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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者と聖女と運命の結婚

初投稿。

勇者と聖女と運命の結婚



◆ 勇者の物語 ◆


 凱旋式。

 邪竜どもが太陽を隠してから半年。

 神に選ばれし勇者が全ての邪竜を討ち滅ぼし、王都へと帰還した。

 澄み渡った青空の下、大歓声が勇者を包む。

 人々は熱狂し、勇者の名を讃える。

 このめでたき日に、王家と神殿から全ての民へ酒と食べ物が振る舞われた。

 凱旋の列は神殿前の広場までまっすぐに伸びる。

 その先に待つのは王、教皇、そして聖女だ。

 王は満面に笑みを浮かべ、教皇はいつものしかめ面。

 控えめなほほえみを浮かべる聖女の前に勇者が跪き、差し出された手の甲に熱烈な口づけを贈ると、歓声は最高潮となった。

 勇者は片腕で聖女を抱き上げる。絹の衣越しに感じる彼女の体温がいとおしく、誇らしい。

 神に祝福された美貌の乙女は、明日には勇者の妻となるのだ。



 ただの兵士であった青年は、神の啓示により神殿騎士として召された。

 思いもかけない栄誉に驚き戸惑いながらももちろん断る選択は無く、彼は神殿へと参上した。

 初めはもちろん不安もあったが、神殿の者達からの驚くほど熱烈な歓迎により、そのような感情もあっという間に払拭された。


 そして任命式。

 祝福を述べる聖女を一目見た瞬間、青年は恋に落ちた。

 どこか愁いを帯びた表情の儚げな乙女。

 近寄りがたくも思えるほどに美しくも神聖な少女。

 彼女のはにかんだような微笑みに、息も止まるような心地になった。

 

 しかし、相手は聖女。雲の上の存在である。

 今後語り合う機会が来るとも思えない。

 片思いの予感にため息をついた。

 

 それが思い違いであったと知るのに時間はかからなかった。

 聖女は頻繁に彼の元に訪れたのである。

 何度となく食事に誘われ、あるいはちょっとした遊びに誘われる。

 神殿騎士の勤めとして各地に魔物や害獣の討伐に赴くと、そのたび無事を祈る言葉、いたわりの言葉をかけられる。

 しかもそれは彼だけに向けられていた。

 明らかな特別扱い。

 不思議なことに、神殿の者達からは嫉妬や悪意を向けられることもなく、むしろ祝福されているようだった。


 神に祝福された運命の恋人。

 そう思うまでに時間はかからなかった。

 彼はひたすらに幸福であった。

 

 

 数年が経ち、青年は並ぶ者もないほどの強さを手に入れていた。

 聖女にふさわしい者となるべく努力を重ねた結果だと彼は思った。

 愛する聖女は変わらず親しく接して来ていた。

 愛を語ることこそ無かったが、その愛らしい微笑みは青年の心を捕らえて放さなかった。

 途轍もない凶事が国を襲ったのはそのような時であった。

 

 太陽が隠され、全天が闇に覆われた。

 神託により邪竜の魔術であると伝えられた。

 神殿では魔術を防ぎきれず百を超える巫女、神官が死んだ。

 中には青年と親しい者も居た。

 愛する聖女が無事で有ることをだけが救いであった。

 

 教皇に召喚された彼は初めて告げられた。

「勇者よ」と。

 戦士達を率いて全ての邪竜を討伐し、この国を救うのだと。

 そして帰還した暁には聖女との婚姻を許すと。

 

 このための神託だったのかと、勇者となった青年は誇りに胸を震わせた。

 神に選ばれし勇者として国を救えるのは彼だけなのだ。

 そして聖女を妻に迎える。

 あまりに重大な使命だ。

 そしてこれ以上無いほどの名誉である。

 

 聖女は憂い顔に涙を浮かべ、震える声で「必ず帰っていらして」とささやいた。

 彼女もまた望んでいるのだ。勇者が使命を果たし、彼女の夫となることを。


「邪竜を討ち滅ぼし、必ず貴方の元へと還ってまいります。どうか待っていてください」


 勇者の誓いに、聖女はただ頷いた。

 愛おしかった。

 

 

 竜は強かった。

 王都最強の戦士である勇者ですら幾度か死を覚悟した。

 しかし運命に選ばれた証か、彼は何れの時も命を繋ぎ、竜に打ち勝った。

 一方共に赴いた騎士や神官は次々に命を落としていった。

 そのたびに嘆き、怒る勇者に彼らは告げた。


「貴方こそが希望。かならずや還られよ」


 命を惜しむ者は一人も居なかった。

 苦しみながら、勇者もまた諦めることなく戦い続けた。

 仲間を失いながらも勇者は強くなっていった。

 遂に最後の竜までも滅ぼしきったときには仲間は数人までに減り、半年ほどの時間が経過していた。

 喪った者達に涙を流しながら、勇者は拳を突き上げる。


「我が誓い、ここに果たせり!」


 歓喜と共に王都に戻ろう。

 愛する乙女が彼を待っている。

 空には久方ぶりの青空がどこまでも広がっていた。



 熱狂のままに凱旋式は終わった。

 その後の宴会は皆箍が外れたように飲み、歌い、延々と続いた。

 誰もが笑顔だった。

 聖女、教皇を含めた聖職者たちだけは、祈りを捧げるとのことで神殿へと戻っていったが、気にすることはなかった。

 場の主役たる勇者は皆から称えられ、浴びるほどに酒を飲み、さすがに疲労が限界に来て夜半には宴を辞し、与えられた貴賓室で泥のような眠りについた。

 

 すさまじい苦痛により眠りは一瞬で奪い去られた。

 

 金色の炎が全身を覆い尽くしている。勇者は獣じみた絶叫をあげ、転げ回った。

 これまでに感じたこともない、魂までも奪い尽くすような異様な痛み。

 体の内側までも燃やされているのに、焦げたような様子もないことが逆に恐ろしい。

 勇者は吠え、抗った。

 力尽きれば死よりも取り返しのつかないものが待っていると、凍り付く危機感が告げていた。

 

 永遠の如き時間が過ぎ、炎はゆるやかに消えた。

 終に耐えきったが、力を使い果たした勇者の命の灯は絶えようとしていた。

 力なく横たわる体に白い手がそっと触れる。

 そこから注がれる優しい光が肉体から魂までの隅々を満たす。

 傍らにあった死はあっという間に遠ざかり、勇者は呆然と救い主を見上げる。

 聖女が彼を見下ろしていた。

 柔らかな暁光が乙女を輝かせ、神々しいほどに美しい。

 しかしよく見ればその瞳は泣きはらしたように赤く、頬は一切の血の気を失って青白い。

 聖女の差し出した手を取り立ち上がる。


「何があったのですか……あの炎は……」


 問いかけにも聖女は無言だ。

 唇を引き結んだまま、すい、と勇者から視線を外す。

 そして勇者の手を引き歩き出す。

 勇者は導かれるまま彼女の後に続いた。

 いくつかの質問を浴びせるも、答えは一つも返らない。

 城内は静かで、朝だというのに人影一つ無い。

 訳のわからない違和感に勇者の鼓動が速くなる。

 一度も足を止めぬまま、二人は開け放された城の正門を出た。

 都で一番高い場所に築かれた城門からは街の様子が一望できる。



 無人。



 昨日通りを埋め尽くしていた人々は誰も見えない。

 普段なら最も活気づく時間だというのに人の声も気配もない。

 小鳥や家畜の声がやけに白々しく耳につく。

 勇者の喉の奥から声にならないうめきが漏れる。

 救いを求めて傍らの聖女を見下ろす。

 乙女は勇者の手を離すと、ゆっくりと一度瞬きした。

 

「人は滅びました」


 乾いた平坦な声が、はっきりとそう告げた。

 見開かれた勇者の目をまっすぐに見つめ返してくる。

 聖女の顔には一切の感情が浮かんでいない。


「神の炎によって、人は皆燃え尽き灰になりました。

 ……いま生きているのは、私と貴方の二人だけです」


 勇者はひたすらに聖女を見つめた。

 そして待った。その唇から、否定の言葉が出るのを。

 しかし聖女はただ無言で、瞳をわずかに伏せた。


 唐突に、勇者は悟った。

 彼女は知っていたのだ。

 それも、ずっと前から。


 恐怖が胸を満たし、勇者は力ない悲鳴を上げて走り出した。

 街へ向かう彼の背に、「私は神殿に居ります」と声がかけられたが、振り返ることはなかった。


 闇雲に街を駆ける。

 どこへ行っても人影はなく、冷たい静寂だけが漂っていた。

 至る所に白い灰の小さな山があり、風に崩れつつあったが、勇者は決してそれを見ようとはしなかった。

 あらゆる道を巡り、見えた扉は全て開く。鍵がかかっていれば蹴破り、大声で人を呼ぶ。

 答えが返ることはなかった。

 疲れ切った勇者が神殿に向かったときには、既に陽が落ちようとしていた。


 通い慣れた廊下を歩き、再奥にある聖殿に向かう。

 聖女と初めて出会い、また勇者の称号を授かった場所。


 果たして聖女はそこに居た。

 何度となく見惚れたそのままの姿で祭壇に祈りを捧げている。

 立ち上がり振り返った聖女の前に勇者は頽れた。

 絶望が胸を支配していた。

 背を震わせ嗚咽を漏らす勇者。聖女は膝をつき、その肩を優しく撫でた。


「誰も……誰も……居なかった」


 途切れ途切れの言葉に、聖女はただ、はい、とだけ返した。


「知って……いたの、ですね」


 勇者の問いに頷き、聖女は静かに語った。


「神託により、今日この日、朝日とともに人が滅びると、ずっと以前より知っておりました。

 遠く彼方の地で神の怒りを買った者たちが居たのです。

 そして神は人を焼き尽くすと決められました。

 この都も。私の生まれた町も。草原の民も。海の向こうの国も。

 全ての人は灰となり消え去りました」


「人は滅びました」


 聖女は一度言葉を止めた。

 勇者の頬に白い掌がそっと添えられる。


「貴方と私を除いては」


 聖女の掌は冷たく、けれど柔らかかった。

 勇者は赤子のような泣き声を上げ、聖女の華奢な体に縋った。


 彼女は拒まなかった。




◆ 聖女の物語 ◆




 神殿の浴場にかすかな水音がたつ。

 聖女は一人身を清めていた。

 噛みしめた唇は切れて血が滲み、全身僅かに震えている。

 焚く者が居ないため湯は生温いが、そのためではない。

 こみ上げる感情をこらえようと必死で肩を抱くが、震えは徐々に強くなり、ついに涙となってあふれ出した。

 覚悟していたはずでも、現実は容赦なく彼女の心を打ちのめした。

 勇者の前で張り続けた心の糸は一人となっても保つことはできなかった。

 皆死んだこと。

 勇者と二人生きていくこと。

 全てが耐え難かった。

 悲しみはいつまでも尽きなかったが、暫くの後聖女は涙を無理矢理に止め、浴場を後にした。

 何もかも、慣れなければいけない。

 強くならなければ。

 そっと腹に手を当てる。


 この子のために私は生きる。


 今は亡き、愛した人の子のために。



 ただ一人神の祝福を受けた者として、聖女は幼い頃から神殿で育った。

 聖女が居るだけで実りは豊かになり、最高位の神官でさえ為し得ない神聖術を自在に操り、望めばいつでも神託を得られた。

 十年に一度の建国祭。

 これからの十年も国が安らかであるかという問いに与えられた神託は、

 

 人は滅びる。よって、国も。

 

 というものであった。

 驚愕した聖女は、教皇だけにそれを伝えた。

 恐慌状態に陥りながらも重ねた問いにより詳細は判明したものの、神による裁きの炎を止める術は何一つ無かった。

 信頼の置ける聖職者だけに伝え、あらゆる試みを行った。

 全て無駄に終わった。

 神託を隠し通すことはできず、やがて神殿の者は皆滅びを知るようになった。

 絶望により自棄になる者、外部に伝えようとする者は密かに葬られた。

 国や民に知られたとして、何一つ良いことは起こりえなかったからだ。


 神の祝福により一人生き残ると定められた聖女は、辛い立場に立たされた。

 彼女のせいでないと知っていても、恐ろしい神託を受けた当人であることも合わさり、憎悪や絶望の感情を向けてくる者は少なくなかった。

 まだ幼い聖女はひたすらに耐えた。

 罪悪感もあった。

 心痛により食べることも眠ることもできない日々が続いたが、人に当たることなく神への問いを続けた。


 疲れ切った彼女の支えとなったのは、五つ年上の幼なじみでもある神官だった。

 彼の前でだけ、聖女は怒ることも、泣くことも、笑うこともできた。

 彼は何があっても彼女への態度を変えることなく、いつでも優しく受け止めた。

 成長するにつれ、信頼と依存が恋に変わるのは当然であっただろう。

 神官は男女としての関係を受け入れることはなかったが、家族のような無償の愛情を変えることもなかった。


 聖女が乙女となった頃、一つの大きな転機がやってきた。

 神の炎が止められないとして、一人でも生き残る術はないかという問いに、「有る」と神は答えたのだ。

 その術とは、より強い者を斃すことで存在を強化し、炎に耐えられるほどになる、というものであった。

 聖女は真っ先に幼なじみが生き残れるかを問うた。


 答えは、「否」であった。


 それどころか、この世でそこまで強くなれる者はただ一人しか居なかった。

 そのただ一人こそが勇者である。



 勇者の存在は、絶望に染まった神殿に一筋の眩い光をもたらした。

 聖女は女。勇者は、男。

 たとえ皆死に絶えても、人という種を繋ぐことができるということ。

 それはまさに希望。

 人々は生気を取り戻した。

 また、聖女に対する心情もがらりと変わった。

 一対の希望の片割れであり、預言により人の未来を繋いだ救い主。

 皆、感謝と賞賛の瞳で彼女を見上げた。


 そんな周囲をよそに、聖女の心には重く冷たいものがしんしんと積もっていった。

 人前では常に微笑みで鎧い、誰も居ないところで静かに泣いた。

 感情を悟られないように、常に伏し目がちになり瞳を隠した。

 もはや幼なじみにも頼れない。

 皆の希望を裏切れぬ以上、苦しみから逃れる方法はただ一つしかなかった。

 勇者を愛すればいいのだ。


 神託と相談により綿密に計画が練られ、ついに勇者を迎え入れた。

 いずれ誰よりも強くなるはずの男は、それなりに精悍な青年であった。

 彼の反応はわかりやすかった。

 聖女を見た途端雷に打たれたかのように硬直し、頬が淡く紅潮した。唇を半開きにして、実に十数秒も彼女に見とれていた。

 どんな鈍感な者にも一目瞭然な、恋に落ちた姿だった。

 一方聖女の心の内は、無味乾燥そのものであった。

 何も感じない。一切の興味もわかない。

 表情だけはいつもの笑みを浮かべながらも、失望と焦燥が胸に満ちていった。

 彼を愛さなければならないのに。


 第一印象はどうしようもなかったが、終末までは数年の猶予があった。

 聖女は努力した。

 幼なじみと会うことは止めた。

 幸か不幸か、聖女と勇者の恋は全ての者が望んでいた。

 勇者を愛さなければならない。

 できる限りこまめに会いに行った。

 他愛ない会話を交わしたり、ちょっとした遊びに誘ったり、食事をともにしたり。

 勇者を愛さなければならない。

 さいわい、勇者はいくつもの美点を持っていた。

 巫女たちと話せば、好意的な感想をいくらでも聞くことができた。

 勇者を愛さなければならない。

 時は過ぎ、計画通りに勇者はどんどん強くなっていった。

 様々な理由をつけて討伐を行う都度、彼を愛しているように振る舞った。

 勇者を愛さなければならない。

 一日に何度も、勇者を愛している、と自分に言い聞かせた。心の中で、声に出して。

 勇者はどんどん聖女への想いを強くしていくのがありありとわかった。

 勇者を愛さなければならない。

 勇者を愛さなければならない。

 勇者を愛さなければならない。

 勇者を愛さなければならないのに。

 

 裁きの日まであと半年となった。

 計画は最後の一つを残すのみ。

 竜の討伐であった。



 国中を闇で覆う禁呪を行うために、巫女神官併せて百名以上が死んだ。

 勇者強化だけでなく子孫への報復を避けるためにも竜は殺し尽くさねばならない。

 さすがに神殿だけでは不可能であり、国中の戦士を集めて挑むための大義名分が必要だった。

 そのための禁呪である。

 命を惜しむ者は神殿には誰一人居なかった。


 任命式が無事終わり、使命を胸に勇者達は旅立った。

 ほんの数名だけが生き残り、裁きの日前日に帰還するであろう。

 全て計画通り。何もかもが上手く進んでいた。

 

 聖女はただ一人、絶望のうちにあった。

 初めて会ったときから変わらず、彼女にとって勇者は何の感情も抱けぬ相手であった。

 

 彼女は結局、勇者を愛することができなかった。

 

 全ての義務を放りだし部屋に籠もる聖女を、周囲は勇者を想っての心痛のためと解釈した。

 教皇などのごく僅かな近しい者達だけが心情を薄々察してはいたが、取り返しのつかない事態を恐れ、静観することしかできなかった。

 

 最後のよりどころを打ち砕かれた聖女は寝台で無気力に横たわっていた。

 この数年押し殺していたものが胸を覆っていた。

 

 死への渇望。

 

「ただ一人の生き残り」であった頃、聖女は皆と同じ時に死ぬと決めていた。

 しかし勇者の存在により、生は義務となった。

 一人生きることは苦痛だろう。

 しかし、全てを失い、愛してもいない男との子を産むためだけに生きることもまた、彼女にとっては地獄以外の何かとも思えなかった。

 義務のために嫁ぐなど珍しいことではない。

 皆当たり前にやっていること。

 きっと慣れる。

 子供ができたらその子のために生きられるのではないかとも思った。

 だが慣れるまで、子供ができるまでの苦痛に立ち向かう気力が、どうしても沸いてこない。

 聖女の心は孤独と疲労に擦り切れていた。

 なにもかも終わりにしたかった。

 

 聖女と勇者によって種が繋がれることは、人々の希望だ。

 聖女はそれを裏切れない。

 

 だがその人々は死ぬのだ。

 その後どうしようと、知れることはない。

 裁きの炎に焼かれた勇者を見殺しにして――あるいは瀕死の彼に止めを刺して、その後聖女が自害したとしても、誰も止めることはできない。

 滅びを知る者達は希望とともに、知らぬ者はそのままに、皆灰になる。

 それで良いのではないか?

 

 誘惑は昏く、冷たく、例えようもなく甘かった。

 眠りにも似て、とろとろと心を溶かしてゆく。

 そのまま堕ちてしまいたかった。

 

 しかし、ただ一つ、彼女を押しとどめるものがあった。

 ――それでも君が生き残るということが嬉しいと、聖女を抱きしめながら告げられた言葉。勇者が現れて以来、一言も交わしていない、最愛の幼なじみの。

 未だ生きる義務を負わなかった頃の、真心からの言葉。

 それが、重い楔となって突き刺さる。

 聖女は尽きるほどに泣いた。

 恋を返してもくれない、優しく善良で残酷な彼が、憎く、哀しく、どうしようもなく愛しかった。

 会いに来てもくれないのに。彼女を遺して死んでしまうくせに。

 

 彼女を、

 

 遺して――……

 

 

 それは啓示だったのか、それとも生きようとする本能の囁きか。

 その思考は、前触れもなく落ちてきた。

 聖女の倫理ではあり得ない考え。

 突然目の前の闇が消え去ったような感覚に、聖女は瞳を瞬かせる。

 鼓動がやけに耳につく。

 戸惑い、けれど、それこそが唯一の正解だと思えてならない。

 罪悪感か、歓喜か。

 わからぬまま神に尋ねる。

 答えは、肯定、だった。



 半年ぶりに、王国の空に青空が戻った。

 竜の討伐が終了した証であった。

 国中が歓喜に沸いた。

 

 神殿には安堵と、穏やかな悲しみが満ちていた。

 お祭り騒ぎの王都の中でここだけが静かだ。

 一部の業務を担うものを除き、皆自室や聖殿で祈りを捧げている。

 聖女は数年振りに幼なじみの部屋を訪れた。

 驚いて見返してくる彼にひしと抱きつく。

 

「抱いてください。

 あなたの子供が欲しい」

 

 懇願は受け入れられた。

 彼は何も尋ねずに、ただ優しく触れた。

 聖女もまた、何も訊かなかった。

 だから彼女が愛する人の心を知ることはなかった。

 知りたくはなかったし、その必要も無かった。

 

 夜が明けて、聖女は望んだものを手に入れた。



 勇者の凱旋から一夜が明けようとしている。

 王都は常とは違い、どこか熱っぽいざわめきを帯びている。

 昨日の狂騒が未だ終わらず、通りには酔いつぶれた人々や騒ぎ足りぬ人々がちらほらと見える。

 一部の職人や商売人は、いち早く今日の仕事を始めようと動き出している。

 どの顔も明るく希望に満ちていた。

 聖殿から城へと向かいながら、聖女は最後の営みを目に焼き付ける。

 

 この一晩で、親しい人たちとの別れは済ませた。

 皆口々に未来の希望を語り、聖女へと託した。

 聖女は以前のような不安定さを見せず、頼もしささえも感じる笑顔で皆に応えた。

 瞳は涙をこらえられなかったけれども。

 幼なじみは何も語らず、そっと彼女の手を握った。

 聖女もまた、ただ別れだけを告げた。

 

 空の端が次第に白んでくる。

 まもなく日が昇る。

 未だ宴の続く城内に入った。

 顔なじみの侍従に勇者の部屋へ案内を頼むと、照れたような笑みを浮かべながら快諾される。

 貴賓室の近くまでたどり着いた時。

 笑顔で話しかけてきていた侍従の青年は、

 一瞬にして炎に包まれ、

 灰になった。

 

 王城のざわめきも同時に消え去り、異様なまでの静寂が辺りを包む。

 今この瞬間に、全ての人が同じ運命をたどったのだと聖女は知る。

 遠く鳥の声が聞こえる。

 そして、勇者の絶叫。

 

 ほんの僅かな自失から醒め、聖女は駆けだした。

 彼女の本当の義務が、これから始まる。



◆ 神話 ◆



昔々、この世界の至る所に栄えていた人間は、神様の怒りを買って一夜にして灰になりました。

しかし人間は滅びませんでした。

神様に愛された娘である聖女と、最も強き男である勇者が、たったふたり生き残っていたからです。

ふたりは愛し合い、十五人の子供が生まれました。

聖女は子供達を慈しみ育て、勇者は聖女と子供達を守り養いました。

そして長い長い年月が経ち、人間は再び世界に満ちました。

最後のふたりは始まりのふたりになりました。

世界で最も祝福された夫婦が人間を蘇らせたのです。

わたしたちは誰もが聖女と勇者の子供達なのです……



 聖女と勇者は遙かなる過去となり、神話となった。

 始まりの二人が忘れ去られることはなく、永遠に語り継がれる。

 しかし聖女はその心を語ることはなく。

 彼女の愛も絶望もそして秘密も、神以外に知る者は居ない。

なんか書いてる途中で明後日の方向に行きました。

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