第3話 泣いた青鬼 Part1
〈2122年 5月7日 7:45AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約29時間〉―グラウ―
彩奥市の地図は頭に入っていた。故に最短ルートを描くことは出来たが、それを採るには至らなかった。ここは戦場。俺たちを含めて少なくとも6の勢力がこの外界と隔絶された空間の中にひしめいている。開けた道を堂々と歩いていくほどの自身があればよかったが、俺はそんな自信家じゃない。敵に見つからず、かつ決して遠回りになりすぎないルート。それこそがベストとは言えなくても、ベターなルートなのだ。
境内を出てからというもの、細い道を進み、時にはビルを飛び越え、なんとか市の中心部へと至った。しかしそこは、呼吸音をたてることすら躊躇われるぐらいに緊張が張り詰めた激戦地帯。毘沙門にWG、それと統一した制服を着てはいなかったが、あれはテラ・ノヴァの一団だったか。三つ巴の攻防がそこでは起きていた。当然異能力者もそこにいた。この世のものとは思えない怪物を出現させる異能力者に、砂嵐を巻き起こす異能力者、そして分身する異能力者……当然そこを正面突破するなどという選択はありえないものと切り捨てた。
だから俺は潜るというルートを採ることにした。この彩奥市には、隣接する市から続く地下鉄が走っている。それを辿っていけば、ビル街へと出れるという算段だ。
とは言え、地下鉄の構内に入るのにもひと手間要した。地下鉄への入口にはWGの兵士が固まっていて、下手に手を出せば増援を呼ばれる危険があった。だが、他に手はない。仲間を呼び出されるとすれば、兵士に隙を与えた時。それならば、即座に全員始末してしまえばいいだけのこと。案外造作もなかった。警戒心が薄く、練度が低かった。WGを買い被りすぎていたかもしれない。
地下鉄の構内は、非常灯を除けば光源がない。夜目が聞いていなければ、正直どこに何があるかわからないほどだ。もちろん、エスカレーターは動いていないし、改札が俺を阻むこともない。
ホームから先は、線路の上を歩いていく他ないだろう。こんな機会じゃなければ、線路の上を歩くなんて経験もしないだろう。列車が動いているときに線路侵入をすれば、立派な犯罪だ。
恐ろしいくらいに静かなものだ。それに暗くて、この道がどこまでも続いているのではないかと錯覚する……ん、ここにいる生物は俺だけじゃないようだ。暗い中でもそいつがカサカサ動いているのはなんとなくわかる。名前を出すのすら抵抗がある――Gが。
しかしソノミも上手いこと目的地まで進んでいるようだ。彼女の位置を、逐一確認していたが、彼女は止まることなく進んでいる。と言うことは、彼女は敵と交戦することなく進み、そしてまだ目的地にはついていないと予想できる。
果たしてどれくらい進んだだろうか。進んでいるのは確かだが、景色があまりにも変わらない。うん?あそこはやけに明るい……ああ、次の駅のホームに着いたようだ。ようやくだ。あそこの階段から地上へ出――
「――――通行、禁止ッ!」
「!?」
どこかから声……うん?足元に影……天井から、何かが落ちてきている!
その一瞬の判断を頼りに、地面を蹴り飛ばしその場から後方へと跳躍。そして間もなく、俺の数秒前までいた場所にギンと音をたて、落ちてきたのは……氷の杭?
「避けるなんてすごいじゃん、灰色の人!」
灰色の人、か。どう考えても俺のことをいっているのだろう。
聞こえてきた声は若い。ゼンと同等かそれ以下の年齢か?それにいったいどこの人間だ?WG?毘沙門?テラ・ノヴァ?まさかデウス・ウルト?
でも、俺の目が正しければ、どうやら候補に挙げた四つ以外が正解らしい。
「戦場にスーツで来るとは、少し舐め腐ってないか?」
視界にとらえた少年は色素の薄い金髪に、エメラルドのような瞳をしていた。紺色のスーツにスカーフというファッションのセンスには既視感があった。どこかのボスが、そんな格好をしていた。
「マフィア……テウフェル家の人間か?」
「いかにも!テウフェル家が次期当主、スクリム・テウフェル」
自身げに答える少年の表情は無邪気そのものだ。
「オレばっかり名乗るのもあれだからさ、教えてよ、灰色の人?」
「グラウ・ファルケ」
俺の名前を聞くと少年は小首をかしげ、頭の上に疑問符を浮かべる。
「グラウ・ファルケ、ね……それって本名?嘘吐いてない?グラウは灰色、ファルケは鷹。通り名ならわかるけど、本名って言われると、少し疑わしく思うけど?」
「さぁ、な。俺はこの名前しか知らない。もしも本当の名前があるとしても、もうそれは過去のものだろう」
「へぇ、なんかいろいろありそうだね、灰鷹」
少し小馬鹿にされている気もするが、少年が俺の名前に違和感を感じている理由もわからなくはない。ファルケは問題にしなくても、グラウは……あいつ、俺の髪の色を見て付けたって言っていたからな。まったく人の名前をなんだと思っていたのか…まぁ、語感は嫌いじゃないし、今となっては気に入っているけど。
しかし、見たところ一人のようだ。この少年が本当に次期当主というのならば、情報の通りに護衛が近くにいるはず。
「大マフィアの息子が、こんな危険な場所を一人で散歩していて良いのか?」
「うん?ああ、二人は今頃必死にオレのこと探しているかもね」
口振りからする護衛から逃げてきた、と言うことだろう。
「あれ、なんで呆れたような顔をしているの?」
「近頃の若いやつは、行方を眩ませるのが流行なんだと思ってな」
「うん?若やつって、灰鷹もそう変わんなくない?」
俺の意図するところは、流石に少年には伝わらなかったらしく、少年は目を細めている。
ゼンも、ちゃんと言うこと聞いてネルケと共に神社にいてくれれば良いが……それに――
「時間がない。そこを退いてくれ。急ぐ用事がある。護衛から逃げているなら、こんなところで油を売っているのは都合が悪いだろ?さっき攻撃してきたことは不問に付す。だから――」
「ふっ!」
一笑に付す、と来たか。好意的な反応じゃないな。少年は怪しげな笑みを浮かべている。
「ねぇ、灰鷹。この結界の内部って、異能力者にとって理想的な空間に思えない?」
「むしろこの世の地獄だと思うが?」
「ええ!?灰鷹もあいつらと同じことを……だってさ、灰鷹。オレたち異能力者は。表向きには異能力を使えない。日の当たるところで使えば、偉い人たちから『人間の敵』とかいうレッテルを張られる。でもさ、ここは違うんだよ。オレたちが本来備わった能力を存分に発揮できる。自分を曝け出せるんだよ!」
その声は興奮しきっていた。自分を曝け出せる、か。少年が言っていることも一理ある。俺たちは異能力を制限されている。異能力とは言うが、俺たちにとってそれは、呼吸をする、手を振る、歩く、走る……そんな日常の動作の一つである。通常の能力を大手を振っては使えないと考えれば、俺たち異能力者は肩身が狭い思いをしているとは言えなくもない。現に、テラ・ノヴァはそう主張しているわけだが。
「俺は別に、異能力に自分のアイデンティティを求めているような人間じゃない。使わざるを得ないから、使う。それだけだ。元から異能力がなかったなら、その方が良かった」
「ネガティブだなぁ……」
少年と俺は真逆のようだ。自分の異能力を誇りに思っている少年、いっそ無くても良いと考える俺。何れにせよ、異能力者二人が出くわしてしまったという事実は大きい。
相容れぬ者同士、会話は途切れた。沈黙が俺と少年に降りかかる。でも俺はこの沈黙を破らなければならない。
「もう一度言う――退け」
「ふっ、嫌だ」
緑の視線には、強い意思が見えた。俺を通すつもりはない。そう、瞳が語っている。
もう言葉は、状況を変えるための道具にはなり得ないようだ。
「かっこいい銃、持っているじゃん」
二丁の銃、向ける先は少年の頭。
「後悔は先に立たないって……教えてやるよッ!」