第4話 そして灰色の鷹は漆黒の空に飛んだ Part6
〈2122年 6月7日 10:41PM 第二次星片争奪戦終了まで約26時間〉―ソノミ―
この男、見覚えがある。ああ、そうだ。こいつは前回の争奪戦で……ゼンを救いに団地の屋上に向かったとき、向こう岸の団地にいたやつだ。忘れるわけがない。こいつはタバコの紫煙を操り、毘沙門の兵士たちを全滅させた――
「貴様はマルス・オルトっっ!!どうしてここに!?」
急ぎ刀を引き抜き中段で構える。ネルケもルノも、既に臨戦態勢に入っているのだが……マルスは張り詰めた空気感を感じていないのかそれとも無関心なだけか、気怠げに木に寄りかかり何の感情の色もない表情を浮かべている。
「お嬢さんたちには名乗ってはいなかった気がするけれど……まぁ、知っていても不思議ではないか。青年にはあの時教えていたしね……おや?」
私たち三人のことを目で追っていく中で、マルスはルノを見て首をかしげた。
「確かキミは……テラ・ノヴァにいなかったかな?」
「ええ、そうね。前回の争奪戦の時はテラ・ノヴァの一員としてアナタと戦ったわね。でも、今は二人の味方よ」
「そうかい。若い子にもいろいろあるんだねぇ……」
その声の調子からは、寂れた男の哀愁が漂ってきた。まぁ、漂っているのはタバコの嫌な臭いもだが。確かタバコって、吸っている本人は服や口からするその臭いに気が付かないんだよな。まったく勘弁して欲しいものだ。ネルケもルノも、そして私もその臭いに顔をしかめているということに、こいつは気が付いていないのだろうか?
そういえば、ルノは金髪天使と共にこいつと戦ったことがあったそうだな。こいつの異能力は既にわかっているが、私とネルケは戦うのははじめてだ。足を引っ張らないようにしないとな。
「ちなみにだけれど……例の青年はどこにいるんだい?一緒に行動してはいないのかい?」
「それを――」
「教える義理なんて、あなたにはないわ」
私よりも先にネルケが答えた。ああ、その通りだ。この男、グラウと直接接触したことを考えると、もしかしたらやつに何か因縁がある可能性がある。そう考えると、むしろこの場にグラウがいなかったことが幸いだったかもしれない。
「そうかい。まぁ……青年がいないなら、むしろありがたいか」
マルスはぼそりと呟くと……おもむろに右手でコートの内ポケットをいじくり始めた――こいつ、まさか!?
「それで、いったい何をしに来たのかしら?」
ルノが問うと、マルスは少し頬を緩ませ――
「うん?それは愚問じゃないかな?敵の前に姿を現すなんて――」
“Toxicity of my city”と書かれた箱からタバコを一本取り出し、そしてライターで火を――させるかッ!!
「はアアアアアッッ!!」
正面に飛び込み――斬ッッ!!
タバコに火が灯されるよりも先に、その先端を切り落とした。
「これで、お前は詰みだろ?」
そのまま切っ先をのど仏にぴたりとつける。そしてナイフと鉤爪もまた、彼の首へと向けられる――そう、マルスがタバコに火を灯そうとしたのに気が付いたのは私だけではない。ネルケもルノもその兆候に気が付き、疾風が如き速さでマルスとの距離を詰めた。
故に包囲。この男、木を背にしていたことが仇となったな。右側はルノ、左側はネルケ。そして正面は私が塞いだ。逃げ場所はない。それに、肝心のタバコを吸えないのだから、異能力も使えまい!
「投降する?それともここで殺される?」
「10秒あげるわ。その内に答えないと美女三人に殺されるから。それじゃあ、10、9、8、7……」
私たちの勝利は確実。そのはずなのに、マルスは尚も顔色一つ変えない。
奇妙だ。何かおかしい。この男……自分が窮地だと理解していない、いや――
「そうだね、それも一興かもしれないが……すまないね。オレはまだ、吸いたりていないんだ――!」
――黙黙黙黙黙黙っっ!!
背後の木の陰から、紫煙が立ち篭めて、まるで私たちを飲み込むように――
「くうっ!?」
反転し、急ぎその場を離れようと駆け出す。この煙は毒性。吸い込んでしまってはどうなることか……出来るだけ遠くへ、まだ煙が及んでいないところへ!
しかしこいつ、タバコを吸っていなかっただろ?それなのにどうして異能力が――
「オレの異能力はタバコの煙を操る。別に、吸ったタバコの煙を操るではなんだよ。異能力は君たちに声をかけるよりも先に発動させておいた。ほら、オレが来たときに匂いだしただろ?ああ、別にオレから匂いがしたんじゃない。オレは匂いのエチケットは欠かさないからね」
煙の中からマルスの声が聞こえた。どうやら、煙の毒性は本人には及ばないようだ。
タバコの煙を操る、私たちの前に姿を現す前に発動、そしてマルスからタバコの臭いがしたわけではない――ああ、そういうことか!おそらくこいつは、木の陰にタバコを落としておいて、それから私たちの前に姿を現した。あの臭いは異能力発動のサインだったのに関わらず、私たちは揃いも揃ってこの男から漂ってきたと勘違いし無警戒。してやられたということか!!
しまった……囲まれたか。流石に煙の方が私よりも足が速いか。ならば――!!
「鬼化ッッ!!」
刀を払い、剣圧で毒煙を吹き飛ばす。視界が開けた。今の内に、出来るだけ遠くへ――
「ここまで来れば、大丈夫か」
随分と遠くまで逃げてしまった。だが、毒煙は未だマルスを中心にして増幅を続けている。いつここまで到達するかはわからないな。
それに完全に二人と分断されてしまった。まぁ、通信を繋げばいいだけだが……っ!繋がらない!?嘘だろ?故障しているわけはあるまいし……まさか、この毒煙には周囲の電波をジャミングする作用まであるというのか!?これでは二人と次の行動について話せないじゃないか!!
いったいこれからどうすればいい?二人がどこにいるのか、二人が何をしているか……そもそも二人が無事でなのかすらわからないなんて。私はどうすれば――いや、冷静になれよ、私!こんな時に焦っては、グラウに笑われる。そうだ、落ち着いて整理しよう。そうすれば、きっとあいつみたいに最善の解答を導き出せるはずだから!
あのマルスという男は、グラウが危険視するほどの異能力者だ。そのことはネルケもルノも理解しているはず。だから全員がマルスを猛者と認識していることを前提に考えて行こう。
私たちの各々の選択肢は二つに一つ。退くか、それとも進むか。先の前提に立つなら前者を選ぶべきだろう。もちろん合流地点を事前に打ち合わせているわけでもないから、当分の間は個人行動を続けなければいけないというデメリットはあるが。一方後者は博打に近い。要するに煙の中を突き進んで、奴を仕留めようということだ。しかし煙の中はやつのテリトリー。一人や二人で襲いかかったところで、返り討ちにあう可能性は極めて高い。でも、もしかしたら三人なら――
合理的に考えれば、退くの一手が最善。しかしよく考えるんだ――ネルケとルノはどう考ているのか、そして二人は私がどう行動すると予想しているかを。ネルケは……大胆だ。じっとしていろなんて言われて素直に従うやつじゃない。ルノは……冷静沈着だ。たぶん越えてきた場数はあいつの方がおおいかもしれない。あの二人の性格は真逆。そして私は……一貫性がないな。グラウに面と向かって言われたことは素直に守るくせに、何も言われなければ勝手に行動して。気が付いてはいなかったが私…結構問題児なのかもしれない。
でも、私たち三人に共通して言えることはある。それは――三人とも負けず嫌いだ。意地っ張りで、大事なところを簡単に譲ろうとしない。だからほんの数分前まであんな喧嘩をして――――ああ、そうだな。私はバカか。ルノに言われたこと、もう忘れたというのかよ。
なぁ、ネルケ、ルノ。お前らが仲間で、本当に良かったと思う。私はお前らと笑って、戦って、泣いて、喧嘩して……そういうこと、心から嬉しいと思っているんだ。仲間なんていう存在、この道に不要だと思っていた。でもな、やっぱり支えてくれるやつがいるから、人は強くなれるんだな――だから信じているぞ、私の愛する家族たちよ!!
「すう……はあっ………」
大きく空気を吸って、吐き出す。それを繰り返し、酸素を行き渡らせていく。一息で行かねばなるまい。途中で膝をつくことなど、決して許されないのだから。
これは一か八の賭けかもしれない。でも――私たちなら必ず勝てる、行くぞッ!!
「はあああああッッッ!!」
獣のように猛りながら――瞳を閉じ、煙に突撃する。暗中模索。しかし確かに覚えている。私は一直線に逃げてきた。だから、同じように駆け抜ければいい。
露出した肌が痛む。全身の力が抜けていく……毒煙、触れるだけでさえこの症状。限界は思ったよりも近いようだ。だが――!!
「ダアッ!!」
確かな思いと共に――刀が血肉を貫いた。しかしマルスを仕留めたのは私なのかはわからない。そう――同じタイミングでネルケのナイフが首を切り、ルノの鉤爪が胴体を引き裂いていたから。
マルスの死とともに毒煙が晴れていく。ようやく新鮮な空気が吸える。間に合って良かった。でも、そんなことよりも――
「ソノミ、ルノ!」
ナイフを捨てたネルケが私とルノを抱きしめてきて……体勢を崩した私は思わず二人の胸にダイブして――
「ふがっ……はなせ………お前らっ!」
「えへへ~~わたしの胸はグラウ専用だけれど、ソノミとルノだったら別にいいかしら?」
「そんなことを言うと揉みしだいちゃうわよ、ネルケちゃん?」
顔が脂肪の海を彷徨う。柔らかくて気持ちがいいけれど……歴然の差を痛感させられているようで、悲しくなってくる。
「はあっ、はあっ………死ぬかと思った…………でも、良かった。お前たち二人なら、きっと逃げずに立ち向かうだろうと信じて!」
「当然よ!ソノミならやられっぱなしなんて納得しないだろうし、ルノならそんなソノミの気持ちを組むと思ったし!!」
「あら、ワタシはそんな深く考えてないわよ?逃げてもしかたないぐらいしか考えなかったわね」
あれ、案外ルノって無鉄砲なのか……?まぁ、なにはともあれ勝ったのだからよしと――
――ぱちぱちぱちぱち
何の賞賛の気持ちも存在しない、無機質な拍手の音。もちろん私たち三人が手を叩いているわけではない。そう、私たちの背後から――
「いやぁ、お見事。これでもオレ、WGの少佐なんだけれどね。そうだね、キミたちならもしかたら――」
即座に抜刀、三人でマルスを囲む。どうしてだ?こいつは確かに殺したはず!そこに死体が……ない、だと!?うそだろ?さっきまで確かにそこにあったはずなのに!!
「さて、それは本物かな?」
「なっ!?」
今度は左から、右から、木陰から……至る所にマルスが現れる。いったいどうなっているというんだっ!?
「ふふ、まぁオレが本物なんだけれどね」
有象無象のマルスが消え――本物のマルスは木に寄りかかりながらタバコを服し、私たちをじーっと眺めていた。
「ぷはあっ……安心してくれ。オレはもう戦うつもりはないし……どちらが生殺与奪を握っているか、それはもうわかっているだろ?」
自分が握っている、そう言いたいのだろう。悔しいが……どうやらその通りのようだ。
「オレの異能力は、まぁそういうことだよ。いちいち説明するつもりはない。ああそれと、これはただ吸いたくて吸っているだけだ。気にしないでくれ」
煙で自分そっくりな幻影を生み出したというのだろうか?それとももしかしたらこいつも――二つ持ちであるというのだろうか。
そしてマルスは一本吸い終え、携帯灰皿にそのカスをしまった。
「さてと。それじゃあオレは帰るよ」
「帰るって、お前……いったい何をしに来たんだ?私たちを壊滅させに来たんじゃないのか?」
マルスは何故そのようなことが聞かれたのかわからない、はてなという表情を返してきた。
「いいや?そんなことは一言も言ってない。オレの目的は、威力偵察と言ったところかな」
マルスは私たちに何の躊躇いもなく背中を向け、そして何事もなかったかのように森の奥へと進み始めた。
「ああ、そうだ。一ついいことを教えよう」
しかし急に彼は立ち止まり、振り返ることはせず話を始めた。
「実はここから南西にいった所に教会があってさ。デウス・ウルトがそこを根城にしているみたいなんだ」
「わざわざデウス・ウルトの情報を教えて、いったい何のつもりかしら?」
ネルケが眉を顰めながら尋ねた。
「青年が彼らの枢機卿を殺害しただろ?それで奴らは大分ご立腹したようで、復讐目的で青年を狙っているみたいなんだよ。もしも青年が単独で行動しているというなら、そこを狙ってくるかもしれない。まぁ、青年なら問題ないとは思うが、一応彼の仲間であるキミたちには伝えといて損はないかなと。それじゃあね、お嬢さん方」
背中で手を振り、マルスは鬱蒼と草木が茂る森の中へと消えていった。
小話 おじさんにはわからないよ
マルス:いやぁ、しかし青年も役得だね。代わって欲しいとは言わないが、羨ましくは思うよ。キミたちの関係は、俗にいうハーレムという認識で間違ってないかい?
ルノ:それはちょっと違うかしらね。ワタシが本当に愛しているのはこの二人の方。グラウのことももちろん仲間として大切だけれど、異性としてはあくまで撒き餌としか思ってないから
マルス:えっと……おじさんにはキミの言っていることがよくわからないんだけれど……撒き餌って、どういう意味かな?
ルノ:(どうしてわかりきったことを聞くのかしら?)二人はグラウのことが好き。それでワタシは二人のことが好き。だから先にグラウをたらし込んでワタシに従順にさせておく。そうして奴隷の彼に針をしこんでぷかぷかと浮かせておけば、二人はグラウに食いついて、ワタシは二人を釣り上げることが出来る。何かおかしいことがあるかしら?
マルス:何もかも理解に苦しむのだが……とりあえず、青年の苦労の氷山の一角を垣間見た気がするよ………




