4月1日
「どこだ?615教室…」
理学部棟の中を彷徨いながら俺は狼狽えていた。
キャンパス入り口でもらった地図でなんとか理学部棟まではたどり着けたが学部棟内もかなり広かった。
「おっ、ここか?…なんだ生物学科のガイダンス教室か。」
今日は授業ガイダンスの日だ。この前の入学式で晴れて四季島大学の学生になった俺だが、授業は次の週から始まる。
「ん?ここは635教室でさっきの教室は639教室だったな…ここが3階だから63ナントカ教室なのか。」
やっと教室番号の規則性を見つけ出した俺は近くの階段から1階を目指す。
「なんで俺1階からちゃんと調べなかったんだろう…登る必要無かったな。」
そんなことを愚痴りながら階段を降りて行く。
「まだガイダンスまで30分あるな、早めに来といて良かった…ってうわっ」
「きゃっ!」
階段の踊り場で猛スピードで登って来た誰かと正面衝突をしてしまった。なんとか転ばずに済んだが、相手は転んでしまったようだ。
「すいません、大丈夫ですか?」
見ると女子だった。良く顔は見えないがでかい眼鏡をかけている。当たったときに外れたのかでかいヘッドホンが近くに転がっている
「いっ、いえっ!前びてないわだしがわぶいんで!ずびばぜんっ!」
「あっ、ちょっ」
顔をおさえながら言うと女の子はヘッドホンを拾い、ものすごい勢いで階段を登っていった。
顔をおさえていたからなのか、慌てたからなのかは知らないが呂律が回っていなかった。多分謝っていたのだろう。
「…怪我させてなきゃいいけど」
そう思いながら俺も再び階段を降りていった。
ようやく615教室にたどり着いた。1階に降りるとすぐにわかった。615教室の扉には白い紙が貼られていた。大きく「数学科」と書かれてある。
「ここだな。」
そう思い、ドアを開けると既に10人ほどの生徒が着席していた。ガイダンス開始30分前なのに思ったより多かった。
前の黒板に座席表が貼られているのに気づいた。自分の名前と学籍番号が書かれている。
「えーと…あっ、あった。」
SmatB09725 梶谷 蒼刀
席は前から5番目のところだった。着席して一息をつく。机の上に置かれていた資料になんとなく目を通してみる。今日のガイダンススケジュールとかかれた紙をぼーっと見てみる。
「なあなあ、兄ちゃん。」
時間通りに終われば17時には家に帰れるかな…
「なあ!兄ちゃんのことや!無視せんといてや!」
「えっ?」
突然横から肩をキツめに叩かれた。驚いて右を見る。
「こんな至近距離で呼んでるの気づかへんのか」
関西弁野郎は笑いながら言った。
「ごめん…なさい」
「なんで敬語使うねん!俺も1年生やで!」
初対面の人にはなんとなく敬語を使ってしまう。多分誰でも経験がある。
「自分、学籍番号25やろ?俺は15番や。鳥谷って言うねん。鳥谷橙輔。よろしくや。下の名前で呼んでな。」
「おっ、おう。梶谷蒼刀。よろしく。」
「おっしゃ、蒼刀やな。ええ名前やん。覚えたで。」
「俺も頑張って覚えるよ。」
「おう、頼むで。いやぁー良かった。これで大学生ぼっちは回避や。」
安堵したような顔を浮かべて関西弁野郎ー橙輔は背伸びをした。
「俺も話しかけてくれてありがたいよ。俺そんな話しかけれるタイプじゃないし。」
「そうなん?そんなん俺もやで。今は頑張ったけど慣れないことしたら疲れるわ。」
本当に疲れたような顔をして橙輔はそう話す。大学生デビューを頑張っているみたいだ。
「しかもここ理学部の数学科やろ。数字見てハァハァする奴しかいないみたいな噂聞いたし。」
「あー…まあ確かにそんな話はよく聞く。」
「やろ?まあ見たところそんなめちゃめちゃ変な奴は居なさそうやけど。蒼刀も普通っぽいし。」
周りを見渡しながら橙輔は言う。俺もつられて周りを見る。スマホを見てる人。シラバスを読んでいる人。机に突っ伏して寝てる人。普通の光景だ。強いて言うならみんな友達が居なさそうなところか。
「あと女っ気が無いわ。前に名簿あったけどパッと見たところ女の名前無かったで。」
悔しそうに橙輔は話す。今部屋にいるのは男ばっかりだ。
「理学部で女求めるのも変だろ。文系行けって話じゃない?」
「そやけどなぁ…でもなんとなく寂しいやん?」
「まあまあ気持ちは分かるけど。」
そこで会話が止まってしまった。橙輔もぼーっとつまらなさそうに前を見ている。俺も手持ち無沙汰なので適当にスマホを弄る。
12時50分
「あっ」
ガイダンス10分前に橙輔が声を漏らした。
「女やん。」
スマホから目を離し、橙輔が見ている前のドアあたりを見る。
「ほんとだ。…ん?」
「なんかいかにも理系のオタクっぽい女子やな…って、ん?どうしたん?」
その女子はでかい眼鏡をかけていた。頭にはでかいヘッドホンが乗っかっている。服も見覚えがある。
「知り合いなん?」
「いや、多分さっき会った。というか、階段でぶつかった。」
「なんやそれ。ラブコメみたいやな。」
「あの女子も数学科だったんだ。」
「女子やのに数学科とか物好きやな〜」
さっきまで女子いないのを不満そうにしていたのに意外そうな顔をしている。
「オタクっぽい感じやからそれは理学部っぽいな。まあ少しは華になりそうや!」
などと呑気に笑っている。失礼極まりない奴だ。
その女の子は座席表をじっと見ていたが、確認し終えたのかこっちに向かって歩いて来た。
そして俺の前の席に座った。俺には気づいていないらしい。
「おっ、席近くやん!よかったな!蒼刀!」
「お前も近くだろ。あとお前が1番嬉しそうだぞ。」
「まあええやん。どや?話しかけてみ?」
「うーん…あっ、さっき怪我させてたかもな。大丈夫かな。」
「よっしゃ!話すネタもあるやん!話してみ!」
橙輔に急かされる。まあどうせ同じ学科だ。番号も近いみたいだし喋りかけてみる。
「おーい。」
「…」
反応がない。ヘッドホンしてるしさっきの会話も聞こえてないみたいだったからかなりの音量で聴いているみたいだ。
「な?悲しいやろ?無視されるのは?さっき俺同じことされてんで?」
「おーい。」
「…」
橙輔を無視して、もう少し大きい声で呼んでみる。やっぱり反応はない。
結局肩を叩いてみる。
「おーい、聞こえてる?」
「!!えっ!?」
女子はヘッドホンをすぐ外し左右を見ている。後ろから呼んだのに。
「後ろだよ。こっち。」
「なんや、めっちゃ驚くやん。」
「えっ、あっ、うっ。」
変な声を出しながら後ろを振り向いてきた。顔を見ると間違いなくさっきの女子だ。さっきはよく見えなかったがなかなか可愛い顔をしている。ただ完全にオタクファッションに身を包んでいる。もったいない。
「俺だよ。さっき階段で会ったでしょ。」
「えっ?あっ!さっさっきの!」
「覚えてくれてるやん!よかったな〜。」
その女子は俺を認識すると一瞬にして顔を真っ赤にした。
「ささささっきは、ごめんなさい!ままま前見ず走ってで!」
どもっている。漫画で言うと目がバツになっているような表情だ。
「いっ、いや大丈夫だよ。それより怪我しなかった?」
「ごごごめんなさい!さっきはぁぁぁああ、」
「なんやこの子…めっちゃおもろいなあ」
どもりすぎてパニックになっている。コミュニケーションに甚大な障害が発生している。
「落ち着け!怒ってないから!」
「はっ、はいぃぃぃ〜」
「おー怖いなぁ。やっぱ関東人は怖いで。」
ことごとく橙輔を無視し、俺は女子に一喝して話ができるようにする。
「怪我は大丈夫だった?俺も前ちゃんと見てなかったし。おあいこだよ。」
「そっそうですか?わっ私はどこも怪我してませんよ。ぴっピンピンしてます。」
まだ少しどもっている。まあ怪我してないみたいだし良かった。
「そう、それなら良かった。数理科学科だったんだな。俺、梶谷蒼刀。よろしく。」
「俺は鳥谷橙輔やでー。よろしくや!」
急に橙輔も話に加わってきた。オタク女子もびっくりしたようだ。
「えっ!?あっ、はっはい。」
「名前なんて言うねん?」
「えっ、えっと、にっ西浦緋梨っていいます。」
「西浦緋梨やな!覚えたで!もう友達や!」
「とっともだち!?」
オタク女子ー西浦緋梨が今までで1番大きい声を出した。それと同時に教室の視線が俺達に集まる。
「声大きいよ。西浦さん。」
「あっ、すっすいません…」
また真っ赤になる。常に顔が赤くなってるなこいつ。
「わはは!めっちゃおもろい奴やな!」
橙輔はご機嫌そうにしている。こいつも声がでかい。
「えっと、まあよろしく。西浦さん。同じ学科だし。」
「はっ…はい…。」
「大学入ったらおもろい奴おるな!こらからが楽しみやで。」
「そうだな」
めんどくさいので適当にあしらっておく。
そうしてガイダンスが始まったのは少ししてからのことだった。
「いやー長かったで。話長いねん。教授。」
「お前後半寝てたじゃん。」
「最後教職課程の話やったやん。俺取るつもりないし。」
ガイダンスが終わったのは結局16時くらいだった。橙輔の言う通り。かなり長かった。
ガイダンスが終わって今は帰路に向かっている。
「結局今日喋ったんはお前とオタク女子だけか。まあ順調な滑り出しやで。」
満足そうな顔で頷く。なんだこいつは?出会い厨か?
「しかしあのオタク女子めっちゃおもろい奴やったなあ。あんなコミュ障なかなかおらんで。」
「あー…まああがり症なんだろ。」
「友達少なそうやったな!」
初対面の人にこれだけ失礼なことを言えるこいつは凄い。
「そういや、あのオタク女子どこいったんや?」
「ガイダンス終わったらすぐ帰ったみたいだよ。」
「そうなんか。早いんやな。もっと話したかったで。」
「…まあこれからできるだろ。」
そんなことを話しながら帰る。キャンパスの出口近くまで辿り着くと、
「あっ、俺今日原チャで来てん。ここでお別れやな。」
「あっ、そうなんだ。じゃあ、また授業で。」
「おう、またやで。」
と言いつつ、駐輪場に橙輔は消えていった。
「…ふぅ、」
溜息をつく。大学1日目から友達ができたのはいいが、少し今日一日で疲れた。
「よし、帰ろう。」
俺も自分の下宿先に向かって歩き出す。
「ん?」
しばらく歩いているとスマホが鳴った。
【着信 須田 蒼季】
実家の弟からだった。すぐに通話ボタンを押す。
『あっ、やっと出たね。兄さん。』
「おう、蒼季。何回かかけたか?」
『うん、2回ほど。』
久しぶりに聞いたからなのか、それとも電話だからなのか聞き慣れた弟の声は少し違って聞こえた。
「それは悪かったな、どうした?」
『いや、用はないんだけどね。全然兄さん連絡してこないじゃん。母さんも蒼維姉も心配してるよ。』
「そっ、そうか。それは悪かったな。2人はどうだ?」
『寂しがってるよ。特に蒼維姉なんかずっとつまらなさそう。やっぱり兄さんのこと好きだね。蒼維姉は。』
「そうか、あんなに家が広くなって嬉しいとかいってたのにな。蒼維。」
『そんなん蒼維姉が強がってるだけだよ。兄さんが出発した日なんて見送った後泣いてたし。』
「マジか。まぁ兄貴離れも必要だろ。」
少し笑いながら言った。
『まあでもたまにはそっちから連絡してあげてよ。喜ぶよ。』
「あぁわかったよ。」
『あっ、母さんが呼んでる。じゃあ切るね。兄さん。体には気をつけて。」
「おう、ありがとう。そっちもな。」
『うん、じゃあ。』
そう言うと、電話が切れた。
「…そうか、独り暮らしなんだな」
もう下宿には慣れたが、改めて独り暮らしであることを思い出した。
「やっと独り立ちしたんだな。俺。」
改めて1人で生きていかないといけないことを思い出す。
「…よし、帰って晩飯作るか。」
これからは誰にもあまり迷惑をかけずに生きていく。そう心に誓いながら、俺は少し暗くなり始めた帰り途を再び歩き始めた。