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これが僕らの異能世界《ディストピア》  作者: 多々良汰々
第一次星片争奪戦~日本編~
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第6話 勝利の美酒にはまだ早い Part3

〈2122年 5月8日 4:53PM〉―グラウ―


「はぁ…満腹だ……」


「至福の時間だった。礼を言うぞ、ネルケ」


「ええ、二人が満足なら何よりだわ!」


 ネルケが一人で会計を済ませてきたため金額がどれほどだったかはわからないが――一枚で十万はくだらなかったものを数十枚。それを平気な顔をして払ってくれるんだ、ネルケの財力が底知れないなものだと思い知らされる。しかし、それだけの資力があって何故こんな汚れ仕事をしているのだろうか。まさか本当に俺に会うためだけ……?にわかには信じられないな。


 商業ビルを出て見えた世界は橙色に染まっていた。夕暮れ時。仕事を終えた人々、買い物を終えた人々が帰路へとついている。


「さて、ここでお別れね」


「ああ、そうだな」


 もう既にネルケとP&L(おれたち)との契約は終わっている。


 ネルケ・ローテ。すれ違って振り返らない人はいないと言っても過言ではないほどの美しい女性。圧倒的なプロポーションにしなやかさが共存している。、肩にかかるぐらいの長さのクリーム色の髪はつややか。顔の輪郭ははっきりしている。アメジストの様な紫の瞳はくりっとしていて愛らしい。鼻は透き通っていて、唇は官能的。漂わせる撫子の香りはほの甘く、人の心にさざ波をたてる。その声はまるで鼓膜を慰撫するよう――彼女に出会うまでに分かっていたことはただ異能力者であるのみ。集合時間に遅れてきたと思えば、いきなりキスをしてきて……彼女は一体どれだけ俺たちをかき乱し、そして変化をもたらしてくれただろうか。


「どうしたの、グラウ?そんなにじろじろ見て……あっ!わかったわ、グラウ!!いわゆる視姦ってやつね!」


 自分を抱きしめ黄色い声を出してくるネルケに、俺はため息しか出ない。


「はぁ……そういうところがなかったら本当にあんたは完璧なんだがな……ソノミも俺を睨むな」


 ソノミもネルケに出会ってらというもの、かなり性格が変わったように思える。不愛想で近寄りがたく、ろくに言葉を交わしてはこなかったが、今じゃネルケに対しても俺に対しても本心を隠すような素ぶりを見せない。良い変化だ。これからは同僚として、より友好にしていけるのだから。


 俺もだいぶネルケに感化された。冷静沈着に振る舞うことを第一に考えてはいたが、彼女の前ではそう落ち着いてはいられなかった。心の奥底にしまい込んでいた喜怒哀楽の感情が引きずり出された……いや、それだけではないか。


 ソノミが一歩前に出て、ネルケの手を掴む。


「ネルケ、お前とは別れても繋がっている。そうだろ?」


「ええ。ENIL(エニール)があるからね!帰ったら連絡してね。ちゃんと持ち帰ってもらわないと、わたしも安心できないから」


「わかっている。私とグラウが守護するんだ。問題ない」


 いつの間にENIL(エニール)を交換していたのだろうか?まぁ、女性同士仲良くやってくれたのならそれは良いことだろう。


 この背中にある星片は俺たち四人の血と涙の結晶だ。事務所までちゃんと持ち帰らないといけない責任がある。


 ソノミと別れを終えたネルケが今後はこちらを見てきた。紫のまっすぐな視線に俺も応える。俺も、ちゃん別れをしないと――


「ネルケ……正直、なんて声をかければ良いか俺にはわからない」


「結婚してくださいとかでも構わないわよ?」


「……冗談を」


「本気だけれど?」


 小悪魔めいて笑うネルケ。彼女は一体どこまで本気なのだろうか。


「あんたの気持ちの真贋を見極めることは出来ないが――」


「何度でも言うわ。本気よ、わたしは」


「…………人違いじゃないとしてもだ、それはずっと昔の記憶だろ。俺に縛られる必要なんて何もない。あんたには恨まれても、好かれるのはやっぱり納得できないんだ。だから――」


「そう、なら――」


 ふわっと風が起こった。頬撫でる優しい風は撫子の香りを鼻腔へと運び……少しして彼女の柔らかな唇が再び重なっていることに気が付いた。


「―――ン、んン!」


「なっ、何しているんだお前らッッ!!」


 はっ、離れない!?なんだこの抱擁の力は!!こんな人通りのあるところでこんなこと……いや、人目を気にしているよりもまずいことが。息が苦しい――


「ぷはあっ!うん!!」


「はあっ、はあっ……うんじゃないだろっ!窒息死させる気か?」


「でも幸せじゃない?違う?」


 ネルケにキスされたまま死ぬか…悪く――冗談はよしてくれよ、ダーウィン賞にノミネートするぞ。

まったく、十秒間呼吸しないことぐらい問題ないが、ネルケにキスをされ続けたままとか……あまり生きている心地がしないんだよ。


 改めてネルケが俺と目線を合わせた。今度はきりっとした真面目な視線だ。


「これでわかった?わたしはこのくらい本気なの。そのくらいあなたが好き。ええ、本当は二人についていきたいわ。でもそれはまだ(・・)出来ないから――いいえ、なんでもない、忘れて。でももう疑わないで、私があなたを愛していることだけは」


「わかった。あんたの俺への気持ちは本当だ」


「で、グラウの答えは?」


 答えと言われても――ずっとのらりくらりと躱してきたが年貢の納め時が来てしまったのか。まいったな、これじゃ告白じゃないか。そんな心の準備は出来ていない。なんだか俺とネルケの立場が逆なんじゃないかと思えてくるが……ネルケのような美人から思いを寄せられるのは光栄だが、しかし心の整理がついてはいない――よし、それを性格に伝えるには二文字で足りるな。


「保留、だ」


「今なんて言ったのかしら?」


「保留。先送りにしてくれ」


「……グラウ。優しいネルケ様も、怒ることはあるわよ?」


 ネルケの表情が凄みをましていく。え、そんなおかしなことを言ったか?


「いや、気持ちの整理も付いていないうちに答えたら逆に失礼だろ?もちろん悪いとは思う。でも互いを思うなら――」


「うふふふ、うふふふふ」


 何この笑い声、超怖いんだが!?ん?でも少しずつ表情が戻っていっている?


「グラウ……わかったわ。でも覚えておいて」


「ふう、理解してもらえたならよかった。なで、んだ」


 なんだか知らないが機嫌が良くなってくれて俺も安心――


「わたしだって必死に頑張ったの!恥を捨ててここまでいろいろしてきたの!!わたしこれでも生娘なのよっ!!それなのに何も返してくれないなんて……この怨は忘れないわ、グラウ。必ずその身体で払わせてあげるからねっッ!!」


「はあっ!?」


 満面の笑みに反した、殺気にも似た重たくのしかかるような愛情たくさんの言葉に、思わず背筋が凍ったかのように錯覚した。通りすがりのサラリーマンも笑っているし、買い物帰りのおばちゃんもくすくすしているし……はぁ。


「ネルケ、落ち着いてくれ。不甲斐ないとはわかっているが……」


「言い訳なんて聞かないわ♪こんな美人を保留、ううん振ったグラウさん♪」


 完全にネルケの気を悪くしてしまったようだな。勘弁してくれよ、不機嫌な女性の相手なんて慣れちゃいないんだ。


「許してほしいとは言わないが……減刑の余地はないのか?」


「うん♪その発言でむしろ罪が重くなったわね。これ以上墓穴を掘りたくないならもう何も言わないことね」


 もう取り付く島もなさそうだ。これじゃ後腐れ大有りの最悪な別れじゃないか。


「――蚊帳の外にされたことに関して憤りを感じているが……まぁ、今のはグラウが悪いな」


「俺の味方じゃないのかよ、ソノミ?」


 腕を組むソノミは俺を残念な目で見ている。いつもは俺の味方になってくれるのに、こんな時に限って……


「腰抜けだな、グラウ」

「や~い意気地なし!」


 なんで二人の女性に非難されているのだろうか。傍観者たちからの視線も痛い。旗色が悪すぎる。この窮地を脱する策は――ああ、もうこれしかないよな。


「はぁ……で、こんな形で良いのか、別れって」


「話題を無理やり変えようとしているけど乗ってあげる」


 気づかれたか。でもこの話題はもう終わりにしたい。疲れがどっとでてきた。


「まず、ソノミ。グラウをちゃんと守ってあげて。グラウはわたしにとって大切な人……でもあなたにとってもよね?」


「ふん!何が言いたいのか…だがわかっている。こいつの敵は私が斬る」


 ソノミが拳を胸にあてると、ネルケもうなずき納得した様子。そしてネルケが俺を向いた。


「グラウ。ソノミは――」

「任せておけ」


「うん。あえて言う必要もなかったかもね。わたしたちはまた会える。きっとそう遠くない未来で」


「予言でもするつもりか?」


「ええ、そして必ず――うふふ」


 にこりと笑ってそれからはにかむその表情は、たぶんこの世界で一番美しいものなのだろう。その笑顔を独占している俺は、世の多くの男性から恨まれても仕方ないだろう。


「それじゃあね、グラウ、ソノミ」


 ネルケが振り返り、そして俺たちとは反対の方向に歩き始めた。


「またな、ネルケ」


「ええ、必ずね」


 ネルケは背中で答え、そして人混みの中へと姿を消した。


「少し寂しくなるな」


 ソノミの声で我に帰った。ネルケが見えなくなってもぼんやりとその人混みを眺めていたようだ。


「帰るか、俺たちも。案内を任せてもいいか?」


「ああ。日本は私のテリトリーだからな。まずここからバスに乗って、それから――」


 ネルケ。あんたに会えたこと、とても光栄だった。またどこか、会える日を楽しみにしているぜ――


〈2122年 5月8日 5:12PM〉―?―


 夕暮れ時のビルの屋上。ベースボールキャップを被った男がスマートフォン越しに誰かと会話している。


「申し訳ありません、フーさん。ピオンさんを見失って……あぁ、有り難き幸せです。放免してくださるなんて。ピオン様の性格からすれば頑張った方、ですか?いえ、そんなことは――」


 男の声がぴたりと止まった。見下ろす視線の先――灰色の髪の青年と、黒髪の少女を見つけたからだ。


「ですがヒントは見つかったかもしれません。ええ、例の。流魂の妹と……例の――英雄の息子(・・・・・)です」


 男は通話をスピーカーに切り替え地面に置いた。そして足元のスーツケースの留め具を外し、中のパーツを手際よく組み立てていく。


「無理はしないように、ですか。了解しました…が、心配には及びませんよ。そのために俺は来たんですから」


 男は通話を一方的に切ると、組み立ての完了したスナイパーライフルのバイポッドを手すりに置き固定した。それからスコープを覗き込み、レティクルを対象に合わせるようにダイヤルを回す。まずは青年、それから少女。危険性が高い方から殺すのは鉄則中の鉄則。


 この距離ならば反撃の余地はない。そもそも気が付かれるはずもない。照準が正確に合った。後は引鉄を――


「――ねぇ、戸締りって大事よ。もしかしたら一般人が上がってくるかもしれないから」


 その艶やかな声に、思わず男は首を後ろに向けた。


 そして錯覚した。美の女神アフロディーテがそこにいるのではないかと。


「見られたからにはただじゃおかないが……お前のような女を殺すのももったいない。少しそこで待っていろ。今終わらせる」


 その言葉を聞きクリーム色の髪をした彼女は――不敵な笑みを浮かべた。


「ねぇ、どうしてその人を狙っているの?」


「お前には関係ない」


 男は再び照準をつけた。そして背後から聞こえてくる誘惑的な声を無視し、引き金を――


「っ!?」


 引いた。しかしおかしい。弾が発射されない。脳は確実に引いたと認識している。ライフルが壊れているのか?そう思って引鉄に目をやってようやく気が付いた。そこに自らの右手の人差し指がぽとりと落ちていたことに。


「ぐうっッ!!」


 それを意識したことで激痛が男を襲った。耐えがたい痛みに、思わずライフルを落下させてしまう。そして思考を巡らせる。いったい何が起きたのか、何故指が切断されていたのかを。しかし答えにはたどり着けない。かまいたちは実際にはその人間の生理学的現象だという。そんな偶然がいきなり起きたとは考えずらい。自然現象でも、自分の要因でもないとすれば――


「お前が……」


 至る結論は彼女だった。


「ええ、そうよ」


「……異能力者ってことだよな?風とか、それこそ本当に真空……いや、違うか」


 彼女が右手に持つそれを見て、男は理解した。今もなおナイフからは赤い液体が滴っている。それは自分から流れ出たものなのだろう。


「あなたが狙った人はね、わたしの大切な人なの。だから――」


 そこで男のは終了した。その先の言葉はただ、夕暮れの中に消えていった。


 ドレスを纏う一輪の撫子のヒールの下を、赤い海が広がっていく。そのことを気にしないで、彼女は手すりに駆け寄る。二人は無事バスに乗った。これから二人は飛行場に向かい、空の旅に数十時間をかけて拠点に帰るのだろう。


「――ネルケお嬢様」


 凛とした声に、彼女は振り返った。


「ああ、フローラ。わざわざ迎えに来てくれなくても構わなかったのに」


 彼女はバスが去っていくのを見届けてから、メイド服の女性からタオルを受け取り、それに顔をうずくめた。


「ネルケ様、法というものをご存知ですか?」


「いきなり何を言い出すのかしら?」


「……むやみやたらに人を殺すのはお止めください。日本は法治国家です。殺人は――」


「わかっているわ。でもね、この男は仕留める必要があったの……今日、ここでね」


 そう告げ、ネルケはフローラの横を通り過ぎていく。フローラはため息を吐き、自らの主の背中を見た。


「後片付け、頼んでいいかしら?」


「はい。掃除はメイドのたしなみです」


 それから彼女は歩き始めた。彼女の日本における用事はこれにて一通り片付いた。しかしこれから先はより忙しくなる。なんせ彼は有名になったから。そしてあの集団も動き出すから。


 ネルケは空を見上げて独り言ちた。


「今度こそはあなたを守って見せるわ、グラウ。そのためならば何でもするわ。この身がボロボロになって、灼熱に焼かれても構わない。そして……例えあなたを裏切ることになったとしても、わたしは――」

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