どこまで落ちる・一
部屋の中も少し寒かったので、暖房を入れた。最初は寒かったが、少しずつ暖かくなってきた。
「喉、渇いた」
突然、水落が言った。ここは喫茶店ではない、と言いたかったが、少し酷いかもしれない。
黒瀬は溜息をついてから訊いた。
「何が飲みたいの?」
「お茶でもコーヒーでも何でもいい」
そう、と黒瀬が返事すると、台所へ向かい、冷蔵庫を開けた。二リットルのペットボトルのお茶が最初に見えたので、それを左手で持つと冷蔵庫から取り出して、閉める。
ペットボトルのお茶を左手に、二つのガラスのコップを右手に持って、テレビのある部屋に戻る。水落は座ってテレビを見ていた。勝手に見るなよ。
「何、見てるんだ」
机の上にお茶などを置き、コップにお茶を入れながら訊いた。彼女はテレビを見続けながら答える。
「面白い番組」
テレビの画面に映っているのは、お笑い芸人だった。変な動きをして、笑いを取っている。これが面白いのか、と黒瀬は疑問に思う。だが、水落は全然笑っていない。無表情だった。黒瀬が座ると、水落の口が開いた。
「最近、楽しいことない」
暗い口調だった。そして続ける。
「死にたい」
それを聞いた黒瀬は頭の中に一つの考えを思い浮かべた。身体を死なないように強化する薬には副作用があるのではないか。そして、その副作用は心に関係しているのではないか。
死への欲求、生きることへの無関心、この二つのどちらかが副作用だと黒瀬は思った。身体を強くする代わりに心を弱くする……プラスマイナスゼロだ。違う、マイナスか。
そんなことを思っていると、それを遮るように水落が訊いてきた。
「あのさ、知りたくないの?」
そう言われて、黒瀬は思い出す。それと同時に口から言葉が出た。
「何で、ここ、知ってるんだ?」
「教えてもらった、白銀に」
元気のない声で言うと、彼女は続ける。
「黒瀬を仲間に誘うことができれば治す薬をあげる、って言ってた」
黒瀬は心中で大きな溜息をついた。嘘しか言わないような男を信じるのか、と黒瀬は水落を疑った。
水落は迷いの表情を見せながら、黒瀬に近づいてきた。そして、小さな声で怯えるように呟いた。
「これって、信じてよかったかな」
ダメだった、と思うが、口から出ない。というより、言いにくい。喉で言葉が止まってしまう。
だが、何も言わないというのも変だ。黒瀬は思いついた言葉を少しも修正しないで、そのまま言った。
「誘惑だ」
「……え?」
水落は驚いたように返事した。目が大きく開いている。まあ、そうだろうと思っていたよ。
「まあ、恋人になれ、白銀の」
黒瀬は断定するように言った。そして続ける。
「半分冗談だけどね。でも、白銀の言う通りにしても無意味だと思うよ。だとすれば、こちらから行くしかない」
そして、黒瀬はお茶を一気に飲み、ペットボトルのお茶を冷蔵庫に入れようと、右手で持った。そのとき、黒瀬は脱力感のような何かに襲われた。ペットボトルが右手から離れる。ドン、という鈍い音がして、ペットボトルが横に倒れる。キャップを閉め方が弱かったせいか、お茶がペットボトルの外に流れてきた。
水落はその光景を吸い込まれるかのように見ている。黒瀬は右ポケットに手を入れて、悲しそうな表情をしながら呟いた。
「俺には、何もできないよ」
サファイアを取り出す。黒瀬は続ける。
「右手が、壊れたんだと思う」
悲しく輝いているサファイアを黒瀬は水落に返そうとした。黒瀬の言葉の意味が理解できていなかったのか、水落は驚きの表情を黒瀬に見せていた。
「この依頼は無しにしてくれ。金なら払ってもいい。まあ、金なんて君はほしくないと思うけど」
右肩を撃たれた副作用がこれか、と黒瀬は思った。水落は信じられないような口調で寂しそうに言う。
「そんなことを言ってほしくなかったよ」
「仕方ないよ。俺の右肩は……」
死んだから、と冷たく言った。しかし、彼女はサファイアを受け取らない。