天の川と赤い糸
誰にも叶わないこと、諦めざるを得ないことがある。
例えば、鳥の様に空を飛ぶことだったり、魚の様に海を泳ぐことだったり。
そんな夢物語は元より誰もが知っていることだが、案外身近なところにもあったりする。
恋愛、というものは原初より男と女で行うものだという暗黙のルールがある。
そんなルール、この人の中からなくなってしまえばいいのに。
列車の中にはあなたと二人きり。
最終列車ともなれば窓の外も真っ暗で、時たま街灯がたなびいた。
それは都会に落ちた悲惨な天の川のようでかの有名な悲恋を思い出さずにはいられなかった。
心の中ではあなたとの恋を諦めていたのかもね、なんて悲劇のジュリエットを演じてみたりもした。
二人で繁華街の一角で酒を酌み交わした。
あまり人の居ない流行らないバーでのモヒートは未だに胃で清涼感を留めている。
安っぽいつまみはただ酒を煽るだけの道具に過ぎず、ふたりの関係の虚しさを助長させるようだった。
かたん、軽くなったグラスをカウンターに置いて、無愛想なマスターに人差し指をたてると彼は確かに頷いた。
その間も隣の男は机に突っ伏して、寝言のように女の名前を繰り返した。
4杯目のモヒートに味はなく、冷えた感覚が舌を責め続け、これは氷の冷たさなのかミントの清涼感なのか、まったくわからなくなっていた。
そこからどのようにこの電車に乗ったのか、記憶は全くない。
気がつけばそこは見覚えのある部屋だった。
毎日代わり映えしないこの風景で朝を迎えるにはもう飽きた。
ただ、いつもと違うのは、隣で自分のベットの半分を彼氏でもない男が占領していることだけだった。
男は健康的な寝息を立ててはいるが、目尻は赤く擦れていて痛々しい印象を受ける。
指の腹でその傷をなぞれば、とてつもない愛しさが込み上げてきて、同時にあの女への嫉妬を孕んだ溜め息が漏れでた。
「ばか、」
男は未だに瞼を閉じたままで無防備な寝顔を晒している。
一人で呟いた自分の女々しさを嘲笑いながらもう一度声に出す。
「ほんと、ばか」
この言葉はこの男に言ったのか、自らに戒めたのか、はたまたあの女か、分からないままに空気中に溶け出した。
楽しい気分ではないのに、昨日のバーで流れていたジャズの一節を鼻唄に乗せてシャワールームへと向かった。
確かその歌は神を讃えていた。
神様なんていないことくらいもうずっと前から知っていた。
この男があの女への恋を燻らせた頃からずっと。
神様がもしいるなら、この男との恋の終わらせ方くらい素敵なものにしてくれるはずだったのだ。
きっと、バーで淡い色のカクテルを煽りながら他に好きな子ができたとかでフッてくれるはずだったのだ。
なのに、スマホから流れる声のない陳腐なメロディがロマンチストを殺したのだ。
画面にはわたしの双子の姉の名前が写し出されている。
姉の着信にしかならない甘い恋を歌ったメロディに吐き気を覚えた。
しばらくして着信が鳴り止むとスマホは画面を機械的にホーム画面に戻す。
大きな画面いっぱいには姉と目の前の男が幸せそうに微笑んでいる。
その姉の顔を見たあとに自分は鏡を覗きこんだ。
変わらない、ほとんどなにも変わらない。
目はちょっとつり目で、鼻は小さくて、唇は薄く、ピンク色で、なにも変わらないのに。
同じ顔なのに。
「なにか、ちがう?」
性格だって似たようなものだ
なのに、どうして、あなたはわたしを選ばないの?
あぁ、そうか、ぼくとあなたの性別が同じだったんだね。
あの時、ぼくの告白を受け入れたのはただの興味本位だったのも知っていた。
それでもあなたがぼくの隣にいてくれるだけで、子供だましに触れてくれるだけで、とても幸せを感じれていた。
でも、ぼくに姉の影を見つけていたのだけは我慢ならなかった。
興味本位でも、ぼくを見てくれればよかっただけなのに。
ぼくはあの女みたいにさびしいなんて言ってあなたを困らせはしないし、束縛もしないのに。
おねだりなんてしない、きっとあなたの負担になんてならないのに。
女なんて月に一回股から血を流すような生き物じゃないか。
あんな妙な生き物の何がいいのか分からない。
どれだけセックスしても妊娠なんて面倒なこともぼくなら起こさないのに。
あなたが大好きだ。
でも、姉の自分本位な自己満足によってその小指に絡んだ細いピンキーリングを着けたあなたは大嫌いで反吐が出そうだ。
ぼくは包丁を持ち、昨日電車から見た地上の天の川に祈った。
どうか小指が赤い糸と共に切れますように、と。
「赤い糸と天の川」
あの子がいなくなれば全てがうまく回ったのに。