第3話 泣いた青鬼 Part7
-ソノミ-
「僕の負け、か・・・」
私の刀の切っ先が、兄様の首元に触れていた。あと少し、ほんの数コンマ遅れていたならば、先に兄様の一刀に敗北していただろう。
「兄様・・・・・・」
諦めきった顔を浮かべる兄様を見て、私は刀を納めた。兄様もまた、刀を鞘へとしまった。何も持たぬまま、私たちは向き合う。
「苑巳、強くなったね。妹に抜かれるとは・・・兄失格だね」
「そんなことはありません!兄様は立派なお人です!!」
「君の・・・いや、僕たちの家族を奪ったのはこの僕に他ならない。それでもかい?」
「・・・・・・」
言葉が上手くでてこなかった。
私は兄様を恨んでいるのだろうか?それを否定することは出来ない。父様を、使用人たちは兄様により殺された。でも、兄様は私の唯一血を同じくする存在。憎もうとしても憎みきれない。全てが解き明かされるまでは。
「苑巳、君には僕を殺す資格がある。僕は君の全てを奪った悪魔だ。君に殺されるなら何の後悔はない」
「そんな!兄様を殺すなんて、私には・・・無理です、絶対に!」
「苑巳っ!」
兄様に手を引かれ、その肩に抱かれる・・・温かい。それに陽だまりのような落ち着く匂い。ああ、懐かしい。昔は良く、兄様にこうしてもらっていたんだ。
「本当に良い妹だ・・・・・・だからこそ、君を巻き込みたくはなかったんだけれどね」
「兄様・・・?」
巻き込みたくない・・・兄様のこれまでの口振りからするに、兄様は何かに巻き込まれているのだろう。そしてそれを一人で背負い込んで、私から遠ざけようとしてくれていらっしゃる。
「苑巳、僕もあの頃に戻りたいよ。父様がいて、苑巳がいて。それが僕の幸せだった。それは決して嘘じゃない。僕の本心だ」
「では・・・なんで・・・・・・なんでみんなを・・・・・・・・・」
あれ・・・おかしいな。目頭が熱い。声も震えてしまう・・・私、泣いているのか?泣かないって、決めていたのに。
兄様が背中をさすって下さる。ばれているのか。でも、ありがたい。
「――僕は、毘沙門の人間じゃない。毘沙門じゃない、他の組織に所属している」
「他の組織・・・・・・?」
少し疑問があった。「御都家事件」の犯人が兄様であることは、捜査の結果判明していた。テレビ、新聞などを通して、事件は大きく騒がれていた。日本では未解決事件の犯人として指名手配されているはずの兄様が、日本政府の異能力者部隊の副将を務めていることに違和感があった。何か影で手回しがあった。そういうことだろうか?
「・・・その組織は――」
「いやぁ、すばらしいね、流魂っ!兄妹愛、見せ付けてくれるねっ!」
「?」
「っ、君は――」
兄様の背後から聞こえてきた子猫が喉をならすような甘ったるい声。私には聞き覚えがないが、兄様は聞き覚えがあるらしい。
兄様の手が離れていく。兄様はその声の主へと振り返り、私をその声の主から隠すようにと立ち塞がった。
ちらと見えたのはピンク色の髪だった。左目は赤色、右目は青色。光彩異色症なのだろうか。ネコのようなくりっとした大きな瞳。彼女が着ているのはまるで西洋の物語に登場する姫様のような、フリルやレースがふんだんにあしらわれた白とピンク色のドレス。俗にロリータ・ファッションというものだろう。こんな戦場に似つかわしくないように思うが・・・
「ピオン。君はここに来ないはずじゃないのかな?君たちはこの戦いに――」
ピオン。この少女の名前なのだろう。兄様が言い終える前に、ピオンが割って入る。
「ねぇ、流魂。結界って良い所だと思わない?何もかもがうやむやになる。何人殺そうが、どんなにバラそうが……それが明るみになることはない」
「何を言っている、ピオン?」
「わからない?キミはそんなに察しが悪い人じゃないだろ、流魂。ボクはね、用済みになったオモチャを処分しに来たんだよ!」
ピオンが目を見開き悪魔のように笑い始めた。この状況、静観している場合ではないことは明らかのようだ。
「兄様、下がっていてください。この女、私が――」
一歩手前に出て刀に手を回した。
しかし、兄様が私の肩を掴み後ろへと下げる。
「苑巳、逃げろ。出来るだけ遠くへ。君の仲間たちのいる場所へ」
「っ!兄様っ?何故です!兄様は負傷していらっしゃいます。私は戦えます!私の力なら証明したはずではっ!?」
必死に訴えかける。それでも兄様は首を横にお振りになる。
「ああ。君がソノミか。キミのことも知っているよ。だって流魂が――」
「いい加減にしろッ、ピオンッッ!」
その怒声に私は驚いた。兄様はあまり感情を激しくされない。その兄様に、こんなに憤りを感じさせるなんて。このピオンという女、見て見ぬふりをするわけには――
焦る私の両肩に、兄様の手が触れた。
「苑巳、いいかい。君が今どこの組織にいるのかはわからないけれど・・・どうか闇の深淵には至らないで欲しい。深淵は世界を貪り喰おうとしている。彼らは息を潜め、その時を待っている。君には無事でいて欲しい。幸せになって欲しい。だから・・・どうか、ピオンたちには関わらないで欲しい」
「兄様、どういうことですか!?深淵って、この女は――」
「……いくんだ、苑巳」
「兄様っ!!?」
「いってくれ。さいごの、兄の頼みだっ!!」
「っ!!………」
私は駆け出した。そんなことを言われたら、従わざるを得ないじゃないですか!でも、本当に逃げだしていいのだろうか?そもそも頼みの綱はもうなくなってしまったのに――
〈2122年 5月7日 8:53AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約28時間〉-流魂-
「大好きな妹ちゃんを無事に逃がせて良かったね、流魂?」
「君に最後の家族まで奪われるつもりはない、ピオンッ!」
小悪魔、というのはまさに彼女のこと。いや、外面はそうであっても、その実内面は大悪魔。彼女は歪んでいる。頭のネジが十本以上外れているぐらいには。
「君は僕を用済みと言ったけれど、実験は既に終わったというのかい?博士は、五割程度しか進捗してないと数日前に言っていたけれど・・・・・・まさか、苑巳を――!」
「安心しなよ。キミにしか手は出していない。キミが生きている限り約束は守るよ」
安堵のため息が出た。良かった、苑巳にまで彼らの魔の手が差し迫っているのかと不安になった。でも――
「それじゃあ君はここに何をしに来た?オモチャ、それは僕のことだろ?処分、殺しに来たとでも言うのかい?」
「う~ん。どうだろ?」
顎に一差し指を宛がう所作はかわいらしいと思うが、ピオンがそれをしても何とも思えない。
「ボクが博士から聞いた情報だと、あとはキミがいなくても実験は完結するんだって。それに被験者はキミだけじゃないし、博士もキミばかりに時間を割いてはいられないだろうね。曰く、キミは残滓だって」
そんな・・・博士は僕に嘘をおっしゃっていたというのか?組織の中で頼れたのは博士だけだったというのに・・・・・・裏切られたのか、僕は?
「そんな思い詰めた顔しないでよ、興奮するじゃん!」
「っ!?変態が!」
目をこれでもかと見開き、口角を吊り上げるピオン。まさに悪魔の笑みだ。ただの少女だというのに、恐ろしさに身体がすくんでしまう。
僕は彼女のことをよく知っている。彼女はイカれている。どこまでも非道で、残忍で、倫理観が欠如している。高笑いをしながら人を殺し、挙げ句の果てに亡骸を蹴り飛ばして遊ぶ。
「ほめ言葉だよ、流魂っ!先に言っておくね。これでも恩情があるほうだからね、ボクはキミを殺さない。キミとはかれこれ数年来の付き合いだろ?ボクだってキミを殺すのには抵抗がある」
そんなことは嘘だ。彼女はボクと同じ境遇に会ってきた友人を平気な顔で殺した。しかし引っかかることがある。ボクは、殺さない?
「キミは絞りカス。でもカスはカスなりに再利用出来るじゃないか。ねぇ、流魂。だからさ--せいぜいボクを楽しませてよっ!」
背筋がぞっと凍った。そして、ピオンが消えた。
目を逸らしはしなかった。ずっとピオンを見つめていた。それなのに視界から消えた。そうだ、これこそピオンの異能力――
落ち着け。気配を探るんだ・・・・・・・・・そこだッ!
「お・そ・い!ほんと、キミはあの頃から成長していないね」
「ぐうッ!?」
ボクの刀が届くよりも先に、ピオンが僕の首筋に何かを突き刺した。これは・・・注射針?
「このッッ!!」
「当たらない。誰の攻撃だってね」
反撃も失敗か・・・しかし、なんだか気怠い。視界がぼんやりとかすんでいく。
うん・・・街灯の隣。あれは・・・苑、巳?どうして、逃げたはずでは・・・…?
「おお、これは僥倖。毘沙門連中と、と思っていたけれど、より面白いものが見れそうだっ!流魂、ほら、キミがずっと守りたかった妹ちゃんだよ。はやく・・・目覚めなよ!ふふふ、あははははっっっっっ!!」
もう・・・だめだ、意識が--




