ジョン
要が、彰の部屋を出て、博正と真司に今の話を聞かせようと思って食堂へと行くと、二人は窓際で、二人っきりで座ってボーっとコーヒーを飲んでいた。
他に、誰も居ない。みんな、部屋へ帰って行ったのだろう。
要は、二人に駆け寄って行った。
「博正さん、真司さん!」
二人は、こちらを向いた。
「なんだ要、部屋へ帰ったんじゃなかったのか?」
要は、頷いた。
「うん。一度戻ったんだけど、あの、彰さんと話をして。それで、博正さんと真司さんにも聞いてもらおうと思って。」
博正は、椅子の背に気だるげに座ったまま、真司へと視線を向けた。真司は、その視線を受けてから、要を見た。
「そうか。じゃあ、座ってくれ。オレ達も、ちょうど要に話すべきかって、今話していたところなんだ。同じく、彰さんのことだよ。」
要は、不思議そうな顔をした。
「え、何?何か新しいことでも分かったの?」
真司は、困ったように博正を見る。博正は、息をついて体を椅子の背から起こした。
「いや、新しいことじゃない。お前にとっては新しいことだが、オレ達にとったら前のことだ。ここへ、来る前のことだよ。」
要は、困惑した。ここへ来る前って…。
「…ここで初めて会ったんじゃないの?」
真司は、首を振った。
「いいや。オレ達は、同じ場所で働いててな。彰は、そこの責任者をやってる。このクルーズも、同じ系列会社の主催だったはずだが、こんなことになってるんだ。だから、オレ達だって被害者なのには変わりないが、それでも普段の彰を、オレ達は知ってる。どんな考え方で、どんなやり方をするのか。」
要は、困ったように二人の顔を見比べた。
「でも…大学生でしょ?それでも、働いてるの?アルバイト?」
博正が、クックと笑って首を振った。
「いや、研究協力ってので正式に働きながら、大学にも行ってる。強制的にな。」
要は、不安になって言った。
「強制的って…どういうこと?脅されてたり?」
博正は、頷いた。
「ああ。いろいろとな。始めは研究内容とかあんまり知らされずにいたし、自発的に働いたんだが、その後辞めたいと言っても辞めさせてもらえない。そんな会社だ。そこの、結構な偉いさんなんだよ、彰はな。」
要は、聞いただけでも何だかヤバイ会社のような気がして、少し身震いした。
「そんな会社…でも、警察にも捕まらないってことは、別に法に触れてないんだよね?」
「どうだかな。」博正は苦笑した。「とにかく、オレ達の間では、彰のことはジョンと呼んでる。ジョン・スミスなんて名前、本名なはずないだろう?だが、それ以外は教えてはもらえない。今回初めて聞いたよ…神原彰って名前を。恐らくこれも、偽名だろうな。オレ達は、ジョンに散々こき使われた。あいつは人の気持ちなんか分からないんだ。人を人とも思ってない。拒否したって、どうしても受けざるを得ないように持って行く。汚い手段を使ってでも、あいつはオレ達を利用しては、自分の研究成果を上げようとするんだ。頭は物凄く良い…恐らく、その筋じゃあいつに敵う奴は居ないんじゃないか。君が、思いもしないような凄い物を創り出している。だが、そこへ来るまでどれほどの犠牲があったのかはオレ達には分からない。あのジョンのやり方を見ていたら、恐らく一桁では済まない数の命が犠牲になってるように思うぐらいだ。」
要は、口を押えた。そんなにたくさんの、命を犠牲にしてでもしたい研究って…。
「…それって、どんな研究?」
博正は、首を振った。
「それは知らない方がいい。深入りすると、戻れなくなる。だが、確かに人体のための研究だよ。それをみんなに広めるならオレもまあ、我慢もしただろうがな。」
要は、視線を落とした。人体のための研究…。
「でも、彰さんは、人が嫌いなんだよね?だって、人を人とも思わないんだから。それなのに、人体の研究?」
それには、博正が驚いたように目を瞬かせた。真司も、眉を上げている。
「…確かにな。人は嫌いだって言ってたのに。あいつは、どうして人体の蘇生の事や細胞の事ばかり研究してるんだろう。」
博正が言うのに、真司は首を振った。
「さあな。分からない。そもそもジョンの考えてることなんかわからないんだ。説明されても、何を言ってるのか分からないし、こっちが分かってないのを見て、小馬鹿にして鼻で笑って楽しんでるようなヤツだ。説明を求めても、どうせ分からない、と何も言わないんだから。」と、真司は要を見た。「ということだ。だから、オレ達は倫子の言うことが間違ってないように聞こえるんだよ。彰なら、やる。オレ達を、お前を平気で騙して、人狼たちに指示し、身内切りし、最後の最後で嘲笑って勝ち誇る。オレ達には、そんな未来が手に取るように見えるんだ。だから、何も知らない君に、可能性はあるんだってことを、知らせたかった。状況的には、倫子の方が後から言い出したんだから、不利だろう。だが、オレ達にはその背景がある。だから、すまないが彰を頭から信じることが出来ない。要、お前もよく考えろ。」
博正と真司は、立ち上がった。そうして出て行くのを見送っても、要はまだ納得していなかった。
彰は、要には説明してくれた。自分がどういう風に考えて、どういう風に判断したのかを。要が分からないと困っていると、ヒントをくれた。まるで、先生のように。
博正と真司が、嘘を言っているとは思っていない。だが、要の知っている彰は、そんな感じでは無かった。確かに小馬鹿にした感じの時もあった。それでも、こちらが一生懸命説明したら、考えておく、とか、わかった、とか言って受け入れてくれた。そして、次からはしっかりとそれを守ろうと会話しているのを、見て感じていた。
純…。
要は、思った。彰は、純にそっくりだ。純は、愚かだと言いながらも自分を気遣って側に居る、靖という友達を大切にしていた。靖が間違う度に、さりげなく道を正してやる。だが、靖以外の者達のことは、頭から馬鹿にしていて話も聞かなかった。人としてすら扱っていなかった。要と話した時、お前は話が分かるヤツだと受け入れてくれた。純は単に、自分の話が通じる人とそうでない人を分けているだけだった。なぜなら、話が分からない者達からは、異質なものを見るような目で、見られるから…。
きっと、彰もそうなのだ。
要は、そう思った。彰には、靖のような人が側に居なかった。だから、ずっと独りで来たのだろう。向き合えば、話してくれる。彰は、博正と真司が言うほど、きっと冷たい冷血漢ではないはず。
要は、そう思いたかった。だが、状況は悪い方へと傾きつつある。あの二人が彰を信じないなら、彰を吊る流れからは逃れられなくなりそうだからだ。
その頃、彰は一人、圭一の部屋へと来ていた。そして、圭一が最後に倒れていた場所を、念入りに見て回った。圭一は、最後に何を言いたかったのだろう。自分の見立てでは、圭一は狂信者。その狂信者が、人狼に指を折ってまで取り去られなければならないような、何を手の中に握りしめていたのか。
原本は、間違いなく人狼が持ち去って処分している。だが、圭一は用心深かった。もしも本当に何かを残したいのなら、きっと二重三重に警戒しているはずなのだ。ベッドの上には、まだ圭一が寝かされたままだった。
机の上は綺麗に片付いていて、何もない。机の中も、どの引き出しにもめぼしいものは見当たらなかった。
彰は、圭一が言っていたことを思い出した。
…オレは何も信じないんだ。大事なものは、全部自分で身に着けてるよ。
身に着ける。
彰は、急いで圭一の遺体の方へと足を向けた。身に着ける…だが、普通にしていたら見つけられるだろう。一体、どこだ?
ふと圭一の顔を見ると、口が、不自然にしっかり閉じていた。普通は口元が緩んでいるはず。
彰は、腕に薄いラバーの手袋をはめた。そして、着ているスーツのポケットから革製の細長いケースを取り出し、撒いてある紐を解いて中を開くと、そこにはメスや鉗子など、いろいろな医療器具が並んで指してある。全て、綺麗に手入れされて顔が映るほどだった。そのうちの一つの、平たいヘラのような物を出した。舌圧子という、俗に医師が喉の奥を見る時に、あーんして、と舌を押さえる、アレだ。
死後硬直しているはずの圭一の体は、全く変化していなかった。それなのに、彰はそんなことを気にする様子もなく、圭一の口を開いて、口の中を見た。
それは、そこにあった。
上あごに、ぴったりとくっついていたのだ。
彰は、乾いてくっついてしまっている紙を、水をかけて丁寧に剥がして取り除いた。そして、その紙を引っ張り出すのに成功すると、それを開いて、中を見た。
…命を懸けて知らせてくれたが、遅かったな。
彰は、自分への謝罪から始まっているその文章を見て、そう思った。他に何かないかと掛けられたシーツを剥いで調べると、服の下の、腹とズボンの間に、圭一がいつも持っていた黒い手帳が挟まっていた。それも引っ張り出して自分のポケットへと入れると、彰はちらと時計を見た。昨夜から、殺されたのが0時として、もう15時間…。
彰は、部屋のモニターに向かって言った。
「この検体は、今すぐ処置せよ。24時間待つ必要はない。」
そう言うと、その部屋を後にした。
去って行く彰の背後で、圭一が乗せられたベッドはまるで床が抜けたかのように、ゆっくりと地下へと沈んで行った。




