第3話 泣いた青鬼 Part6
-ソノミ-
私たち兄妹は、刀に運命を変えられ、刀と共に育ち、刀に救われてきた。御都家は戦国の世から続く武士の家系。時代に適応するために商いで収入を得ながらも、武士としての誇りは失うことはなかった。その受け継がれた魂こそ、刀に他ならない。
私が生まれてからまもなくして、母様は亡くなられた。母様は体が弱いお方だった。だから最期の命の灯火を私に託してくれたのだ。母様のお姿は私の記憶にはない。写真を嫌う人だったようでそのお姿を探ることは出来ないが、父様は私が母様に次第に似てきていると言っていた。忙しい父様に代わって、私を育ててくれた乳母たち。感謝してもしきれない。今の私がこうしていられるのは、彼女たちの世話を受けることが出来たから。父様・・・厳しいお人だった。十歳もいかない私に手を上げることさえあった。でも、その厳しさが私を育ててくれた。でもみんな、あの日に・・・本物の赤鬼のように暴れた、兄様によって殺された。
その日は月に一度兄様が屋敷に帰ってこられる日だった。高校の友人たちの放課後の誘いを断って、私は足早に屋敷へと帰宅した。いつも通り使用人たちと夕餉の支度をしていると、先に父様が帰ってこられた。父様は何か思い詰めたような顔をしながら、書斎へと進んで行かれた。時間になっても兄様は帰っては来られなかった。連絡も取れず、父様の一存で先に食事をとることとなった。その時の食事の味はいまいち覚えてはいない。兄様に会えない残念さが私の心の大部分を占めていたから。
それから皿洗いをすませ、自室に戻ろうとしたころ、遠くの方から悲鳴が上がった。知らぬ声ではなかった。ほんの数時間前、帰宅した時に言葉を交わした門番の声だった。私は急いで父様の部屋に駆けつけ、判断を仰いだ。父様は私に裏道から逃げるようにと言われた。私はその言いつけに従い、からだ一つで屋敷を出た。でも気がかりなことはたくさんあった。門番は何故あのような声を上げたのか、兄様が偶然そこに居合わせたりしていないのか、使用人たちは無事に逃げ出したのか、そして父様はどうされたのか。その時、引き返さなかったのなら、私は別の人生を歩んでいたのかもしれない。
踵を返し屋敷に戻ると、使用人が腹を抱えて倒れていた。それが腹痛の類いではないことは明らかだった。赤い海を、血溜まりを作りながらも、使用人は私に「逃げろ」と伝えてきた。最期の声は、未だに忘れられぬほどに鮮明だ。
許せなかった。どうして使用人がこんな目に遭わなければならなかったのか。そして誰がこんなことをしたのか。忠告を受けていたし、嫌な予感もしていたが、私は屋敷の中を進んでいった。
自室に戻り、刀を握り、向かった先は父様の書斎だった。しかしそこには誰もいなかった。あったのは血痕と、赤く染まった父様の愛刀。ぽつりぽつりと血痕は続いていた。その跡をたどっていった。殺された使用人は決して一人ではなかった。何人も何人も、謎の人物によって命を奪われていた。
侵入者が何者なのか、それをずっと考えていた。使用人も御都家に仕えるだけあって選りすぐりの人材。武術に長ける者が多かった。しかし亡骸を見るに侵入者は一撃で、刀でもって使用人を殺していた。そして書斎で見たとおり、父様にまでも、一太刀浴びせるほどの実力者。記憶にある限り、父様は兄様よりも強いお方だった。その父様を手負いにした人物に私が勝てるのか?そんな疑問をたてる前に、私は父様と――兄様に追いついた。
道場。しんと静まりかえった空間。父様はお腹を押さえながら壁に寄りかかり、仁王立ちする兄様を向いていた。今まで見たことのないように疲弊した表情で・・・最期の瞬間、兄様の名を愛おしそうに呼んだ。
私はその場に崩れ落ちた。目の前で起きたことが何かなど、私にはわからなかった。父様が死んだ。あの厳格で偉大な父様が。しかも屋敷の使用人たちを、父様を殺したのは兄様。頭が混沌とした。何を考えているか、自分でもわからなかった。絶望。それが私を支配した。体は動かなかった。目の前に兄様が来て・・・・・・刀を振り上げていることも、私は気がつかなかった。
赤い鬼がそこにはいた。お面には返り血がこびりつき、刀身は血を払っていなくぽたぽたと血を垂らす。纏う殺気は鬼気として、呼吸の余裕もそこにはなかった。私は諦めた。ここで死ぬのだと。何故こんなことになったのか、その理由を知らないまま私は死ぬ。そう受け入れていた。
でも私は生かされた。兄様の刀が振るえだしたことに私は気がついた。すると兄様は刀を納め、道場を去ろうとした。私は兄様を呼び止めた。しかし兄様は振り返ってはくださらなかった。
警察が駆けつけるまでの間、私は父様を抱き上げながらひたすら涙を流した。流せど流せど涙はこぼれ落ちる。警察に身元を確かめられ、状況を説明して・・・犯人についても尋ねられた。犯人なんて明らかだった。でも私はその名を口には出来なかった。それが兄様だとわかっていても・・・・・・唯一の家族となった兄様まで失いたくなんて無かった。
屋敷は黄色いテープに囲まて、私は居場所を失った。警察の人が身元情報から親戚を割り出し、親戚に私を引き取ってもらうように手配をしてくれた。でも私は首を横に振った。そして行き先は別にあると言って、警察の保護から抜け出した。
裏道を進んでいった先、小さな公園があった。月夜に照らされたベンチに座り、私は星空を仰いだ。ただぼんやりとしていた。どこにも行きたくない。私の家は屋敷のみ。みんなと暮らすあの屋敷こそが私の居場所。高校を卒業したら、父様の仕事の手伝いをしようとしていた。それからいつかは御都家を出て、別の姓を名乗ることになって、新しい家族を作って・・・・・・いつだか描いた将来のビジョンはただ空虚なものになった。父様を失って、兄様もどこかに行かれて、私に残されたのはなんだろうか。父様が築いた富?そんなものにすがろうという気力はなかった。だが真っ先に浮かんだのは――刀。それこそ私の生き方であり、御都家の魂そのもの。
涙はいつのまにか枯れていた。心は無だったが、魂の火が燃え始めていた。悔しさが、無念が、絶望が油になった。火はより激しく燃えだした。私は月夜に拳を突き立て誓った。もう一度兄様に会おうと。そして何故あの悲劇を起こしたのか問いただそうと。
私は日の光に照らされて生きることを止めた。兄様の情報を知るには、そうする他なかったのだ。表の世界での情報は兄様の輪郭さえも描かなかった。裏の世界に入ってから、こなす仕事は汚れたものばかり。気がついた時には日本を離れ、海外で人殺しの仕事を請け負っていた。そして何故かP&Lなんて組織に雇われ、情報を密かに集め続けていた。
これまでの人生、全てはあの日の真実のために私は戦ってきた。血を浴びて、血を流して、それでも私は生き抜いた。この瞬間こそ、私の有終の美とならんことを――
「がああああぁぁぁぁぁぁァァァァァァァっっっッッッッ!!」
「はああぁぁぁぁぁァァァっっっッッッッ!!」
刃鳴りはしなかった。刀を交わらせる前に、ことは決した。
「はあっ、はあっ、はあっ」
「はあっはあ・・・・・・」
勝ったのは――私だった。




