4月9日
授業が始まって3日目。ようやく、大学生活にも慣れてきた。
「お前いつもカツ丼食ってるやん。」
「そうか?」
昼休みは毎日のように橙輔と飯を食っている。今日の橙輔はサンマの塩焼き定食。俺はカツ丼。
「なんやその大荷物。」
「楽器。今日サークルあるんだ。」
「あー。トロサーモンやっけ?」
「トロンボーンだバカ野郎。」
「似たようなもんやんけ。細かい男は嫌われるで。」
いや、細かくねえだろ。
そんなアホな会話をしながら、俺は今朝から気になっていたことを聞いた。
「お前その顔のアザ、どうしたんだ?」
「…よく聞いてくれたで…我が友よ…」
今日の橙輔はなんかボロボロだ。とても疲れているみたいだし。顔中アザだらけだ。
「昨日は蹴り玉サークルに行ってきたんや…サッカーサークルな。」
「…」
こいつは純潔を捨てるために頑張っている。なんか自業自得なことをしてきただけのような予測がつく。
「めっちゃ美人な人ばっかで、体もめちゃエロで俺の下半身は唸りを上げてたんや!」
いらない近況報告だった。
「そうかよかったな。でさー今日の授業なんだけど…」
「最後まで話は聞くもんやで少年。で、なんと上級生の先輩にお持ち帰りされたんや!」
こんな奴をお持ち帰りするなんて中々の物好きな先輩である。
「もうそりゃ俺は嬉しかったで!俺は遂に男になれるんや!って。ただな…」
「?」
橙輔が俯く。どうしたんだ。というかお前のアザのことを聞いたのに。お前の卒業式のことなんか聞いていない。
「家に着くなり。『犬、調教してあげるわ。裸になってそこに跪きなさい。』って言われて…」
「…」
うわぁ…
「言われた通りにしてたら、鞭を持ってこられてもうそっからは…」
「…」
橙輔が身震いをする。恐ろしい体験をしてきたようだ。
「ロウソクを持ってこられた時点で俺は裸のままで逃げ出したで。このままやと色々終わると思ってな。」
「…そうか。」
「顔もそうやけど服脱いだらどエライ傷やで。見せたろか?」
「いらん。」
かわいそうな奴だ。授業開始すぐでアンダーグラウンドな世界を経験するなんて。
「ネットで検索したら、蹴り玉はそういう痛めつけられるのが好きな男と痛めつけるのが好きな女の集まりらしいで…サッカーサークルのくせにデブ男多かったしな…蹴り玉ってそういう意味やったんやな…」
「…貴重な体験だったな…」
「闇を知ったで…」
酷い目にあったようだ。これで改心してまともになってくれると良いんだが。
「まあ過ぎ去ったことは忘れるで!次は文芸部や!ここは多分おっとりした可愛い文系女子が多いで!ここでまったり大人の階段を登るんや!」
「…」
懲りていなかった。ただのアホだった。黙って飯を食うのを再開する。
「あっ、緋梨やん!おーい。」
「えっ!?あっ、蒼刀くんに鳥谷くん。」
橙輔が声を発した方向を見るとヘッドホンメガネが居たを
「おう、よー。」
「こっち来いや!飯食うで。」
「いっ良いんですか?じゃあ…」
おずおずと隣の席に座ってくる。
「なんの話してたんですか?」
「おっ、緋梨も聞いてくれるんか!あんな…フゴッ」
「いや…なんもないよ。サークルの話。」
とりあえず橙輔を殴って黙らしておく。
「…?そうなの?」
「」
「うん、そうだよ。」
「…2人ともサークル入るの?」
「俺はヤリサーにはいフゴッ」
「俺はオーケストラに入るよ。」
「…そうなんだ。その大きい荷物は楽器なんだね。」
バカが蘇生しかけたため殴っておく。
「緋梨さんは?新歓どこ行ったの。」
「わっ私は…まだどこも…。」
「そうなの。これからの新歓とかどこか行かないの?」
「うーん、悩んでます。」
「それはMOTTAINAI!やで!緋梨!」
バカがまた蘇生した。しかしなぜ英語調。
「大学といえばサークルやで!ここで人間関係を広げるんや!」
「いっいや…私別に人間関係は…。」
「何言うとんねん!入らなあかんで!!絶対楽しいで!」
ヤリサーに入ろうとしてる童貞が何を言っているのか。だいたいサークル入らないやつもまあまあ居るだろ。
「うっ、うーん…憧れはありますけど…。」
「やろ?今日とか行ってみ。新歓やってたら飯とか食わせてもらえるで。」
「あっ、そういや今日料理サークルでケーキ会やるらしいぞ。」
「なんやと!それは行くしかあらへんで!料理サークルやったら伶藤ちゃんに連れてってもらい!」
「えっ…えぇ〜〜?伶藤ちゃんってあの女の子みたいな子ですか?なんでですか?」
「うるさいで!俺もケーキ食いに行くからついて来い!」
「はっはぁ…そうですか…」
困惑した様子の緋梨さん。なんで橙輔はこんなに緋梨さんをサークルに入れたがるんだ?
「よしゃ!じゃあ今日の4コマの英語終わったら直行やで!」
「はい…」
「…」
橙輔の強引な提案に緋梨さんは渋々承諾したのだった。
前言撤回。承諾はしていなかったようだ。
英語の授業が終わるなり緋梨さんはすぐに教室から出ていった。「ちょっと待てや!ワレェ!コラァ!」と言いながら追いかける橙輔。10秒後に首根っこを掴まれ帰ってくる緋梨さんと満足げな橙輔。
「よしゃ!行こうや!伶藤ちゃん!」
「ははは…よろしくね、西浦さん。」
「たっ、助けて!蒼刀!」
「…」
仲良く料理サークルを向かう3人。1名助けを求めていたが。
「俺も行くか…」
残る一般教養の授業の受けるために俺も教室を出るのだった。
「ふぅ…終わった…。」
一般教養の授業が終わり、一息つく。授業が終わったら普段は家へ帰るのだが、今日はまだ帰らない。サークル活動があるのだ。新歓の時に渡された連絡先に入部することは伝えてある。
「さぁ、行くか。」
楽器を担ぎ教室を出ると、
「やぁ!蒼刀くん!」
「えっ!?紫さん!」
紫さんが居た。
「なんで居るんですか?」
「さっきの休み時間この教室に入っていく蒼刀くんを見かけたのだよ!だから今回はお迎えに来ようと思ってね!」
「そっそうなんですか。」
全然気づかなかった。どこで見られてるか分からないもんだなあ。
「さあさあ!せっかく入部するんだから!早く行こうよ!」
「はっはい、分かりましたから。焦らないでください。」
俺は跳ねながら進んで行く部長の後を慌てて追いかけた。
キャンパス内はサークル棟がある。だいたいのサークルはここに部室を持っている。
ただ俺と紫さんが向かったのは大きめの教室だった。前と同じ教室だ。
「部室は…」
「無いんだよ〜。まだ全然歴史が浅いから。」
困ったような顔で紫さんは言う。
「だから事務局に行って空き教室の半期使用許可をとるの。」
「半期ですか?じゃあ半期経ったら…」
「もう一回空き教室の申請をするの、だいたい別教室になるからお引越しだよ。」
「引越し!?」
「そう、お引越し。1年に2回の大仕事だよ。」
そんなサークルがあるのか。サークル一覧見たらかなりの量あったし新しいサークルだったら仕方ないのだろう。
「それは不便ですね…」
「でもね!サークル棟の増築計画があるらしいの!その時はなんとかして部室もらわなきゃね!」
「うぃーす紫さん…おぉ!蒼刀くんじゃん。」
部室の話をしていると紫雄さんがやってきた。
「こんにちは、紫雄さん。」
「おっすおっす。入ってくれるんだよな?」
「はい、そのつもりです。」
「よしゃ!ありがとうな!いや〜バストロの上手い奴が入ってくるなんて今年はツイてる。」
バストロンボーンがやりたいと言って入ってくる人はまあ少ないっちゃ少ないしな。
「多分サークルができて以来初めてのバストロンボーンだよ。」
「そうなんですか?今までには…」
「経験者は居たけど自持ちの楽器がバストロっていう人が居なくてね…うちのサークルもまだ買ってないんだよ。」
「あーなるほど。」
出来たての小さいバンドにはよくあることだ。バンド所有の楽器っていうのは絶対に要る楽器しか最初の方は持っていない。確かにバストロ買うくらいなら打楽器を増やすだろう。
「さあ、入部手続きしてもらうよ!」
「あっまだしてなかったんすか。」
「そう!蒼刀くん、ちょっと書類書いてもらえる?」
「あっ、分かりました。」
そう言うと紙を渡された。俺はそれに目を通す。
・練習日は毎週火、木18時-20時と土16-20時、火、土が合奏
・本番前は臨時練習有り
・定演は7月と11月の学祭と2月
・他に地域の依頼演奏など有り
・5月中旬の新入生歓迎パーティまでは仮入部扱い、以降自動的に本入部
・部費は月額800円+諸費用
というようなことが書いてある。練習日も部費も常識的な範囲だ。問題ない。
「入部資格は練習に最大限参加する努力を持っているってことだよ!よかったらそこにサインしてね!」
「分かりました。」
紙の下に書いてある欄に自分の名前を書く。
「やった!これで晴れて入部だよ!ようこそオーケストラサークル「奏」へ!」
「ここそんな名前のサークルだったんですか?」
「そうだよ。今まで知らなかったのかよ。」
紫雄さんが笑う。まあいきなり拉致されて連れてこられたから仕方ない。
「今日はね…個人練習の日だから…」
「おーい、ぶちょー。」
遠くの方で紫さんを呼ぶ声が聞こえた。
「はーい!あっ、呼ばれちゃったから行くね!いやー部長は忙しいよ!あとは頼んだ!紫雄くん!」
「はい、任せてください。」
そう言いながら「なにー??」とバタバタ呼ばれた方向へ行く紫さん。
「…あの人そそかっしい感じするだろ?」
「えっ、あっ、うーん。まあ、はい。」
「ははっ、正直だな。でもあれで部長やってるんだ。ほんとは真面目な人なんだよ。」
「まさか部長とはって最初は思いました。」
「まあ、そそっかしい先輩なのは事実だよ。俺なんか他の先輩からよく「部長のお守役」とか呼ばれてるよ。」
「そうなんですか?まあ、ぴったりなネーミングだと思います。」
「だろ?俺もそう思う。トロンボーンセクションに入ったってことは蒼刀くんもお守役にならないといけないね。」
「えっと…まあ頑張ります。」
「お守役が増えて俺も嬉しいよ。あの人は結構やんちゃで大変なんだ。」
やれやれ、と言う紫雄さんだったが、顔は楽しそうだった。なんだかんだで紫さんの世話をするのもまんざらでは無いみたいだ。
「おっ、そうだ。7月の定演に早速出てもらうよ。」
「マジですか。早いですね。」
「うん、人足りないし。即戦力だし。で、その定演で3曲やるんだけど…」
紫雄さんはファイルを持ってきた。そこから楽譜を渡される
「これって…」
「ショスタコーヴィチの交響曲5番。金管吹きには人気の曲。あんま学生オケでやらないらしいけどね。」
「そうなんですか。あんまオケの曲聞いてこなかったんで知らないです。」
「そうなの、じゃあ今度CD貸してあげるよ。」
「分かりました、ありがとうございます。」
「取り敢えずこの曲だけ渡しとくよ。残りの曲は今度渡す。練習しといてね。」
「分かりました、了解です。」
「どうする?次の合奏から参加する?」
「えっマジですか。」
「マジマジ。行けるよ、多分。」
「マジですか…分かりました。じゃあ練習します。」
「うん、練習やっといて。」
流れで明後日の合奏に出ることになってしまった。まあこういう無茶振りはよくある。初見合奏とかは吹奏楽の新歓に行ったときもやったし。まだ今日練習させてくれるだけマシだ。
ということで俺は久しぶりの曲の練習を始めたのだった。
「いやーやっぱ練習後のラーメンは最高だねー!かー!」
「おっさんですよ。紫さん。」
練習終わり。紫さんと紫雄さんに誘われて大学の近くのラーメン屋にきた。
「練習終わりはいつもラーメンなんですか?」
「毎回じゃないよ〜。飽きるからね!」
「ほぼ練習終わりはトロンボーン2人で飯食いに行ってますよね。」
「そうだね!家帰って晩御飯作るのめんどくさいもん!」
ラーメンをすすりながら話をする。美味い。オケの御用達の店なんだろうか。
「ここサークルの人たちよく来る店なんですか?」
「いや、俺たちしか来ないよ。」
「毎回2人でご飯食べに行ってるからね〜。色んな店開拓してるんだよ。」
「仲良いんですね。」
「わはは、そうなんだよ。」
本当に仲良いな。この2人。付き合ってるのか?
「仲良すぎて紫雄くん彼女に振られてるの!」
「え!マジですか。」
「ちょ…やめてくださいよ…。」
「なんか私とご飯食べてたとこ見られて浮気と勘違いされて振られちゃったの。」
「えぇ…まあ勘違いする女を切れて良かったじゃないですか。」
「なんだよそのフォロー。」
まあ練習の度に行ってたら疑われても仕方ない気もする。
「俺の元カノの話とかどうでもいいじゃないすか。それより、蒼刀くんって彼女いるの?」
「あーそれ私も気になる!」
しまった、話を逸らされた上にこっちに飛び火した。
「どうなの?いるの!?」
「いやー、残念ながら。今は。」
「おっ!じゃあオケで見つけるんだね!できたときはお姉さんに言うんだよ〜。」
「部内恋愛は禁止してないけど、気をつけろよ〜。」
「いやぁ…まあ分かんないです。」
アハハと愛想笑いをしておく。2人ともニヤニヤ悪い笑顔だ。どちらもこういう話お好きな模様。
「今はってことは前はいたの?」
「あっ、はい。高3の途中まで居ましたよ。受験勉強忙しかったんで別れましたけど。」
「あーよくあるよね。復縁は無いの?」
「いやー無いでしょ。僕が振られたんで。」
「へー。じゃあやっぱりオケだね!」
「いや、分かりませんよ。学部があるかも。蒼刀くん何学部だっけ?」
「えっと…理学部です。数学科。」
「えっ?数学科?」
数学科と言うと、意外な顔をされた。
「数学科かぁ…蒼刀くんって数字見ると興奮しちゃうタイプの人なの?」
「失礼っすよ。紫さん。どんなイメージですか。」
「そんなことないですよ。少なくとも僕はですけど。」
「数学科って女子いるの?理学部って少ないイメージだけど。」
「いや、数学科は1人しかいないです。他の学科は知らないですけど。」
「1人!すげえな。その子絶対学科のアイドルだろ。」
パッと眼鏡が思い浮かぶ。とてもアイドル感は無い。
「でもこれで学部の線も消えたね!やっぱり部内恋愛だ!」
「いやぁ…あはは。」
「期待してるぞ、少年。」
2人がニヤニヤしてくるのを俺は曖昧な笑いでやり過ごそうとした。
ご飯は紫さんが奢ってくれた。
「今回は奢ってあげるからちゃんとこれからも晩御飯会に参加するんだぞ!」
とのこと。これで週3の外食が決定してしまった。
先輩2人と別れ、家路へ向かう。やっと慣れてきた帰り道だ。
「♪」
「?」
SNSのメッセージ着信が鳴った。スマホを確認する。
【筒香 藍:今日サークル居た?】
藍からだった。そういや今日会ってない気がする。
「あぁ居たよ。」
『全然会わなかったから来てないのかと。』
「そうだな。」
『初めからショスタコとは思わなかった。』
「そうなのか?全然わからん。」
『蒼刀もこれを機に吹奏楽以外も聴け。』
「今度先輩がCD貸してくれるって。」
『今度の合奏出るよね。』
「うん。」
『おけ、わかった。僕も檸檬も出るよ。』
「そうか。」
それ以降は返信はこなかった。俺が来てたかどうか気になったらしい。
「そういや全然大学の知り合いの連絡先とか知らないなあ。」
俺自身、あまりメールとかが好きではないのだが。
「連絡に困るだろうな。」
話によると職場でもSNSのトークが使われるらしい。このご時世、電子の連絡先は必須だ。
「よし、今度聞こう。」
今度忘れずにSNSのアドレスを聞こうと決め、俺は暗くなった道を歩き出す。