第2話 銃声が奏でるは開幕の調べ Part1
〈2122年 5月7日 2:05AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約34時間〉 ―グラウ―
「ッ!!何のつもりだ、あんたっ!?」
即座にバックステップ、ホルダーから銃を引き抜き、彼女の額に銃を突きつける。突然の出来事に未だ焦りを感じている俺に対し、目の前の女性は余裕そうに、にまりと笑みを浮かべている。
「何のつもり?あなたのことを愛しているからキスをした。それだけのことよ?」
何を言っているんだこの人は。まったく意味が分からない。俺はこの人に会ったことはない。この人から好意を持たれることなどしていない。
「俺はあんたを知らない。人違いかなんかだろ?」
「人違い、ね……いえ、私が愛しているのはグラウ・ファルケ。目の前のあなた。そうね。あなたが私のことを知っていなくても、私はあなたのことを知っている」
「そうだな。俺たち三人はあんたのことを知らないが、ラウゼがあんたに俺たちの情報を流していたらそうなるだろうな」
「いいえ、そういうことじゃないのだけれど……ねぇ、とりあえず銃を下ろしてくれない?銃を突き付けられたまま話したくないわ」
紫の視線に動揺の色は一切なかった。俺は今彼女の生殺与奪権を握っている状況だというのに、なぜか俺は彼女に圧されている。
深く考えるまでもない。俺は彼女の色香に惑わされてしまっている。冷静な判断が出来なくなっているのだ。俺も男だ。これほどまでに美しい人と口づけを交わして何も思わないでいれるほどストイックじゃない。未だその唇の感触が、忘れられない――だが。
「銃を下ろすことに条件を付ける。まず一つだけ質問に答えろ」
「いいわよ、どんなことでも。年齢?趣味?連絡先?それとも…サイズ?」
右手でその豊満な胸を撫でる仕草は、恥じらいがないように思うが、目のやり場に困るのも確か。
「……あんたの異能力はなんだ?」
彼女が挙げた質問は魅力的であるのは確か。だがそれでは彼女の素性は一切見えてこない。この質問なら、多くのことを知れるだろう。
「高速移動。正確には鈍化なんだけれどね。わたしを除く世界の速度を遅くしている。それによってわたしだけは普通の速度で動けるの。他の人から見ればわたしが一瞬で移動しているように見えるみたいだから、高速移動ってことにしているの。鈍化っていうより、高速移動って言った方がかっこいいでしょう?」
「やはり、か」
大方の検討はついていたが真実を知る必要があった。彼女は十メートルほどの距離を一瞬で詰めてきた。まるで彼女は消えたように感じたのだが、ゼンの透明化では瞬時に移動することは説明がつかない。他に考えられたのは縮地に瞬間移動など。だがこれである事実がはっきりした。
「約束通り、銃は下ろす」
彼女の額から銃を離し、ホルダーへと戻し――
「グラウ、来いっ!」
急に力強く左腕を引かれたことで体のバランスを崩してしまう。よろける俺を関せず、ソノミは俺をネルケに会話が聞こえないところまで引っ張っていった。
「グラウ。あの女、いったい何なんだ?どうして銃を離した?何故撃たなかった?」
捲し立てるソノミの肩を掴み落ち着かせる。柴犬のように警戒心の強いソノミだ。俺のしたことが彼女には不可解に映ったのだろう。
「俺と彼女は初対面だ。だから俺にあの人のことを聞かれても困る。俺とソノミとで彼女についての情報の差はない。それと銃を離したのは……銃が意味をなさないから」
「意味をなさない?」
ソノミが首をかしげたことで黒い髪が揺れる。
「銃っていうものは、引き金を引いたらすぐに銃弾が発射される。それは常識だ。だがその間には僅かなラグがある。そのラグがあまりにも短すぎるものだから俺たちには一瞬で発砲しているように見える。だがな……彼女にとってそれは遅すぎる」
「……あっ」
はっとした表情をしたということは、理解してくれたようだ。
「俺が引き金を引いて発射されるまでの間に彼女は回避行動をとれる。いや、それ以上だ。もし引き金を引いていたら、自分の首が飛ぶかもしれなかった」
彼女の高速移動の異能力は、彼女が移動している瞬間を捉えられないほどのもの。彼女が異能力を使った時点で勝ち目はなくなる。
「グラウ。それで、あの女をどうするつもりだ?」
「どうも出来ない、というのが結論だ。彼女が危険だから今のうちに三人で、と動いたところで負ける確率の方が高い。俺とソノミは即殺だろうし、ゼンと彼女じゃ膠着状態になるだろう。だがそれほど彼女が強いのは確か」
「このまま共に戦う、と」
「そうだ。俺たちは猫の手も借りたい。どうやら実際借りることになったのは獅子の手だったが。もちろん全幅の信頼をおくつもりはない。彼女への警戒は続ける。まぁ、裏切られたら勝ち目がない以上、彼女が白であることを祈るばかりだな」
綺麗な薔薇には刺があると言うが、彼女はまさにそうだ。撫子かと思えたが、実際は赤い薔薇。慎重に動かなければならない。でも、まぁ――
「信じていいかもしれないとも思える。彼女のことを」
「どうしてだ?やはりお前、彼女に惚れて……」
怪訝そうな視線を送るソノミに対し、俺は咳払いをした。
「さっきの話の続きだが彼女が異能力を使った時点で俺たちは負けだろ?しかし彼女はそうしない」
「ああ……言いたいことはわかった。やれるのにやらないならやる気がない、ということだろ?」
俺は首を縦に振った。
「はあっ、とてつもない変人が仲間になったものだ。グラウ、いいな……惹かれるなよ」
「ソノミ、知っているか?恋心っていうのは意識的に芽生えるものじゃない。自然に芽生えるものだ」
「あんっ?」
射抜くように睨み付けられ、背筋が凍ったような感覚だ。ソノミの前で冗談を言うのは控えた方がよさそうだ。
「ねぇグラウ先輩、ソノミ先輩っ、オレを一人にしないでくださいよぉ」
ナイスタイミングだ。心細そうな声をあげながら、ゼンが俺たちの方へとやってきた。なんだかいつになくゼンが萎縮しているように見える。
「いや、美人っすからね。ものにしたいって、あの人口説こうとしたんすけど……あの人、完全にグラウ先輩にしか興味ないんすよ!オレに対しては憐れみの目で見てくるし……なんなんすかっ!グラウ先輩、モテ期ってやつっすか?」
当たって砕けたのはゼンの責任だ。俺に八つ当たりされても困る。
「知るか。人に好意を持たれるのは素直にうれしいが、相手は未知数な人だ。ぬか喜びできるわけがない」
「羨ましい……なんて絶対言いませんよ」
肩を落とすゼンの背中に活を入れる。一人残されたその人は、石段に座り足を遊ばせていた。俺が近づいたことに気がつくとすぐに立ち上がり、俺の方へ向き直った。それから下から覗きこむように俺の顔を凝視してきたため、またドキっとしてしまう。
「話、終わった?」
「あっ、ああ。ゲフン」
あえて大きく咳払いをし、それから右手を差し出した。
「あんたもわかっているだろうが、俺たちはあんたを信用しきったわけじゃ――」
「む~~」
彼女が露骨に不機嫌そうに剥れた理由が俺にはわからない。
「あんた、あんたって、わたしはあんたって名前じゃない。これから仲間になるんだから、ネルケ。そう呼んで」
別に俺は彼女に対してのみ「あんた」って言っているわけじゃない。誰彼構わず二人称が「あんた」なだけなのだが……彼女がそういうなら。
「ネルケ」
「よし」
ただ名前を呼んだだけで、花が咲いたかのように満面の笑みを浮かべるの彼女を見て、つい警戒を抱く必要があるのか疑問に思えてしまう。
ハニートラップ。古典的な手法だが、男はそれに弱い。彼女ほどの美貌なら、ほぼ全ての男はイチコロ。あるだけの情報を漏らして、その後に後悔するだろう。
わかっている。信用は出来ないことを。でもこの夜が開けるまでの間は……せめて。
「俺たちに勝利をもたらしてくれ。短い間だが、宜しく頼む」
「ええ。愛しているわ。グラウ」
彼女の右手が握り返された。
彼女の返答は、頼むと言った返しには相応しくない。彼女の気持ちが偽りなのか、はたまたかなのかは俺にはわからない。でも、俺もただの男なんだな。彼女の瞳に映る俺は、やけににやけた顔をしていた。
―ソノミ―
「全く……だらしのない顔を」
「あれ、ソノミ先輩、嫉妬しているんすか?」
目を閉じ、左腰の刀に触れた。
「すっ、すいません……」
ゼンが謝るまでそう時間はかからなかった。まったく、どいつもこいつも緊張感が足りなすぎる。
「ソノミ、ゼン」
「?」
ネルケを連れてグラウが私たちのほうへと戻ってきた。
何だろうか。ただ二人は並んでいるだけだというのに様になる。グラウのやつ、まんざらでもない表情を浮かべやがって―。
「見せつけようとしているのか?」
「いや、そんなわけ――」
グラウは首を横に振り否定してくる。うむ。そうだろう。私の気のせい――
「ええ、そうよ」
「は?」
考えるよりも先に言葉が出た。頭の中でカチンっ、と何かが切れた音が聞こえた。グラウは慌てて「俺はそんな気はない」と強く否定するが、どうも虫の居所が悪い。
「やっぱ嫉妬してるじゃ―――うっ!?」
いけない。今度は考えるよりも先に拳が出てしまった。だがこれでゼンも、少しの間静かになるだろう。
「グラウ。今、私はお前も信用していいのかわからない。私にはお前が色香に惑わされて、いつもの冷静さを欠いているようにみえる」
「当然ね。あれだけ頑張ったのだから……いいえ、グラウは悪くないわ。いけないのは私の方ね」
自信げに、胸を付きだしてくるネルケ……くっ。
「そんな苦虫を噛み潰したような顔をするなソノミ。いい顔が台無しだぞ」
「あんっ!お前は火に油を注いでいるのがわかっているのか?」
私はそっぽを向いて表情が悟られないようにした。頬があつい。どうしてだ?どうしてこいつの言葉で、心のこもってない言葉で私は動揺してしまう?何故だろう、今のグラウは、少し兄様のように――
「おい、大丈夫か、ゼン?」
「大丈夫っすけど……はあっ、これ全部グラウ先輩のせいっすからね」
男二人、何か話しているようだが。私の知ったことではない。
「ソノミ。えいっ!」
「うっ!なんだ、お前っ!」
頭を強引にねじ曲げられ、ネルケが私の額と自らの額とをくっつけた。少し動けば口づけをしてしまいそうな距離に、ネルケの顔がある。
認めなければならない。私とこの女には、女性としての魅力の差がありすぎる。瞳が大きくて、肌が色白で……きょういの格差がある。愛嬌のあるこの女と違って、私は無愛想。
「可愛い子。羨ましいわ。綺麗な長い黒髪」
「可愛い……?」
圧倒的大差で敗北している相手にそんなことを言われるとは思ってもいなかったから、とても驚いた。
「ええ。でもね、ソノミ。あなたも恋をすればより美しくなるわ」
「恋……そんなこと、私はっ!」
私はそんな感情を抱かない。この刀を握ったときから、私は一人の鬼として、憎まれることだけが私の本懐。誰かを好きになることも、誰かに愛されることも許されない。だから、そんなことなど――
「じゃあ、一つだけ予言してあげる。あなたはグラウに惚れる。遠い未来じゃない。もう数十時間の内に」
「っ!?何を言う!!?」
「出鱈目を言っているように思うでしょう?でもきっとそうなる。あなたも気が付くわ。彼の良さに」
訳がわからない!私がグラウを……?ありえない!
だいたいあいつとの付き合いだったら私の方が長い。グラウとはもう年単位の付き合いだ。出会って数分の彼女より、私の方がよっぽどグラウのことは知っている。
「はっ!もしもそうなったら、お前とは敵になるだろうなッ!」
私の頭を掴むネルケの腕を払いのけ、後ろを振り返った。
私がグラウに惚れるなんてこと、ありえない。だって私には兄様がいる。
「ええ。そうなるわね。彼は譲らないって、その時が来たらまた言うわ」
本当にこの女は。出会ってから十分と経たないのに、私たちの関係を好き放題掻き回した。ある意味すごいやつだ。いきなりグラウに……とかを含めて。
でも今ならわかるかもしれない。あの冷静なグラウが、いつもと違った表情をした理由が。