第0話 暗闇に咲いた花は、一際美しく・・・
〈2122年 6月2日 11:56PM〉―?―
夜の帳がおりた町は閑散として、通りを行き交う人の数も減っていく。人々は皆安住の場所に帰り、ある者は腹を満たし、ある者は床につき、ある番いは枕を共にする。しかし夜という時間は静かな時間だからこそ――世界の裏に生きる人間たちの蠢く時間にふさわしい。
「リガールさん・・・本当に例の人、来るんすかね?」
青い短髪の男は、ベンチに足を組んで腰掛けている、赤いスーツを着た強面の男に訊ねた。
「来るだろ。呼び出したのはあっちなんだからな」
短く答え、リガールは空を仰いだ。
夜空に輝く星々は、文明の発展と共に数を減らしてきた。本物の星空が見えていたのは何千年も前のこと。夜が漆黒だったころに世界はもう戻れない。それでも星が見たいのであれば、どこか観測に適した旅をする必要があるのだろう。しかしリガールには、そんなことに割く時間がない。だがせめて人を待つ、このなんとも無駄で必要な時間ぐらいは、かすかに見える星々とそして欠けた月とを見上げていたいと思っていた。
「リガールの旦那、しかし、本当に良いんですか?」
ドスのきいた声を発したのは、ベンチの右側に立つ、スキンヘッドの頭にタトゥーを入れた男。
「何が、だ?」
「もしも本当にその組織に入るなら・・・旦那はまた一からやり直すことになる。せっかく築き上げてきた地位を、捨てるほどの組織だとは――」
「ふっ、ははははっっ!」
リガールが突如として笑いだしたため、青い短髪の男は身体を一瞬びくつかせた。
「馬鹿だな、お前は。いいに決まっているだろ?また一からにせよ、今の俺は昔とは違う・・・鉄砲玉から頭までいったんだ。地位は逆戻りしても、経験は残るだろ?」
「旦那・・・・・・・・・」
「安心しろ。お前ら二人は連れて行く。すぐにのし上がって、お前らをまた参謀にしてやるよ」
人は見かけによらないという。巨人の様に屈強な身体をした男が実は情けなかったり、もやしの様にひょろっとした男が実は秘密結社のリーダーであったり・・・・・・リガールという男の見た目は、いかにもである。休日の繁華街を歩けば道は出来るし、列に並べば人がはけていく。しかしその内に秘めた心は義理と人情に満ちていた。
若かりし彼は、とある組織の最下層にいた。しかし彼はその才覚でもって、次第に地位を上げていき、遂には組織の長にまでのし上がった。彼はその辣腕をふるい、組織を拡大、敵対する組織をことごとく壊滅に追い込んだ。しかし彼はそれで終わらなかった。敵さえも味方に招き、来る者は拒まず、去る者も拒まず。結局、その組織の長の座も円満な形で後継者に譲ったのだった。ただ組織の者たちは皆、リガールに組織に残って欲しいと願っていたが。
「だが・・・予定より二十分遅れてくるなど・・・・・・ルーズが過ぎるな」
リガールは胸ポケットから「Dear Agony」と書かれたタバコの箱を取り出した。そして一本銜えると、青い短髪の男はライターで火を点けた。
「ふう・・・・・・」
紫煙が暗き空へと上っていく。もう何年前のことだろうか。自分がタバコと酒に頼るようになったのは。リガールは強い男だった。肉体も、精神も。しかし辛いことは一つや二つではない。数多くの出会いの裏には、数多くの別れがあった。数多くの勝利の裏には、数多くの辛酸をなめた敗北があった。いや、違う。本当に彼を苦しめたのはそれらのありきたりの出来事ではない。まだ世界の少数の人間しか直面していない苦しみ――異能力者としての苦痛こそが、自分とこれらとを切っても切れぬ関係にしている。
「旦那・・・・・・あれですかね?」
「うん?」
スキンヘッドの男が指さす方向――不可解にも映る格好をした女性が、こちらに向かって歩いてきている。
「こんな時間に公園にやって来る人間はそう多くはいないだろう・・・・・・だから、そういうことだろうな」
リガールはタバコを投げ捨て、黒光りする靴で火を消した。そして彼女は、ほの甘い香りを漂わせながら、三人の前にやってきた。
麗しき彼女が着るは、紺色のAラインのパーティドレス。膝丈までのそれから覗かせる彼女の生足はほどよい細さ。おしりは膨らみ、くびれはきゅっとして、胸はふっくら。スタイルの良さは、まるで彼女がモデルなのかと思わせる。顔の輪郭ははっきりしており、特に紫色の目はくりっとしていてかわいらしい。そして髪の色は――
「お前が・・・・・・例の?」
リガールは訊ねた。
「ええ・・・Lowlessから、あなたたち三人を迎えにやってきたわ」
ハープの音色の様な美しい声が返ってきた。
「遅れてきた理由を聞いていいか?」
「そうね・・・・・・少し手間取ったというところかしら」
目的語のない彼女の発言に、リガールは理解に苦しむ。
「まぁ、女性にはいろいろあるからな・・・・・・まぁ、いいだろう」
「あなたはいいのかもしれないけれど・・・ねぇ、そこの青髪の男を叱ってくれない?じろじろ見られるのは嫌なのだけれど・・・・・・」
リガールが鋭い眼光で睨み付ける。そこでようやく・・・青い短髪の男が口を開いた――
「り、リガールさん、この女・・・・・・」
「なんだ?お前のことだ、どうせ発情していたんじゃ――」
「旦那、下がってください!!この女、例の人物ではありませんッ!!!」
スキンヘッドの男がリガールを隠すように立ち塞がる。それから青い短髪の男は拳銃を取り出し、彼女へ銃口を向けた。
「これから仲間になる人間に銃を向けるなんて、ひどくないかしら?」
「・・・・・・じゃあ答えろよ、なんでアンタのドレスに返り血が付いているんだよ?」
「・・・そうなのか?」
リガールの問いに、青い短髪の男はゆっくりうなずいた。そう、彼女のドレスの左側には血痕がいくつか付着していた。リガールの位置からはそれが見えなかったが、青い短髪の男、警戒から彼女の周りを一周したスキンヘッドの男はそれに気がついた。
「わたしの血だとは思わないの?」
「・・・だとしても、不自然過ぎるんだろ。ここに来るまで襲われたとでも言うのか?」
「言ってもないのだから、ないとは言えないじゃない?」
「じゃあ実際あったのか?」
「うふふ・・・・・・なかったけれど」
はあ、と大きく彼女は色っぽくため息を漏らした。本当はもっと穏便にことを済ませようとしていた。先程も――そしてこれからも。この護衛二人の勘が鋭かったことも運がなかったけれど、返り血を浴びていたことに気付かなかった自分の責任でもあるか。
「旦那、指示を。この女、例のLowlessの人物じゃありません」
「・・・・・・・・・・・・」
スキンヘッドの男もおもむろに銃を引き抜く。リガールは目を瞑り、思考し・・・・・・そして命じる――
「殺れ」
深夜の公園に二つの銃声が木霊した。
銃弾を急所に喰らって生き残る人間などいるだろうか?否、人間の身体は脆弱そのもの。
銃弾を間近で撃たれて避けることが出来る人間などいるだろうか?否、人間の動体視力はそこまで研ぎ澄まされていない。
しかしそれらの常識は――異能力によって覆される。
「ぐあッッ!!」
「うがぁァァッッッ!!」
倒れたのは――護衛の男たち二人であった。
首筋に一本線を入れられ、その血が凝固するよりも前に大量の血が失われすぎた。二つの赤の海が拡がり――そして繋がった。
「・・・・・・貴様、何をしたッ?」
リガールの瞳には怒りの色が、そして彼の口調は荒くなった。
「撃たれたから殺しただけよ?それの何がおかしいのかしら?」
彼女は冷たい表情をしていた。どこまでも冷酷で、そして深淵を見据えているような――
「・・・・・・質問を変えよう。いったいどこの組織の・・・異能力者だ?」
「そうね・・・・・・答える義理なんてないわ。これから死にゆく人に――!」
「ッ!!吹き飛べッッ!!」
リガールは立ち上がり右手を突き出す――それこそ、リガールの異能力の発動体勢。
彼の異能力は波動。突き出した手の前方のあらゆるものを吹き飛ばす。その一撃を食らった者は、壁に当たるまで無限に吹き飛ばされ続ける。
強い異能力だ。多くのたいしたことのない異能力と比べて。彼にかかれば車だって、飛行機だって、そして建物だって――造作もなかった。彼がその力に目覚めたのはまだ組織の末端にいたころ。泥水を啜っていたあのころ、その異能力は彼の救いだった。異能力を使えば、勝てない相手などいない・・・・・・はずだった。しかし異能力を使えば使うほど、彼の周りから人は離れていった。最後に自分を――悪魔と呼んで。そして彼はようやく思い知った。異能力者は、人間ではないことに。
だから普通の人間として生きようとした。普通の人間が使う武器で、普通の人間とように戦って。しかしそう生きようとすればするほど、本当の自分を、異能力者としてのアイデンティティが失われていく。本当は異能力者として、その力を存分に発揮したいのに、しかしそうすれば築き上げたものをすべて失ってしまう。板挟みの思いに苦しむ自分の気を紛らわせるためには、酒とたばこという嗜好品に頼らざるを得なかった。
そんな彼に救いの手紙がやってきたのは一ヶ月前のこと。その手紙に、リガールの心臓の鼓動が一瞬止まった――「我々の組織は、異能力者の本来の姿を暴力によって取り戻す」。似たようなことを理念とする、テラ・ノヴァという組織はもちろん知っていた。しかし彼らと違って、Loelessは「暴力」を認めていた。そう、そうなのだ。言葉によって訴えかけても世界は聞く耳を持ってはくれない。だから力によって思いしめるのだ――異能力者の強さを、人間たちに!
全てうまくいくはずだった。自分の異能力なら、その組織においてものし上がれると思っていた。しかし今はもう叶わぬ夢。白い希望は、赤く染まり、そして露と消えていく。
「がはっ・・・・・・」
ああ、どこで誤ったのだろうか?そんなことはもうわからない。この溢れ出る血を止めることが叶わないのだから、すべてはもう手遅れなのだ――そしてリガールの意識はゆっくりと闇の中へと沈んでいった。
「たいしたことないじゃない、この程度だなんて」
血の滴るナイフを持ちながら、彼女は呟いた――
「いえ、――お嬢様の異能力が強いのです。この男は本来、相当の実力者かと」
その後ろに立つメイド服の女性に向けて。
「・・・・・・そう。それじゃあまたお願いするわ」
「はい、掃除はメイドの嗜みです」
彼女はナイフの血を振り落とし、そして太もものホルダーにしまった。そしてメイド服の女性を背に歩き始めた――クリーム色の髪をなびかせながら。
※
「ふふぅ~ふんふぅ~、ふふぅ~ふ~ふ、ふ~・・・・・・・・・」
湯気が上るバスルーム。「すばらしき恩寵」と名の付いた賛美歌を歌いながら、髪についたリンスを流していく。
シャワーの温度は39度。少しぬるいくらいだけれど、これが適温。熱すぎず、冷たすぎず。細かいことにこだわるとこそ、美しさを保つうえで最も大事なこと。
「ふぅぅ~~~~」
それからもう一度湯船に浸かる。
仕事終わりはすぐに汗を落としたい。いや・・・違う。嫌な臭いを少しでも早く落としたいから。通りの臭い、排気ガスの臭い、血の臭い、むさ苦しい男たちの臭い。わたしにふさわしい匂いは二つ。撫子の匂いと、彼の匂い。
あぁ、もうすぐだ。もう少しで彼に会える。そう思うだけで身体がうずきだす。ちゃんと食事をしているかしら?怪我はしていないかしら?わたしのことを覚えていてくれているかしら?
「ふんふふっ♪」
彼はわたしにとって白馬の王子様。彼以上の男なんているわけがない。彼は、神がわたしと番いになるために遣わした使徒に違いない。
ええ、わかっているわ。今はまだ・・・・・・彼を独占しない。だってそうしないとかわいそうじゃない?時間は有限だから――と、これ以上考えるのはよしましょう。憂鬱な気持ちになりそうだわ。
でも、最後は必ずわたしが彼を射止める。これは決定事項。今回ばかりはもう情けなんてかけない。彼と結ばれ、愛し合うの。そして子供を作って、老後も円満に――
そのためにも、今はがんばらなくちゃ。この手をいくら汚しても、どんな業を背負うことになったとしても。ええ、だってすべては――
「あなたのためよ――グラウ―――♪」
小話 Dear agony
グラウ:今度はまんまタイトルじゃないかよ……
ネルケ:でもいい曲なのは確か、とのことよ




