしい本質だったがな…。私について、ここについて、少しずつ、教えて差し上げよう。」
その人物は不敵な笑みを浮かべて顔を近づけた。その余裕に満ちた表情はきっと、今の優とは対照的な表情だった。
人物はこう告げた。自分は管理者だと。優の世界でいう神のような存在だが、似て非なるものだという。そして、優が不慮の事故によって生死の境を彷徨っていること。
そこまで聞いて、優は己の体を見た。見慣れた手足がそこには無かった。というか顔すらない。心臓が止まりそうになったが、多分心臓もそこには無いのだろう。
「思念体というのかな?君たちの世界では。」
「まじかよ…」
状況についていけない優に、管理者と名乗った人物は矢継ぎ早に続けた。
「説明するのが面倒だから単刀直入に言うけど、優にはこれから新しい人生を送ってもらう。」
「いやちょっと待って…今までの俺の人生はどうなるんだよ?」
「それは今後の展開次第って感じだな。新しい世界で新しい生として歩む。その後の行いによっては、ひょっとしたらということがあるかも知れん。」
「曖昧な言い方だな…。もしかして異世界転生ってやつ?」
「そう。知ってるのなら話は早い。君がさっき言ってたいくつかの願いも、その世界でなら叶えられるかもしれない。」
最近の情報には疎い優も、さすがに異世界転生という言葉は聞いたことがある。昨今のアニメやゲームではむしろ聞かない方が不思議なくらいのワードだ。
しかし、実際に自分がそうなるとは夢の一つにも思わなかった。
そして管理者の最後の言葉に引っ掛かった。
願い?それは思い出すのも恥ずかしい幼女とのあれこれってことか?
そんなもの叶えていいのか。優は自分が神なら絶対叶えさせちゃいけないだろ、と謎の正義感ぶりを発揮した。
叶えたいと言ったのは自分だが。
「新しい世界に順応するスキルはサービスで付けてやるから、あとは自分で好きな見た目や職業、能力を選べば良い。どうだ?簡単だろう?」
「え、自分で選べるの…?」
「あくまでランダムに、だけどな。気に入ったものがあればそれに決めてくれ。しかし、注意点が一つある。」
大事なことを最後に言うタイプだ、と優は心の中で思った。
「思念体といっても、保っているには限度があるからな。あまり長い時間はその状態でいられない。なるべく早く決めてくれないと、優自体が消滅してしまう。」
「それめちゃくちゃ重要じゃん…」
「まぁ、選択を失敗したからといって、その後の努力次第でなんとかなるから。自分に合うと思ったものを直感的に選ぶといいよ。」
そう言い残して、管理者は次の仕事があるから、と消えた。一方的過ぎる。
管理者が消えると同時に、先ほどまで管理者が居た場所にゲームでよく見るアバターのようなものとそのステータスが表示された。