004・柚姫視点
『お前…、誰にも話してなかったのか…』
大勢に嫌われているなんて言葉じゃすまない。
誰にも話していないということは、こいつにとって全員が敵だ。
だが、タモンだけは違う。
そんな目で鷸亀を見ていないし、周りの者と違うのは初対面の僕にだってわかる。
『(ーーっ、話さなかったんじゃない…。その必要がなかったんだ…)』
思い返せば、こいつが気にしていたのはただ1つ。
なぜ助けてくれないのかではなく、なぜ化け物の事を教えてくれないのか。
それに暴力だとわかっていなかったし、それは笑顔を見るための方法だと勘違いしていた。
そんな鷸亀が助けを求めるなんてまずないだろう。
ならば、タモンに暴力のことを話す必要はない。
「殴られるってどういう意味だ、鷸亀…」
「そんなのもういいから!!柚姫を殺さないで!!」
『それだとここに来た意味がないだろう。目的は真実を知ることだ。違うか?』
「オレ達は「特別」なんだろ!?だからもういいよ!!」
今にも泣いてしまいそうな鷸亀は、ギュッとズボンを握りしめた。
「暴力については後で聞く…。特別とはなんだ…」
「ーーっ、化け物…」
「化け物が特別だと!?あいつは特別なんかじゃねぇぞ!!その名を二度と口にするな!!」
この言い方だと化け物とやらは存在するようだ。
そしてそれは、こいつが恐れる者であるらしい。
でないとしたら、肩で息をするほど怒鳴る理由がわからない。
「タモン様…、どうしてオレはみんなから化け物って呼ばれるの?オレは化け物なの?」
「違うっ!!あいつはっ…」
目に涙を浮かべタモンを睨みつけた鷸亀は、悔しさからなのか怒りなのか、さらに強くズボンを握りしめた。
「…何か隠してるの?」
「話せないんだ…」
「ーーっ、もういい!!もう何も聞かない!!柚姫がオレの家にいてくれるから何もいらないっ…」
「馬鹿なことを言うな!!身元もわからん奴だぞ!?」
タモンに背中を向けたのは、これ以上話すつもりがないからだろう。
ただのあだ名ならよかったのに、最悪な結果だ。
『……もう少し詳しい話をするから、お前は外で待っていろ…』
「うん…」
鷸亀がいなくなり、部屋はしばらく沈黙に包まれた。
イヤな空気だ。
『……上に立つ者とはツラい立場なのだろうが…。あいつの話を聞いてわかっただろう?薄々気づいているのに、なぜ話してあげないんだ…』
目を伏せたタモンは、眉間にシワを寄せ深いため息をつく。
「話せないと言ったはずだ…。話したところで鷸亀が悲しむだけだしな…」
『あいつはもう…』
十分悲しんだ。
そう言ってやれば、暴力のことかとまた息を吐く。
『悲しむから話さない、か。それは己の立場を正当化しただけだろう』
「正当化だと!?ふざけるな!!」
『理由がそれだけならそう思われても仕方がない。…あいつは化け物と呼ばれる理由を知らないんだぞ?それなのに、化け物を否定されては、鷸亀の存在そのものを否定したも同じじゃないか』
「鷸亀と化け物を一緒にするな!!あいつはあいつだ!!」
『……なぜそれを本人に言ってあげなかったんだ。否定するだけ否定して、後からそう言ったところで手遅れだがな…』
「ーーっ、それでも…話せねぇんだよ…」
『僕はこの国の者ではないし、事情を知らないからこれ以上化け物については何も聞かない。だが、もっと言い方があったはずだ…』
もう少し待ってくれ、と。
時間がほしい、と。
ただそれだけで違ったはずなのに、話も聞かずに頭から否定されては、己を化け物だと思っている鷸亀はどうなる。
自分の事を否定されたのだと傷つき、余計に殻に閉じこもってしまうだけだ。
『そんなにあいつを孤独にしたいのか…』
「そんなわけあるか!!ーーっ、知らなかったんだ!!鷸亀のことは任せていたのに報告すらなかった!!暴力を受けているなんて、さっき初めて耳にしたんだぞ!!」
『ならば、その任された奴もあいつのことが心底嫌いなんだろうな。別に暴力のことで責めているわけじゃないんだ。お前はこの国のトップでありながら隊を束ねる者だと聞いた。そんな立場にいる奴に、四六時中鷸亀を見ているのは無理だとわかっている』
でも、そこじゃないんだ。
あいつは、暴力のことを気にしてほしかったんじゃない。
『ただ知りたかっただけなんだ。自分は化け物なのか、そうじゃないのか…』
「なぜそんなことを気にするっ…。どう見ても化け物じゃねぇだろっ…」
『それはあくまでお前の目線だ。まだ幼い鷸亀には通用しない…』
知り合ったのはつい最近ではあるが、僕は一度も鷸亀と呼んでくれる者に出会っていない。
まぁ、砂場にいたあの子達は別だが。
「それは…本当なのか?」
『あぁ…。化け物と呼ばれすぎて自分の名前すら覚えていなかった。よく知らんが、名前を呼んではいけないって決まりもあるらしいしな』
「そんな決まりがあるわけねぇだろ!!」
『よく知らないと言ったはずだ。当主様とやらが決めたらしいぞ?名前を呼んでいいのは、あいつを引き取った家族だけだと…』
「意味がわからんっ…」
『理由は化け物だからだそうだ。あいつを引き取った奴は誰なんだ?』
「その当主さ…。だが、子どもが話したことだろ?」
『…子どもにとってのルールとは、大人から学んだものがすべてだ。自分なりに学ぶのはもっと後のこと…』
「ーーっ、確かに…そうだな…」
鷸亀の敵ではないことも根が良い人なのもわかった。
ここまで話したのだから、きっと対策を練ってくれるだろう。
『……あいつの話はこれで終わりだ。他にも聞きたいことがある…』
「なんだ…」
『虎雨という名を知っているか?多分、地名か獣だと思うんだが…』
「まだ非公開の事件なのに、なぜその名を…」
引き出しから「半獣人・獣リスト」と書かれたファイルを取り出したタモンは、それをパラパラとめくり手を止める。
「こいつか?」
そこには、虎の絵とデータが書かれていた。
『形態・半獣人/獣。黄色い毛に黒の模様をもつ虎…。僕を馬鹿にしているのか?』
「最後まで読め」
名前・虎雨
年齢・不明
身長・約5m
体重・約680kg
血液型・不明
誕生日・不明
【目撃情報】ー北闇の国の北東に位置する「迷いの森」に生息している。狩りに出掛けた走流野ヘタロウ(62)と息子のセメル(30)、孫の大翔(7)は、虎雨の出現により途中ではぐれてしまい大翔が行方不明となった。ヘタロウが残り、セメルの報告により総隊長・空を筆頭に精鋭部隊第3班が追跡。連れ去られるところを発見するが、捕獲は失敗に終わる。その後も追うが、姿を見失い手掛かりとなるものは何も出ず捜索は難航の一途をたどる。
「2日前の出来事だ…」
この際、走流野ヘタロウについては触れないでおく。
『総隊長の名が出てきているわりには、難航しているんだな…』
「あいつのせいじゃねぇよ。迷いの森一帯の気候に邪魔されるんだ…」
『気候?』
「季節問わずにいきなり吹雪になる厄介な森でな…。一度天気が崩れると、もう先は何も見えなくなる…」
『そうか…。…このヘタロウとセメルって人から話を聞くことは?』
「その前に、なぜ虎雨の名を知っている…」
『耳にしただけなんだが…。どんな獣なんだ?』
「奴は迷いの森の主だ。侵入者を嫌い、時には襲うこともある。重度の半獣人なのか、それとも獣なのか…。それはまだわかっていないが、今も精鋭部隊が孫を捜索中だ…」
あの巨体をどうやって隠しているのか、虎雨の姿はそれ以来見かけないそうだ。
『…助けになれるかもしれん。だから、僕をそこに連れていってくれ』
「馬鹿を言うな。子どもを行かせられるか」
『せめて被害者から話を聞くくらい…』
「それは聞いてみないとわからないが、どちらにせよ明日にしてくれ。今日は頭が回らねぇからな…」
『……わかった。仕事の邪魔をしてすまなかったな』
扉の向こうで待っている鷸亀のためにも、長話はできないだろう。
「待て…。お前、名は柚姫だったな?」
『あぁ』
「鷸亀に何を言った…。あいつがあそこまで言うのは初めてだ…」
『僕があいつに何かしたと?』
「化け物を特別だと言ったのはお前だ…。そうだろう?」
『何が言いたい…』
「もし鷸亀を洗脳しようと考えているならやめておけ…。そばにいることは許可するが…」
『許可だと?何様のつもりだ』
「ーーっ…」
『あぁ、タモン様…だったな』
最後にそれだけ言った僕は、静かに執務室を後にした。
扉の横では、無表情で涙を流す鷸亀の姿がある。
『帰ろう…』
引き戸は完璧に壊れてしまったようだ。
鷸亀の目に光はない。