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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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15 尋問と断罪

 コールフィールドの領主、プラウズ伯爵は、人生最大の危機に瀕していた。

 隣の領地にもぐり込ませた配下から急な知らせを受けたのが昼前のこと。

 夜更かしの翌日で、ようやく目を覚ましたばかりのところへもたらされた報告は、彼を最悪な気分に叩き落とした。

 ささやかなたくらみが、どうやら露顕しかかっているらしい。それだけならばまだごまかす方法があるものを、こちらの指示も待たずに配下が早まった真似をしてしまった。視察に来たシャノン公爵を罠に誘い込み、閉じ込めたというのだ。執事から報告を伝え聞いた伯爵は、寝台の中で頭を抱えてしまった。

 馬鹿者どもが! そんな真似をしてしまっては、もうごまかしようがないではないか。あの村で違法行為を行っていたと、自ら認めたことになる。

 それならば中途半端に閉じ込めなどせずに、いっそ殺してしまえばよかったものを、と恨んだ。しかしこれは無理な話だと、配下の言い訳を聞くまでもなかった。公爵には凄腕の護衛がついている。以前は寄せ集めだの落ちこぼれ集団だの言われていたが、実は騎士団にも滅多にいないほどの実力者たちだった。公爵を狙う刺客や悪名高いロス街のギャングを、彼ら数名で何百人と斬り捨てたとか――誇張があるにしても、おそろしい噂が流れている。

 対してこちらは、近隣で悪事を働いていたごろつきたちを、それこそ寄せ集めて雇っていただけだ。弱者ばかりを標的にしていたような連中が、公爵の護衛士に対抗できるとは思えなかった。

 伯爵は必死に考えた。閉じ込めたとは言っても完全なものではなく、時間をかければ公爵たちは自力で出てこられるらしい。なんとしてもその前に手を打たねばならない。

 ごろつきどもを早々に追い払い、村人に厳重に口止めをするのだ。悪事はすべてごろつきどもが働いたこと。村人たちが脅されて、従わされていた。プラウズ伯爵家は何の関わりもない。もし疑いをかけられても、まったくあずかり知らぬことだと主張するのだ。

 これに文句を言う者などいないだろう。ごろつきどもは言われる前から逃げたがっている――報酬の上乗せを要求して。

 舌打ちしつつも、伯爵は要求を呑むことにした。ぐずぐずもめている暇はない。二割くらいに値切りたいところを五割で妥協して、できるだけ遠くへ、追跡の手が届かないところまで離れろと言ってやった。

 あとはジモン村への手配だ。

 彼らも共犯だ。領主を裏切り、勝手に蛍石を横流しした。それが発覚すれば重罪だ。哀れな被害者のふりをすることで、自分たちの罪を隠せと言ってやるのだ。妙な正義感を起こして告発すれば、村全体が道連れだ。家族や友人がみな罰を受けることになる。下手をすれば死刑だと聞かされて、それでも告発しようとする農民などいないだろう。

 これらを執事に言いつけて、伯爵はさらにどうするかと考えた。念のために、公爵の機嫌を取る方法が必要だ。

「そうだ――リリアンを呼べ」

 何かあったのかと覗きにきた夫人に言いつける。娘を使って公爵を籠絡するのだ。昨夜はパートナーの手前か、あまりリリアンにかまうようすはなかったが、興味を抱いていないはずがない。うちの娘は社交界でも評判の美貌なのだから。

 エイヴォリーの娘もそれなりに(・・・・・)美しかったが、女らしさ優雅さでは比較にならない。断然リリアンの方が魅力的である。公爵も今頃はそれに気付いて、乗り換えたい気分になっていることだろう。

 リリアンがうまく公爵の心を掴めば、こちらへ疑いがかけられることもなくなるはずだ――と、実に楽観的というか都合のいいことを考えて、伯爵は娘を呼びに行かせた。ところがリリアンは、ジェラルドとともにすでに出かけた後だった。

 こんな時にどこへ行ったのか。伯爵は腹を立て、さがすよう使用人たちに命じた。行き先はすぐに判明したが、それがまた伯爵に頭を抱えさせることになる。リリアンとジェラルドが向かったのはジモン村だった。

 一体何をしに行ったのか。すぐさま執事に迎えに行かせたがなかなか戻ってこない。苛々して待っていた伯爵のもとへようやく戻ってきた執事が報告したことは――

「……旦那様、もはや隠蔽は不可能です。公爵様は、すべての事情をご存じで、旦那様から話を聞きたいと仰せにございます」

 予想より早く脱出してきた公爵は、あの村で行われていたことを既に知っていたという。ごろつきどもは逃げる前に公爵の配下によって捕縛されてしまった。さらにはリリアンとジェラルドまでもが捕らえられた。二人はごろつきどもと共謀して、コヴィントン家の娘とエイヴォリー家の娘を拉致せんとしたというのだ。例えではなくめまいがして、伯爵は椅子から立ち上がれなかった。

「何を……何をしてくれたのだ、あの馬鹿どもは……ジェラルドはまだしも、リリアンまでがなぜそのような真似を……」

「邪魔なメロディ嬢を公爵様の前から消すために、あの無法者たちに連れ去るよう命じたそうにございます」

 答える執事の顔も、このうえなく沈痛だった。

「ところが無法者たちは、若様とお嬢様も拘束し、旦那様から身代金を取ろうとたくらみましたそうで。結局、メロディ嬢をはじめとする公爵様の配下によって、すべてが阻止されたとのことにございます」

「…………」

 くらくらする頭を支え、伯爵は椅子の肘掛けにもたれた。じっとりと嫌な脂汗が手についた。

「どうすればよいのだ……マーカス、一体どうすれば」

「若様とお嬢様のなさったことは、旦那様のご意志ではなかったわけですし、幸いにして未遂で済みました。深刻な悪意でもってなされたことではなく、いたずらの度が過ぎただけと話し、許していただけるようお願いするよりありますまい。鉱山の件につきましては、向こうの出方を見つつ謝罪するよりありませんな。今さら否定してもかえって心証を悪くするだけです。ただ、ほとんどの悪行は無法者たちが勝手にしたことで、旦那様が逐一指示していたわけではないと、そのように話しましょう。事実公爵様を罠にかけたのは奴らの独断ですし、こちらにそこまでの悪意はなかったと、なんとか説明してわかっていただくよりありますまい」

「向こうがそれで納得してくれればよいが……納得したとしても、賠償は請求されるだろうな」

「……どうにかするよりないでしょう。拒否すれば女王陛下へ訴え出られてしまい、今以上に悪い状況を招きます」

「わかっている! わかっているが……なんということだ……」

 どうしてこんなことになったのだと、伯爵は盛大に不運を呪った。ずっとうまくいっていたのに、なぜ急にばれてしまったのだろう。あの薄らぼんやりした公爵がそこまで有能だったとは思えない。配下たちのしわざか。リスター子爵の息子――そうだ、あの平民あがりの息子がいた。商売だけは上手い成金の息子ゆえに、目端が利いたのか。

 自分のしたことを棚に上げて、伯爵はありとあらゆるものに腹を立て、我が身の不幸を嘆いた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。執事に励まされながらのろのろと身支度をし、伯爵はモンティース領へ向かったのだった。




「言い訳を聞きたいわけではない。私が知りたいのはひとつだ。なぜあそこに手を出した? 蛍石の採掘量はそれほど多いものではない。村人や監視役への報酬を支払えば、残る収益などたかが知れている。犯罪という危険な橋を渡るにしては、ずいぶんと割に合わない。いくら台所事情が苦しいとはいえ、まがりなりにも伯爵という身分を持つ者が、そのような小金になりふり構わず飛びつくとは思えないのだがね」

 薄らぼんやり、と伯爵が評した公爵は、口調も表情も静かながら、これまでに見たことのない冷やかな空気を漂わせていた。椅子に腰かけた膝の上に、なぜか一振りの剣を置いている。あまり見慣れない反りの入った刀身が鞘から抜かれ、むき出しの鋼が鈍く光っているのが不気味だった。

 まさか、気に入らない返答だったらあれで斬るとでも言うのだろうか。伯爵はごくりと唾を飲み込んだ。いやいやまさか。いくら公爵とはいえ、そんな真似は許されない。こちらは農民などではなく、れっきとした貴族なのだから。ただの脅しだろう――そう、これ見よがしに武器をちらつかせて、こちらを脅しているのだ。それだけだ。だいたい部下たちはともかく、公爵がどれだけ剣を使えるというのか。背ばかり高くても女のように髪を伸ばした優男のくせに。

「まことに、申し訳ないことで……ご指摘のとおり、我が家は近年経済的に厳しくなっておりまして、それでつい魔が差してしまいました。いえ、このようなことが言い訳になるとは思っておりません。ですが、誓って公爵様や配下の方々に危害を加える気などございませんでした。あれは、雇った連中が勝手にしでかしたことでして、私も知らされた時には仰天しまして、即刻公爵様がたをお助けするよう命じた次第でして」

 しきりに汗をぬぐいながら弁明する伯爵を、セシルは手をあげて制した。

「だから、そういう話を聞いているのではない。ジモン村の民からも聞き取りをして、既に状況はほぼ把握できている。先程も言ったように、なぜ君があそこに目をつけたのか、なぜこうも手の込んだ真似をしたのか、その理由を聞いているのだ。もっと効率的な稼ぎ方もあっただろうにとね」

「そ、それは……」

 普段の優しげな表情はないが、セシルは別に怒っているわけではなかった。伯爵がたくらんだのは横領であって、村人を殺したわけではないし、セシルたちに手出しするよう命じたわけでもない。本人の言うとおり、監視役のならず者たちが勝手に悪事を働いた部分が大きい。その原因を作ったのだから罪と責任はたしかにある。しかし目の前で汗だくになって身を縮めている男に、深刻な悪意はなかったことは、言われるまでもなくわかっていた。

 人の財産をかすめ取ろうとたくらんで、ちょっと上手くいったからと調子に乗って、続ければいずれ発覚することに思い至らず悪事を重ね、結局追い詰められた愚かな小悪党。それがプラウズ伯爵という人物だ。

 セシルが彼に対して抱いている感情は、呆れが大半だった。彼に対しては腹を立てる気にもなれない。

「君が本当に狙っていたのは、蛍石ではないのだろう? もちろんそれも利益にはなるから手に入れるが、本当にほしかったものは他にある――そうだね?」

「…………」

 せわしなく視線をさまよわせ、伯爵は何度も唾を飲んだ。城の主の広い部屋に、たくさんの人が集まっている。伯爵の他には執事のマーカスが同行し、すぐそばに控えている。公爵も家令と部下たちを周囲に控えさせ、さらにはジモン村の村長もいた。そして、部屋の隅にはジェラルドとリリアンの姿もあった。

 人相が変わるほどに頬を腫らしたジェラルドに、ため息しか出てこない。リリアンもふてくされ、公爵の部下たちを――とりわけエイヴォリーの娘をにらんでいた。

 この場で頼りにできそうなのはマーカスくらいだ。しかし伯爵と公爵の会話に、使用人の彼がしゃしゃり出ることはできなかった。

「いい加減観念したらどうです? 状況はおおむね把握できていると、うちのご主人様が言ったでしょう。村人たちからも、あなたが雇った連中からも、すでに話は聞いてるんですよ」

 リスター家の息子が、小馬鹿にした調子で口を挟んだ。

「自主的に白状するよう団長が薦めてるってのに、この期に及んでまだしらを切るつもりですか? 無駄な真似はよしなさいよ、心証を悪くするだけですってば」

 フェビアンは進み出て、伯爵の前に一枚の紙を広げて見せた。

「百年以上前のお宝の地図――金脈の在り処を示したものだそうですね」

 伯爵は言葉にならないうめき声を上げた。それは彼の家に伝えられていたものだった。ごろつきどもに渡した写しを、すでに見つけて取り上げていたのか。

「金が採れるなら、そりゃあ目の色を変えますよねえ。他人の土地でもさがしたくなる気持ちはわかります」

「も、もともとは我が家の土地だ!」

 たまらずに伯爵は叫んだ。

「本来なら蛍石も金脈も、すべて我が家の財産だったのだ! それを取り戻そうとしただけではないか! 横取りしているのは、そちらの方なのだぞ!」

「そんな言い分が通用しないのは百も承知でしょうに。昔はともかく、今はシャノン公爵領なんです。もうあなたに所有権はない」

「不当に奪われた財産を取り戻したかったんだ! 訴え出ても相手にされないのはわかっていた。だがあきらめろと言われても無理な話だ。私は正式に購入を申し込んだのだぞ。公爵が売ってくれさえすれば、ちゃんと対価を支払って合法に手に入れていた。それも拒否されたから、しかたなかったんだ!」

「いやいや、それ矛盾してるでしょ。団長がモンティースの領主になる前から横領を始めてたじゃないですか。それにねえ、売ってくれないなら盗むしかないって、その主張がすでにおかしいでしょう」

「盗まれたのはこっちだ!」

 追い詰められたあまり、伯爵の主張が支離滅裂になっている。フェビアンは大きく息を吐いて肩をすくめる。困った顔でセシルがふたたび口を開いた。

「あー……これを先に説明しておくべきだったかね。君がさがしていた金脈――と、そもそもあの周辺がモンティース領になった経緯だが……今から三代前、君の曾祖父にあたる人物がずいぶんと破天荒な人だったらしく、周辺の領主と衝突していた。それを仲裁したのが当時のシャノン公爵だ。代償としてジモン村付近の土地が割譲されたわけだが、当時は蛍石が工業利用されることはなく、宝石としての価値もそれほどではないため、公爵にとっては別にありがくもなかったようだ。問題児が処罰されたという形を示すために行われた割譲で、プラウズ家側にとっても大きな損失ではなかったらしい」

 ヘクターが静かに進み出て、古い大きな本をセシルに手渡す。羊皮紙を綴じて頑丈な黒革の表紙で装丁した、年代を感じさせるものだ。留めてあるベルトを外せば、膨れ上がった羊皮紙が勝手に表紙を押し上げる。セシルはあらかじめ栞が挟まれていた頁を開いた。

「シャノン家の歴史書に、その時の経緯が記されている。そして、金脈を記した地図についても記述があったよ」

 伯爵だけでなく、室内にいた全員がセシルの手元に注目した。伯爵も目をぎらつかせて、覗き込まんばかりに身を乗り出した。

「当時のプラウズ伯爵が、自らあれは金の山だと言って差し出したと。それらしい地図も見せられたと、たしかに記されている。だがね、それは誰もが知っていた大嘘なのだよ。あの山で金が採れるなどという話はなかったし、調査をしたこともない。伯爵が口からでまかせを言っただけだったんだ」

「――う、嘘だ!」

「君の家にはもっと詳しいことが伝えられているのではないかね? 君の曾祖父は色々問題を起こしたが、いたずら好きのやんちゃ坊主がそのまま大人になったような、迷惑だけど憎めない人柄だったらしい。処罰が必要となった時に、あの山は宝の山だから奪われると大変な痛手である。これで十分な罰になるだろうと、自ら地図を作製し、シャノン公爵に押しつけた――らしい」

 くるりと本を裏返し、開かれた場所を伯爵に見せる。メロディの位置からはそこに書かれた文字を読むことはできないが、セシルが言ったような内容が記されているのだろう。

 言葉もなく身を震わせる伯爵に、さらにセシルは言った。

「当然公爵は山の調査などしなかった。蛍石の採掘に本格的に取りかかったのは次の代だ。当時はとりたてて価値を認められず捨て置かれていた。公爵に渡された地図がその後どうなったのかは不明だが、同じものをもう一枚伯爵が作っていたのか、あるいは返却されたものが捨てられないまま忘れ去られ、プラウズ家の資料とともに眠っていたのか――当時を知る人が誰もいなくなった今になって発見されたのだね」

「そんな……嘘だ……そんな馬鹿な……」

 卒倒しそうな顔でくり返す伯爵から、そのかたわらに控えた執事へセシルは視線を移した。

「どうだね? そちらにはこうした話は伝えられていないのかね」

 伯爵と違って冷静さを保ちつつも、十分に絶望的な顔で沈黙していた執事は、苦い吐息とともに目を閉じた。

「……詳しいことまでは、何も。ただ、領地の割譲が行われた経緯につきましては、多少……」

 先祖のやらかしについて、詳しく書き残されてはいないだろう。そんな恥の部分はどこの家でも記録から抹消されるものだ。だが領地の割譲について記録しないわけにはいかない。ごまかしながらも、ある程度は経緯が残されていたのだろう。

「じゃあ不当に奪われたとかいう話にはならねえじゃん。言いがかりもいいとこだ。よくそんなことを堂々と言えたもんだぜ」

 エチエンヌの言葉はシャノン家側の全員の心情を代弁していたが、今は話の邪魔だ。ナサニエルが制して黙らせた。

「そういうわけで、あそこに金などない。あきらめるのだね」

 セシルは本を閉じてヘクターに返した。

 プラウズ伯爵は虚ろな目で自失している。事実を突きつけるだけで彼には相当な罰になったようだ。しかしそれだけで許すわけにはいかない。セシルは事務的に話を続けた。

「君のしたことはまぎれもなく犯罪で、人的被害も出ている。無法者を引き入れれば村に被害が出ることは十分に予想されたはずだ。幸いにして殺人までは起きなかったが、女性がずいぶんとひどい目に遇ったようだし、村長も後遺症が残るほどの怪我をした。償いはしてもらうよ」

「公爵様、どうかご寛大なお心で、こちらの言い分もお聞きくださいませ。たしかに咎められてもいたしかたないとは承知しております。こちらに罪がないなどと申し上げるつもりは毛頭ございません。ですが、あの者どもには非道な真似をしないよう、厳しく言いつけておりました。村人は我々にとって協力者であり、傷つけようなどと思うはずもございません。旦那様は十分に配慮なさっていたのです。それを、あの者どもが――」

 主に代わって必死に主張する執事を、セシルは途中で制した。膝から剣を取り上げて軽く振る。ぎょっとして執事が口を閉ざすと、また膝に戻した。

「言い訳は結構。私は既に結論を出している。もしも死者が出ていたならば、この一件を女王陛下にご報告して公式に処罰していただいただろう。そうまでは至らなかったので、示談で済ませることにした。ちゃんと賠償してくれるなら、それ以上の追及はしない」

 静かな言葉に執事だけでなく、伯爵もやや生気を取り戻して顔を上げる。こちらから言い出す前に示談をしめされて、彼らはほっとした。

 が、セシルが口にした賠償額に、ふたたび蒼白となった。

「そ、そのような法外な……」

「法外というほどの額でもなかろう。これでもまけてあげたつもりだがね。横領が始まった年からの損失額を計算し、それに少しばかり慰謝料を上乗せして呈示しただけだ」

 何が少しばかりだと、伯爵も執事も恨めしくセシルを見返した。想定していたよりも、はるかに多い額だった。

 若い公爵はふたりの視線にびくともしなかった。

「死者は出なかったと言ったが、出る寸前ではあったよ。たまたま私たちがあそこに閉じ込められなければ、ヘクターが死んでいた。誰も彼があんなところに縛られて置き去りにされているとは知らなかったからね。そしてヘクターが坑道の構造を熟知していたおかげでさして時間もかけずに外へ出られたが、そうでなければ今頃まだ穴の中で迷っていたかもしれない。事故が起きたり、力尽きていた可能性もある。その辺をちゃんと理解して言っているのかね? 悪党どもが勝手にしたことだというのは通用しないよ。その悪党どもを連れてきて好きにさせていたのは君だろう」

 反論の余地はない。そもそも公爵に危害を加えておきながら、示談で済ませてもらえるだけでも破格の話なのだ。じっさいのところセシルとジンがあの程度の罠で力尽きるはずはないのだが、そんなことまで言う必要はない。メロディたちは知らん顔で口をつぐんでいた。

「しかし……とてもそんな金額、私には用意できません……全財産差し出して、のたれ死にしろとおっしゃるのですか」

 伯爵が苦しげに言う。するとフェビアンが明るく笑って言った。

「やだな、プラウズ家の財産はもっと多いでしょ。カンバーの農園を売れば、団長が言った額くらいすぐに工面できるじゃないですか。なんならうちで買い取りましょうか? できるだけ色を付けてさしあげますよ」

「土地を売れだと!? それもカンバーを――それでは、今後の生活が」

「今のような浪費をやめて慎ましく暮らせば、十分やっていけますよ。まあ、これまでにも借金を作っていたのなら、どうだか知りませんけど。でも土地は他にもあるんだから、みんな処分すれば返済できるんじゃないですかね」

「何を勝手なことを! 土地を失って、それでどうやって貴族としてやっていけというのか。我々に庶民のような暮らしをしろと言う気か!?」

「それが嫌なら犯罪者の暮らしをするしかないですよねえ。監獄で」

 容赦のない言葉に、伯爵はもう呻き声しか出せない。セシルの態度は変わらず、周りの部下たちも当然のことと冷たく傍観している。どこからも助けは出ないと思った時、思いがけない声が割り込んできた。

「公爵様、どうかお赦しくださいませ!」

 飛び出してきたリリアンが、セシルの足元に跪いた。誰もが一瞬驚いて、彼女に注目した。リリアンは悲しげな顔で、ひたとセシルを見上げた。

「お父様はけっして非道な悪人ではありませんわ。間違ったことをしたのは事実ですし、お詫びもいたします。でもどうか、わたしたちが破滅するほどの罰はお赦しくださいませ。もう二度としないとお約束しますし、父に代わってわたしが償います。なんでもいたしますから、どうか父を赦してくださいませ」

 目を潤ませてすがりつくようすは、いかにも父親思いの娘といった姿だ。美しい娘が我が身を差し出してなんでもするなどと言えば、その先の展開は誰にでも察しがつく。夏物のドレスは胸元が深めに開いており、上から見下ろす形になったセシルからは谷間がくっきり見えていた。さり気なく身じろぎするたびに色気をふりまき、己の持つ魅力をたっぷりと見せつけてくる。十代の少女とは思えない手管に、そばで見ていたフェビアンは口笛を吹きたいくらいだった。

 この場で一人だけ、おそらくまったく理解していないであろう、あっちの少女とは大違いだ。たしかに女としての力はリリアンの方が格段に上だった。

 己を犠牲にして父を救おうとするふりで、セシルを籠絡しようとしている。どこまでもしたたかで根性のある令嬢に、感嘆の念すらおぼえる。

 もちろん、主はそんな芝居に乗せられる人ではなかった。

「詫びるのも二度としないのも当然だ。わかりきったことを言わないでもらおうか」

「公爵様」

「伯爵に対しては、賠償さえすれば許すと言っている。破滅させようなどとは思っていないよ。贅沢な暮らしを手放し慎ましく暮らすことが破滅というなら別だが。真面目にすれば今後もやっていけるはずだ」

 心を動かされるようすもなく、セシルは冷やかに言った。リリアンを見下ろす瞳に、女への興味や欲望の色はいっさい見えない。冷たく、そして鋭く突き刺してくるまなざしに、さらに迫ろうとしていたリリアンは息を呑んだ。

 まったく別の人を見ている気分だった。これまで知っていたシャノン公爵ではない。ひどく危険なおそろしい存在に思えて、知らず身体が震えた。

 セシルの手が動いた。彼は再び剣を取り上げ、静かに動かす。鋼の刃がひたりと、白い頬に当てられた。

「父上の罪と君の罪は別だ。君には君の罪がある――そちらは、許すつもりはない」


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