傷とマイナス・一
黒瀬は右ポケットに入れている使い慣れたナイフを取り出す。そのナイフは、たくさんの人を刺殺していたので、見た目は普通のナイフと同じように見えるが、本当は汚れているのだ。
この状況から、自分の命を落とさないためには、逃げるしかないと思った。さすがに四人に勝てるほど、強くないことは自覚している。
白銀は言う。
「さて、僕が今、姉の心中にある闇を振り払ってあげるよ」
聞いた黒瀬は、彼らがどのように行動するかわかってきた。白銀以外の三人は俺を殺そうとはしないだろう。多分、押さえるくらいのことはすると思うが、俺を殺すのは白銀の役目だ。黒瀬はそう考えた。
……よし。
黒瀬は白銀がいる方向とは逆の方向へ走る。そこには、白銀よりも大きな身体をしている男性がいるが、だからと言って強いとは限らない。
その男は、大根のように大きい腕を使って黒瀬を押さえようとした。だが、それくらいのことは予想できる。黒瀬は右手に持っていたナイフを男の左腕に刺してからナイフを抜き、走り続ける。刺された部分から出血し、着ている服に血が染みているのが一瞬だけ見えた。
「ぐっ……」
日常生活では出てこないような声を刺された男は口から出して、座り込んだ。
しかし安心はできず、他の二人の男性が黒瀬を挟むようにして追ってきた。白銀も黒瀬を追う。不利な状況は変わらない。そのときに、車いすに乗っている白銀の姉の姿が黒瀬の視界に入った。
賭けるような気分で白銀の姉のいる場所へ走る。そして、姉に近づくと、黒瀬は白銀に向かって言う。
「俺を殺すつもりならば、姉も殺すよ」
聞いた白銀は、目を大きく開いて、驚いたような表情をした。かなりの効果があったようだ。しかし、黒瀬が少し安心した瞬間、白銀の表情は狂ったように変わる。笑みを浮かべて、不気味な笑い声を口から漏らし始めた。
「な、何か変か?」
黒瀬が戸惑いながら訊くと、白銀が答える。
「人質か。仲間じゃない他人を使うとはね……」
そして続ける。不気味な笑みを浮かべ続けており、白銀を殺したくなるような気分にさせる。
「まあ、いい。原田。お前、銃の扱いが上手だろ? 殺さない程度に一発頼む」
原田は右ポケットから、小型の銃を取り出す。身の危険を感じた黒瀬は逃げようとした。そのときに、原田は銃を黒瀬に向けて一発撃った。パン、という音と共に激痛が黒瀬を襲う。電流が流れているような痛みだった。
それでも、走り続けなければ殺されることは確定されていたので、必死で逃げていた。右肩をハンマーで叩かれているような痛みが黒瀬を襲っていたが、それでも止まらずに走り続ける。
白銀たちは何故か追ってこなかった。九死に一生を得たような気分だった。
向かった場所は喫茶店だ。暗くてよく見えないが、誰かが立っている。それは水落だった。
彼女は、黒瀬が近づいていることに気づくと、顔を黒瀬に向けた。そのときに、彼女の少し暗かった表情が、変わり果てた世界を見たように驚いている表情に一瞬で変わった。
「肩……」
人差し指で黒瀬の右肩を指しながら、言った。
黒瀬は、左手で押さえていた右肩に目を向けた。出血していて、着ている服に血が染みていて、肩を押さえている左手にも赤色の血がついている。
痛みはまだ感じるが、病院に行くわけにはいかなかった。黒瀬について色々と調べられるし、銃で撃たれたということが知られると、日本中に被害者として黒瀬の名前が知られてしまう。そうなれば、仕事がしにくくなってしまうので、痛みが消えることを待つしかないと黒瀬は考えた。出血する量も少しずつ減っているし、耐えることはできるだろう。それくらいの精神力がないと、これからもこの仕事で自分の生活を支えていくことが難しくなっていくだろうし。
これはマイナスではない。将来的にはプラスになる。黒瀬はそう思いながら、先程、空き地で拾った『薬』を水落に渡した。