プラスへ向かう・一
黒瀬は怯えている。この状況を逆転するにはどうすればいいか、考えてみたが何も思い浮かばない。
「認めない、とは?」
質問の意味が十分に理解できない。白銀は銃口を黒瀬に向けたまま答える。
「僕は君を認めない。君に追い越されると困る」
黒瀬は黙り続けた。言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかりそうだ。彼は黒瀬を細い目で見つめている。そして十秒くらいの沈黙が流れると、言葉の意味がわかるようになった。
「俺が君を越えると、君の立場が無くなる。そういうことか?」
「その通り」
白銀は即答した。下剋上のようなことが起こり、グループの中での地位が下がることを彼は恐れているのだろう。だから殺す。何か、悪い権力者のようだ。
権力を持つ者はその地位を守るために、邪魔者を消そうとする。自分を越えるかもしれないような人物が現れると警戒し、本当に危ないと感じると消す。今回もそれと似ているかもしれない。いや、同じかもしれない。
銃口が向けられているのに、黒瀬の思考力は衰えていない。諦めているのかもしれない。身体はそうではないようだが。
背中に何かが当たった。その感触が身体全体に響いた。心臓が過剰に反応する。
「もう、逃げ場はない」
どこかで聞いたような言葉が、白銀の口から出た。しかし、どこかで聞いた時よりも怖く思える。
「そうだな」
黒瀬は諦めていた。そして続ける。
「それで撃つの?」
「いや、違う。使うのは、」
とここまで言うと、白銀は銃口を黒瀬に向けながら、左手を左ポケットに入れた。警戒しているのだろう。隙を一つも見せていないように見える。
そして、先端が尖っている何かを取り出す。
「これだ」
彼は言った。ナイフの刃が光を反射している。サファイアの輝きよりも弱いが、黒瀬には眩しいように感じた。
「銃で撃てば、音が鳴る。ナイフのほうが良い。まあ、悲鳴を出されると困るが、その時は仲間を使おう」
静かな口調だった。左横には水落がいるのだが、白銀は気にしていない。まるで水落が見えていないかのようだ。
「水落はどうする?」
「よくある展開のようにする」
よくある展開がどういう展開か、予想ができる。
「関係者も死んでもらう、ということ?」
「そうだ。本物の薬を飲ませて、ね」
凶器を持っていないし、逃げ場はない。前方には銃とナイフを持つ白銀がいる。絶体絶命とはこのことをいうのだろう、と黒瀬は思った。その時だった。銃口が黒瀬の顔から離れていく。
そうか、これで俺も終わりか――。
「酷いな」
そう言うと黒瀬は目を閉じて、下に向けた。
終わりはこなかった。目を開けようと思えば、開けられる状態だ。その間に女性の声が聞こえたのは何故だろうか。
目を閉じていても何もわからない。黒瀬は見ることを恐れるかのように目をゆっくりと開けた。その時に見えたのは、ナイフで右肩を刺されて倒れた水落の姿だった。無意識に黒瀬は口を開く。だが、言葉は出ない。
顔を上げると、白銀は笑みを浮かべていた。面白そうだと言っているように見える。そして、彼は黒瀬に向けて言う。
「彼女が盾になったよ」
嘘だろう、と最初は思った。だが、嘘ではなく真実だ。倒れている水落を見ればわかる。
しかし、この感情は何だろう。傷が癒えて、痛みが無くなっていくようなこの気分は何だろう。心が柔らかい何かに包まれていくようなこの感覚は何だろう。
黒瀬は訊いてみた。
「何でこんなことを?」
倒れている水落の目が黒瀬に向けられた。