第2話 銃声が奏でるは開幕の調べ Part7
〈2122年 5月7日 6:12AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約30時間〉―ソノミ―
「寝ている、な……」
隣で横になっているネルケは、寝顔すらも可憐。しかし、口を開けばグラウ、グラウ、グラウ。少し前にグラウが私は性格で損をしていると言ったが……彼女の方がそうだろう。
でも当のグラウも、彼女に…キスをされて拒絶はしたが、本当に嫌そうな表情をしていたわけではなかった。どうせあいつも、本心ではこんな美人に好意を持たれているに決まっている。それに、私なんかより、ネルケの方がずっとグラウと――
いや、そんなことは今となってはもう関係ないか。私がこいつらと共に行動することも、もうこれっきりなのだから。
「兄様……」
団地の上でWGの兵士から聞いた情報が全て正しいのなら……兄様は、この結界の内側にいる。私の青鬼のお面と、色だけが違う赤鬼のお面。そんなものをつけて行動する人が他にいるだろうか?それに瞳の色も、髪の色も同じだなんて、もう兄様としか思えない。
「さよなら、ネルケ」
ゆっくり眠っていてくれ、ネルケ。お前と過ごした時間はわずかだが……本当に楽しかったぞ。同性だが、お前に魅了されてしまっていたかもな。グラウのこと……よろしく頼む。
扉をゆっくりと開き、音をたてないようにと小屋の外に出る。もう朝だというのに、結界の空の色は変わらない、暗い闇、差し込むのは青い光。兄様も、この光に照らされているのだろうか。
「ふう……」
覚悟を決めなければならない。境内を出るには、石段から降りていく他ない。すなわち――グラウとゼンの目の前を通っていかねばならない。彼らの声は聞こえないにせよ、もしかしたら起きている可能性がある。その場合、彼らをどうにかしなくてはならないか。
拝殿の壁に背中を密着させ、縁側の方を覗き込む。ゼンは…相変わらずすーすー寝息を立てている。グラウは……寝息の一つも聞こえやしないが、瞳を閉じている。寝ているんだよ、な?
「うん………」
近づいても反応しない。と、言うことは寝ていると断定しても問題なかろう。
P&L。もしここ以外の別の組織に入っていたのなら、こいつらに会うこともなかったんだな。ラウゼのスカウトがあったからこそ、私はここに居場所を得た。カタギの仕事ではなかったが、自分の力を発揮するにはこの道しかなかった。そうして私の目的は、こんな場所ではあるが達成することが出来るようだ。
ゼン。お前と私は猿と犬、水と油。お前のことは気にくわないが、その実力は認めていたぞ。紛れもない本心だ。お前の異能力があれば、どんな場所にでも侵入出来るだろうし、どんな人物も暗殺出来る。だが、お前は完璧じゃない。グラウに迷惑をかけてやるなよ。
グラウ……お前は、どうしてだろうな。どこも兄様に似ていないはずなのに……時々その背中を思い出させる。お前といると安心したんだ。お前は私の孤独を振り払ってくれた。この道の生き方を先に立って教えてくれた……感謝している。誰よりも、お前を。お前は私が知る中で、一番……兄様の次に強い人だ。お前なら、きっと成し遂げられる。たった三人で星片を奪取するという偉業をな。
「いこう」
名残惜しく感じるのは、私がまだ未熟だからなのだろう。仮の居場所だとずっと自分に言い聞かせてきたのに、今となってはこいつらを家族のように感じる。私にとって大事なのは、血の繋がった家族。それだけだと思っていたのに。
「はぁ……」
毘沙門の本陣。彩奥市南東のオフィスビル群。きっとそこに兄様がいる。もしも仮に兵士が言った人物が兄様でなかったとしても、私はここにはもう戻らない、いや戻れない。これは裏切りだ。こいつらを欺いて、私は本懐を遂げる。こいつらが優しい連中だからといって、その優しさにつけ入るような真似をするつもりはない。私はもう許されない、許してほしいとも思わない。だからもう、行かなくちゃ。
「さようなら、お前ら……」
石段を下ろう。誰も起きてこないうちに――
「大切な仲間の様子がおかしいことぐらい、気づくもんなんだぜ?」
「!?」
この声は……グラウ!なんで、寝ていたんじゃな――
「っ、お手洗いに行こうとしているだけだ。何を変なことを言っている?」
「残念。厠なら拝殿の左にある。ソノミ、さっき見てもいないのに後ろに小屋があること知っていたよな?ソノミは勉強熱心だからな、ミレイナさんからもらった壬生神社の地図、把握していたんだろ?それなのに、厠の位置を知らないわけないよな?違うか?」
名推理だ。流石はグラウ。侮れない。
このまま全力で逃げ出すか?それも一つの作戦として考えられうる。しかしこの男、身体能力の高さは私以上。数十段飛び降りることなど余裕だろう。逃げ出したところで追い付かれるのが落ちだ。ならば――時間を稼ごう。
「そんな悲しい顔をするな、ソノミ。お前には似合わないぜ、そんな顔」
「もとよりこんな顔をしている」
「違うな。自分の顔を自分で確認するのは、せいぜい鏡を見るか、写真を見るときぐらいだ。俺はソノミ以上にソノミの顔を見ている」
恥ずかしいことを顔色一つ変えず言うのだから……
しかし、先ほど私が近づいた時、寝ているように見えたのはフェイクだったのか。私が白か黒か見極めるまで、あえて目の前に立った時は動かなかったということか。
「いつ行動に出るか待っていたんだ。結構しんどかったぜ。眠らないでいるの」
横になってからの二時間ちょっとの間、こいつは起きていたのか。ということは――
「団地から戻ってから、お前の言う通りに友好的に接したつもりだったんだがな」
「それを見て、最初は素直に安心したんだぜ。ソノミの抱える問題が、そこまで大きくなかったって。でも寝る寸前に思ったんだ。本当は全て演技で、内側のものを隠そうとしているんじゃないかってな」
慣れないことをするものではなかったか。でも、半分は演技じゃなくて、自然体だったんだが。誰かと共に食事をするなど、もう数年していなかった。だから、こんな場所ではあるが、一緒に食事をするなんて、すごく楽しかった。
「ソノミ、一体あの兵士から何を聞いた?星片の在り処はついでで、ソノミにとって重要なことは他にあったろ?」
「ふん、お前にそれを言う道理はない。これは私の問題だ」
「ソノミ―――ソノミの問題は、俺たち全員の問題だ」
「!?……?」
何を言っているんだ、グラウは。私たちは確かに同じ組織にいる。仲間ではある。しかし結局は個人の連帯。特定の人間の問題は、その人間の抱えるものでしかないはずだ。
「仲間っていうのはそういうものだ。信頼し合って、胸の内を語れる間柄なんだよ。ソノミは優しいからな。自分一人で背負い込もうとするのはわかる。でも――頼れ、俺たちを!」
グラウ……そんなこと、そんなことを言わないでくれ。私は、私はもう決めたんだ!
「私は……お前たちを仲間だなんて思ってはいない!」
嘘だ。そんなこと、本心と真逆じゃないか。お前たちのことを家族だって思っているのに……でも、言えない。「一緒に行ってくれ」だなんて!
「ソノミがどう思っていようが関係ない。一人で行かせたりはしない。どうせ時間はあるんだ。作戦を変えることを躊躇うつもりなどない。他の二人だって同じはず――」
「黙れッッッ!」
私が叫んだことで、グラウは言葉を失った。どれくらいだろうか、沈黙が私たちを包み込んでいたのは。
「放っておいてくれ、私のことは。お前たちの目標は星片の奪取だ。それを邪魔するつもりはない。それとも、私がいなければ星片を奪取出来ないとでも言うのか?」
「……事実そうだ。だが星片のことはどうでもいい。仲間が目の前で苦しんでいるなら助けたいんだよ、俺はっ!」
ああ、本当に良い仲間だったんだな、こいつらは。目的よりも仲間を優先、か。まるで私とは真逆だ。だからこそ、私はここにいてはならない。彼らのやさしさに、溺れてはならないんだ。
「グラウ……あのおにぎりは美味しかったか?」
「突然何を?」
最善には最善を尽くさなければならない。そんなこともグラウは言っていたな。
「うまかったぜ。これまで食べてきた中で断トツで。一番に。」
「それはよかったな。もう二度と、私のおにぎりを食べなくてすむ」
だから私もそれに倣うべきと考えた。策は一つだけでは不安が残る。だから確実に勝てるように、策は重層的に仕込んでおく。
「……もう一回、いや何度だってお前の作ったおにぎりを食べたい」
「まるで告白みたいなことを。お前には、ネルケがいるだろ」
「ネルケは今関係ない」
無駄になるかと思えた策が、案外有効に作用することだってある。特に注意すべき人物に対しては、案外大胆にいくのもありなのかもしれない。
「………グラウ――もう、限界だろ?」
「……何が、だ?」
先ほどより、グラウの表情が険しくなってきている。確実に効いているようだ。
「お前だってもう気が付いているだろう?ただのおにぎりじゃなかったと」
「……………ああ、まさかとは思っていたがな。こんな異常なまでに眠さを感じたのは久々だからな」
本当に流石という言葉しかでてこない。グラウを欺くのは容易ではない。それはわかっていた。だから姑息と言われようが、人として見損なわれようが…それでも、私は手段を選んでなどいられなかった。
「憎め、嫌え、呪え、私を!私は優しくなんかない。私はお前らすら……仲間すら欺く最低なやつだ。見損なったろ、グラウ?私は外道だ」
「……外道、か。ふふ、いいじゃないか。俺もそうだ。なぁ、ソノミ。今俺は、ソノミを愛おしく思っているぜ。外道なら、外道同士仲良くやれそうじゃないか?」
何を言い出すかと思えば。ふん、この男は。
もういい。グラウとの会話を…続けたくない。
「じゃあな、グラウ」
「ぉい、待てよ、一人でなんか……ぐうっ……!」
足が地面についた音が聞こえた。でも、もうグラウの姿を見たくはない。振り返って彼をもう一度見たら、そんなこと思ってはいけないのに、彼らと…グラウと共に生きたいなんて、そんなどうしようもない思いに自分が壊れてしまいそうで。
「グラウ……もしかしら、私は、お前を――」
「ソノ、ミ………」
グラウの言葉が途切れた。ようやく、眠りに落ちてくれたか。
拾い物だったが、こうも役に立ってくれるとは思わなかった。睡眠薬。無臭でかつ無着色。味も隠せていたようだ。結局は気づかれてしまったようだが。
早く行かなくてはいけない。いつ彼らが起きてくるかはわからない。
「…兄様……今、会いに行きます!」