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転・結

《第四章》

 危険な夜戦からさらに二日が経った。

 あれ以来これといった襲撃もなく、ばら撒かれた機雷の爆破撤去ばかりをやっていた。

 そんな平穏な日々も終わり、いよいよ作戦もメインディッシュを迎える。

 

 雲の多い空に僅かな青空が顔を覗かせる、割と心地よい朝だった。水平線に浮かぶものが見えたのだ。

『本艦はこれより第二作戦に移行する。第一護衛部隊並びに資源回収班は至急、出撃準備を開始せよ。なお、出撃はこれより二十分の後より開始する』

 艦内アナウンスで響き渡る禿げ上官の声。五日間の疲れを見せないその声色は、やはり流石である。


 僕らの資源回収作戦は以下の手順で行われる。

・護衛隊の二組以上のバディで構成される偵察部隊が先行、状況を報告する。

・安全が確認され次第、回収班が専用装備満載の巨人で護衛隊と共に出撃。偵察部隊はそのまま護衛部隊に合流し、周辺の警護にあたる。

・およそ三時間ほどの活動の後、護衛部隊が回収班とともに帰投。入れ違いで次の護衛部隊が次の回収班と共に出撃。

・同じく三時間の活動の後、帰投。

・以上を日没まで繰り返す。

※なお、母艦の護衛は次に出撃のない部隊の任務とする。

 だいたいこんな感じだ。


 そういえば、上官の名前をサニーに聞いてみたのだが、彼女も知らないそうだ。


「私たちは第二護衛部隊だから…昼からの作戦よね」

 サニーがまた、僕の部屋で着替えをしている。昨夜のうちにこちらへ持って来ていたようだ。僕の方も、背を向けてスーツに着替えながら言った。

「そうだね。でも準備はしておかないと、ね」

「そうよね…」

 気だるげな相槌だった。

 僕の背後で、衣擦れの音だけが聞こえる静寂が続いた。

「ねえ、疑問に思ってたことがあるんだけど…」

 遠慮がちに静寂を破った問いを、サニーが投げかける。

「ブースターから漏れてる、あの赤いやつ。あれは何なのかしら?」

 着替えを終えたらしい彼女は、ばふっ、とベッドに腰掛けた。

「僕も、初めて見たとき驚いたよ。『巨神』からも出てたから、多分『心臓』が原因だろうね」

 僕はそう答えたが、彼女は納得がいかない様子で、もう一度尋ねた。

「それは間違いないでしょうけど。…そうじゃなくて、あの赤い粒子は何の問題も無いのか、ってことを訊いてるのよ」

 唇を尖らせ、ムスッとした表情を浮かべるサニー。

 可愛い。

 …じゃなくて。少し考えるようにしてから僕は答える。

「僕も気になったから、コロニー襲撃の後、シグレに訊きに行ったことがあるんだ。マウスで実験をしてみたけど何の影響も見られなかった、ってさ」

 確か、コロニー襲撃の三日後くらいだったはずだ。本当は、別に目的があったのだけど。

「そもそも、危ないものなら載せないさ」

「それもそうね。心配して損したわ」

 そう言って僕に微笑みかけた。


「しばらく暇ね。何かする?」

 そう言って彼女はベッドの上に仰向けになり、そのまま伸びをする。

 不意に、悪戯をしたくなった。

「…レイニー?何して…。ちょっ…やめ…っ!」

 僕は彼女の腹の上に馬乗りになり、脇を滅茶苦茶にくすぐってやった。

「くふっ…あははははは!」

「どうだ、参ったかい?あっはっはっはっは!」

 圧倒的な優位に立った僕は、優越と愉悦に高笑いを決め込む。

 大笑いするサニーは手足をバタバタとさせてもがいているが、逃げ出すことは叶わない。

 …と、油断していたところに、うなじを長い足が強か蹴りつけた。

「痛っ!」

 もがいていた彼女の足が、偶然にも僕の後頭部をクリーンヒットしたのだ。

 すごく痛い。泣きそう。

 痛みに耐えかねて床に転げ落ちうつ伏せに倒れた僕に、今度はサニーがのしかかる。

 僕の両腕を僕の体側につけ、両の太腿で挟み込んで拘束した。サニーの程よく鍛えられた筋力が、逃げ出すことを許さない。詰みだ。

「さあて、反撃開始よ…!」

 指をコキコキと鳴らすサニー。さながら死刑宣告だ。


 しばらくの間、僕の高い笑い声と、サニーの高笑いが艦内に響き渡っていたという。



 正午をとうに過ぎた太陽は徐々に傾き始め、海面に差すビル群の影は長く伸びていく。

 コンクリートの森の木々は半分以上が水没しており、辛うじて頭を出しているものも、その下半身がしっかりと海水に浸かり、浸食されている。僕はその光景に、コロニー外縁部のマングローブの木を想像した。

 異常な熱気を放ち続ける内陸部に比べ、海岸部であるこの辺りはそこそこ気温が低いようだ。しかし、人が住むには不便に過ぎ、気温もやはり高過ぎる。

「このビルがある場所がすべて陸地だった、なんて信じられないな」

 呟くと彼女は溜息混じりに言った。

「そうね。でもね、レイニー。作戦中よ」

 以前に比べ彼女の作戦中の口数が増えてきたことを、ここ数日の間に如実に感じている。

 彼女に変化が生じたことを喜んでいいのかは分からないが、その変化の観察が作戦中の密かな楽しみでもあった。

 

 僕らは現在、回収班を中心に半径五キロほどの円状の陣形を取っている。勿論、回収班には二組ほどの戦力を残してきている。だから、十組ほどの隊員が陣形に加わっていることになる。

 この陣形は僕らの全方位警戒陣形だ。欠点は、バディごとの間隔が広く、各地点に応援が駆け付けるのに少し時間がかかることくらいだろうか。守るべきは回収班なので、割と問題にはならないが。


 回収作業がちょうど二時間を超えた頃、地平線に、ちかり、と何かが閃いた。それは、僕とサニーの間を一瞬で駆け抜けていった。巨人のこぶし大の大きさ、つまり長さはおよそ一メートルほどの、円柱状の物体。先端が尖っていたそれは、砲弾だった。おそらく対艦ライフルのような兵器。

 僕らの間に冷たい緊張が走る。

「狙われてる!」

 無線で呼びかける。すると男の隊員の声が無線越しに響いた。

「敵砲弾が回収班、至近に着弾!」

 超長距離砲の精度の悪さが幸いした。だが次は当ててくるかもしれない。行動を急がなければ。

「即時撤退します!」

 さっきと同じ隊員が叫ぶ。

 それしかない。

「「了解!」」

 僕とサニーは同時に叫んでいた。

 すぐに踵を返し円の中心を目指して飛ぶ。サニーの最大速力に合わせてブースターをふかす。

 また背後で、ちかり、と何かが光る。おそらくは砲弾の発射炎。

 予想は当たり。撤退する僕らの傍を砲弾が飛んでいく。衝撃波がびりびりと空気を揺らした。

 数瞬の後、僕らの目指す方向で爆発。

「嘘…まさか…っ!」

 サニーが息を呑む。

 僕も、まさか、とは思いつつも、次にとるべき行動を模索していた。

「敵弾命中…!回収班、半壊…!」

 焦りを滲ませながら、しかしあくまでも冷静に、女性隊員の声が告げる。

 結論から言って、想像以上にまずい状況だ。

 予想を上回る精度の敵の超長距離砲は、確実に僕らの部隊を壊していくだろう。可動タイプと思われるそれを、少なくとも、母艦までこのまま引き連れて帰るわけにはいかない。

「…サニー、いけるか?」

 直通の無線で囁く。

 間を置かず彼女は応える。

「いきましょう」

 もはや僕らは互いの半身だ。余計な言葉は要らない。

「これより敵の殲滅に向かいます」

「なっ…いや、…了解。武運を」

 顔も知らない隊員の無線を聞き流すと、もう一度踵を返し、先ほど光が見えた位置を見据え、やや大回りに駆け出した。

 僕は躊躇わず、ブースターを「全開」でふかした。

「サニー!僕は先に行く!追いついたら…」

「援護する。…追いつけなかったらね」


―――僕は既に、全速力で駆けているはず筈だった。リミッターを外された状態で、だ。

 だが、僕の隣には彼女が、『VENUS』がいた。

 それどころか、彼女より先に駆け出した僕が、彼女を追う形になっている。

 僕は意味が解らなかった。困惑し、思わず早口に問うた。

「な、なんで…!」

 その問いはあまりに具体性を欠いていて。しかしサニーは答える。

「リミッター?自分で外したわ」

 何やってるんだこいつは。

 思わず、そう思わざるを得なかった。

 だが、そんなことを気にしている場合ではない。少なくとも今は、それが有利に働いているのだ。僕は気持ちを切り替えた。


―――ふいに、獰猛な欲望が胸の内で蠢いた。

 苦労して、僕はそれを押し殺す。


 眼前の廃ビルを右に左に縫って進み、凄まじい速度で敵機と思しき影の前に躍り出た。

 

―――長距離砲の正体は、明らかに規格外な兵装を背に担いだ歪な巨人だった。

 巨人本体は僕らより一回り大きい程度。目立った特徴と言えば、血のような赤黒いカラーリングと、胸部前面に二基一対のブースターが備え付けられていることくらい。僕らの巨人と違い、全方向に急制動を掛けられる構造だ。

 武骨な骨格と配線を剥き出しにしたあまりに長大なライフル状の物体。巨人本体の、裕に二倍はあるか。それに対して、もはやライフルなどという呼称は相応しくない。その姿は巨人の「大砲」というほうが相応しい。

 

 まず、僕らは赤の巨神の狙いを逸らす。

 サニーが先行し、不意打ちに敵機の側面から実弾ライフルの雨を浴びせ掛ける。

 彼女の存在と狙いがバレていたのか、敵機は胸部前面の一対のブースターに点火、後ろ向きに急加速した。

 その噴射炎を見た僕とサニーは、おそらく同じことを思ったはずだ。


 青白い炎の中に混じる赤い粒子。

 敵は単なる巨人ではなく恐るべき『巨神』である、と。


 戦慄した。


 あの記憶が、トラウマとして蘇ったのだ。圧倒的な暴力をもって、蹂躙の限りを尽くしたあの漆黒が。恐怖が。殺意が。


―――あれは敵だ。

 本能が囁く。


―――やられる前に…殺せ!

 本能が警告する。


 僕は、勇気を振り絞る。

―――否、理性が振り切れた。


「ぶっ殺してやる!」

 ただ、叫んでいた。

 サニーが驚いて何事かを叫んだが、僕の耳には届かない。


 押さえていた殺意が、溢れた。

 黒く、原始的な、粘性の感情。

 それはいつからか、僕の内側から湧いて出たもの。

 僕自身さえ知らない、人間のそれと比べ、明らかに過剰な感情。


 昂ぶる感情に支配されながらも、頭の一部では冷静な、奇妙な感覚。

 そんな感覚の中、僕は敵機の目と鼻の先に飛び込んだ。


 赤の巨神の懐で、僕はライフルの引き金を引く。


 ばしゅ ばしゅ 


 連なる二つの発射音。それは敵機の懐から背中までを貫通…――


――…するかに思われた。


 しかし、赤い巨神は何喰わぬ様子で加速を続け、僕らとの距離を取る。

 見れば、空中を舞っている大量の赤い粒子が眩しく輝いているではないか。


 僕は、あいまいに理解していたあの赤い粒子の特性について、ついに確信を得た。直感というに相応しいものでもあったが。


 あの粒子は、エネルギーを喰らっているのだ。


 詳しい仕組みや原理なんて僕には想像もつかないが、ただそれだけは事実だ。今までに何度か、僕を襲った爆発、いわば熱・運動エネルギーから僕を守ってくれたのも、おそらくはその特性だ。

 実際、僕の放った光線―――光と熱のエネルギーは赤い粒子に吸い込まれるように減衰していった。そして、赤い粒子は輝きを増した。余剰分のエネルギーを吐き出すように。


 今、強力な赤の盾は互いの手にある。持久戦は避けられないだろう。


 僕は一瞬の思考を終え、銃を構え直す。頭の中にはまだ、苛烈な感情が居座っている。

 僕は吠えた。

「サニー、僕がやる!援護しろ!」

「…了解!」

 サニーが答えると同時にブースターをさらにふかす。離れようとする敵機に肉薄すべく、一気に距離を詰めようと試みる。

 だが、敵もそう甘くない。僕の意図を読み、速度を上げる。敵、僕、サニーの順で追いつ追われる構図が出来上がる。それは一定の距離を保ったまま揺らがない。乱れ飛ぶ光線と銃弾は赤い粒子の前に減衰し、消滅または落下していく。

 突如、敵機が九十度の直角ターンを行う。その精度と制御に、僕らは思わず舌を巻く。機体の性能によるところが大きいとはいえ、生半可な技術でないことくらいは分かる。

 比較的大きく旋回する僕たちを、あの大砲が照準する。

「「回避!」」

 僕らは同時に叫んでいた。

 僕らはそれぞれ左右に大きく加速し射線から離脱。そのコンマ数秒後に僕らのいた空間を巨大な砲弾が走り抜けていった。

 衝撃波が機体を振動させ、生じた不協和音が耳をつんざく。


 見たところ敵の武装らしい武装は、右肩から砲口を突き出した巨大な主砲が一門のみのようだ。明らかに高機動戦闘向きではない。殺すにはそこを突くしかない。

 追尾型のミサイルがあるにはあるのだが、速過ぎてどうせ当たらないし、僕らの攻撃は粒子が吸収してしまうのでそもそも有効打にはならない。さらに速度は互角。小回りの良さに関しては相手に分がある。


 明らかに重量バランスの悪い敵機の方が小回りが利くなんて、そんな矛盾があって堪るか、くそったれ。などと内心で激しく毒づく。

 そして、ひらめく。


 僕は獣よろしくにやりと笑い、唇を舐めた。


「サニー、やつを止めてくれ」

「了解」

 唐突に言った僕の言葉に、彼女は疑問一つ抱かずに答える。速度に関して勝り得るならそれは高機動型の『VENUS』以外にはないことを自覚し、何より僕への信頼があるからだろう。

 サニーは僕を追い越し、残像が見えるような速度で駆け出した。

 三条の光の軌跡が宙に一等星を散りばめながら、赤の巨神に迫っていく。

 再装填が終わっていないのか、巨神は主砲を撃ってくる様子を見せない。

 サニーがライフルを撃つ。開発が間に合わず、彼女のライフルはレーザーを撃てるものではない。だが、ばら撒かれた弾丸は確実に巨神を目がけて飛翔する。予測偏差射撃など、そうできる技ではない。彼女の腕による離れ業だ。

 しかし一方で、弾丸は赤い粒子の盾に阻まれ、掠り傷しか与えられない。レーザーと違い、実体がある分ダメージは通りやすいようだが、やはり赤の巨神は平然としている。

 と、巨神が鋭角ターンを繰り出した。


 僕の狙いはここだった。


 僕は、「この機体では初めての」超過負荷運動を行った。


 過剰な熱エネルギーがブースターとその周りの耐熱素材を赤熱させる。


 いける。という感覚に心がさらに昂ぶり、思考は加速、殺意が鋭利な刃物へと変貌する。


 赤い粒子が大量に噴き出し、超超音速飛行する機体を球状に包み込みながら追随する。


 荒々しい衝撃波が空気を激しく揺らし、耳鳴りを呼ぶ。


 瞬きした瞬間には巨神と『RAIN』は、真正面から衝突していた。



 太い金属が捻り折られるような、甲高くも鈍い耳障りな音が耳鳴りを上書きする。


 凄まじい衝撃が僕の身体を、脳みそを、ミキサーのように掻き回す。


 衝撃が過ぎ去り、次にやってきたのは烈しい痛みだった。

 内臓を鷲掴みにされ捻じ切られるような痛みが、全身をくまなく走り抜けた。

「うっぐぅ…ああああああ!」

 脳が痺れたようになり、一つ一つの思考もままならない。それでも、一つの実感が僕の中に湧いた。


―――生きてる…!


 決死の覚悟だった、というより、半ば自棄だったから。生きていられるとは思わなかった。


 僕が試みたのは、単純な体当たり。この行動に踏み切ったのに、何の根拠も無かったわけではない。強力な矛が結果として強力な盾ともなるように、強力な盾も矛になるのでは、という発想からだ。その発想は、僕が思い浮かべた「矛盾」という故事成語に着想を得た。そして、盾とは赤い粒子のことだ。エネルギーを喰らう性質があるなら、喰らい合ってやれば相殺できると踏んだのだが、見事、作戦は成功だったようだ。見下ろせば、胴体と前面ブースターをひしゃげさせた赤色の巨神がビルに落下したところだった。風化していたビルは崩れ、もうもうと砂煙を噴き上げた。


 気付けば、あの感情も既に失せていた。


「レイニー!」

 無線越しに響く彼女の声に、愛しさが募った。

「怪我は?」

 冷静などとは程遠い、僕を真摯に心配する彼女の声色に、ああやっぱり変わったなあ、なんて考えてしまう。

「…ちょっと…マズいかも…。戻ろ…う」

 僕も変わってしまったかもしれないな、と思う。以前なら、嘘をついてでも心配を掛けまいとしていたのだが、今ではこんなに正直な好青年だ。

 サニーは寄り添おうとするように、『VENUS』を『RAIN』の傍まで寄せた。

「さ、急ぎましょう…―――」

 ひゅっ、と息を吸う音が聞こえた。


―――刹那に響いた、空気を揺さぶる爆発音。


 気付いた時には、僕の乗る『RAIN』は大きく突き飛ばされていた。

 突き飛ばしたのは…―――サニーだった。


 目の前で爆散する白銀の女神。その不死的な存在の死は、何かの暗喩のように、僕に対して何かを訴えかけていた。

 白銀の女神の中から、赤い粒子に混ざって鮮やかな液体が飛び散るのを、高画質な複眼カメラレンズが捉えていた。


 それは。


 青空に映える、鮮やかな紅だった。


「れ…―――あい…て…――」

「…サニー…?」


 爆発の直後まで聞こえていた無線は、これを最後に二度と繋がることはなかった。


 こんな時でさえ。僕の眼は潤むことさえもしなかった。

 何も考えられなかった。ただ痛みを忘れ、確かな怒りと殺意を瞳に宿した。流れぬ涙と苦悶とに、僕の表情は鬼面のごとく歪んでいった。

 その顔で、僕は煙の晴れた倒壊ビルを見下ろした。そこには、砲口をほぼ真上に向けた赤の巨神が立っていた。掲げた砲口からは煙がたなびく。


 ざざっ、と無線にノイズが走る。

「よう、雨の旦那。気分はどうだい?」

 挑発だろう。見下ろした先の巨神は、煙を上げながら、僕に向かって暢気に手を振っていた。無線の相手は敵機パイロットに間違いない。

 神経を逆撫でする男の声に苛立つ。

 殺意が芽生えた。


「殺してやる…!」


 僕はライフルを構えて突っ込んだ。重力をも利用し、ライフルの銃身で殴りつけるように。


 ごっ、という硬質な音。


 塗装をボロボロにした赤の巨神が、その銃身を両手で掴んでいた。大雑把なようでいて繊細な動きだった。

 振り払おうとしたが、その剛腕は万力のように掴んだまま離さない。

「おいおい、ブラザー。随分と暑苦しい抱擁じゃないか?」

 また挑発するように笑いながら、男は言う。直後、握りこまれたライフルは半ばから捻り潰されてしまう。

 僕は素早くライフルから手を離し、赤の巨神に殴り掛かった。


 倒壊した廃ビルの上、鋼鉄の巨人たちの殴り合いが始まる。


 僕の右ストレートを、赤い左ストレートがぴたりと正確に迎え打つ。

 互いの鉄拳を正面から打ち合わせ、破壊的な衝撃が機体を震えさせる。体中が痛みに悲鳴を上げるが、僕は構わず次を繰り出す。

 

 機体の腰を捻るようにして、コンパクトかつ俊敏な左フックを、巨神の顔面に叩きこんだ。

「ああああああっ!」

 ばぎゃ

 巨神の右目を音を立てて破砕する。

「はっはー!やるじゃねえか!」

 がぎっ

 振り抜いた拳を引き戻す間もなく、巨神の右ストレートが、『RAIN』の二つある左目の内一つを粉々に粉砕する。


 『RAIN』は大きく仰け反り、廃ビルから落下しそうになる。だが背面のブースターを一瞬だけふかすことで、一気に体勢を引き戻す。そのまま頭突きをかました。

 ごしゃ

「ぐぬっ…」

「死ねっ…!」

 よろめく巨神。僕は右の大振りで追い打ちをかける。


「甘いぜ旦那ぁ!」

 巨神が背面のブースターをふかし、仕返しとばかりに頭突きをお見舞いする。

 僕も咄嗟にブースターをふかし、頭突きを真正面から迎え撃った。


 ごがん


 まさに脳天を貫くような衝撃。僕は堪らず呻く。向こうも無事ではないらしく、同じような呻き声が無線から漏れていた。


 隙を作らぬよう、僕は巨神に掴みかかった。鋼鉄の剛腕は、しかしもう一対の剛腕に阻まれ、掴み合った。

 互いが鋼鉄の指を噛み合わせ、今度は鍔迫り合いの状態が始まる。


「ははは、強いもんだな、雨の旦那よぉ」

 馴れ馴れしい口調にも関わらず、男の言葉は戦いの緊張感を解すことはなかった。


 僕のことを「雨の旦那」と奴は呼んだ。まさか、僕の名前を知っているとでもいうのか。

 いまだに痺れたままの脳はうまく回らない。それを悟られまいとして、僕は気力を振り絞って言った。

「…僕を知っているのか?」

「それは秘密だぜ、ブラザー」

 こいつは一体何なんだ。「ブラザー」だとか「雨の旦那」だとか。

 こいつは一体、何者なんだ。

「だが、一つ話をしようぜ」

 鍔迫り合いは、微妙な綱渡りの状態だ。気を抜くことはできない。それなのに、ヤツは平然と語り出した。

「俺は、いわゆる『生まれながらの兵士』だ。ある組織に使われてる、回し者って訳なんだが…。そこの命令であんたを回収しに来たのさ」

「なに…?」

 あまりに唐突な話で、僕は余計に混乱してしまう。

「俺と一緒に来ないか、ブラザー?」


 その言葉に、僕は笑いを抑えられなかった。


「あはははははっ!お前は馬鹿か?僕が君に、ついていくと思うのかい?」

 なおも笑い続けながら、僕は嘲る。

 そして、嘲笑はピタリと止み、あの感情が口から溢れた。


「サニーを殺したお前にか?」


 ドスの訊いた低い声。僕は今、怒っている。

 俯瞰する位置から、そう冷静に見下ろしている僕がいた。

 無線の向こうから、呟く声が聞こえる。

「サニー…。あの機体の女のことか」

 瞬間。俯瞰していた僕は、感情の波に呑まれて姿を消した。


「お…まえが…!お前がっ!その名を…呼ぶなあああああっ!」


 轟く怒号が、僕の中からすべてを掻き消した。


 残ったのはあの黒い感情。

―――圧倒的なほどに純粋な、敵意と殺意。


 まさに獣。僕の中に眠っていた野性はこの瞬間、人の域を超えて解き放たれた。

 比喩ではない。そこには理性など残っていないのだから。


 僕の分身であるかのようにブースターが怒り、吠える。

 どす黒い粒子を涙のように溢れさせながら、僕は加速する。

 指を噛み合わせたままの腕を大きく捻り、加速の勢いに任せて捻じ切る。

 関節から激しい火花と粒子を撒き散らしながら、巨神の両の腕はもぎ取られた。

「ぐあああああっ!」

 自分の腕がもがれたかのように、絶叫が無線越しに木霊する。

 おおかた、神経接続でもしているのだろう。―――あの、仮コード『SNOW』の少女のように。

 その絶叫に、推測に、僕は興奮を抑えられなかった。

 嗜虐心を刺激され、溢れる脳内麻薬に溺れてゆく…。


「あはハハハハハ!コロス!コロス!コロス!」


 呪詛の言葉を叫びながら、僕は加速し続ける。

 殴り飛ばした巨神の行く先に先回りし、何度も殴りつける。

 腕のない巨神のひしゃげた腹部を殴りつけるたびに、無線には悲痛な叫びが響く。

 『RAIN』の拳が原型を失ってなお、僕はそれを辞めなかった。


 やがて僕は、思い出したように動きを止めた。

 冷め切って無感情になった僕は、突き上げた腕の上に乗っかっている動かなくなった鉄塊を一瞥すると、まるで飽きたとでも言うように、ビルが突き刺さる海に投げ捨てた。


「帰らなきゃ」


 霞む視界に、僕は限界を感じた。緩衝液に溶けた酸素がそろそろ尽きてしまう。

 いかに無限のエネルギーを供給できる『心臓』があるといっても、パイロットの生物的な限界はいかんともし難い。

 僕は朦朧とする頭を振ると、母艦『NOAH』へ向かって飛び立った。


 日が暮れるには、まだまだ早い時間だった。


《第五章》

 結論から言おう。僕は海に落ちた。

 …さて、そこまでとそこからの経緯を説明せねばなるまい。

 まず、僕は母艦を目指して飛んだ。飛んでいた。しかしそれは、正確には襲撃前までに母艦があった場所に飛んでいた、に過ぎなかったのだ。…つまるところ、僕は『NOAH』置いていかれたわけだ。大昔に陸の人間がそうされたように。

 そして僕は、経験、という何のあてにもならないものを頼りに海原に飛び立った。そうしなくても、僕は酸欠で死ぬか、被曝で死ぬかの選択しかなかったのだ。

 で、結局、水平線以外に何も見えない海上で力尽きた。


 では、なぜ僕がこうして白いベッドの上で生きているのか。

 それは、偶然通りがかった船に救われたからだ。


 この船は船というには巨大で、母艦『NOAH』に匹敵するほどの大きさを誇る。

 その船の、いや、船が運ぶ企業の名は…『World Arms』。そう、巨人の開発元であるWorld Arms社だった。その証拠として船内のいたるところに、地球のモチーフに掌が生えたような、奇妙なロゴがペイントされていた。


 World Arms社は、今や世界のすべての機械技術を牛耳る、最大手の企業だ。と言っても、企業と呼べるのはWorld Arms社くらいしかいない。

 そのWA社は、陸海問わず展開している。それなのに、陸ではなく広い海の上を本拠地としているのは、移動しながら開発・製造ができ、位置を特定されないので安全だから、だという。僕は正直、理解に苦しんだが。

 また、基本的な取引は現物での物々交換で行われる。コロニーや陸の『クニ』が持つあらゆる生活物資や資源を、WA社の技術の粋である完成品と交換するのだ。もちろん、逆もあり得る。

 しかしそれは、あくまでも中立の立場から行われるものだ。よって、その成り行きとして、同じような技術が陸と海に提供されることを意味し、終わりのない戦いを強いられることになる。

 どちらが勝とうとも知ったことではなく、戦いが終わることも望んではいないのだろう。いわゆる『戦争に生きる者たち(グリーンカラー)』というわけだ。同時に、その立場が戦場での相対的信頼を生んでいることも事実だが。


 とにかく、海の放浪者である彼らに出会えたことは、完全に奇跡と言っていい。僕自身、死んでしまう、と思っていたくらいなのだから。


「よく眠れたかな?レイニー君」

 助けられて初めて目覚めた僕に、メガネの男性が尋ねた。

 いつの間にか白いTシャツと迷彩柄の短パンに着替えさせられ、沢山のチューブに繋がれていた僕は、それには答えず聞き返していた。

「なんで僕の名前を…」

「スーツだよ。君のパイロットスーツにIDが登録されていたんだ。アレもうちの商品だからね。そのくらいはすぐに分かるんだ」

 微笑みを浮かべた表情を崩さず、メガネの男は即答した。滑らかな声と知性的な瞳が印象的で、どこか中性的な雰囲気を漂わせていた。

「ああそうだ。僕の名前はジェット。このWorld Arms社の副社長。よろしくね」

 そう言って、目の前の好青年は握手を求めた。



 メガネの男―――ジェットは、僕にここまでの経緯を話してくれた。僕を発見して、救助するまでの、極短い経緯だったけど。ちなみに、内容についてはさっきの通りだ。

 その短い間に、実はまだ痺れていたらしい頭はようやく回復した。

 同時に襲い掛かったのは、強い嫌悪感。理性を失った、自身のものとは思えない言動の数々に対してと、そして何より耐えがたい、最愛の彼女の―――サニーの死。

 どうして涙も流せないのか。多くを失ったあの頃と、僕は何も変わっちゃいなかったのか。

 サニーと心を通わせてから、短い間だったが、僕は変われた気がしていたんだ。機械のように合理的な手段を自明のこととして行う、そんな自分から。

 しかし今、僕はどうだろうか。彼女の死を、必要のないものとして心から遠ざけてはいないか。邪魔なものだとして、理解と受容を先延ばしにしてはいないか。

 僕は苦悩した。

 自分の、僅かな人間的な部分と、大部分を占める機械的な部分との狭間で。


「僕は…彼女を!なのに…っ!どうして…」


 急に取り乱した僕に、ジェットは医師に命じて鎮静剤を与えた。すぐに薬は効果を示し、僕は深い息をついてベッドに深くもたれた。思考がゆっくりと形を失い、フェードアウトしていく。

「自分の中の、矛盾する部分と戦っているんだね。心配しなくていいんだ。たとえそれが、誰かに作られたものだったとしても、そこにおかしなことなんて、何一つないんだよ」

 優しく、慰めるように、言い聞かせるように、教え諭すように。彼は言った。


 意識が遠退いていく。鎮静剤がかなり効いたようだ。心地よい眠気が、僕を安らかな深淵へと僕を運ぶ。

「コロニーとの合流までに一週間はある。ゆっくり休んで…」

 意識の消える間際、優しい口調のそんな言葉が僕の聴覚を撫でた。



 これは夢だ。

 僕はすぐにそう気づいた。

 なぜなら、僕には覚えのない光景だったから。


 僕の視線の先、広い正方形の部屋には、沢山の円柱状ポッドが横倒しになって並んでいる。穢れのない、清潔感のある白に満たされていた。ポッドの一つ一つが大量の細いチューブに繋がれ、その隣にある端末のモニターには心電図のようなグラフが刻まれ続けている。

 横倒しになった円柱の上半分は透明なガラス張りになっていて、僕はそれを何気なく覗き込む。ポッドの内部は半透明の緑で満たされていて、そこには小さな少年が浸されている。その体は既視感のある黒いスーツが覆っている。夢の中だからか、その既視感の正体がどうしても思い出せなかった。

 僕は少年の顔を凝視した。歳は判然としないが、かなり幼い印象。口元を酸素マスクのようなものが覆ってはいるが、特に苦しそうではない。ただ漠然と眠っているようにも見えた。そして、その少年にも既視感を覚える。だが、さっきのスーツよりも感覚が薄く、手掛かりは捕まる前に逃げ出してしまった。

 僕は顔を上げ、辺りをもう一度見回した。


 次の瞬間には、周囲は狭い空間に変わっていた。

 今度は、先ほどの少年が白衣の男と何やら話している。こんなに近くに居るのに声は聞こえないが、夢だから仕方がない。

 やがて少年は傍にあった小さなベッドに横になると、眼を瞑った。白衣の男は注射器を構えている。何かの治療だろうか。その割に、少年の顔に年相応の怯えは見えなかった。

 注射針が少年の首筋に潜り込む。ぴくん、と少年の肩がほんのわずかに跳ねたが、注射器の液体が減っていくにつれ、少年の力んだ身体から力が抜けていくのが分かった。


 少年はそのままストレッチャーに乗せられ、船に積み込まれていく。酸素マスクを始めとする物々しい器機を取り付けられながら。


 瞬きをした次の瞬間には、僕はかつて見慣れた光景の中に居た。「僕」は、その光景の中に呆然と突っ立っていた。

 僕は驚いた。だって、僕がたたずむそこは…―――――。



 僕はベッドから、がばっ、と飛び起きた。その拍子に右腕のチューブの一つが、ぶち、と抜け落ちた。針の刺さっていた場所から血が滲む。

 あの夢の景色。見たことのある場所だった。しかし、見た夢の記憶は目覚めた瞬間から急に薄らぎ、霧のようになって消えてしまった。

「あれは…何だったんだ?」

 自問するが答えなど返ってくるはずも無かった。


 まだいくつか残っていた針を勝手に抜いて、僕はベッドから這い出した。

 歩み寄った小さな窓から外を見ると、これ以上ないほどの快晴。僕はそれと対照的に、深く沈んだ、曇った心境でいた。


―――サニーは死んだ。

 遺体は発見できていないし、誰かがそう言ったわけでもない。だから、もしかしたら生きているかも知れない。そんな希望を夢見た。

 けれど、あの爆散する機体の中に在って、生きていられるはずもない。

その事実が、僕から希望を奪った。


 澄み渡る天涯を見つめながら、僕は考えてみた。


 もし。僕が彼女に想いを打ち明けなければ。それ以前の彼女ならば。僕を気遣ったがために油断をすることも無かったかもしれない。僕を無意識のうちに優先し、敵機の撃破確認を怠ることは無かったかもしれない。いつもの冷徹な判断で、二人、五体満足で帰れたかもしれない。

 だがそれは叶わなかった。僕は、己の半身を失った。僕の身体はどこも欠けちゃいないが、僕は五体満足では在り得なかった。


 もし、という仮説は何の意味ももたらさない。そんなことは僕も解ってはいるのだ。けれど、後悔は溢れて止まない。

―――後悔先に立たず。

 この言葉を僕に贈ったのは誰だったか。僕はこの言葉に翻弄されていたのかもしれない。操られていたのかも知れない。それならば、贈り主を恨むべきだろうか。もちろん、そんな見当違いなことはありはしない。

 それなら。

―――この言葉に促された、あの時の僕の選択は、本当に僕のものなのか。

 そんな問いが生じた。

 決断をしたのは確かに僕だ。

 だが、その選択肢を選ばせたのは、本当に僕の意志なのだろうか。


 要するに、彼女に想いを伝える、という行為が、なぜか僕のものではない気がしてきたのだ。


 その思考によって、僕が彼女の死を招いたのかもしれない、という自責の念に向かい合おうと…、否、それから逃げ出そうとしていた。それに気づいたとき、僕は更なる苦悩に襲われた。

 そこには、彼女の死を受け入れたい自分と拒む自分が同居していた。


 分からない。

 僕はどうしたいのか。

 彼女を本当に愛していたのか、さえも。


 解らない。

 僕は、僕のことが。


「レイニー君、もう起きていたのか」

 頭を抱えるようにして窓辺に立っていた僕の思考は、部屋に入ってきたジェットの声で寸断された。

「悩んでいるんだね。…バディのことかい?」

 見透かされているような気がして、僕の中の利己的な部分が警鐘を鳴らす。思わず身構えた。

「なんでそんなことがわかるんだ?」

 無意識に語調が強くなる。露骨な警戒の色に、ジェットは慌てたように答える。

「いや…、コロニーの『Angel』部隊は二人一組が原則なんだろう?君が一人なのは…そういうことなのかな、って」

 護衛隊の原則。二人一組のバディシステム。ジェットはそのことを知っていただけなのだ。

 どうやら、僕の神経は思ったよりも摩耗しているらしい。

「それを知っていたのか。…すまないね、声を荒げてしまって」

 謝ると「気にしないでくれよ」と言って、ジェットは安堵したような微笑みを浮かべた。

「朝食を持ってきたんだ。食べてくれるかい?」

 そういう彼の手元を見れば、トレイの上のパンとスープが目に飛び込んできた。

「…いただくよ。ありがとう」



「差し障りがない範囲でいいんだ。よかったら話を聞かせてくれないか。カウンセラーじゃあないけど、力になれるかもしれない」

 朝食を終えた僕に、ジェットはそう切り出した。

 WA社はあくまでも中立の立場をとっている。それは、陸海のどちらにも与せず、利益を優先することを指す。ゆえに、有益な情報一つでも必要な者に売り渡す可能性が考えられる以上、余計な情報は与えてはならない。

 少し迷ってから、僕は答えた。

「…分かった。聞いてくれ」

 そう答えたのはやはり、分からなかったから、なのだろうか。


「君は、間違っていないと思うんだ」

 サニーを失ってから考えたことを、僕は打ち明けた。サニーにまつわる僕の話と、僕の過去。それから、…僕は想いを伝えるべきだったのか、を。

「後悔を、あらかじめしておくことなんてできない。君の行動一つ一つは、だから間違っていようがないよ」

 ジェットは迷いなく、そう言い放った。僕は何も言わなかった。

 しかし、だからと言って彼の言うことを全面的に是とはしない。

「自分のことがわからない、と君は言ったよね。自分の過去のことさえも。それなら、自分の過去について調べてみたらどうだい?」

 ジェットの奇妙な提案に、僕は小首を傾げた。

「僕の過去について調べる?」

「そう。原点回帰、とでも言おうか。君が知らなくても、君にまつわる記録が、コロニーには残されている筈だろう?…不謹慎だけど、君の両親は既に居ないのかもしれない。でもまだ、分かることはきっとあるよ。そうすれば、君が何者なのか、分かるかもしれない」

 励ますように、ジェットは言ってくれた。

 根拠はないが、そうすることで何もかも解決する気がして、僕は少しだけ救われたように感じた。

「そういえば、君が乗ってた機体、随分変わった機関を積んでたね。あれはどこで手に入れたんだい?」

 『巨神の心臓』のことだろう。

 話してよいものか迷ったが、入手先くらいなら教えても問題はないだろう。

「鹵獲した機体からコピー製造した、って聞いてる」

「ふぅん…そうなんだ」

 そこには、なんだか妙な間があった。



 六日が過ぎた。

 WA社の船は、波の小さな海域で静かに錨を下した。今日はコロニーとの定期交易の予定だそうだ。これだけ早く帰れるのは、不幸中の幸い、というべきか。


 そういえば、この六日間の間にジェットは色々とよくしてくれたが、僕はあるとき、その理由を聞いてみた。

「君には利用価値があるからさ。君のいるコロニーは、僕らにとって、大事なコンシューマーだからね。それに何より、客人はもてなせ、との社長の命令だからさ」

 そう言ってジェットは笑った。

 思いの外、彼は打算的な人物だったようだ。抜け目のない、とも言えるか。

 僕はそんな彼の物言いに、どこか共感すら覚えていたように思う。


 そんな打算的な彼は、コロニー側の船の到着を待つ間に、こんなことを言い出した。

「君を助けたんだから、少しは交渉がスムーズに進みそうだね」

 おどけたような言い方だったが、きっと本心だ。それが分かる程度には、僕らは打ち解けていた。

「僕のほうからも口添えをしておこう、と思ったんだけど、そんなことを言うならやめておこうかな?」

「ははは、悪かったよ」

 こうやって笑い合う時間は、僕にかつての日常を思い出させた。



 一時間ほどで、大型の輸送船がWA社の船に合流した。ちょうど、正午になった頃だった。

「レイニーさん!生きてたんスか!よかった…」

 交渉にやってきていたシグレが、涙を滲ませながら言った。

「姉御は…?」

 問うたシグレに、僕は無言で首を横に振った。

 シグレは、はっとした表情を浮かべ「すいません…」と頭を下げた。

「いつかはこうなると思ってたんだ。…気にしないでくれ」

 そう言った僕は、はたと気付いた。

 僕は、こうなることを予想していたのだ。だからこそ、彼女と距離を置いていたのだ、と。

 それは意図的に自身を納得させることで、信頼という蓋で閉じ込めた思考。

 僕は内心で、自嘲する。やはり彼女を殺したのは僕じゃないか、と。

「それより、『RAIN』はどうしたんだい?」

 僕は話題を変えるように切り出した。

「ああ…、今、積載が終わったところッス」

 困惑の表情を浮かべるシグレ。その表情の理由は、僕の言動が思ったよりドライだったから、だろうか。

「ありがとう。…少し用事があるから、僕は行くよ。また後で」

「は、はいッス」

 シグレとの間に生じた微妙な空気に耐えられなくなって、僕はその場を去った。


 シグレと別れてから、特にすることも無かった僕は、WA社を去る前に、もう一度ジェットに挨拶をしておくことにした。実は、助けてもらったお礼も言っていないのだ。このままではコロニーの心証を悪くされかねない。

「やあ、レイニー君。どうしたんだい?もうお別れなのが寂しくなったかい?」

 突然に訪れた僕を、仕事中のジェットは嫌な顔一つせずに迎えた。何やら話の最中だったようで、申し訳ない気持ちになる。

「今。忙しいんじゃないかい?」

 僕が尋ねる。

「気にしないで。さっきのは仕事とは無関係なんだ」

 僕の遠慮は、かえって彼に気を遣わせてしまった。

 とにかく用事は早めに済ませよう、と思い僕は切り出す。

「助けてくれたこと、まだ礼を言ってなかったよ。ありがとう」

 きっと僕は心にも思っていないかもしれない。だが、僕の良心はそれを僕の口から言わせた。

 彼は一瞬、驚いたような表情で僕を見ていたが、すぐに答えた。

「どういたしまして。ははは、そのためだけに来てくれたのかい?」

 微笑み。それを顔に張り付けて彼は言った。

「一応、筋は通しておかないと、と思ってね」

「うんうん、賢明だね」

 そう言って、二人で小さく笑う。

「取引は終わったよ。もう行くんだよね?」

 と、ジェット。

「ああ。それじゃ、ジェット。元気で」

「うん。また会おう」

 僕は手を振りながら、来た道を戻り始めた。彼も笑顔で僕に手を振った。

―――また会おう。

 彼はそう言った。会う予定など、あるはずもないのに。


 僕は笑いながら、コロニー所有の輸送船を目指した。



 三日ほどかけて、船はコロニーへとたどり着いた。

 その間、僕は何をしていたかというと、ずっと部屋に閉じ籠っていた。巨人の飛び交う青空を眺めながら。飛び回る巨人の警備兵たちは、水揚げされる魚に集る海鳥のようだった。

 そんな風景を眺めつつ、僕は考えたのだ。僕の中に巣食う矛盾と、圧倒的な殺意について。


 僕は、彼女の死を前にしても、涙を流して泣くことができなかった。泣きたくても、泣けなかった。

 それは僕の中の、いっそ残酷なまでに冷徹な部分のせいなのだろうか。


 彼女を喪ったとき、怒りと悲しみとを引き金にして湧き出た、蒸気を逸するであろう殺意。守れなかったから殺そう、という自分勝手な殺意。

 それは本当に僕の内から湧き出たものなのだろうか。


 自分のものであるはずなのに、それらの行動や感情に、僕は疑問を抱き続けた。

 自身に、問い続けた。勿論、答えなどどこからも返ってこないし、そもそも存在しないかもしれない。


 ただ一つ。決めたことがある。

 僕の選択に「自分」を感じられないのは過去の欠損が原因だ、という仮説を立てるに至り、やはりジェットの言ったように僕についての過去の記録を調べることにしたのだ。


 そんなわけで。

 コロニーに帰り着いた僕は今、上官の部屋の鉄扉をノックしている。より高度な情報へのアクセス権限を手に入れるためだ。そうでもなければ、こんなところには来ない。

「入れ」

 いつものような、厳格な声色。思わず気が引き締まる。

「失礼します」

 扉を開け、後ろ手に閉める。金属の軋む甲高い音が響いた。

「レイニーか。よく生きていてくれた。サニーのことは…残念だった」

「やめてくださいよ。今日はそんなことを言ってもらうために来たんじゃありませんから」

 僕の淡白な反応に、上官も面食らったような顔をしていたが、すぐに厳格な父親のような顔に戻った。

「過去の記録について調べたいんです。アクセス権限をいただけないでしょうか」

 正直、この発言は賭けだった。たかが護衛隊のパイロットが過去の情報を調べたいから権限をくれ、などと言うのは、明らかにおかしな話だ。偏見、と言えばそこまでな気もしないではないが。

「ああ、構わん。私のカードを持っていけ」

 そんな心配をよそに、上官は拍子抜けするほどあっさりと、自分のIDカードを手渡してきた。疑う素振りも見せずに。

 僕は内心、戸惑っていた。ここまで情報の管理は甘いものなのだろうか、と。まあ、ここでつべこべ言っても仕方ない。とにもかくにも必要なものは手に入ったのだ。この甘さに、甘えておこう。

「ああそうだ。調べ物をするなら、地下のデータベースを使え。少なくとも二十年分のデータがあるはずだ」

「ありがとうございます。失礼しました」

 僕は逸る気持ちを抑えながら、足早にコンクリートづくめの廊下を急いだ。



 夕方。海鳥たちの遠い声が残響を残し、夕日は水平線に浸かっていく。雲の出てきた空は、赤い陰影を刹那に刻んでいた。


 僕は過去の記録を全て洗って、僕に関する記事をほんの二つだけ見つけた。そのうちの一つが、僕にはあまりに衝撃的だった。

 一つは、僕の育った、今は無き孤児院について。

 あの火事は、放火だったそうだ。何者かが火を放った痕跡が、孤児院のキッチンから見つかった。警察代わりの駐留部隊が調査をしたところ、ガス栓が故意に切り刻まれていたという。生き残りは僕だけ。警察は僕を疑ったが、証拠不十分により無罪となり、真相は闇の中。

 これは僕も知っていた。勝手に外に出かけていた僕だけが助かった、という悲劇だ。

 だから、本当に衝撃的だったのは二つ目だった。

 二つ目は、行方不明の少年が五年ぶりに保護された、という記事。

 僕はどうやら五年間もの間、変態趣味の誰か、或いは秘密組織に監禁されていたらしい。こちらも犯人は捕まっておらず、真相は闇の中だという。そして僕は何かの拍子に記憶を失った、と。

 僕には、監禁されていた、という記憶すらない。記事を見ても何も思い出せなかった。

 しかし、過去を調べる中で判明したことがもう一つ。

 それ以前の僕の来歴、僕の両親がいつからいないのか、さえ分からないことだ。

 データベースの検索画面を舐め回すようにして探したが、足跡一つ残っていなかった。

 僕は空っぽの人間だった。

 僕はそれを認めたくなくて。

 現実から逃げるようにサニーのことも知ろうとして、彼女が家族を失ったという事故を探してみたのだが、それすらも存在しなかった。そのときの僕の気持ちが分かるだろうか。

 感じたのは奇妙な脱力感だ。サニーと「いたした」後とも、疲労感から来るそれとも違う。いわば虚無感 だ。騙されていたという虚しさだ。

 もっとも、事故がアーカイブされていないだけの可能性もあった。だが、処理された事故や事件が自動で記録されるシステムを用いているデータベースにおいて、それはまずありえないことだった。

 僕は、彼女にはもっと知られたくないことが在ったのかも知れない、と無理やりに自分を納得させておくことにした。たとえ彼女が僕に嘘をついていたとしても、彼女と愛し合っていたことだけは、嘘や幻だと思いたくはなかったから。


 いまや僕の中には、サニーのくれた愛と、僕は何者なのか、という問いしか残ってはいなかった。僕は、そのくらいには空っぽだった。


 僕はカードを上官に返した後、上官の心配する声も聞かずに、ふらふらと歩き続けた。きっと僕は酷い顔をしていたのだろう。しかし今はそんなこと、どうでもいいんだ。


 歩き続けた僕は、いつかの公園にやってきていた。何を期待したわけでもない。ただ通り掛かっただけのはずだった。それなのに公園のベンチに腰掛けて、顔を振って僕は誰かを探していた。

 他ならぬフユを探していることは、もはや言うまでもないだろう。


「…ま、居ないよね」

 そんな都合よく現れるものではない、と分かってはいる。だが、これまでもそうだったように、彼女は、僕がやってきた日には必ずここに表れた。だから、僕は少しの望みを捨てきれなかった。


「来たんだ」


 それは待ちわびた声だった。その筈だった。

だがその響きは氷のように冷たく、殺気すら孕んでいるように感じられた。しかも、その殺気には、信じられないことに既視感があった。

「…お帰り。雨の人」

 あの赤い巨神のパイロットと同じような呼び方で、あの少女は僕に言った。

 背後から聞こえた声に、僕は振り向けずにいた。その声の主が、あの少女のものであることを拒むように。

「お前は…」

「フユ」

 言葉が、電流となって僕の脳天を突き刺した。鈍い痛みを残すように、じわじわと衝撃が広がる。

「…もしくは、仮コード『SNOW』」

「馬鹿なっ!」

 僕は叫び、立ち上がる。咄嗟に振り向いた視線の先には、確かに幼気な少女が在った。何もかもが、ありのままにフユだった。しかし、その双眸だけは虚空を見つめるように濁っていた。

「お前は…『SNOW』は隔離房に居るはずだ!今も!」

 僕は憤怒していた。

 何に?

 きっと、裏切られたように思ったんだ。まさか幼女に騙されるなんて思わない。それだけではないのかも知れないけど。

「そうね。コロニーへの襲撃があった日から三日後、あたしの様子を見に来てくれたわね」

「…っ!」

 なぜ知っているのか。僕は彼女の言う通り、その日に『SNOW』のもとを訪れた。だが、『SNOW』はそのとき、いまだに昏睡状態にあったはずだ。見張りだっているのだから、そもそもここには居られないはずだ。

「どうやって逃げ出した。いや、どうしてあんなことが出来た…?」

「いいわ、話してあげる。…長くなるから、座ったら?」

 僕らは、初めて…いや、再び出会ったあの夜のように、二人並んでベンチに腰掛けた。あくまでも、彼女がフユであり『SNOW』であるなら、だが。

 彼女は短くて地面に届かない足をプラプラさせながら話し始めた。

「赤い粒子、分かるでしょ?『あたし達』は、あれを『卵』って呼んでる。あれは、ある『蟲』の卵なの。放射線のエネルギーを喰らい、変換する、特殊な『蟲』よ。―――『蟲』といっても、一種の微生物のようなものだけど。…そいつはエネルギー変換の際に、エネルギーの一部を利用して大量の卵を産む。その卵を人間が吸い込むと、どうなると思う?」

「…僕たちの中で、孵るのか」

「そう。そして、孵った『蟲』たちは、宿主にある影響を及ぼす」

「馬鹿な…。うちのエンジニアは『害はない』と言っていた。そんなはずはない…」

「『害』はないわ。…厳密には、あたし達には気付けないから『害』として認識できない。それに『蟲』は人間にしか感染しない」

「…!」

「人体内部で孵った『蟲』は、宿主に特定の行動・意識を促すの。例えば、高いところから飛び降りようとさせたり、人を積極的に襲わせたり、ね」

「…催眠と違うのか?」

「似たようなものよ。ただ、『蟲』には決定的な違いがある。それは、外部から促す行動を選択できること。それも、不特定多数に」

「…生物兵器、なのか?」

「捉え方によるわ。毒も薬も本質は同じなように、ね。…とにかく、その選択ができるのは、オリジナルの『蟲』を持つ者だけ。オリジナルには人間に対する影響力はない。代わりに卵を媒介にして宿主の意思を促すものとして反映させることが出来る」

「つまり、そいつの思うがまま、ってわけだ」

「そう」

「で、君はそのオリジナルの感染者、ってわけかい?」

「現状ではそうよ」

「でも、あの夜に会った段階で、みんなは卵には感染して…」

「コロニーの発電施設、見たことある?あれには、『蟲』を利用している。『心臓』より大きな物をね。そしてそこから、卵はコロニー全域に広がるようになっている。そして、その技術は、既に陸のすべての『クニ』に広がっている」

 不意に、赤い巨神を思い出した。しかし、語られた多くのことについて、僕は知らなかった。

「知ろうとしないように、促されていたのか…。君に」

「そうね。でもあたしにはもう必要ないから」

 彼女がそう言った瞬間、僕の口を彼女の口が塞いだ。大量の唾液が、舌と一緒に滑り込む。思わぬ行動に、僕は硬直してしまう。あるいはこれも、『蟲』がそうするように促したことなのか。

 糸を引きながら、僕の口から彼女の唇が離れた。

「あなたにあげる」

「…まさか」

「…私には適合しなかった。強い欲がないから、『蟲』を扱いきれなかった」

「君が子供だから、じゃないのか」

「これでもあなたと同い年なの」

 …嘘だろ。

 もはや言葉にならない。

「待て。なぜ僕の歳を知っているんだ?」

「あなたとあたしは同じだもの」

 同じ…?

 僕には意味が解らなかった。彼女と僕が同じだと?

 沈黙する僕を一瞥すると、彼女はまた話し出す。

「『生まれながらの兵士』、知ってる?それよ。あたしとあなたは同じなの」

「嘘だっ!僕はこの場所で、コロニーで育った!造られた存在だなんて…!」

「およそ十年」

 取り乱す僕に、彼女は淡々と言った。僕は動きを止めた。息をすることさえも。

「…およそ十年分の記憶が、あなたには無い。それは、あなたが最初から『蟲』に適合する人物として造られたから。計画のために、幼いあなたは過去を失った」

「そんな勝手なことが…―――」

「―――許された。平和のために」

「…平和?」

 耳を疑った。

「…『蟲』は、ある企業が、二十年ほど前に作り上げた。その特性を生かして、人類に『闘争本能』を忘れるように促そうとした。でも、適応者がいなかった。だから、既に成功を収めていた『生まれながらの兵士』の技術を用いて、遺伝子調整を施されたあたし達が生まれた」

「企業っていうのは…」

「World Arms社よ」

 絶句。

 あの、戦争を助長するような企業が、平和だって?

 僕は嘲笑った。

「矛盾してるじゃないか!馬鹿なのか…!」

「必要な資源の入手と、卵をばら撒くため。仕方がない、と社長は言っていた」

「社長?誰だ、そいつは」

「…――――――」

 強い風が吹いて、その声はかき消されそうになった。だが僕は、しっかりとその名前を聞いた。

 怒りがこみ上げた。

「何もかも、仕組まれていたっていうのか…!僕の人生は、いったい何だったんだ!」

「生憎、哲学には興味ないの。でも、あたしは今日、全てから解放される。そのとき、あなたにも失われたものが返ってくる。あとはあなた次第よ」

「何を言って…」

 少女はベンチから飛び降りると、背を向けて歩いてゆく。

「あなたと遊んだ時間。まあ、悪くなかったわ」

「…聞こえないよ」

 僕は彼女の声に、並々ならない覚悟を感じた。僕の知らない、彼女なりの苦悩が、苦痛が、彼女にそうさせたのか。

「さよなら。レイニーおじさん」

 振り向かず、彼女は…―――フユは去っていった。

 後に取り残された僕は無言で立ち尽くしていた。

 彼女は、言うべきでない情報を、おそらくすべて僕に渡した。

 もとから想定していたことなのだろうか。彼女の裏切りなのだろうか。真相はここにはもう無い。

 僕の殺意も、造られたものなのだろうか。泣きたくても泣けないのは、造られたが故の不具合なのだろうか。答えは見つからない。

 僕は歩き出す。あの場所を目指して。


「上官。お時間よろしいですか」

 僕は同じ場所で、今日何度目かのノックをした。

「レイニーか。入れ」

 僕に背を向けたまま、上官は振り返らない。後ろから刺し殺せそうだ、と思った。

「今度は何の用だ」

「話がある。…WA社ジーク社長。他ならぬお前に」

 その背中を睨み付けるように僕は言い放った。

 机の上には、僕が返却したIDカードが放置されている。そこに刻まれているのは、他ならぬ上官の名。

 ジーク。

 二十年前、苦悩するべき僕が生まれるきっかけを作った男、ジークは僅かな微笑をたたえて振り返った。

「いつからだ。いつから気付いていた?」

「さっきだ。フユ…『SNOW』から聞いた」

「それが、彼女の選択か…。まあいい」

 上官は微笑みを消すとこちらを真っ直ぐに見つめた。

「何が知りたい」

「どうして俺を、こんな風に作った?どうして…俺みたいな人間を造りだしてしまった…?」

 喉から絞り出した声は酷く掠れていた。

「平和のため、仕方がなかった」

「そんなの…おかしいだろ?」

 鬼のような形相で、僕は言う。

「平和のためなら、どんな犠牲でも厭わない、って言うのか…?」

 憎しみと怒りを乗せて、僕の言葉は彼に…ジークに飛び掛かる。

「お前のかつての日常も、そうだったろう?」

 強烈な衝撃が、言葉ごと僕を捻じ伏せた。何も言えず立ちすくむ僕に、目の前の高齢な男は言葉を重ねた。

「いつ、どんな時代も、いかなる平和にも犠牲が付きまとった。それは、いうなれば不変の真理だ。そもそも平和とは、争いに対して相対的に存在する。つまり、平和の裏にはいつも争いが存在していた。レイニー、お前が甘受していた平和も、お前が打ち倒した者たちの犠牲の上に成り立っていたのだ」

 その言葉は、僕の心を絡めとりじっくりと嬲り殺さんとする蜘蛛のようだった。

「でも…僕にそうさせた殺意は、お前らのせいで湧き出たものだろう?」

 常軌を逸する殺意。溢れた黒い粘性の感情。それは幾度となく僕の内に湧き出ては、僕を獣へと変えた。それが、僕のものであるはずがない。

「それは違う」

 思考を、ジークの言葉が粉砕し、否定した。

「レイニー、お前の以上極まる殺意は、確かにお前自身のもの。我々は、それを少しばかり増長したに過ぎない。…分かるか?その殺意は、人間のものだ」

 あの獣のような感情が…人間のもの?

「…我々の計画において、お前に求められたのは合理的…『理性的思考』だ。だが、それを徹底する一方、釣り合いを取るかのように『野性』もまた、強くなった。その結果だ」

 淡々と語る男に、僕はもう、怒りを通り越して笑いが漏れた。

「そのせいで…僕はどれだけ苦しんだと思うんだ…!泣きたくても泣けない僕の気持ちが分かるか?」

「……」

 上官は何も言わなかった。何を言っても無駄だと分かっているのか、口を開こうともしない。

「僕は、この世界が憎い」

 ぴくり、と上官の片眉が上がった。

「犠牲が必要だ、っていうなら。平和を、お前が望むなら。僕は…」

 僕はポケットからリボルバー拳銃を取り出し、構えた。上官の眉間に照準を合わせて。

「…お前にだけは、その世界を見せてはやらない」


 乾いた銃声が響き渡った。



 僕は痺れる右手を押さえながら、射出装置の場所に向かう。

 響いた銃声で警備が集まってくる中、僕はその間隙を縫うように足を速めた。

 辿り着いた射出装置には、既に巨人が…『RAIN』が準備を完了した状態で待っていた。

 僕は怪訝に思いながらも、装置に近づいた。

「動かないでちょうだいねぇ?」

 女性調の低い声。

「クラウド…」

 男女の曖昧な人間、クラウドが装置の影から現れた。

 その手には、自動拳銃が握られている。その照準は僕の心臓に向けられている。

「お話を、しましょう?」

「クラウド、お前もか?」

 沈黙が満ちた。それは間違いなく、肯定を示す。

「レイニー、行くのね?」

 クラウドは寂しげな顔で言った。

「随分と寂しそうじゃないか。実験体に情でも移ったのかい?」

「ええ、そうかも知れないわねぇ」

 僕の問いに、彼は顔色一つ変えずに答えた。

「『蟲』を使って、あなたがどんな世界を叶えるのかは知らないわぁ。でも、一つだけ、言っておくわね」

 銃を下ろし、彼女は一つだけ溜息を吐く。

「どれだけこの世界を、人間を憎んでもいい。でも、あなたが愛したはずの彼女は、この世界を生きた。あなたと、この世界で愛し合った」

「何が言いたいんだ?」

「…たとえ何があっても、あなたが感じたものは、きっと本物よ。作り物なんかじゃない」

 僕は何も言わなかった。

 再び、沈黙が満ちる。

「あ、レイニーさん!クラウドさんも!」

 沈黙を破ったのはシグレの声だった。

「さっきの銃声、きこ…え…」

 言いながら、視線がクラウドの下げた右手に落ちた。

「クラウドさん…あんたまさか…っ!」

 刹那、クラウドの右手が閃いた。


 消音機に抑えられた、微かな銃声。


 銃声とほぼ同時に頭を仰け反らせ、仰向けに倒れるシグレ。


「シグレ…?」

 僕は取り乱す。そんな僕を嗜めるように、クラウドは言う。

「眠ってるだけよ。彼は無関係なの。…あなたは早く行きなさい。ここにも警備がやってくるわ」

「クラウド、君は…」

「あたしも、選ぶことにしたの。あたしは、結末を見届ける。あなたへの罪滅ぼし…ってわけじゃないけど。単純に興味もあるの」

 クラウドはそう言って、うふふ、と笑った。

 彼女なりに、色々と悩んだのだろうか。或いは、自身の関わったことに責任を持とうとしているのか、本当に興味本位なのか。

「クラウディ、君の思う結果にはならないよ、きっと」

 僕はそれだけを言い残して、機体に乗り込んだ。

 眼を見開いたまま突っ立っていた彼女は、やがてにやりと笑った。

「不意打ちはずるいじゃないの…」




《終章》

 携帯型の酸素ボンベが取り付けられたヘルメットだけを被って、僕は夕日の中を駆ける。

 夕日よりも赤い粒子を吹き出して飛翔しながら、僕は体に宿る万能感を感じていた。


 ああフユはついに行ってしまったのか、と直感する。


 次の瞬間には、走馬灯のように過去を思い出した。きっと、フユが思い出せないようにさせていたのだろう。

 しかしその記憶達は、なんとも味気のないもので、僕は落胆してさえいた。思ったより僕の過去は平凡だったようだ。それに、今頃思い出したって何も思わない。過去とは違ってしまった僕がここに居るのだから。

 過去は変えられない。変えられる過去には意味は無いのだから。


 だから僕は、今を見ている。

 この先を、考えている。


 それでも、彼女を思い出すと、涙がこぼれた。暖かくて、やっぱり悲しかった。


 僕は、僕から色々なものを奪ったこの世界を、憎んでいる。

 彼女と出会えたこの世界を、愛している。


 この矛盾が人間なのだろうか。


 その矛盾は、また僕を迷わせる。


 この力を、どう振るえばよいのだろうか。

 憎むべきこの世界を、今度こそ破滅させようか。

 愛すべきこの世界を、平和に導こうか。


 僕は、自分の世界だけを守りたかった。

 愛した彼女は、平和を望んでいた。


 愛した人がいた世界を。愛した人がいない世界を。僕は、どうしてしまおうか。


 不意に、酸素残量が残り少ないことを告げるビープ音が鳴り響いた。

 おいおい、そんなに急かさないでくれ。


 僕は深呼吸をする。

 大粒の涙は溢れ続けている。


 僕は、信じてもいない神を気取って、命じる。


 僕の選択を。



「全人類に告ぐ。今、この時をもって…――――」



 世界を、変革の渦が支配した。


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