さらに狂う者・二
「えっと、本気で言ってますか?」
黒瀬がそう訊くと、水落は「本気」と真剣な目で言い切る。何を言う、この女。黒瀬はさらに訊いた。
「自殺すれば良い話では?」
「それができないから言ってるの」
自分で自分を殺す勇気が無いということか。そんな理由で依頼を出すのか、この女は。
「私、親が金持ちでね。一回、宝石をくれたの。それをあげるから。見て」
と彼女が早口で言うと、右ポケットから宝石を取り出し、テーブルの上まで右手を動かす。その宝石は彼女の右手の上で太陽のように輝いている。青く光り輝いているのでサファイアだろう。
彼女は金持ちらしいが、何でそんな人が自殺をするのだろうか。人間関係とかそういうのだろうか。
すると、彼女は右手をグーにして、サファイアを手の中に隠した。急にテーブルの上が暗くなったような感じがした。
「これでも、ダメ?」
水落は何かにすがるような口調で訊いてきた。表情にも不安のような何かが表れていた。
その言葉に応えてあげることにした。黒瀬は大声で店員を呼んだ。すると、奥から店員が走ってくる。
「ご注文は何でしょうか」
店員がそう訊くと、黒瀬は水落の顔を見る。
「何が飲みたいですか?」
黒瀬の問いに、水落は数秒ほどの戸惑いを見せてから「アイスコーヒー」と答えた。彼女が言い終えると黒瀬は、
「以上で」
と言った。
注文してから三十秒くらい経つと、店員はアイスコーヒーを持ってやってきた。そして、テーブルの上に置くと、また店の奥へと戻った。
それを確認した黒瀬は、目を水落に向ける。
「ねえ、どういうこと?」
その瞬間、彼女は訊いた。
「砂糖入れる?」
無視して黒瀬は言った。テーブルの横にあるガムシロップがたくさん入っている箱の中から一個だけガムシロップを取り出した。
「入れる」
水落が不満げに答えると、黒瀬が取り出したガムシロップを受け取り、コーヒーの中に入れる。
「本当に死ぬことができないのよね。私、人間じゃないのかな」
ガムシロップをコーヒーに入れながら、水落は呟いた。予想外の言葉が妙に心に響いた。
「死ぬ勇気が無いってことでしょう?」
言い終えて、酷い言い方だったと黒瀬は思った。そんな直接的に言うのはダメか。しかし、そうではなかった。さらに予想外なことを水落は言う。
「自殺なんて何回もしたわよ。どれも失敗だったけど。刺しても殴っても、何故か死なないのよ」
「手首を切ったりとかそういうことしたんですか?」
「腹を刺してみたり、頭を硬い物に当ててみたりしたけどね」
ああ、絶対死ねる。それで死ねないなんておかしい。それとも、この人の精神が狂っていて妄想と現実が混ざってしまい、ありもしない記憶を作り出しているのかもしれない。
とにかく、こいつは変人だ。黒瀬はそう思った。
とりあえず、話題を変えることにした。
「遺書を書いてくれませんか?」
黒瀬は真剣な目で水落を見つめる。今回は自殺ということにしよう。
「それなら、できてる」
そう言って、彼女は左ポケットから一枚のメモ用紙を取り出す。さすが自殺願望者だ。準備はできてる、というわけか。黒瀬は手袋をはめてからメモ用紙を受け取って見てみた。
その内容はたしかに遺書といえるものだった。手書きだし筆跡で水落が書いたとわかるし大丈夫だろう。そう確認すると、黒瀬はその紙を彼女に返した。その後、アイスコーヒーの横にあるガムシロップの空き容器を拾って、ティッシュで包むと自分の着ている服の左ポケットに入れた。
黒瀬が着ている服は黒色か黒に近い色で統一されている。黒が自分に一番合う色だと思っているからだ。
「あ、少し待ってくれますか?」
黒瀬はそう言ってから席を立ち、店の出入り口のドアへ普通より早めの歩くスピードで向かった。依頼料のサファイアをもらうのを忘れたが別に気にしていない。今までの仕事の報酬でお金に余裕があるし、サファイアを見逃したところで残念だと思わない。
ドアを開けて外に出る瞬間、ゴンという何かが倒れたような音が背後から聞こえた。多分、アイスコーヒーがあるコップと水落の顔が机の上に倒れた音だろう。一度も振り返らなかったので、どうなったのかはわからない。
少なくとも、彼女がアイスコーヒーを飲んだことは確かだ。アイスコーヒーには毒が入っているのだから。
そして、この喫茶店へ行くときに交通手段として使った横浜駅へ向かって走った。