4月6日 午後
「うーん…」
音楽系サークル棟を歩いている俺は悩んでいた。
「どこも微妙だなあ…」
背中に背負う楽器が重く感じられてきた。肩が痛い。
「他にあったかなあ…いいサークル…」
今までに3つの部とサークルを回った。まずウィンドオーケストラ部。ウィンドオーケストラってのは吹奏楽のことだが、この大学のウィンドオーケストラ部はかなり有名だ。コンクールに毎年出て全国大会常連の団体だ。訪ねてみたがまず雰囲気が違う。俺が高校で入ってたようなヌルい吹奏楽団じゃなかった。合奏で初見で「星条旗よ永遠なれ」をさせられたが、ミスると隣の人に睨まれた。音楽で精神は病みたくなかったし今更全国大会目指すほどのモチベーションも無かったのでやめた。
次はオーケストラ部。ここは雰囲気は良かった。お菓子かなんかでもてなしてくれた。ただ聞かせてくれた合奏がとても下手だった。多分ウィリアム・テル序曲の有名なところを演奏してくれたんだと思うけど。「初心者が多いからあんまし上手くならないんだよ〜」とか言っていたがあれは絶対に遊んでいる。練習なんかほとんどしていないはずだ。部なのに週1の練習だったし。なぜ部のままでやってこれているんだろう。
次にjazzバンドサークル。ここは雰囲気も良かったし、演奏でやってくれたムーンライト・セレナーデもうまかった。ただ部費が高かった。なんだよ半期2万って。学生バンドじゃねえだろ。
「うーん…どうしよう…もう楽器の転職した方が良いかなあ」
他の思い当たるサークルはどこも俺を雇ってくれそうには無かった。少し珍しい楽器の演奏者だと困る。他の楽器を大学から始めるか本気で悩み始めていた。
「あれれ?君さてはトロンボニストだな?」
「はい?」
後ろから声をかけられた。即座に振り向く。背の高い女の人がいた。
「君、一回生だよね?時間空いてるならおいでよ。」
「えっとあなたは…」
「着いたら分かるって!おいでおいで!」
「ちょっ、えぇ?」
招待の分からない女の人に手を掴まれてそのまま物凄い勢いで(無理矢理)連れていかれてしまった。
「おーい!1人見学に来てくれたよー!トロンボーン!」
連れていかれた場所は広めの教室だった。この女の人に勝手に見学者にされている。っていうかなんの団体なのだろうか。
そのまま連れていかれると今度はトロンボーンをもった男の人がいた。よかったどうやら音楽系の団体らしい。
「あっ、紫さん。1人連れて来たんですか?」
「トロンボニストだよ!名前は…あれ?」
「名前も聞かずに連れて来たんですか?クッソ失礼ですね。」
「あはは〜失敗失敗。」
紫さんと呼ばれた女の人は照れくさそうに笑う。呆れた顔の男の人はこちらを向いた。
「トロンボーン吹いてるの?」
「えっと…そうです。」
そう、と言うとその男の人はにっこりした。さっき紫さんと呼ばれた女の人もこちらを向いた。
「こんにちは、見学に来てくれてありがとうな。俺は2年トロンボーンの長谷部紫雄だ。よろしくな。君を連れて来たこのはた迷惑な先輩が…」
「3年トロンボーンの菅野紫だよ。よろしくね。1年生君も名前教えてよ!」
「えっと…こんにちは梶谷蒼刀です。」
「蒼刀君だね?よろしく〜」
紫さんはニコニコとするともう一度手を握って握手をしてきた。
「で…多分強引に連れてこられたんだろうけど、別に嫌じゃなかった?興味なかったら全然帰ってくれても大丈夫なんだけど。」
紫雄さんが申し訳なさそうに聞いてくる。
「えっと…どんなことしてるかも知らない状態なんで…興味があるとかも分からないんですけど…」
「えっ、どんなサークルかも名乗らず連れてきちゃったんですか!?先輩!」
「だってトロンボーン背負ってたし…」
「ダメじゃないすか!新入生を狙うただの変質者ですよ!」
「ごめんなさい…」
紫さんがしゅんとしている。紫さんの方が年上なはずなのに立場が逆転している。
「えっと…蒼刀くん、悪かった。ここのサークルの説明をしよう。」
「いや、大丈夫ですよ…お願いします。」
「ここはね、オケサークルなんだ。」
「え?オケですか?」
意外なことを紫雄さんは口にした。さっき俺はオーケストラ部に行った。オーケストラ団体が2つあるとは思わなかった。
「あぁ、そうだ。オケ部の方は行ってみた?」
「はい。」
「そうなの、どうだった?」
返答に困る質問だった。とても下手でした!とも言いにくい。
「えーと…その…」
「そんな遠慮しなくてもいいよ!あそこ凄く下手っぴだしね!」
紫さんがズバッと切り捨てた。よかった。言いにくいことを言ってくれた。
「あぁ、昔はわりと上手かったらしいけどここ最近は毛色が変わってきてね…あのオケ部にいた人が耐えきれなくなって独立して立てたのがこのサークルなんだよ。」
「そっそうなんですか。」
「まだ創部5周年で部員も少ないんだけどね。トロンボーンなんか今俺と紫さんだけなんだよ。」
「しかも私は大学から始めたんだ!だから紫雄くんの方が上手いよ!」
「…まあそういうわけで入部してくれたら嬉しいんだけどね。今から合奏始まるしちょっと聞いて行ってよ。」
紫雄さんがそう話し終えるととおくのほうで遠くの方で「新入生集まってきたし合奏の準備するぞー」という声が聞こえた。
「ほらね、まあ適当にゆっくり聞いて行ってよ。行きますよ、先輩。」
「そうだねー。じゃあまた後で!蒼刀くん!後ろの方の席だったらとこ座ってもいいからね!」
「あっ、はい。」
そう言い残すと2人はトロンボーンを持って教室の前の方へ行ってしまった。
前の方の崩されて合奏の隊形に椅子が並べられていく。それをボーッと眺める。それにしてもオケにしては人数が少し寂しい。管楽器はところどころ1人の楽器があったりする。ヴァイオリンは見たところ10人ほどしかいない。パーカッションも少なそうだ。これで合奏ができるのだろうか。なんとなーく不安な気持ちで隊形が出来上がるのを見ていく。
「…ん?」
前を見ていると前の方にこちらを見ている人がいた。2人。
「うーん…???」
目を凝らす。遠過ぎて顔がよく見えないが何か見覚えのあるシルエットだ。2人も何か気づいたようでこちらをずっと見ている。何か話し合っているようにも見える。
しばらくすると2人がこちらに歩いてきた。だんだんと顔が鮮明に見えてくる。
「…あっ!藍と檸檬じゃん。」
「やっぱりお前か。蒼刀。」
「こんにちはー、蒼刀ー。」
見たシルエットだと思ったら高校時代の部活の同級生だった。筒香藍と宮崎檸檬。藍がオーボエ。檸檬がクラリネットだった。
「2人も見学来てたんだな。」
「うん。サークル入りたいじゃん。」
「…2人とも音楽サークル入らなくても音楽やってるだろ。」
藍は芸術学部音楽科で、檸檬は教育学部初等音楽教育科だ。2人とも演奏がとても上手かった。だから2人とも音楽を使って入学できて音楽が勉強できる学部に入った。
「授業で音楽やるのと趣味でやるのは別だよ。サークルやって大学生満喫したいだろ。」
「じゃあ音楽系じゃなくていいだろ。」
「僕が音楽以外に興味あると思うか?」
「…まあそうだな。」
なんか偉そうに言われた。藍は幼少からオーボエしか吹いてこなかったようなやつだ。音楽以外のことにほとんど興味がない。
「…檸檬は?」
「うーん、とりあえず藍についてきたけど私は悩んでるかなー。お料理サークルとかも気になるしー。」
檸檬がふわーと話した。檸檬は音楽がやりたいというよりは音楽の先生になりたいからずっと頑張ってるらしい。だから藍ほど音楽バカではない。
「でも2人が一緒のとこ入るならついていこかなー」
マイペースに話す。高校で会ったときからこんな調子だ。
「そうか…でもなんでここなんだ?俺こんなとこ知らなかったぞ。お前らも連れてこられたのか?」
「なんでだよ。蒼刀知らないの?ここのこと。」
「小編成だけど結構上手いらしいんだよー。」
2人はここのことを知ってるような口ぶりだ。そんな有名なのか?ここ?
「最近出来たけど、弱体化したオケ部が息を吹き返したとかなんとか。」
「そうなのか?俺は何も言われずここに連れてこられたから少し胡散臭さが残ってるぞ。」
「なんだよそれ。もうすぐ始まるから聞いてみようよ。」
「そうだねー。」
「…」
なんか軽くあしらわれた感じがする。
仕方ないので、もう一度前に向き直る。前ではもう演奏者の人々が自分の席に座っている。もう準備ができたようだ。
「新入生のみんなー!今日は見学に来てくれてありがとー!私は部長の菅野です!」
見ると、紫さんがマイクを使って楽しそうに話していた。あの人部長だったのか。
「今は新入生は10人くらい?まずまずだね!今日はゆっくり聞いていってね!お菓子とかもあるし楽器体験もできるよ!」
俺の軽い衝撃をよそに紫さんは話を進めていく。
「早速だけど、一曲目いくよー!まずはみんな大好きアニメソングだよ!それではお聞きください!」
始めからまさかのアニソンだった。クラシックじゃないのかよ。
先輩が話し終えてマイクを置くと、オーボエがラの音を出した。それに合わせて他の楽器も音を出す。ピッチを合わすためのチューニングだ。
「…おぉ。」
凄い。よく合っている。人数が少ないからなのだろうか、ここまで合っているのも珍しい。
「な?上手いだろ。」
「ちょっと待てよ。チューニングだけじゃないか。」
藍が食い気味に聞いてきた。このあたりまでは俺も半信半疑だった。
チューニングの音が終わった。
感想を言うと、とても良かった。そりゃもちろんプロレベルってわけじゃない。だが、学生オケの中だったら上の中くらいには入るだろう。3曲をやってくれた。アニソンとポップスとクラシックだったが、どれも良かった。新歓の演奏ってだいたい手を抜くもんだがそんなことは感じられないようなものだった。
「な?上手いだろ。」
さっきと全く同じことを藍が言う。
「…お前はここに入るのか?」
質問に質問で返す。普通はこういうのは嫌われる。
「うーんどうだろ。でもここ以外に選択肢がないというか。」
「ウィンドオケ部は?あそこめっちゃ上手いだろ。」
「あれは活動日が多すぎる。授業的にきつい。」
「雰囲気も良くなかったしねー。」
「檸檬は?」
「やっぱり悩んでるかなー。でもやっぱり2人とも入ったら入るかなー。」
2人に聞く。藍は入る気みたいだし、檸檬も俺が入るならいいみたいだ。
「これで新歓演奏は終わりだよー!これからは楽器体験とかやってるからまだまだ楽しんでいってねー!」
元気に紫さんが話す。これからまた自由時間らしい。
「おっ、じゃあオーボエのとこ行ってくる。」
「私も行ってくるよー。また後でねー蒼刀ー。」
2人が席を立って前の方へまた戻って行った。
「…『ここ以外に無い』か。」
確かに藍の言う通りここ以外に選択肢が無いような気がする。
「やあやあ。蒼刀くん!どうだった!?私たちの演奏は!」
「あっ、紫さん。」
いつのまにか紫さんと紫雄さんが目の前にいた。
「どうだい?入ってくれる気になったかな!」
「えっと、まだ考え中です。」
「そうかいそうかい!ゆっくりと考えておくれ!」
テンションの高い人だ。学科の関西弁野郎を思い出す。
「蒼刀くんは楽器経験者だよね?」
「はい、そうですよ。」
今度は紫雄さんが話す。
「ちょっと一緒に吹いてみない?トロンボーン三重奏の楽譜があるんだ。簡単なのが。」
「えっ、初見ですか?」
「簡単なやつだし大丈夫だよ。『星に願いを』だよ。」
「…あーやったことあります。」
助かった。初見で演奏させられるのは予想してたけど。知ってる曲だ。
「よし!じゃあ楽器出してくれよ。」
「はい、分かりました。」
「アンサンブル久しぶりだなー!やったー!」
そう言って2人は楽譜を用意し始めてくれた。俺も楽器を準備し始める。
「やっぱりバストロンボーンが入ると違うね…いいなーやっぱり。」
「すごいね!バストロンボーンが入ったらこんな変わるんだね!」
先輩たちのテンションが少し上がっている。先輩たちは今まで俺をトロンボニストと言っていたが、少し間違っていた。俺はバストロンボ二ストだ。まあバストロンボーンとトロンボーンの違いなんてパッと見で分かんないけど。
「凄いね。普通はテナーバス買うのに。なんでバストロ買ったの?」
「いやー、なんか音が好きで。」
「渋いねー。俺も好きだよ。バストロンボーンの音。」
俺は少しニヤケながら答える。自分の楽器を褒められると嬉しい。自分が褒められているような気がする。
「しかも蒼刀くん、すでに私より上手いじゃん!即戦力だよ!即戦力!」
「まあまあ紫さん、落ち着いて。」
「これは是非入ってもらわなくちゃだよ!上手いし!バストロだし!」
興奮する紫さんを宥めてから紫雄さんはこちらを向く。
「どうだった?蒼刀くん。アンサンブルは。」
「はい、とても楽しかったです。久しぶりに楽器吹けましたし。」
それはお世辞とかではなかった。何年も吹いているらしい紫雄さんはもちろん、紫さんも大学から始めたとは思えないくらいうまかった。何よりも純粋に演奏が気持ち良かった。
「そうか。それは良かった。」
紫雄さんはにこりとする。
「俺たちもとても楽しかった。もし、ここがいいなって思ってくれたらまた遊びに来てくれ。また君と演奏できるならとても嬉しいよ。」
「ぜひぜひここに入ってくれたまえ!蒼刀くん!」
2人の先輩が優しい顔で誘ってくれる。俺もその顔に答えるように笑顔を作り、
「はい、是非また遊びにきます。」
と答えた。
「あー楽しかった。」
「蒼刀楽器吹くの久しぶりだもんねー。」
「高校の最後の定演出てないしな。後期試験まであったんだっけ?」
「うん。半年ぶりくらいかな。」
「大変だったねー。今日吹けてよかったねー。」
「うん。すげえ楽しかった。肺活量の衰えを感じたけど。」
結局、藍と檸檬と帰りが一緒になった。ガシャガシャという楽器ケースの音を立てながら家路へ向かう。こうしていると高校の帰り道を思い出す。
「で、結局どうするの?蒼刀は。」
「…お前は?」
愛の質問にはことごとく質問で返している。嫌われる会話だな。
「俺は決めたよ。入部する。」
すぐに返答がきた。迷っている様子もないようだ。
「…個人的な意見だが。」
藍がそのまま話を続けた。
「僕はまた蒼刀と演奏ができると嬉しい。」
まっすぐな目で俺を見ながら藍はそう話した。藍は真面目な話をするときだいたいこういう目をする。
「おー?愛の告白だー。」
黄色い声で檸檬がはしゃぐ。何を言っているんだ。
「そうか…。」
「まあ個人的な意見だよ。強要してるわけじゃない。」
「分かってるよ。それに…」
「おー?お返事はー?」
檸檬が微妙に煽ってくる。なんなんだこいつは。
「安心しろ。俺もそのつもりだよ。」
俺もまっすぐ藍を見ながらそう答えた。
「そうか。それはよかったよ。」
「やったー、カップル成立ー。」
檸檬が拍手をする。
「じゃあ私も入るねー。やったー。2人とまた演奏できるんだねー。」
「そうか。じゃあまたこうやって帰り道を3人で帰れるな。」
「蒼刀。」
藍がもう一度俺を見て呼びかける。
「また、よろしくな。」
「おう。」
そう答えた。
家が西地区にあるらしい2人は途中で別れた。別れた後2人の後ろ姿を見ると自然と手を繋いでいた。変わらず仲の良い2人だ。
「うーんと、ん?」
スマホを確認すると留守電が入っていた。
【留守番電話 1件 梶谷 青次】
「…親父か。」
13時頃に来ていた昼飯の電話の後に入れたのだろう。
「…」
とりあえず再生ボタンを押す。聞き慣れた親父の電話の声が聞こえる。
『…あー、よう。元気か。独り暮らしはどうだ。うまくやってるか。
お前から連絡をよこすことは無いからな。たまには心配もする。…別に返しの電話はいらん。お前も忙しいだろう。
また今度声を聞かしてくれ。あと、今年は日本に帰ると思う。
じゃあな。飯はちゃんと食えよ。』
「…」
削除ボタンを押そうか悩んだ。どうせこんなことを言いながら今年も帰ってこないのだろう。
「…やめとこ。」
俺はもう親父には怒っていない。そう思い込むことに決めた。親父だって悩んでいるのはよく分かっている。
それを消すのは何か、可哀想に思えた。
「…」
スマホをカバンにしまい、俺は再び夕暮れの道を歩き始める。