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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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17 明かされた真実

 セシルへの挨拶はすでに済まされていたようで、応接間に場所を移すと、フランク卿はすぐに息子との話を始めた。

「それで、わざわざ俺を呼びつけた理由は何だ。しくじって金が必要とか言うのなら聞かんぞ。身売りしてでも自分で払うんだな」

「あなたじゃあるまいし、僕はヒモになる気はありませんよ」

「俺がヒモだと? 一切合切の費用を全部負担しているのにか? あの家が俺にくれたのは、子爵の肩書だけだぞ」

「それがほしくて結婚したんでしょうが。僕に言わせてもらえば、庶民でも気立てのいい嫁さんもらって、貧乏貴族なんて鼻でせせら笑って暮らしていればよかったのにと思いますよ」

「ふん、向上心のないやつめ。成功したらさらに上を目指すものだ。商売のためにも、身分は大いに役に立つ」

「じゃあ次に目指すのは王族の肩書ですか」

「何代か後には、そうなる子孫が出るかもな」

「ハゲる前にボケるとは。こんなにくたらしい老人の介護なんてお断りですよ」

「俺が老人になる頃には、お前も立派に中年だな」

 調子よく交わされる言葉に、傍で聞いているメロディは目を丸くするばかりだ。父親にこんなもの言いをするなど、メロディの家では考えられないことだった。言葉だけ聞いていればまるで喧嘩をしているようだが、ふたりに険悪な雰囲気はない。それなりに楽しそうで、これが彼らの日常なのだとはわかった。

「あの、セシル様、『ヒモ』とはどういう意味でしょう。荷物を縛る紐とは別なんですよね?」

「……ふたりとも、親子仲がいいのは結構だが、教育的配慮は忘れないでもらえるかね」

 理解できなかったところをそっと隣のセシルに尋ねると、なぜかフェビアンたちに苦情が行った。

「これは失礼、レディの前で口にする言葉ではありませんでしたな」

 フランク卿が笑ってメロディを見る。端整な顔が優しくほころぶと、ますますフェビアンとよく似ていた。

「お目にかかるのは初めてですね。お父上とはよくお話しさせていただいておりますが。フランク・リスターです」

「おそれいります、メロディ・エイヴォリーです」

 座ったままでふたりは挨拶を交わす。

「やはり、お父上とよく似ておいでですな。数年後が実に楽しみだ――そう思われませんか、公爵?」

「私としては、数十年後を楽しみにしたいね」

「リスター子爵もフェビアンと似ておいでですよね。髪や瞳の色が違うので、初見ではあまり感じませんけれど、そうして並んでいらっしゃるとそっくりです」

「どうぞ、フランクと。外見よりも、中身が似てほしいものですが」

 呆れたような顔をつくって、フランク卿は息子に目を戻す。フェビアンも肩をすくめて応えた。

「金の話が大好きなあなたに、ぴったりの話題を提供しますよ。プラウズ伯爵家の債権を、全部買い取ってもらえませんかね。多分あちこちに、相当の負債があるはずですから。それと近日中にまとまった金を用意しなきゃいけなくなったんで、どこかの土地を売りに出すはずです。それも押さえて、できるだけ彼らから財産を取り上げてやってください」

「ふん?」

 フランク卿は器用に片方だけ眉を上げた。

「プラウズ家の首根っこを押さえて、どうすると?」

「保険ですよ。今は叱られて小さくなってるけど、そのうち喉元過ぎればでまた調子に乗りかねないのでね。いつでも息の根を止められるようにと思って」

「ふむ……蛍石の横領が確定しましたか」

 さらりと言われて、セシルは少し驚いた。

「知っていたのかね?」

「いえ、もしやと疑っていただけです。ここ数年、プラウズ伯爵が蛍石を売っておりましたので。あまりうまい商売ではなく、けっこう買いたたかれておりましたがな。しかし伯爵領から蛍石は産出されないはず。どこから手に入れたのかと考え、そういえば隣の領地から採れたなあ、と」

「……それを先に教えてもらいたかったね」

 若い公爵のぼやきに、フランク卿は笑った。

「ご自分の領地はご自分で管理なさいませんと。ろくに目を配らず他人にかすめ取られても気付かないなら、それは盗られる方が悪い。全財産奪われそうになっていたなら忠告くらいは考えますが、公爵にとってモンティースの蛍石はそれほど重要ではありますまい。プラウズ伯爵は小物です。公爵を震撼させるほど大それたことができるとも思えませんでしたからな」

 人当たりがいいように見えて、辛辣なことを言う。たしかにフェビアンの父親だと、その場の全員が納得した。

「でもコヴィントン家にとっては厄介な相手だったんですよ。借金まみれの伯爵家でも、それなりの権威と圧力を持っていますからね」

「お前が俺を呼んだのは、ダイアナのためか。そういえば伯爵家の息子がダイアナに言い寄っているようだったな。ふん、情けない奴め。好いた女を助けたいなら、親を頼らず自分でどうにかしたらどうだ」

「ダイアナを守るのは、あなたの責任でしょう」

 いつになく刺々しい口調でフェビアンはやり返した。フランク卿は軽く首をかしげただけで特に反応を見せず、メロディたちもよくわからずに黙って見守るばかりだった。

「なぜ俺がダイアナに責任を持つ? 昔から知っているとはいえ、よその子だぞ。うちの嫁に来たなら別だが」

「ええ、本人にはそれで通していただきたいですが――僕はとっくに知っていますよ。ダイアナはあなたの娘でしょう」

「え!?」

 思わず声を上げてしまい、あわててメロディは自分の口を押さえた。しかし周りも似たような反応だ。誰もが驚いた顔をしていた。

 見回した仲間たちと目が合い、お互いにどういうことだと無言でやりとりする。唯一静かな顔を崩さないジンですら、興味をもって父子のやりとりを見守っていた。

 ダイアナがフランク卿の娘――ということは、つまりフェビアンとは兄妹となる。

 それが事実なら、彼がけっしてダイアナを受け入れようとしなかったのは当然だった。たしかにそれは無理な話だ。兄と妹で結婚するわけにはいかない。

 しかし、どうしてそういうことになったのか。

 ダイアナにはちゃんと両親がいる。義理の親だという話など聞いていない。

「……ああ、聞いたのか」

 フランク卿が言った。驚くようすもない態度に、またもメロディは動揺する。認めるということだろうか。

「母さんが言っていたんだな」

「それだけで判断したわけじゃありませんよ。母上の言葉ひとつなら、ただの被害妄想と思ってもいいところですが、事実あなたはキャスリン夫人と付き合っていたでしょう」

 キャスリン夫人というのは、この流れからするとダイアナの母親だろうか。

「いい加減な話を鵜呑みにしたとは思わないでください。僕は何年もかけて、あらゆる方向に当たって、当時のことを調べたんです。うちを辞めた使用人にも会いに行ったし、キャスリン夫人の実家周辺も調べた。二人を昔から知る人々には、片っ端からすべて聞いて回った。それでわかったのは、昔あなたとキャスリン夫人が恋人同士だったということだ。互いにまだ若く独身だった頃、庶民の富裕層も出る夜会で知り合って、そこから交際が始まったんでしょう。でも結婚にはいたらなかった。夫人の両親は身分違いの結婚など絶対に許さない人だったみたいですね? あなた方の交際が知られると強引に引き離され、キャスリン夫人はすぐにコヴィントン家に嫁がされた。そこであなた方の関係は一旦途切れたみたいですが、何年かのち、あなたがリスター家に婿入りすることで再会してしまった」

 息子の言葉をフランク卿はだまって聞いている。その顔は静かで、秘密を暴露されたという驚きや焦りは見えない。

「なかなか子供ができず婚家で肩身の狭い思いをしていた夫人をあなたがよくなぐさめ、相談に乗っていたようですね。そのようすがあまりに親密すぎて、次第に疑いを持つ者が現れた。筆頭は言うまでもなく母上です。僕が生まれても相変わらず夫人と親密なのに腹を立て、コヴィントン家との付き合いを嫌がるようになった。別に夫を愛しているわけではなく、むしろ見下しているくせに、妻としての矜持だけは一人前だったわけだ」

「…………」

「そしてある時、商用で遠出したあなたと、たまたま(・・・・)一人で旅行中だったキャスリン夫人が偶然(・・)一緒になり、そしてたまたま(・・・・)嵐で足止めをくらい、近くの貴族の館に泊めてもらった。ずぶ濡れになって風邪をひきかけているからと、館の主と話し込むこともせず、二人ともすぐに就寝した。ちなみにこの館の主も、あなたと親しい相手だったようですね。秘密の頼みごとをもちかけられる程度には」

 メロディはどきどきする胸を押さえた。これ以上聞いてはいけない気がしてきた。落ち着かず、ついセシルの上着をつかんでしまう。頭に温かいものが下りてきて優しくなでてくれるので、それにすがって彼に寄り添った。

「その一夜から数ヶ月後、夫人の懐妊が知らされた。結婚から実に七年目の慶事にコヴィントン家は大喜び。反対にうちの母上はますます猜疑を深めた。疑うなという方が無理な話ですよね。あまりにできすぎている。七年も子供を作れずにいたのに、あなたとの一夜のあとにすぐにできるなんて。生まれた子を見れば、もう疑惑は確信に変わった。ダイアナは、あなたにそっくりだった」

 最後の話に意外な思いがして、メロディはあらためてフランク卿を見た。ダイアナに似ている――そうだろうか? フェビアンに似ているとは思ったが、彼女と顔立ちに似通ったところはないように思える。

 ただ、瞳はなるほど同じ色だった。五月の森のような、明るく輝く緑だ。暗い色の髪も、ダイアナの黒髪に近いと言えなくもなかった。

 一見した時の印象では、フェビアンよりもダイアナの方が彼の子供だと思われるかもしれない。

 しかしその程度の相似点で、そっくりとまで言うのはどうだろうか。

「気位の高い母上には、夫を寝取られたと世間に面白おかしく噂されるなど耐えられなかった。だから怒りを押し隠して沈黙を守っていたが、お祖父様たちが僕とダイアナを婚約させようかなんて言い出したので、もう我慢できなくなった。なんだかんだと理由をつけてコヴィントン家を遠ざけるようになり、交流を断つように持っていった。でも僕とダイアナが、その後も隠れて会っていたことを知って、とうとう打ち明けたんですよ。お前たちは本当は兄妹なのだと。ちょうど思春期にさしかかった頃だったから焦ったんでしょうね。間違ってもおぞましい関係になってはいけない、それは神に許されないことだと、このうえなく深刻な顔で言われましたよ」

 フェビアンが口を閉ざせば、室内には沈黙が下りた。誰も口を開かない。フランク卿も黙っている。まったく反応がないので、ふたたびフェビアンが言った。

「もちろん僕は、すぐには信じませんでした。信じたくもなかったですよ。だから調べた。母上の勘違いであってくれと願いながらね。あちこち調べ回って、証言を集めて――そして結局、母上と同じ結論に至るよりなかった」

 彼はため息をついてしめくくった。

「別にね、あなたを非難したいわけじゃない。引き裂かれた恋人たちが、どちらも愛のない結婚をし、幸せとは言えない生活をしていた時に再会した。そりゃあ、燃え上がるでしょうよ。当たり前だ。それで不義の子を作ってしまったって、気の毒に思いこそすれ非難する気にはなりません。だから僕もだまっておくことにしたんです。今回あなたを呼んだのは、昔の罪を弾劾するためじゃない。父親の責任を果たしてもらいたかっただけですよ」

 またフェビアンが黙ると、今度はフランク卿は反応を見せた。彼は大きく鼻を鳴らし、皮肉な笑いをひらめかせた。

「なるほどな、たしかによくできた話だ。どこぞの小説にありそうなネタだな。お前の話だけ聞けば、俺は間違いなく不倫男だな」

 あからさまに馬鹿にした笑いを浮かべる父親に、フェビアンが不快そうな顔になる。そんな反応もフランク卿は笑い飛ばした。

「誤解されやすい疑わしい状況だったのは認めるよ。俺とキャスリンが昔付き合ってたことも事実だ。しかしなあ、お前も案外単純だな。それでころっと信じちまったのか。もうちょっと使える頭をしていると思っていたのに、こんな馬鹿だったとは情けないぞ」

「何が誤解ですか、白々しい。今さらそんな言い訳無用ですよ。言ったとおり僕はあなたを非難しているんじゃない」

「非難される筋合いもないね。どれだけ調べたのか知らんが、上っ面の情報しか得られずに何を偉そうに言ってるんだか。本当にお前とダイアナが兄妹だったら、母さんが何かする前にキャスリンの方から離れていったよ。不義の子を産んだりしたら、いちばんまずい立場になるのは彼女だ。夫に離縁され、実家からは見捨てられ、浮気相手は既婚者で自分のために離婚してくれるわけでもない。八方塞がりで追い詰められて、修道院に逃げ込むくらいしかできなくなる。そうなる前に距離を置いて、絶対にばれないように隠し通すだろうよ」

「……そうしたんじゃないんですか」

「してないね。ダイアナがけっこう大きくなるまで、両家は付き合ってただろうが。何もやましいことなんぞしとらんから、俺たちは堂々としていた。母さんや使用人が勘繰っていたって、知ったことかと無視していたんだ」

 フランク卿の態度に動揺はない。彼は言葉どおり堂々と胸を張っている。それに期待を抱かされる。ではフェビアンの話は間違いなのか――やはりダイアナは、ちゃんとコヴィントン男爵の娘なのか。

 しかしフェビアンは、簡単には納得しなかった。

「じゃあコヴィントン家の葡萄園が病気で全滅した時、なんで援助したんです? それもほとんど無償で。その頃にはもう、すっかり疎遠になっていて、援助の話が出るような関係じゃなかったのに」

「お前も母さんの血筋だな、冷たいことを言う。リスター家はコヴィントン家に恩があるだろうが。昔逆に助けてもらったことがあるはずだ。母さんは忘れたふりして知らん顔してたがな、恩の借りっぱなしってのは俺の主義に反する。自分が借りたわけじゃあないが、一応婿として今の当主として、返す義務があると思ったまでだ。付け加えるなら、昔の恋人への情けもたしかにあった。これが友人とか、恩師とかでもいいぞ。親しく付き合った人間が窮地に陥っていたら、助けてやるのが人情じゃないのか。自分にはその力が十分にあるのに、知らん顔する方が普通だとお前は思うのか」

 強く言い返されて、フェビアンの顔に戸惑いが浮かんだ。父親が言い逃れをしているようには見えないと、彼も感じ始めたらしい。それでも疑いを捨てることはできないようで、まだ厳しい表情を崩さなかった。

 緊張する場にそっとヘクターが入ってきて、セシルの耳元になにごとかささやいた。うなずいたセシルは、親子の話を邪魔しないよう静かに立ち上がり、部屋を出ていった。影のようにジンが後を追う。自分たちも遠慮するべきだろうかとメロディはエチエンヌやナサニエルを見たが、彼らはこの場を動くつもりはなさそうだった。メロディとしても、ここで抜けるのは大いに心残りである。はっきり言って気になってしかたがない。野次馬というものかもしれないが、決着がつくまで見届けたくて、結局そのまま座っていた。

 父と息子は静かににらみ合っている。どちらの言い分が正しいのか、メロディは一生懸命考えた。フェビアンが疑いを持ったのは自然だと思えるし、かといってフランク卿の態度や言葉に不審さは感じない。そちらはそちらで説得力がある。エチエンヌとナサニエルはどう思っているのか、二人の意見を聞きたかった。もちろん、当事者たちの目の前で考察談義をするわけにはいかないので、おとなしくしているしかないのがもどかしい。

「じゃあ仮にですよ、僕とダイアナが結婚するとしたらどうします。あなたはそれを、平気で見ていられるんですか」

「平気も何も、俺はその話に乗り気だったがね。じいさんたちは俺の意見なんぞ聞こうとしなかったんで、何も言わなかっただけだ。キャスリンの娘だからという理由じゃない。ダイアナはいい子だし、お前と仲がよかったから、そのまま結婚すりゃあ幸せな夫婦になれるだろうと思ったんだ。貴族が恋愛結婚をするのは、なかなか難しいらしいからな。ぜひ応援してやりたかったよ。もっとも二人ともまだちびすけだったから、本当に恋愛に発展するかどうかわからんとも思っていたが」

 育ちが庶民なせいか、フランク卿は砕けた口調であけすけに言う。息子の追及に呆れた顔をしつつも、まなざしに温かいものがあるのをメロディは感じた。自身が打算で冷たい結婚をしたせいだろう、息子には幸せな家庭を築かせてやりたいと思っているように見えた。

「なんなら今からでも婚約するか? かまわんぞ、母さんが何を言おうと協力してやる」

「そんなこと……」

 フェビアンの方が動揺しはじめていた。疑いと期待の間で、彼はひどく揺れていた。そう、フェビアンだって、こんな疑いは間違いであってほしいはずだ。けれど疑わずにはいられない状況で、いくら否定されても素直に信じられない。自ら何年もかけて調べたのだ。簡単に受け入れられるものではないのだろう。

「お前もずいぶん頑張ったようだが、甘かったな。表面的な情報しか得られていない。まあ、十五やそこらにしちゃあ、よくやった方か。けどな、もっと詳しく調べることができたなら、そんな疑いは晴れたはずだ。俺とキャスリンはたしかに付き合ってて、親に反対されて別れた。彼女は他の男に嫁ぎ、俺は貴族に成り上がるための縁をさがした――その程度の関係だったんだよ。好き合っていたのは事実だが、何もかも捨てて駆け落ちしてやるとか、いつか彼女を取り戻しにいくとか、そんな物語みたいな情熱はなかった。反対されたら簡単にあきらめられる程度の関係でしかなかったんだよ。彼女と再会した時になつかしさは覚えたが、今さらよりを戻そうとは思わなかった。キャスリンの方も、夫を裏切って不貞を働こうとはしなかった。子供ができないことで辛い思いはしていたようだが、だからって他の男に走る女じゃない。お前はダイアナをよく知っているだろう。彼女を産み育てた人だぞ。世間に顔向けできないような真似をして、その事実を隠して良妻賢母を演じるような女狐だと思うか。そいつはずいぶんな侮辱というものだ」

 フランク卿の言葉に複数の靴音が重なった。戻ってきたセシルが新たな客を伴っていた。真っ先に入ってきたのはダイアナで、彼女は憤りを浮かべた目でフェビアンを見据えた。

「小父様の言うとおりだわ。フェビアン、あなたそんなふうにお母様を疑っていたの? あんまりにも失礼よ!」

 彼女の後ろには中年の男女がいる。困惑を浮かべたようすで、室内の人々を見回している。貴族らしくきちんとした身なりだが、派手さや豪華さはなかった。ここで現れるということは、多分ダイアナの両親なのだろう。紹介されるまでもなくメロディにも察しがついたが、なるほどあまりダイアナとは似ていないように思えた。

 夫人は儚げな細面で、淡い茶色の髪に水色の瞳をしていた。男爵も金髪に明るい茶色の瞳で、少し気が弱そうな柔和な顔立ちである。きりりと気が強そうなダイアナとは、二人ともずいぶん印象が違った。

 これを見ると、フランク卿にそっくりだと言われたのも納得しそうになる。色彩も雰囲気も、男爵夫妻より彼の方がダイアナと似ていた。

 だがダイアナは憤然と抗議した。

「お父様に似ていなくて悪かったわね! わたしはね、母方のお祖母様似なのよ! あなたは会ったことがなかったから知らないでしょうけど、髪も瞳もそっくりなんだから!」

 言うなりくるりと母親に向き直る。

「お母様、ロケットを貸して」

 手を出す娘に、困った顔をしながらも夫人は服の下からペンダントを取り出した。鎖の先に銀細工のロケットがぶらさがっている。ダイアナはそれを開き、フェビアンの鼻先に突きつけた。

「お祖父様とお祖母様よ。どう? これを見てもまだわたしが不義の子だなんて馬鹿げたことが言える?」

 目の前の肖像画を、フェビアンは黙って見つめた。そこにはたしかに、寄り添う男女が描かれていた。ごく小さな面積の中に、画家は素晴らしい技術でもって姿を写し取っている。

 黒髪の女性が、緑の瞳でこちらを見返していた。

「見た目でわからない部分で、お父様とだって似ているわ。わたしたち二人ともロブスターがだめなの。食べると身体に発疹が出てしまう。冬の始めにひどく体調を崩すのも、それが一日で治るのも一緒。それに、それにね、忘れたの? わたしには弟がいるのよ。ちゃんとお父様にそっくりな弟がね! わたしが生まれるまでに時間がかかったけれど、お父様はけっして種なしなんかじゃないんだから!」

 勢いのままに言いきったダイアナは、自分が何を口走ったのか気付いていなかった。フェビアンは呆気にとられて彼女を見上げている。真っ先に反応したのは彼女の両親だった。

「ダイアナ、お前なんということを」

「はしたないことを言うんじゃありません!」

 あわてたようすで叱られて、一瞬きょとんとダイアナは振り返る。が、すぐに気付いて、みるみる真っ赤になった。

「セシル様」

「聞かなくてよろしい。忘れなさい」

 メロディが何を言うより早く、セシルはきっぱりと拒絶する。さっきの「ヒモ」といい、メロディの中に疑問ばかりが積み上がっていく。教えてくれそうなエチエンヌを見ると、口の動きだけで「あとで」と言われた。

 呆然としている息子に、フランク卿が笑った。

「だから甘いと言ったんだ。その辺はちっとも調べていなかったようだな? 疑いを証明するものばかりじゃなく、否定する証拠も調べるべきだろうが、馬鹿め」

 声を立てて笑うフランク卿とは反対に、フェビアンは頭を抱えた。

「そんな……本当に違うって言うんですか……? じゃあ、今まで聞いた話は……」

「お前に教えてくれた人たちは、自分ではたしかな話だと信じていたんだろうな。詳しいことを知らない他人なら無理もない。母さんは――ありゃあ、自分の姿を鏡に映していただけだ」

「どういうことです?」

 眉をひそめる息子に、卿は肩をすくめた。

「金がほしくて平民の男を夫にしたが、それを周りから嘲られたせいで血筋というものに執着するようになった。跡取りは純粋な貴族でないといけない、平民の血なんて入れてはいけない――そんな考えにとりつかれて、他から種をもらおうとしたのさ。誰とは言わんが、親戚の男に話をもちかけて、それこそ不義の子を作ろうとした。ま、断られた上にすぐお前ができて、あきらめるしかなくなったがな」

 あっさりと母親の不貞を暴露されて、またフェビアンは絶句する。疑うべき相手は逆だったと、衝撃の事実だった。

「自分がそういうことをしたもんだから、俺たちもやってるにちがいないと決め付けたんだな」

「あの女……」

 呪いの声を漏らした息子に、フランク卿は首を振った。

「母親のことをそんなふうに言ってやるな。あれも可哀相なんだよ。恵まれない娘時代を過ごして、結婚したらしたで貴族社会では笑い物だ。いつだって胸を張っていられた時がなかった。精一杯矜持を守ろうとしていたのに、気付けば息子にもそっぽを向かれ独りぼっちだ。何がいけなかったのか自分ではわからず、今でも家のために必死に頑張ってるつもりなのさ。うっとうしいのはわかるが、たまには帰って相手をしてやれ」

「それはあなたの役目でしょう」

「見捨てているつもりはないがな。どうなっても、最後まで面倒は見てやるつもりだ」

 案外に真面目な顔で父親は言う。両親の間にまともな愛情はひとかけらも存在しないと、それは間違いなく確信できることだったが、長年夫婦として暮らせばなにがしかの情はわくのだろうか。家族としてか、あるいは憐憫か。父が母の浪費を咎めず、たいていのことは好きにさせている理由が、漠然と理解できた気がした。

 顔を上げればダイアナと目が合う。

 彼女にまず何を言うべきなのか――まったくらしくもないことに、気の利いたせりふがひとつも浮かばず、困り果てるフェビアンだった。



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