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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
59/60

終曲

 夏の終わりに王宮で開かれた舞踏会において、ちょっとした騒ぎがもちあがった。

 社交界の若き令嬢たちの間で有名だった、リスター子爵家の嫡男が婚約者を伴って現れたのだ。

 ハンサムで遊び上手、しかも父親は大富豪という彼を、ひそかに狙っていた令嬢は多かった。平民の血を引いていることをさっ引いても、彼には大変な魅力があったのだ。

 まだ当分結婚相手は決めないだろうと思われていた青年の、電撃発表は多くの令嬢を嘆かせた。

 本人はどこ吹く風で、久しぶりに顔を合わせた王太子と挨拶している。必然的に紹介された婚約者の令嬢は、よもやの雲の上のお方を前に、遠目にもかちこちに緊張していた。

 今夜は主と部下ではなく、同じ招待客として出席していたセシルは、人込みの中になじみの顔を見つけて近寄っていった。

「リスター子爵」

「おお、これはごきげんよう、閣下」

 息子に負けない伊達男ぶりを見せるフランク卿は、酒杯を片手に笑顔で挨拶した。

「ご子息の婚約、おめでとう」

「ありがとうございます。あのドラ息子も、これで多少はましになってくれるといいんですが」

 両者から自然な笑い声があがった。

「夫人はどちらに? 一緒なんだろう?」

「行き帰りだけはね。どこかで知人に愚痴でも言ってるんでしょう」

 誤解についてひととおりの説明はしたらしいが、子爵夫人はこの婚約に対してまだいい顔は見せていないらしい。ダイアナはこの先苦労しそうだが、聡明で気丈な彼女だ、どうにか乗り越えていくだろう。フェビアンとフランク卿も彼女を守る。

「君に、ひとつ聞きたいことがあったのだがね」

 相手が一人でいることをたしかめて来たセシルは、これまで黙っていたことを口に出した。

「ダイアナ君がきみの娘という疑惑は誤解だったと納得した。キャスリン夫人と秘密の関係が続いていたわけではなかったともね。ただ――嵐の一夜。あれは本当に偶然だったのかね?」

 変わらない笑顔の中、緑の瞳が深い色を増した。

「できすぎというフェビアン君の言葉に、そのとおりだとしか思えなくてね。別に非難したいわけでも、事実を暴露したいわけでもないのだが……本当に、何もなかったのかね」

「…………」

 フランク卿はゆっくりと杯の中身を飲み干し、微笑んだ。

「意外に、好奇心旺盛でいらっしゃる?」

「野次馬と罵ってくれてかまわないよ。何も気付かないふりをしているのが正しいのだろうが、無関係な他人ではない部下と友人の話だから、どうしても気になってね」

 フランク卿は肩を揺らし、遠くへ目を向けた。

 紳士淑女の群れの中に、なつかしい人の姿があった。

「……キャスリンは、心の優しい娘でした。私を平民と見下すことはせず、商売の手腕を素直に尊敬してくれた。男を立て、尽くすことが美徳と教えられて育った娘で、常に慎ましく従順だった。それは私に対してだけでなく、親に対しても、そして嫁いだ先の家族に対してもです。彼女は型から外れることを恐れる人間だった。教えられたとおりの正しい生き方を守り、なのに子供ができないことで悩んだ」

 間違いのない正しい生き方をしているのに、なぜ予定どおりにならないのか。何の疑問も抱いていなかった人生設計に早い段階からつまずいて、彼女はひどく悩んでいた。

「そういうこともある。男に原因があることも多い。そう言ってやったところで、彼女のなぐさめにはならなかった。舅や姑に催促され、肩身の狭い思いを強いられては無理もない。よくある話ですが、可哀相でしたよ。しかしそこにつけ込んでよりを戻そうとは思いませんでした。そこまでの強い気持ちがなかった――それも、キャスリンを悲しませていたんでしょうな」

 不貞はよくないことだと思いながらも、どこかで昔の恋人に頼り期待する気持ちがあったのだろう。だが相手にはもうその気がなく、夫人はますます孤独感を募らせていった。

「あの日――商用で出かけたというのは嘘です。キャスリンが婚家を飛び出したという知らせを受けて、追いかけたんです」

 友人夫妻が外国へ赴任することになり、もう二度と会えないかもしれないからと見送りに出た夫人だったが、それは嘘の口実だった。彼女は婚家から逃げ出したのだ。とうとう耐えきれなくなって、後先も考えずに家を飛び出してしまった。実家にも帰れず、もしそのまま放置していたらどこかで命を絶っていたかもしれない。それほど彼女の精神は追い詰められていた。

 誰もそこまでだったとは気付かない中、ただ一人、実家からついてきた小間使いだけは、全てをそばで見て承知していた。なんとか思い止まらせようと必死に考え、助けてくれそうなフランク卿にひそかな知らせを届けたのだ。

「途中で追いついて、知人の館に連れて行って、そこで一晩かけて説得しました。私がなんとかしてやるから、家に帰れと。あてもなく飛び出したところで、すぐに立ち往生するだけだ。自暴自棄になるのは、これまで頑張って築いてきたものを、すべてぶちこわすことだと、知人も一緒に説得してくれましたよ。それでようやく落ち着いたキャスリンを連れて帰ったんです」

「ではやはり、ふたりの間には何事もなかったと? それでどう『なんとか』したのかね」

「俗な手を使ったまでですよ。金の力にものを言わせてコヴィントン夫妻を脅したんです。コヴィントン家の資産を押さえることくらい、朝飯前でしたからな」

 イーズデイル有数の富豪はこともなげに言う。彼にとっては大した出費でもなかったのだろう。しかし普通の人間から見れば、そこまでしてやる相手と何の関係も持っていないとは考えにくい。リスター夫人が疑いを深めたのは当然だった。

「フェビアン君から聞く話では、君は身内にも厳しく簡単に援助してくれる人ではないということだったが、実際はずいぶんと太っ腹だね? それとも、相手がキャスリン夫人だったからかね」

「どちらも間違いではありませんな。キャスリンに対しては、罪滅ぼしのような気分でした」

 眉を上げた若者に、より多くの経験をした人は言う。

「あの時――我々の交際を親に反対された時、連れて逃げるくらいのことをしてやれば、こんなことにはならなかったと思ったんです。貴族とのつながりを持ちたかった私にとって、親の許しを得られない娘というのは価値が低かった。無理をしてでも結婚したい相手ではなかった。キャスリンも親に逆らうことのできない娘だったので、それをいいことに別れたんです。私の欲のために捨てたようなもので、その結果あんなことになったのだから罪悪感を感じましたよ。もっとも私と駆け落ちしていたら、それはそれでキャスリンにとって満足できる人生にはならなかったでしょうがね」

 結局、彼と夫人は生きる道が違ったのだ。今となっては、そう思うよりない。

「子供ができてよかったね」

「ええ、あの後すぐにダイアナを身ごもり、数年後には待望の男子も生まれました。今のキャスリンは、もう家を出ることや他の男と関係を持つことなど考えもしないでしょう。正しい、あるべき道に戻れたんですから」

 家格はけっして高くはなく、裕福なわけでもない。華やかな場所に出てきても、彼女の装いは質素だ。

 それでも幸せそうだった。平凡に、穏やかに、常識から外れることのない人生を歩むことが、彼女にとって何よりも大切なものなのだろう。

「君自身は今の生活に満足しているのかね?」

 息子とさして変わらない歳の公爵に問われ、フランク卿はからかうような笑みを見せた。

「満足していないとでも?」

「……失礼。愚問だった」

 何をもっとも大切と思うかは人それぞれだ。フランク卿にとっては、妻との円満な家庭より、商売でのし上がることの方が人生の重要事なのだろう。

 年長者に余計なことを聞いたと軽く後悔しているセシルに、フランク卿は言った。

「閣下は愛情第一で結婚なさるのがよろしいですな。あなたにはそれが合っていそうだ」

「……そうかね」

「幸いにして、よい相手にもめぐり会えていらっしゃる。あまり平凡ではないかもしれませんが、幸せな家庭になりそうじゃないですか」

「勝手に決めないでくれ」

 そむけた視線が、たまたまこちらへ向かってくる人とぶつかった。

 近くの女性が騒いでいる。視線を一身に集め、きらびやかな会場で誰よりも輝いている人が、まっすぐにセシルへ向かって歩いてくる。

「……では、私はこれで」

 そそくさと逃げ出そうとした公爵を、フランク卿がつかまえた。

「逃げても無駄だと思いますよ」

「君もあっちの味方なのか!? 頼むから見逃してくれ」

「さてさて、かのアラディン卿ににらまれるような真似は、私としてもおそろしくてできませんからなあ」

 にやにやと笑う顔をにらむ間にも、背後の靴音が迫ってくる。

 さざめく宴はさまざまな人の想いを抱き、カムデンの夜をにぎわせる。

 今宵はとびきり美しい恋人を堪能しつつ、フェビアンは遠くの主にこっそり頑張れと応援を送ってやった。




                              《第三話・終》


Je te veux(ジュ・トゥ・ヴ)(きみがほしい)……作曲:エリック・サティ(仏)


着メロやテレビのBGMなどによく使われている、三拍子のピアノ曲です。シャンソンとして作られました。

軽やかで可愛らしい旋律に、初々しい初恋カップルのデート風景などを想像していたものですが、シャンソンの歌詞を見てびっくり。フランス人って……!!

即座にフェビアンのテーマ曲に決定。本来は女性からの歌で、男性バージョンの歌詞は後から作られたものだそうですが、この濃厚な熱さが忘れられませんでした。

歌詞に合わせてダイアナを金髪にしようかとも考えたのですが、それだとメロディとかぶるし、ダイアナにはなぜか黒髪というイメージが強かったので、そこは無視です。

書き終えてみると、いろんな人からの「きみ(あなた)がほしい」という話になったので、今回のタイトルにぴったりにできたかなと満足しています。

次回はナサニエルを中心としつつ、メインストーリーも進めたいと考え中。


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