プラスへ向かう・二
水落の目は弱々しく輝いているように見える。黒瀬の質問には答えないで、逆に訊いてきた。
「君は私を心配してくれたの?」
その問いに、黒瀬はどう答えればいいか迷った。
「どうして、そんなことを訊く?」
「私を殺そうとする白銀君に酷いと言ったよね」
静かな口調だった。痛みも感じないのだろうか。彼女は続ける。
「私のことを心配した証拠かな?」
自信が無いような口調だった。黒瀬は頷いた。すると、水落の顔が少し良くなった。何かから解放されたように見える。その時、白銀の言葉が黒瀬の耳に入ってきた。
「先に殺すのは黒瀬ではなく水落だな」
白銀は左手で左ポケットに手を入れて、手探りで何かを探している。彼の右手には銃があり、銃口を黒瀬に向けられているので、何もできない。
銃を使うと、音が鳴り、一般市民に気づかれてしまうことを彼は恐れているようだが、反撃をしてきた場合は、仕方ないということで撃ち殺すだろう。黒瀬の脳裏に作戦が浮かぶことは無かった。
白銀は目薬のように小さい容器を取り出す。中には透明な液体がある。彼はキャップを取り外すと、容器を起き上がろうとする水落に近づけた。彼女は怯えるように、容器から離れようとする。容器の中にある液体は死ねない身体を治してくれる『薬』だろうか。
「これが君が求めていたものだろう?」
そう言われ、水落も気づいたようだ。彼女の目が大きく開く。
白銀は左手に持った『薬』の入った容器を彼女の口に近づけていた。彼女はその容器をスロー再生のように右手をゆっくりと動かし、受け取る。右手が少し震えている。そして、口に近づけて、少しずつ飲み始めた。
黒瀬はそれを見ていることしかできなかった。言うことは無いし、白銀の右手に持つ銃のせいで、行動も制限されている。
容器の中の液体が無くなる。しかし、水落に異変は無い。右肩の傷は飲む前に治っていたのかもしれない。
水落は黒瀬を見つめている。困っているような表情を見せている。俺も困っているんだよ、と心の中で言い返すが、彼女の表情は変わらない。
白銀は水落の肩に刺さったナイフを抜いた。その瞬間、彼女の口から「ぐっ」という言葉が漏れた。彼女は顔を歪めて、右肩を左手で押さえている。刺された部分から流れる血が、彼女の左手を赤く染めていく。
「これが……痛み?」
「そうだよ」
白銀は優しい口調で答えた。水落の反応を楽しんでいるように黒瀬には見えた。その時、黒瀬の心の中で化学反応のように、新たな感情が生まれ始める。怒り、というのかもしれない。
それと同時に脳裏に浮かんだ一つの作戦。しかし、それを実行することに決心できない。何かが邪魔をするのだ。だが、このままでは俺も水落も殺される――、黒瀬は意識して目を閉じ、そして開く。その目で白銀を見る。
そして、言うのだ。
「水落を殺すのか?」
「そうだが、どうした?」
ナイフを水落に、銃口を黒瀬に向けて、白銀は訊いた。黒瀬は言った。
「殺すのは俺の仕事だ。依頼されてるし」
白銀は少し笑った。
「そうか。まあ、良いだろう」
そう言って、白銀は左手に持っているナイフを黒瀬に渡した。ナイフには血がついている。ナイフを持った手の感触が身体に伝わっていく。失敗は許されないのだ。
銃口を向けられていることが、黒瀬の心の中にある恐怖や緊張をさらに膨らませる。
ナイフを左手に持った黒瀬は顔を下に向けて、倒れている水落を見る。見下されているように見えたのか、水落は怯えていて、涙が流れそうな目をしている。黒瀬の右横には白銀がいる。
――最後の勝負だ。
黒瀬はナイフの先端を罪悪感と共に水落に向けた。
ナイフを水落の身体に近づける。どこを刺すか、考えていないし、考える必要も無い。刺すまでの間に白銀が隙を見せてくれることが大事だ。
ナイフを持つ左手の力が強まる。その時だった。白銀の銃を持つ左手の力が緩んでいるように見えた。銃口が少し下に向いているのだ。……今しかない。そう思った黒瀬はナイフの先端を白銀に向けて、捨て身の覚悟で彼を刺そうとする。白銀は慌てて、銃の引き金を引いた。