第4話 そして灰色の鷹は漆黒の空に飛んだ Part8
〈2122年 6月?日 ? 第二次星片争奪戦終了まで約?時間〉―アナベル―
どうしてわたくしは今、木の下に寝そべって青い空を見上げているのでしょうか?記憶が曖昧で、その答えに辿り着くことが出来ません。
暖かな光が差し込んできて、柔らかな風が頬を撫でていきます。小鳥たちが合唱をしていて、鼻腔に草木の匂いが満ちていきます。
風に吹かれて、わたくしの掌に葉っぱが一枚落ちてきました。丸っぽい鋸歯の形をした葉っぱ――なんてことはありません、何処にでも生えているイングリッシュオークの葉です。
ですが……どうしてなのでしょうか?この場所からは、懐かしい香りがするのです。きっといつでも来ることが出来る場所のはずなのに、でももう二度と行くことの出来ない場所で――
「ようやく目が覚めたかい、アナベル?」
「…そっ、そんな――!」
聞き慣れた、しかしもう二度と聞こえないはずの声がわたくしの鼓膜を震わしました。急いでその声のした方向へと首を向けると――彼があの日と変わらない姿でそこに立っていました。サファイアブルーの髪はわたくしがあげたピンで留められており、きりっとした茶色の瞳はまっすぐにわたくしへと向けられています。ええ、見間違うわけはありません。彼は――
「エリック……なのですね?」
「うん。久しぶりだね、アナベル」
わたくしは身体を起こし、そして彼に駆け寄り――抱きつきました。彼の匂いで鼻腔は蕩けていきます。筋肉質の身体に包み込まれる安堵感はこの上ありません。
「ど、どうしてあなたがここに……?」
見上げると、エリックはにこりと微笑んでくれました。
「それは……きみがぼくに会いたいと願ったからだよ」
ええ。そうです。わたくしは毎日神様に祈りを捧げてきました。エリックにもう一度会いたい――そんな、叶わない夢を。
「これは…奇跡なのですか、エリック?」
「ふふっ、そうかもしれないね。でも…ほんの少しの時間だけれど、きみにまた会えて良かったよ」
「え、エリック?」
エリックがつま先から塵となって消えていきます――これは!?
「エリック、どうしたのですか、エリックっっ!?」
なんとかして彼を繋ぎ止めようとしますが、彼の消滅は止まってはくれません。いったいわたくしはどうすれば……
「わかっているはずだよ、アナベル。ぼくは、本物のエリックじゃない。エリックは……もう生きてはいない」
「エリック……」
ええ、そんなことはわかっています。ですが…こうして再会できたというのに、また別れなければいけないなんて……とても辛いではありませんか。
「でも、サイゴにこれだけは伝えさせてくれないか、アナベル?」
瞳の奥が熱くなり、涙がぽろぽろと零れ落ちていきます。そんなわたくしの顔を両手で包み込んで、エリックは最高の笑顔を見せてくれました。
「ぼくの時間は止まった。けれどアナベル、きみはまだ生きている。ぼくに縛られる必要なんてないから……だからアナベル、どうか幸せになって――」
「エリック!!」
最後に彼をきつく抱擁しようとしましたが……彼はスルリと消え、その場に手から転んでしまいました。
「エリック………」
ただ彼の名残の匂いだけを抱きしめます――“ぼくに縛られる必要はない”、ですか。その言葉を聞くのはこれで二度目です。ですがわたくしの心は……いつまでもエリックの側にあります。わたくしの初めて好きになった人、そして永遠を誓い合った人よ。あなた以外の人と新たな恋を始めるなんてこと、あるはずがありませんわ。
「エリック、わたくしは……いいえ!」
涙を拭い去り立ち上がります。そうです――エリックはもういません。今は亡き彼を心配させてどうするのですか、アナベル!あの日の決意を果たすまで、わたくしは立ち止まってはならないのです!!
「エリック……あと、どれくらいであなたの元へいくことになるかはわかりませんが……もしそのときが来たら、どうか笑ってわたくしを迎えてくださいましね!!」
※
「うっ、うぅん………」
瞼が開かれました。ここは現実、のようですね。どうやらごつごつしたところに横たわっているようです。打ち付ける波の音、それに磯の香り……ここは洞窟の中なのでしょうか。ですがそれにしては明るいですね。橙色の光が辺り一帯を照らしています。ああ、あそこの焚火の光なのですね。そして誰かの濃紺色のコートが干されています。うん?なんだか見覚えがあるような………
――カシャ、カシャ
今の音はなんでしょうか?やけに近く、そうですねわたくしの身体から聞こえてきたような――って!!
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
わたくしに覆い被さり、器用に軽鎧を脱がしていた非道な男をグーでぶん殴り吹き飛ばします。そして、レイピア、わたくしのレイピアは何処に…ありました!壁に立て掛けてありました。急ぎ握りしめ、右手で構えます!
「ちょっと待て、アナベル!落ち着け!!」
耳障りな声が聞こえてきました。正体を確認しないうちに吹き飛ばしましたが、これで明らかになりましたね――
「グラウ…ファルケぇっっ!」
燃えかすみたいな色の髪をした男。上半身裸で、下半身は黒いスキニー。その正体はP&Lの凄腕異能力者…だと思っていた時期がわたくしにもありました。しかし彼の本性は違っていたようです――そう、ただの変態クソ野郎のようです!!
「話を聞いてくれ。あんたは誤解している!俺はただ、あんたの濡れた鎧や服やらを乾かしてやろうとしていただけで――」
両手で制止してきますが――もう、手遅れです!
「わたくしを汚そうとした罪、その命で償ってもらいますわ!!」
肉薄――刺突、刺突、刺突、刺突ッッッッ!!
躱してきますか……相変わらずすばしっこい。おとなしく貫かれてはくれませんね。それなら――
「異能力を使ってで――」
「本当はこんな真似、したくはなかったんだが…そこまでにしてもらおうか」
グラウ・ファルケは腰のホルダーから二丁の拳銃を取り出しその銃口をわたくしへと向けて来ました――ん?
「そんな……どうしてっ!?」
わたくしは確かに、この男の拳銃を一丁崖の下に落としたはず……って、あれ?そもそもどうしてこの男がここにいるのでしょう!?
「あんたを追っかけて崖から落ちたら、沈まずに浮かんでいてくれてな。おかげで無くさずにすんだんだ。大切なものだから安心したぜ」
そうですか、それは良かったですね…なんて感心している場合ではありません!でも、グラウ・ファルケの言っていた事が本当なら、わたくし……彼に救われた、ということなのでしょうか?確かにわたくしは星片を追って崖から飛び出し、そのまま海に落下しそれからの記憶がありません。状況的に考えれば、彼に救われたのかもしれませんが――で、ですが!だとしてもグラウ・ファルケに気を許してはいけません!何故ならこの男、わたくしの身ぐるみを剥いで――きっと食べてしまうつもりだったに違いありません!!
「グラウ・ファルケ、銃を向けたぐらいでわたくしが白旗をあげるとお思い?」
「そうしてくれればありがたいんだが……そうだな。どうしても一度やり合わないと気が済まないって言うなら、俺は乗り気じゃないが、付き合ってやらなくもないぜ?」
ええ。あなたを始末しないことには、服を着ることすらままなりませんもの。この間合いなら、無理に接近するよりも電撃を飛ばす方が有効、ですわね。それではいきま――って、こんな時に!
――ぐぐぅっ………
「あうっ………」
あまりの空腹に膝から崩れ落ちました。少しは自重してくださいまし、わたくしのお腹!こんな一番大事な時にバッテリー切れを起こしてどうするのですか!!何よりこんな恥ずかしい音を聞かれたくない男の前で……
「なるほど……これは利用できるな」
グラウ・ファルケが何かほざきましたが……この機に乗じてわたくしを仕留め…いえ、襲うつもりでしょうか?不味いですわ、今、わたくしに抵抗する力は――
「アナベル。取引をしないか?」
「取引?いきなりなんですの?」
あグラウ・ファルケが拳銃をホルダーにしまって……わたくしの前に膝をつきました。
「レイピアを貸してくれ。それで魚を捕ってくる」
「はぁ?レイピアは銛ではありませんことよ!?」
「だが形状は似ているだろ。そこで取引だ。あんたの飢えを満たしてやる。その代わりに、俺に剥き出しの殺意を向けてくるの、止めてくれないか?助け合わないといけない時だってことぐらい、あんたにもわかっているだろ?」
殺意を向けるだなんて、わたくしを散々愚弄したのはどこのどなたかしら!?声を聞くだけでもいらいらしてくるというのに。わたくしなら、きっと一人でなんとかしてみせますわ。ですからそんな取引、このわたくしが応じるわけ――
――ぎゅるるるる……
「うぅっ……」
ああ、だめです。意識が朦朧としてきました。このままでは、わたくし――
「しっ、仕方ありませんわね。その取引、応じてやりますわ……」
背に腹はかえられません。こんな男にわたくしのお腹を託さなければいけないだなんて、屈辱ですわ……
「よろしい。じゃあ借りるぜ?」
グラウ・ファルケはホルダーを外して丸腰になり、それからわたくしに右手を差し出してきました。
「えっ、ええ」
レイピアを渡すと…グラウ・ファルケはにこりと笑い、そのまま波のする方向へと消えていきました。
「たっ、頼みましたわよ。グラウ…ファルケ……」
もう、限界のよう、です――
小話 潜れ、グラウくん!
グラウ:(スピアフィッシング。それは水中スポーツの一つ。水中呼吸装置を使わず、自分の息だけで潜水し、銛や水中銃を駆使し魚を仕留める。そう、決してレイピアを用いるわけではない――)刺突!よし、仕留めた!!(海面へと浮上)
グラウ:ふう……これで三匹目……だ。昔取った杵柄、まさかこんなところで役に立つとはな。ユスに感謝しなければならない
(また潜水、仕留めてを二回繰り返して)
グラウ:さて、これで五匹。これだけあれば十分。俺が三匹でアナベルは二匹。うん。お腹をすかせて待っているだろうし、急いで帰らないとな。それと、彼女が正常な判断能力を取り戻したら――もう一度服を脱がせていた理由、説明しないといけなさそうだな――




