止めても無駄だと分かっていても
「ちょ、ちょっと待ってフィーテ。さすがにそれはまずいって」
「何よ。だいたいね、いつまでも過去の事にとらわれ過ぎなのよ。ガラスの靴でハッピーエンドになるのは私たちの物語じゃない。そのハッピーはとっくにエンドしているの。なんで幸せの形を当てはめられなきゃいけないわけ」
落ち着きを取り戻そうと、3人は席について紅茶を飲んでいたが、フィエルテの不満は止まらない。母親の隣に座ったフィエルテは足を組み、腕も組み、考えは変えないと態度からにじみ出していた。
言っていることは確かに正しいのだが、今や伝説と化しているそのガラスの靴を壊す事は相当な罪に問われる。
「……これから先、きっと私たちのような2人が現れる。もしかしたら、今までもいたかもしれない」
フィエルテは同じように足が大きかったり、また、小さかったりしてしまった少女たちのことを考えた。伝説という巨大なものの前に、諦めなければいけなかったことを心苦しく思う。
誰にでも“お姫様”になるチャンスがある。だが、王子の結婚相手は今後の国政にも関わりかねない。だから王子だけの判断で決めるのを恐れるのも分かる。
分かってはいるがフィエルテにはただ伝説に縋り、人が人を見ることを放棄しているように思うのだ。
「フィーテは靴でなく、私が選んだ娘だ。それは変わらない」
シャルマントは何か決意し、サファイアの透き通った瞳がフィエルテを熱く見つめる。フィエルテは真正面からそれを受けてしまい、心臓が跳ねた。
「1週間後、“靴の姫選び”を行おう。フィーテ来てくれるね?」
「嫌。それをやったら、完全に──」
「フィーテは、壊したいんだろう?」
シャルマントは立ち上がり、フィエルテの側に歩み寄った。そのまま王子はフィエルテに跪く。そして、いつも男勝りで負けん気の強いフィエルテからは想像しがたい白くて柔らかな手を取り、口づけた。
突然の行動にフィエルテは頬を染め、彼女の母親は、まあと言って口元を手で隠した。
「君の気持ちが分かった。それを捨て置きはしない。だから一緒に、一緒にいよう。私は一緒にいたい。そのために伝説を壊そう、フィエルテ。君と共に」
「シャル、マント……」
フィエルテは胸が締め付けられるのと嬉しさと、ドキドキするのとでつい顔を俯けてしまった。シャルマントは目を逸らされてしまったことで哀しげな表情になる。
椅子に座ったフィエルテと跪くシャルマントでは上目遣いになるのがシャルマントになるのは避けられない。哀しげな表情を見て悪いと思うが、煌びやかな金髪にサファイアの瞳で上目遣いされる身にもなって欲しいとフィエルテは心の中で思う。
「フィエルテ……?」
不安げな声がフィエルテの耳に届く。シャルマントは恐る恐るフィエルテの顔をのぞき込んだ。表情を伺うことができたシャルマントは愛おしくフィエルテを見つめたのであった。
「そ、そんな顔で見ないでよ……。こんな時ばっかり愛称じゃないし……。恥ずかしい、んだから……」
涙をためて赤くなっているフィエルテに、笑顔を我慢することなどシャルマントには出来ない。
と、ここでフィエルテの横からゴホンゴホンと咳払いが聞こえてくる。ギクリとシャルマントは一瞬心臓が止まるかと思い、かあっと頬が染まった。
「私とぉっても微笑ましいのだけれど、恥ずかしくて見ていられないわ」
シャルマントは申し訳なくなって勢いよく立ち上がった。だが、まだフィエルテの手をしっかり握っている。
「で、あなたたち、本当に行動にするつもり?」
2人は顔を見合わせ頷きあう。そして、フィエルテの母親を真っ直ぐと見た。
「「はい」」
フィエルテの母親は正直頭を抱えたくなったが、真っ直ぐな瞳には抵抗することが出来なかった。フィエルテの思いつきで、しかも、ガラスの靴を壊すなど一時の勢いで決めて良いものかと疑問だ。もう少し話し合えばいい案がでるかもしれない。フィエルテの母親は視線を2人から外し、考えたが、もうどうにもならないと諦めが先に出てきた。
「……気をつけてね」
出てきたのは何ともいい難い言葉だけだった。
この後2人は早速行動にでる。シャルマントは“靴の姫選び”を1週間後に執り行うことを宣言し、フィエルテを指名したのだ。指名されたフィエルテは城へ行き、準備を行う。1週間でフィエルテに礼儀や儀式の進め方などを覚えてもらうためだった。
街は新たな庶民からの姫候補に浮かれつつある。フィエルテの家には見知らぬ者までもがやって来てお祝いの言葉を述べ、国の至る所からお祝いの品が贈られた。対応に追われたフィエルテの母親はもし、上手く行かないときはこれらをどうするつもりで贈ってくるのかと頭を抱える。
「ガラスの靴よ。申し訳ないが、これもフィエルテの為なんだ」
シャルマントは何となくガラスの靴に謝っておかねばならぬ気がした。“靴の姫選び”あと3日後に迫るこの日、ガラスの靴が置かれている部屋へ足を運んだ。
小さな円い部屋。入り口の反対側の高い位置にこれまた円い窓がある。床は大理石で出来ており、部屋の中央には円柱の台座があってその上にガラスの靴が置かれていた。ガラスの靴はガラスのケースの中にあり、ふかふかの赤いクッションの上に置かれている。
シャルマントは息を吐きその場を去ろうとした。
『キミは何でおいらに謝るのさ』
部屋を出て行こうとシャルマントはドアノブに手をかけたが、人の声に動きが止まる。ゆっくりと振り返ればそこにあるのはガラスの靴だけだ。
「……確かに声が聞こえたような」
『そうだよ。聞こえたのはおいらの声さ』
また聞こえた声にシャルマントはぐるりと部屋を見渡す。だが、あるのガラスの靴だけだ。
『おいおい。聞こえたのはおいらの声。つまりね──』
クスクスという笑い声がシャルマントの耳に届く。
『ガラスの靴の声、さ』