第3話 裏切りの狐に、天使は裁きを… Part4
〈同刻〉―ルノ―
こうしてポーラと二人で歩くことは日常だった。彼女の歩幅、足音をワタシはよく知っている――でも、ワタシたちの関係は変わってしまった。あの頃は隣に並んで、くだらない話をして盛り上がっていた。けれど今はポーラが先に歩いて、言葉一つも交わさない。バルコニーに着くまでほんの数分だったはずなのに、ワタシにとってはその時間が途方も無い長さに感じられた。
ポーラは手すりに背を預け、それからワタシへと振り返ってきた。その眉間には縦皺が三本寄っている。
「皺ってクセになるから止めた方がいいわ。その可愛いお顔が台無しよ」
「アンタ、まったく変わらないのね」
「一ヶ月程度で人の性格なんて変わらないわよ」
パラソル付きの丸机の椅子を引き、そこに腰掛ける。
「ルノ、どうしてこんなにアタシがいらいらしているかわかるわよね?」
「ワタシとグラウのせいね」
「正解。でも7:3ぐらいの割合ね」
「大半はワタシ、と」
「ええ。グラウ・ファルケにリベンジしたいけれど、あいつは今グレイズ様に……だから、アンタにこの憤りをぶつける」
グレイズも何か企んでいるようね。グラウの強さをわかっているだろうから、敢えて一騎打ちをするようなことはしないと思うけれど……もしかして、グラウをテラ・ノヴァに勧誘とかしてないわよね――?でも今は、彼のことなんて気にしている余裕なんてないわね。今は……ポーラに向き合わないと。
「ねぇ、ポーラ。ワタシが抜けて、アナタはグレイズの秘書になったわよね?ずっとグレイズのことが好きだったんだから、お邪魔虫が消えてせいせいしたかしら?」
違う、こんなことを言いたいんじゃない!歩きながら、ずっとポーラにかける言葉を考えていたのに……どうして本当に言いたいことが言えないのかしら?
「ルノ……そんなわけないでしょ。確かに、グレイズ様の秘書になれたことは嬉しいけれど、結局アタシは、アンタがいなくなって空いた席を埋めるだけに選ばれただけに過ぎないのよ。アタシは実力でアンタを追い越してやりたかったのに、それなのに………」
ポーラの瞳が潤んでいた。いまにも滴が垂れてきそう……ああ、今すぐポーラに近付いて抱きしめたい。これまでずっとそうしてきたのに、何回もそうしてきたのに……どうして、一番大事な時にそれが出来ない?
「全部……全部アンタが悪い。アタシはずっと、アンタを追いかけてきた。そしてようやく近付いたかと思えば、アンタはアタシの前から消え去って……ずっとアタシは、アンタのことを親友だと思っていたのにッッ!!」
ポーラの言葉がまるで銃弾のようにワタシの胸を貫いた。脈が乱れ、呼吸が上手く出来ない。言葉を返すべきなのに……口がもごもごと、言葉にならない嗚咽を吐き出す。
「アンタはアタシたちを……アタシを裏切った。ずっと大切な親友と思っていたのは、アタシだけだったようね!!」
「ちが……」
「何も違わないでしょ!!大切な親友同士だったら……くっ!!」
ポーラが羽織っていたジャケットを投げ捨てた。変わらないベアバックの軍服。背中を出したと言うことは――
「アンタをここで殺せば、きっとワタシのモヤモヤは晴れるわよね?そうすれば、確実にアンタを超したという証明になるわよね?」
「…………」
ダメだ、ワタシ。こんなに弱い人間だったんだ。
本当はアタシもポーラを誰よりも大切だって言いたい。でも、わかっているの。ワタシは彼女を裏切った。そんな人間の言葉なんて信用してもらえるわけがない――
「ルノ、構えなさい。アタシたちは敵同士。アタシは全力でアンタの命を狙う。だから、アンタもアタシを殺す気で来なさい」
ポーラがワタシを向いているのはわかる。でも、それなのに、彼女を直視出来ない。自責の念が、ワタシの首を締め上げていく。
「そう、やる気がないのね……でも、アタシは手加減しないッ!!来てよ、アタシの翼ッ!!」
ポーラが前屈みになり、そしてその肩胛骨のあたりから純白がにゅるりと生えだしていく。はじめは何の形もしていなかったそれは時間の経過とともに彫刻が彫られたように形作られていき――彼女の背中に、天使の翼が生えた。
ポーラが異能力を使ったということは、本気でワタシを殺すつもりのようだ。そして彼女は、ワタシにも異能力を使うことを望んでいる。半獣化はいつのまにか解けていた。だから、彼女に答えるために使うべきだけれど――ワタシには、そんなこと――!!
「ルノ、手加減はするつもりはない。全力で、アンタの命を奪う……喰らえッッ!!」
「っ!!?」
ルノが両翼の先端をワタシに向け――矢を射るが如く羽根を吹き飛ばしてきた。
その翼のことはよく知っている。それは彼女の意のままに変化をする。その翼は普段は羽毛のごとくふかふかで肌触りが良い。しかし、彼女がひとたび敵意を抱いた瞬間、その翼から放たれた羽根はナイフのような鋭利な凶器になる。
「くっ………!」
消えたかと思っていた生存本能がワタシの脚を動かした。彼女を中心に反時計回りに走り、その羽根を避けていく。あの羽根は一つでも十分強力。軽く人の肉を抉り取っていく。だからあの羽根の奔流に飲み込まれれば、ワタシはただの肉塊になる。でもワタシはどうやら、まだ死を受け入れてないようね……
「……やる気がなくても、アンタはやっぱりルノなのね」
「ポーラ……」
「気安くアタシの名を呼ぶなっッッ!!裏切り者などに、裏切り者なんかに……」
ポーラの攻撃がぴたりと止んだ。半獣化も使わず限界まで早く走った肺は、酸素を欲していた。
「ルノ、アタシは……アンタを越えたい。だから、ずっと特訓を続けてきた、アンタにばれないようにね」
ポーラが地面を蹴り飛ばし、飛翔していく。
「あんたに勝つには、この翼だけじゃ足りない。だから、アタシは願った……アンタみたいに二つ持ちになることをね」
ポーラが両腕を横に伸ばした。すると、まばゆい光が彼女の腕を包んでいき――輪っかの形となった。そして腕を縦に戻すとそれは重力に従い落下し、それをポーラは手で受け止めた。
「アタシが手に入れた二つ目の異能力――光の輪。形を作っているように見えるけれど、実際はもの凄い勢いで円を描くように回転を続けているの。だから、これに触れたらただじゃすまない。発生させたアタシは例外だけれどね」
「アナタも、二つ持ちになったのね」
「憎悪とか、嫉妬とかからまさか覚醒するとは思わなかったけれど……ある意味感謝しているわ、ルノ。アンタが裏切ったからこそ、この異能力を使えるようになったのだから」
ポーラが腕を交差させ、そして翼の先端を再度ワタシに向けてきた――来る。
「アンタが避けないといけないのは羽根だけではなくなった。でも、アンタが生き延びたいというのなら、優先的に光の輪を避けることね。たぶん、一撃でアンタを両断してしまうから」
「やさしいのね」
「……これでも、アンタを親友と思っていたから」
全ては過去形。今はそうではない。ワタシとポーラは所属する組織が違う敵同士。相容れない者同士。ならば、戦うのは自然の摂理。
ならばワタシだって、答えなきゃいけないのに、ワタシはそうしない。身体が言うことを生きてはくれない、いや――受け入れてしまえと決意してしまっている。
「ルノ――ここで死ねッッ!!」
羽根が撒き散らされ、光の輪がチャクラムのようにして投げられた。今度はもう、走るだけで避けられるわけはない。半獣化を使ったって、これを凌ぎきれるかすら怪しい。そもそも、避けるつもりなどないのだが。
これは罰だ。ポーラを――一番の親友を裏切った最低な罪人への天罰だ。
いっそ身を委ねてしまえば楽になる。耳元で誰かが囁く。その声はワタシの弱さ?それはポーラへの申し訳なさから?たぶんその両方。
ああ、馬鹿だな、ワタシ。こんな時にポーラとの思い出が目に浮かぶなんて。死の間際なのに、こんな鮮明に思い出すなんて――これが走馬燈なのかしら―――?




