第0話 その鷹は灰色をしていた 中編
灰色の青年が扉を開けた先には、ブロンドの髪をした執事服のオプスが待ち構えていた。
「あの人数を、お一人で倒されたのですね」
オプスは扉越しにすべての音を聞いていた。彼が五人の攻撃を防ぎ切ったこと。彼が攻め手に移ってから一瞬で五人の仲間を葬り去ったこと。そしてサングラスの男の最期の言葉も。彼は全て把握していた。
「あいつは何処だ?」
灰色の髪の青年はまるでオプスの話など気にはしていなかった。彼は辺りを見回すも、どこにもマキアルの姿はなかった。
「逃げた、か」
オプスに聞くまでもなく青年は結論付けた。そして再度部屋を注意げに見始めると、本棚に視線を集中した。
「ここは二階だ。あの小太りが飛び降りるには高すぎる。なら考えられるのはどこかに隠し通路があるということ。違うか?」
図星だった。彼の言う通りこの部屋には万が一のためにと地下駐車場まで続く通路がある。そして、青年の視線の先、まさに本棚から先に通路があった。
オプスはそれを悟られないようにと表情を変えずゆっくりと首を横に振った。
「まぁ、あんたが邪魔しないでくれたら答えはすぐにわかるが」
「あなたの好き勝手にさせるわけにはいきません」
気丈に振る舞うオプスの瞳には強い意思があった。他の仲間がやられた時点で、自分が最終防衛ライン。自分が止めなければこの男はマキアルの元へ行く。それはなんとしてでも防がねばならない。
「ところで……」
改まってオプスは続けた。
「いったいあなたの目的は何なのですか?盗賊の類ではないですよね?他のマフィアの刺客とか何か――」
「適当に話をつないで時間稼ぎをしようとしている。違うか?」
「…………」
オプスは思わず息をのんだ。まさかこの青年には自分の考えが読めているのか。いいや、そんなわけはあるまい。
「その通りだろ。動揺を隠しきれているとあんたは考えているようだが……今、目を擦っただろ。それはあんたにとって望ましくないことが話されているときにする動作の一つだ。何、自然なことだから、意図的に押し隠そうとするのは大変だぜ?」
オプスがはっ、と気が付いた時には、確かに無意識のうちに右手で目をこすっていた。
オプスがそれ以上思考が読まれないように沈黙していると、青年は先ほどの問に答えた。
「俺の目的は別にこの屋敷の人間全てを殺害しに来たわけではない。俺のターゲットは一人。今しがた逃げ出したあんたらのボスだ」
やはりそうか。おおよそ見当はついていた。先ほど青年は五人を無視してその先にいるマキアルの肩を狙っていた。だとすればこの青年は――
「なら何故あの時撃たなかったのですか?」
「殺せないからな、肩を撃っても。無駄に撃ちたくないんだよ」
それから会話は途切れた。どちらが先に動きだすかが重要だった。オプスは先ほどの一件もあり警戒を大にしていた。青年もまた、ほんの数回の瞬きしかしないでいた。
「あなたの異能力……先ほど問いかけには答えてはいなかったようですが。銃弾を自在に操る、そんなところですか?」
沈黙を破りオプスは訊ねた。サングラスの男の時とは打って変わって青年はそれに答える。
「半分正解で半分外れと言ったところか。俺の異能力はそんなたいそうなものじゃない。もっと面白みもないし、特異性もない。そしてきっとあんたの異能力なんかよりよっぽど弱いぜ」
「流石にばれていますね……」
死人に余計なことをいったなと責めるつもりはない。しかし自分が異能力者であることを何故明かしたのか。その理由はわからないこともなかった。
オプスはマキアル以外の他の仲間たちに嫌われていた。ただ異能力者であるというだけで。もちろん表立って彼らから罵られたり、暴力を受けていたわけじゃない。しかしマキアルや自分がいない酒の席で――オプスはたまたま聞いてしまった。「オプスがいなければ」、と。異能力者という圧倒的な力を持つ存在のせいで自分たちの昇進は頭打ち。これからの壮大な計画が実現していく中で異能力者が増えれば自分たちは切り捨てられるかもしれない。そしてマキアルも、いずれ異能力者によってクーデターを起こされて――それは彼らの、正真正銘の本心だったのだろう。彼らは自分たちの実力でのし上がっていた。その拳や銃を使って死に物狂いで。対してオプスは異能力者であるというだけでマキアルの右腕に。彼らが不公平を感じていないわけがなかった。本当は否定したかった。自分は好きで異能力者になったわけじゃないと。そしてこの忠誠心は他の仲間たちと変わりはしないと。でもその時オプスは何もしなかった。マキアルにそのことを話すこともなく、心の奥深くにしまい込んでいた。
「逆に聞きたいんだが、あんたの異能力はなんだ」
オプスはその問いにあえて言葉で答えようとはしなかった。その必要もない。もうすぐ彼にもわかるだろう。
この目の前にいる青年の実力は計り知れない。異能力を全力で行使しなければ即座に敗北するかもしれない。
オプスは目をつむり両手を背中に回し、背中に隠し持っていたナイフをすべての指の隙間に挟み込み引き抜いた。それからそれを正面にもってきて、空中に放り投げた。ナイフは重力に従い地面に落下――する寸前でバウンドするかのように跳ねた後に浮遊した。
「それがあんたの異能力か」
オプスの正面で輪を描く八本のナイフ。オプスが右腕を持ち上げる動作をすると、今度は横並びにナイフが並んだ。
「あなたをここで仕留めます。決して容赦はしません」
オプスは目をカッと見開き青年を見つめた。青年もまた、腰のホルダーから銃を引き抜き臨戦態勢に移った。
「ああ……あんたには悪いが、押し通らせてもらうッ!!」
バンバンッ、と立て続けに二発。狙うはオプスの心臓。正確無比の弾丸。
―――しかしそれはオプスのナイフにより弾かれた。
「射撃が通用すると思わない方がいいですよッ」
攻め手は即座に切り替わった。まるで指揮者のようにオプスが腕を振るうと、八本すべてのナイフが青年に照準をつけ、一斉に放たれた。襲い来る八本の刃。しかし高速で動く銃弾を撃ち落としてきた青年にそれを狙えないわけがなかった。正確に狙いをつけ、左右合計八回の射撃。どれも命中。だが――
「ちいッ!」
その刃は止まりはしなかった。銃弾を食らったことでその進路は少しづれても即座に軌道修正。青年めがけて束となって直進をする。
まさに皮一枚のところで青年は身を翻し、並ぶナイフの猛攻を躱す。
「この程度じゃありませんよ!」
その声に青年は後ろを振り向いた。
八本の刃は、向きを変えた後今度は個々となって青年へと向かっていた。
「悪い冗談のようだなッ!」
それを避けきれないと判断したのか青年は振り向きざまオプスに向けて射撃。そのナイフの主を殺してしまえばすべてが終わる。
そう考えていることはオプスにもお見通しであった・
それからすぐにキン、と甲高い金属音がなった。
「冗談きついぜ……」
青年は深くため息をついた。オプスの周りに浮かぶ八本のナイフ。それは自分を狙っていたのは別物であった。オプスは合計16本のナイフを思うが儘に操っていた。
無数の刃が青年を襲う。青年は持ち前の身体能力を活かし、なんとかひらりひらりと躱していく。
しかし一方的であることは明白。次第に青年の動きも鈍くなっていき、二本のナイフが彼の薄皮をめくった。それから立て続けに五本が腕や足を抉る。そして一本のナイフが青年の右足の太ももに突き刺さった。
「くっ……」
青年はその場にひざまずいた。そしてナイフを引き抜こうとした。しかし抜けない。それはただのナイフではない。オプスの支配下におかれたナイフであったから。
みるみる血が流れていき、カーペットが赤に染まっていく。青年は脂汗を浮かべ、自らの周りを飛び交うナイフと突き刺さったナイフと視線を行き来している。
「ここまでですね」
オプスは青年に詰め寄った。
正直大したことがない。そう感じていた。青年がここまで進んできたのは運が良かっただけなのかもしれない。もちろん銃弾で銃弾を撃ち落としたのはすごい技術だった。しかし――
「ああ、そうみたいだな」
青年は苦痛に満ちた顔を浮かべ自分の発言を肯定しながらも、何かを隠しているように見えた。その何かの正体はわからない。だが、どう考えてもオプスが優位にいることが覆りようはないはず。
「なぁ、あんた。一ついいことを教えてやるよ」
どうせ苦し紛れの捨て台詞だろう。それを聞いたら彼を殺そう。そうしてマキアルの元へ行く。この青年がもたらした損害は計り知れない。明日からの計画を大幅に変更する必要がある。さてどうしようか――
「動かなければ、あんたは勝っていたぜ」
「!?」
青年が腕を振り上げ天井めがけて一発放った。否、何もない天井を彼は狙ったわけじゃなかった。その銃弾がぶつかったのは、シャンデリアの付け根。
「えっ」
ガシャリ、と音を立ててからシャンデリアが落下するまでわずか数秒。オプスは避けられず多くの装飾が施された巨大なシャンデリアの下敷きとなった。
「うっっと、ふう……」
青年は辺りを飛ぶナイフが地面に落ちたことを確認すると、太ももに突き刺さるナイフを一思いに引き抜いた。そしてボディバックから包帯を取り出すと、簡易的に止血処置をした。
それから足をひきずりながら、下半身が動けなくなったオプスの前に立った。
「はじめからこれを狙っていたのですか?」
「偶然だ。あんたがその位置じゃないところから俺に止めを差していたら、俺は死んでいたよ。あんたは攻防の両方を兼ね備えていたから厄介だった。それに俺の攻撃手段は通じないから相性が悪かった」
「でも結局あなたは勝った……」
オプスはもう既に下半身の感覚を失っていた。ぼんやりと、ただ青年を眺めていた。
それと同時に脳裏にこれまでの記憶がリフレインしていた。
異能力が発現したのは七歳のころだった。その日は家族三人で旅行をしていた。そしてディナーの時。並べられたフォークやナイフをいじっていた。そうしているうちにナイフを落としてしまった。母親がそれを拾い上げようとしたとき、それは浮かび上がった。その一本だけでなく、父親のナイフも母親のナイフも。その空間に存在したナイフが一斉に浮かび上がり、まるで暴れるかのように動き始めた。レストランは阿鼻叫喚。予測不能な動きをするナイフは人を切りつけ、突き刺し――他人も、父親も母親も気が付いた時には死んでいた。ただ一人自分だけはなぜか生き延びた。そして警察に引き取られてそれが自分のしたことだと告げられた。
自分が両親を殺した。いやそれだけじゃない。数多くの名前の知らない人たちの命さえも奪った。絶望だった。どうしようもなく悲しかった。
それから親戚の家に引き取られた。その一件は親戚のみならず、転入した学校の生徒も当然ながら知っていた。あのころの自分にとって味方は誰一人いなかった。みんな自分のことを恐れ近づかない。孤独だった。寂しかった。辛かった。そして耐えられなくなって一人で逃げ出した。
どこまで歩いたのだろうか。そこはどこだかわからない場所だった。ほの暗い路地裏。いつもだったら寝ている時間。親戚の家に帰ることも、帰ろうともしなかった。
もう寝ようと思った。永遠に。きっと自分は望まれない子だったのだ。生きていても誰も喜ばせることが出来ない。それならばいっそ――
そんな中、とある小太りの男性が通りかかった。
「坊主、こんなところで何をしてやがる」
その男性は恐ろしい顔をしていた。優しさとは無縁そうな男。でも男は、何故か自分をに食事を提供してくれた。寝る場所を与えてくれた。そして居場所を――生きる意味を与えてくれた。
マキアルは自分にとって恩人だった。彼はたくさんのものを自分に与えてくれた。だからその恩返しを、せめて彼の命尽きるその時まで、彼のために全身全霊を尽くそう。そう決心していた。それなのに――
「どうしても……どうしてもあなたはマキアル様の命を…」
最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。もう景色が白く濁ってきた。
「それが俺の仕事だから、あんたの願いは叶えられない」
青年を止めようと必死に手を伸ばした。しかしそれもむなしく、ぱたり、と力の抜けたオプスの腕がカーペットへと落ちた。