第3話 泣いた青鬼 Part8
〈2122年 5月7日 8:55AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約28時間〉-ソノミ-
「はあっ、はあっ・・・・・・」
公園を飛び出し、高層ビルの陰まで来たが・・・本当にここまで逃げてきたのは正しかったのだろうか。
「兄様・・・・・・」
あのピオンという女、まるで腹の内に悪魔を飼い慣らしているように見えた。兄様が危険と判断し私を逃がしたことからも、あの女は相当な手練れとみえる。兄様はお強い。しかし私は兄様の肩を負傷させてしまった・・・・・・
兄様は私に逃げろと仰ったが、あの場に残って、兄様と戦った方が良い選択だったのではないか?もちろん足を引っ張るかもしれないが、一対一よりも一対二の方が有利に決まっている。そもそも敵に尻尾を巻いて逃げるなど、御都家の信念に反する・・・いや、そうじゃない――兄様を放って逃げるなど、一体私は何のためにここまで来たというのだ!
そうだ。今からでも遅くはない。兄様の元へ戻ろう。まだ兄様から全てを聞いたわけじゃない。あの女を排除して、兄妹水入らずで話し合おう。
※
嫌な予感は的中する。そんなスピリチュアル的なことは信じない人間のつもりだ。でも、もしそう予感したことがこの結果をもたらしたというのなら、私は自分を憎まずにはいられないだろう。
ピオンの足下に倒れているのは――
「兄様っ・・・・・・」
嘘、だ。嘘だ、嘘だ、嘘だっ!負けたのか、兄様が?そんなわけはないっ!兄様があんな小娘風情に後れをとるわけがない。くっ――
「貴様ぁァァァっッッッッッ!!」
身体が動いていた。何も考えない、考えられない。ただピオンへと駆け、踏み込み、薙ぎ払う。
「おっと」
ひらり、と身を逸らし避けられた。だがこの程度では終わらない――
続けざまに、縦に、横に、そして突き。どれもこの華奢な女を仕留めるのに十分な一撃。それなのに、どうして当たらないっ!
「ねぇ、妹ちゃん。素直にお兄ちゃんの言うことを聞かなかったのはなんでかな?」
「貴様に語ることは何もないッ!ここで、斬るッッ!!」
「そう」
「!?」
視界から・・・消えた?刀を振り下ろす寸前までそこにいたはずなのに、一体どこへ――?
「兄妹揃って間抜けだねぇ。まぁ、しょうがないよね。ボクの異能力は最強だから」
後ろ?振り返り見る。っ!街灯の上、ちょこんとすわって足をばたつかせるドレスの少女。
いったいどうやって?それが異能力だということか。だとしたらネ、ルケと同じ高速移動?いや、彼女のそれはまだ残像を追うことが出来た。しかし、ピオンは刹那の内に視界から消えた。いや、私が先ほどから仕留めんとしていたのは幻影?あるいは――
「良いことを教えてあげるよ、妹ちゃん。お兄ちゃんも言ってたけど、ボクたちには関わらない方が良い。これ以上、何も失いたくないならばね」
「兄様を気安くお兄ちゃんなどと・・・っ、もう私には失うものはない。貴様は殺す。私の手で、地獄へ送ってやる!!」
「ふはははっ!それは面白いね。その身の程知らずなところ、嫌いじゃないよ。でも、今キミと戦うつもりはない。観るって決めたからね。だからキミの相手は――」
「ッ!?」
突如として背後から鋭い殺気を感じ、前方へと回避。ゴンッッ!!とけたたましい音が鼓膜を震わせた。振り返り、見えた地面は円の形に抉れていた。そして破壊の一撃を放ったのは――
「兄様・・・・・・なんで、ですか・・・?」
先ほどとお変わりのない姿。しかし様子がおかしい。身じろぎを止めず、何かぼそぼそと話していらっしゃる。それに白目が黒く濁っていらっしゃる。
「ガアッ!」
「っ!!おやめ下さい、兄様っ!」
私めがけて放たれた一撃をしゃがみ、回避した。それからバックステップを連続で五回。兄様と距離を取る。
私の呼びかけにも答えてくれない。まるで聞こえていないかのよう。状況から判断するに、あの女が何か――
「鬼、化」
「っ、兄様っ!?」
兄様が腰に括り付けた紐を引きちぎり、赤鬼の面を顔につけた。
それと同時に赤い閃光が空から兄様へと駆ける。光のまぶしさに、兄様が見えなくなる。やがて光は薄くなっていき、兄様の姿が確認できるようになった。
兄様の頭から足までを覆い隠す赤い甲冑。顔につけた赤鬼のお面が相まって、その姿はまるで紅の武者。
鬼化。それこそが私と兄様の異能力。その身体に鬼の力を宿し、数多の攻撃を防ぐ甲冑を身に纏う。
「どう・・・して・・・・・・」
言葉が出なかった。兄様から激しい殺意が向けられている。先ほどはそんなことは無かったのに。
「はははっ!と、言うわけだよ、妹ちゃん。大切なお兄ちゃんが、キミを殺そうと襲いかかってきているよ。どうする?これでも流魂は強いよ?」
「そんなこと、この私が一番良く知っている、くっ!!」
身体の震えが止まらない。今の兄様は理性を欠いた本物の鬼のよう。相対するだけで背筋が凍りつく。
兄様に背を向ければ命はない。このピオンという女に構っている余裕はないようだ。
「貴様は必ず葬る。私の手でなッ!」
「ふん、いいよっ!待っているから。でも、まずはお兄ちゃんを倒してから、ね」
「逃げるなよ、小娘が」
一度睨みつけてから、兄様へむき直った。
「兄様・・・・・・・・・」
私はどうすれば良いのだろうか。私は兄様をこれ以上傷つけたくはない。しかし何もせずいることも出来ないだろう。目の前の赤鬼が兄様であるのは確かだが、纏うオーラは混沌として別人のよう。取り戻せるのだろうか、元のお優しい兄様を。
いいや、悩んでいる場合じゃない。どうなるか、結果など後からついてくるもの――
「兄様・・・私は、あなたの妹として・・・・・・斬るッッ」
※
距離を一気に縮め、勢いを利用したまま斬り込む。
「はああああぁァッッッ!!」
甲高い音が響く。防がれることはわかっていた。だから先を見越して――
「ゥガアっッッ!!」
「なっ!?――――――うっっッ!!」
身体が宙を舞う。
私の攻撃を防いでから、カウンターが繰り出されるまで秒もかからなかった。
超人的な反射速度の理由、鬼化の異能力は感覚を鋭敏にするため――
「ぐうッっ!」
水切りのように地面を跳ね、ベンチへと叩きつけられる。直前で受け身を取っていたとはいえ、衝撃を抑えきることは出来なかった。臓器がひっくり返ったかのような感覚。なにかが逆流してくる。口をおさえ、それを押し戻す。
今回は直撃を免れたが、次もそう上手くいくとは思えない。やはり、今の兄様に追いつくには・・・・・・私も使うしかない、か。
刀を左手に持ち替え、右手で青鬼の面を取り外す。そして顔に当て――
「鬼化っッッ!!」
叫んだ。
青い閃光が駆ける。光はまばゆき輝きと共に、確かな重みに変わっていく。そしてまもなくして、私の身体は青き甲冑で覆われた。
今の自分の姿は見えないが、兄様の赤鬼に対をなす青鬼のようだろう。
「はあっ、はあっ・・・・・・」
鬼化の異能力は体力の消耗が激しい。そう長く、この甲冑を顕現し続けることは出来ない。本来ならば身体が限界を迎え、鬼化は自然に解除されるものなのだが・・・兄様はそれを維持し続けている。もちろん兄様は優れた武人。私以上に鬼化を使いこなせるのだが、それにしても奇妙だ。鬼化をしつつ長期戦をするなど、いくら兄様でも身体が耐えられないはず。
「兄様・・・・・・終わらせてみせますッ!」
一息ついて、そして駆け出す。
鬼化を続けられるのはせいぜい2分程度。その内に兄様をどうにかしなければならない。
「斬るッ!!」
正面から背後に回り込み、一刀に全身全霊をかける。
「グァァ!」
防がれ、つばぜり合いになる。しかしカウンターの隙を与えないぐらいには圧をかけている。
「一気に押し込むッ!!」
刀を引き、次に右側へ瞬時に移動。斬りかかる。
「ガアッ!!」
これも通じぬか。
どれも、あと少し、もう少し私が速く動けていれば決め手になったはず。まだ私は、兄様に追いつけていないのか。いいや、今は信じるんだ、兄様の妹である自分自身を!
「これで、終われぇぇェェっッッ!!」
斬って通じないならば、突く。致命傷にはならない腹部を狙って放った。
「グウッッッ!!」
よし、通じ―――
「ウッっ・・・ソノ・・・み・・・」
「っ!!?にいさ――ぐぅっッ?!!」
腹部に、強烈な痛みが走った。ちらと視線を落とすと・・・兄様の刀が、私に突き刺さっていた。
「ぐはっ、うっ・・・」
刀が引き抜かれると同時に血が逆流して、喉を通り口の中に。その激流に耐えきれず、地面へと吐き出す。どろっとした私の血が、草を赤に染める。
痛みに耐えきれず、その場に膝から落ちる。鬼化も限界を向かえた。
死にはしないだろうが・・・これはもう、動けそうにない・・・・・・
「兄様・・・・・・なのですか?」
見上げる赤鬼に兄様の面影は見当たらない。それではあの声は、私の弱さが、兄様への躊躇いが生んだ幻聴なのだろうか。
刀が振り上げられ、私めがけて放たれる。
「兄様・・・・・・」
ここで、終わるのか。ずっと兄様に会いたかった。でも、こんな形で別れることになるなんて・・・・・・
ああ、馬鹿だな、私は。兄様はお強いとわかっていたじゃないか。それなのに自分の力量を見誤って、兄様に挑むなんて。これじゃあ、あいつらに笑われる――
銃声。銃声。銃声、銃声!
「っ!?」
「グッ、グゥッ!!」
兄様が後ずさりしていかれる・・・・・・銃弾を防いで――まさか!?
「――その人は、俺たちの大切な仲間なんでな。失うわけには・・・いかないんだよッ!」
そんな、どうして・・・どうして私を追ってきたんだ、グラウっ!




