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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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11 奸計

 木陰でそよ風を受けていると、とても爽やかで心地よい。庭に出された鶏たちが地面をつつき、その周りで黄色いひよこがにぎやかに歩き回っている。手を出せば、好奇心の強いのが近寄ってきたりもするが、つかまえようとすると逃げていく。次に向かったのは飼い猫の腹毛だ。長い毛の猫は、ひよこを獲物ではなく仲間と認識しているのか、くっつかれても身体によじ登られても知らん顔で、ピイピイうるさい鳴き声にも動じず泰然と寝そべっていた。

 オークウッドの実家に帰ったかのような、のどかな時間だった。メロディにとってはなつかしさを覚える風景だ。街育ちのダイアナはどうかと見ると、彼女も穏やかなひとときを楽しんでいる。大分顔色がよくなって、笑顔も増えてきた。

 昨夜の衝撃から立ち直ってくると、逆に明るい気分になれたらしい。ジェラルドのたくらみは、まったくもって身勝手の一言で許しがたいが、反面ありがたくもあった。どうやって両親を説得しようかという問題が、あっさり解決したのだ。なによりもそれが、ダイアナの心を軽くしていた。

「あとは、ジェラルド様をどうやって追い払うかですね。しつこそうだからなあ……セシル様から伯爵夫妻に釘を刺してくださるそうですけど、他にも手を打った方がいいでしょうね」

 蜂蜜の入ったレモネードを飲みながら、メロディは考える。家主の妻がふるまってくれたもので、井戸でうんと冷やされている。夏にはたまらない飲み物だ。

「他の手、といっても、どうしたものでしょうか……」

 そこはダイアナも不安が残る部分だった。あのジェラルドのようすからして、親に言われても簡単には引き下がらない気がする。

 あまり深刻にならないよう、メロディは明るく言った。

「大丈夫ですよ。わたしの兄に相談してみます」

「お兄様に?」

 ええ、と力強くうなずく。

「いちばん上の兄は、父と一緒に社交にもよく顔を出しますから。ジェラルド様の目の前でダイアナ様を誘ってもらうとか、お友達にも声をかけてみんなで見守ってもらうとか、頼めると思います」

「まあ……そんな」

 エイヴォリー家の人々を思い出したのか、ダイアナは恐縮するようすになった。

「ご迷惑では」

「とんでもない! 話を聞けば、きっと進んで手を貸してくれますよ。卑怯な手段で女性を手に入れようとする男なんて、兄様の大っ嫌いなものの一つですから。やりすぎないよう止める必要があるかも」

「ま、まあ……」

 それはそれで、一抹の不安がよぎる。

「あとは……そうですね、ルイス殿下にもお願いできないかな」

「え――ル、ルイス殿下、とは……」

「王太子殿下ですよ。ご存じですよね?」

 ご存じないわけがない。次期国王を知らないと抜かす貴族など、国内に存在するはずがない。ダイアナはあわててうなずいた。

「殿下から注意されれば、さすがにジェラルド様も聞き分けてくださらないでしょうかねえ」

 のんきな顔でそんなことを言う少女に、ダイアナはめまいがしそうな気分をこらえた。

「メロディ様……さすがに、それは……こんな個人的な問題で王太子殿下のお耳をわずらわせるなど、咎められてしまいますわ」

「うーん、まあそうなんですけど」

 でもね、と内緒話をするように、メロディは声を落としてダイアナに顔を寄せた。そんなことをしなくても、聞いているのはひよこと猫だけなのだが。

「裏道があるんですよ」

「う、裏道、ですか?」

「ええ。殿下は従兄であるセシル様のことを、とても慕っていらっしゃるんです。そのセシル様から、知り合いがしつこい男に言い寄られて困っている、なんて聞かされたら、張り切って助けてくださると思うんですよね」

「…………」

 言葉を失うダイアナに、さらにメロディは言う。

「セシル様にいいところを見せるチャンスですもの。あの殿下のことだから、絶対に助けてくださいます。ついでに言うと、女性に優しい方なので、そういう意味でもお味方は期待できると思うんですよね」

 机に突っ伏してしまわないよう、ダイアナは懸命にこらえなければならなかった。こともあろうに、メロディは王太子をそそのかそうと言っているのだ。天使のような顔をして実は悪魔なのではないかと、一瞬疑いたくなった。

 自分とは世界の違う人だと、つくづく思った。ダイアナからすれば王族など、雲の上の人々だ。直接口を利くことすらあり得ない。気安く頼みごとができるような相手ではないのだが、セシルやメロディにはもっと身近な存在なのだろう。格差というものを、これほど強く実感したことはなかった。

 ――彼女は知らない。メロディにとっても、王族はそういう存在のはずだった。しかるべき場所、しかるべき状況で出会ったなら、もっと恐縮していただろう。

 幽霊騒動の犯人をつかまえてみたら女装の男で、正体は王太子だった――なんていきさつのせいで、恐縮も何もかもがすっ飛んでしまったのだが、そこは王家の名誉のために公表できない部分である。

「とても心強いお話ですけど、それは最終手段ですね……まずは、わたしがしっかりしないといけないのですわ」

 ダイアナは頭を振った。ジェラルドがどんなにしつこくしてきても、毅然と断ればいいのだ。結婚はできないと堂々言い放ち、はじめから妾にしようとする男など、袖にしても非難されることはない。

 もちろん、その時に頼るべき人が隣にいてくれれば、言うことはないのだが……。

「……みなさま、お帰りが遅いですね」

 そっけなく背中を向けて出かけてしまった男の姿をさがして、ダイアナは外の道へ目を向けた。

「お昼には帰ってくるということでしたが……」

 さきほど素敵なパンケーキを焼いてもらって、二人で食べたところだ。腹を空かせて帰ってくるであろう男たちのため、女主人が心尽くしの昼食を用意してくれているのに、まだ彼らが戻ってくるようすはない。

「それほど遠くないということでしたよね」

「ええ。よほど興味深いところでもあるのかな……蛍石を掘っている現場を見に行くとしたら、鉱山に入るわけだし、山の中の坑道を探険しているのかもしれませんね」

 ついて行けなくてちょっぴり残念だったメロディは、どんなところなのだろうと想像する。深い坑道に踏み込むなど、わくわくする話だ。セシルに頼んで、後日もう一度行くことはできないだろうか。

 その時、ひよこまみれになりながら昼寝していた猫が、ぴくりと頭を起こした。耳をぴんと立て、どこか一点をじっと見据えている。

 なんだろうとメロディも目をやった。するとこちらへ向かって、けっこうな勢いで駆けてくる馬の姿が見えた。

 仲間たちが戻ってきたのではない。村人風の男が一人、妙に急いでやってくる。

 驚いた猫が飛び起きて、ひよこを振り落として逃げていった。

「あ、あんたら、ご領主様のお連れのお嬢さんたちですよね」

 やってきた男は転げ落ちるように馬から降りて、あわてたようすでふたりに尋ねた。

「そうだけど? そんなにあわててどうしたの?」

「あっ……あの、お、落ち着いて聞いてくださいよ。実は、山で崩落が起きてですね、その……ご領主様とお供の騎士様達が、お怪我をなさって」

「――っ」

 ダイアナが悲鳴を飲み込んだ。メロディはすかさず立ち上がった。

「怪我って、どのくらい? ひどいの?」

「い、今、あっちは混乱してて、誰が巻き込まれたのか確認してる最中なんですが、ご領主様たちは幸い外に出てらしたんですぐにお助けできました。ただ、起き上がることもできないごようすでして」

 ダイアナが今にも気を失いそうな、真っ青な顔になる。メロディも厳しく顔を引き締めた。

「意識はあるの?」

「それは、なんとか。ですがとても指示を出せるような状態じゃありませんで、誰か呼んでこいって言われまして。お嬢さんたち、来ていただけませんかね」

 すぐに行こうと答えかけて、メロディはぐっと踏みとどまった。自分一人ではない。ダイアナがいる。彼女から離れるわけにはいかないのだ。

「城に知らせは出した? ヘクターを呼ばないと」

「それは多分他のやつが行ってると思いますけど、ヘクター様は領内をあちこち回ってらっしゃるんで、すぐにつかまるかどうかわかんねえですよ。下手すりゃ死人が出るんじゃあって状況で、ご領主様たちのお怪我もかなりひどいですし、もう俺たちだけじゃどうしたらいいのか――お願いです、来てくださいよ」

 メロディの腕を取って、男は懇願する。どうしようとメロディは悩んだ。行きたい。言われなくても、今すぐ飛んで行きたい。けれどダイアナはどうする。もし不在中にジェラルドが来たら。メロディも誰もいなくなった時に連れ去られてしまったら、今度こそ取り返しがつかなくなる。

「……メロディ様」

 苦悩するメロディに、震える声がかけられた。

「まいりましょう」

「ダイアナ様」

 蒼白になりながらも、ダイアナはしっかりと立ち上がった。

「行って、状況をたしかめないと――そ、それに、怪我の手当てもしませんと」

「そのとおりですが、心得がおありで?」

 事故現場に何もできない女が入り込んでも、邪魔にしかならない。危険でもある。崩落というのが、どういう状況なのかわからないが、場合によっては二次災害の可能性もあるのだ。うかつにダイアナを連れていくわけにはいかなかった。

 答えに詰まったダイアナは、一度視線を落とした。震える手でぎゅっとスカートをつかみ、必死の目を向けてくる。

「手伝い程度のことしかできませんが、人手は多い方がいいはずです。それに……とても待ってなどいられません。お願いです、わたしも連れて行ってください」

 すがるダイアナの気持ちが、メロディには痛いほどによくわかった。まったく同じ気持ちなのだ。主と仲間たちがどうなったのか、メロディだって心配でたまらない。今すぐ駆けつけて手当てをしたい。ここで待つしかないと言われるのは、あまりに辛すぎる。

 しばし考え、メロディは決断した。

「馬には乗れますか?」

「は、はい!」

 勢いよくダイアナはうなずいた。

「現場がどういう状況なのかがわかりません。もし危険と判断したら、離れて待機していただくこともあります。こちらの指示に従ってくださいますか?」

「……はい。少しでも近くに行きたいんです。お願いします」

 うなずき、メロディは家の者に馬を貸してくれるよう頼みに行った。セシルたちが馬を使っているので、今は馬車だけが残されているのだ。手短に事情を説明し、馬を二頭引き出してもらった。

「お嬢様!」

「ファニー、行ってくるわ。もしかしたら怪我人を運び込むかもしれないから、そのつもりで待っていて」

 さすがにファニーまでは連れて行けないので、ダイアナが留守番を命じている。一瞬馬車で移動するべきだろうかとメロディはためらった。しかし馬に乗れないほどの怪我ならば、無理に動かすよりも現場で手当てした方がいいだろう。全員を乗せることもできないのだし、やはりここは馬に騎乗して行くことにする。

 用意されたのは、がっしりとした身体と太い脚を持つ馬だった。騎士の馬ではなく、農作業に使われる馬だ。足の速さよりも力が自慢である。どのみちダイアナを連れて飛ばすことはできないので、礼を言ってメロディは飛び乗った。

 ダイアナも手伝ってもらいながら騎乗した。男装のメロディと違い、令嬢らしく横乗りになる。見たところあぶなっかしい不慣れさはなかった。あまりにひどければ後ろに乗せることも考えたのだが、これなら大丈夫そうだ。メロディはさきほどの男に先導させ、逸る気持ちをこらえて、ダイアナがついて来られる範囲で馬を走らせた。




 鉱夫たちの住まう村まで、さして時間もかからずに到着した。すぐそばまで山が迫る、小さな集落に踏み込んだメロディは、眉を寄せて辺りを見回した。

 おかしい。静かすぎる。大きな事故が起きたはずなのに、この静けさはどういうことだ。ちらほら見える村人は、こちらに気付くや、関わるのを恐れるようにそそくさと立ち去って行った。その姿が老人や女ばかりであることにも、メロディは気付いていた。

 男手はみんな事故現場へ行っているのだろうか。だがここへ怪我人が運び込まれたりするはずなのに、それらしい慌ただしさがどこにもない。オークウッドで災害が起きた時は、それはもうてんやわんやの大騒ぎだった。女だろうが何だろうが、動ける者は総出で救助と援助に働いたものだ。

「怪我人はどこに!?」

 気付いていないらしいダイアナが、案内の男に尋ねる。馬を降りようとする彼女をメロディは止めた。

「事故は、どこで起きたの?」

「あの山ですよ、もちろん」

 メロディの問いに、男は振り向きもせずに答える。呼びに来た時のあわてぶりが嘘のような、落ち着いた声だ。こちらを馬鹿にした、笑いを含んでいるようにも聞こえた。

 ――どうやら、しくじったらしい。

 メロディはおのれの失態に唇を噛んだ。もうわかっていた。自分たちは嘘でおびき出されたのだ。男が言ったような大事故など、起きていないのだろう。まんまと一杯くわされてしまった。

「お前、何が目的? わたし達をここまで連れてきて、どうするつもりなの」

「メロディ様……?」

 ダイアナが不安げな顔を向けてくる。左手を手綱から離し、メロディは剣の柄をそっとなでた。

 男が肩を揺らして振り返る。やはり少女たちを嘲笑う顔だった。同時に、周囲に人が集まってきた。どれもが体格のいい、いやな雰囲気をまとう男たちだった。

 身をすくませてダイアナが周りを見回す。すると男たちのさらに後ろから、見知った姿が現れるのに気付いた。

 見たくない顔だった。できればもう二度と、会いたくなかった。けれどたった一晩の間を置いただけで、また出くわしてしまった。ダイアナの顔が恐怖に引きつった。

「ずいぶんと悪質な真似をなさるものですね。こんなやり方で、人の心を得られるとでも思っていらっしゃるのですか」

 メロディも厳しい顔でにらみつける。それをそよ風ほどにも感じない態度で、ジェラルドはふてぶてしく笑った。

「ジェラルド様……」

 もうダイアナにも自分が罠にかけられたことは理解できていた。怒りと恐れ、そして言いようのない疲労感を覚える。この人は、どうあっても自分の思い通りにしないと気がすまないのか。こんな、賊まがいの真似をしてまでも。

「一度痛い思いをなさらないと、おわかりにならないようですね」

 メロディの目が冷たく金に光る。それをジェラルドはせせら笑った。

「痛い思いをするのはどっちかな? でしゃばりの山猿が。女のくせに騎士の真似事などして粋がって、身の程知らずが何を招くか、せいぜい思い知るといい」

 ダイアナには歪んだ執着を、メロディには憎悪を向けて、ジェラルドは周囲の男達をうながす。馬から強引に降ろされてダイアナが悲鳴を上げた。メロディには刃物が向けられた。腰の剣を渡せと言われ、メロディは無言で従う。相手の手つきを見れば、こうしたことに慣れているのがわかる。油断なく構えた刃物は鎌や包丁などではなく、戦うための道具として作られた短剣だった。

 彼らは、村人などではない。

 馬から降りたメロディを、すぐさま男の一人がとらえる。腕を後ろに回され、強い手に押さえられる。傍から見れば小さな少女が、大人の男に取り押さえられてもう抵抗もできないと思われる光景だった。

 ジェラルドも、男たちも、自分たちが相手にしているものが何かを知らない。

 ひとまず調子を合わせて、メロディはおとなしくしていた。ダイアナもいるので、短絡的な行動には出られない。今は抵抗できないふりで、相手の油断をさそうことにした。ついでに、確認をしておく。

「事故の話は嘘ですね? まさか、あなたがセシル様達まで拘束しているとは思えませんが」

 できているなら拍手してやる。そんな気分で聞いたのだが、ジェラルドはこれにも笑いながら答えたのだった。

「嘘ではない。崩落なら起きたさ。公爵も、あの憎たらしい女たらしも、暗い穴の中だ。誰かが助けてやらないかぎり、地上へは出てこられない」

 ダイアナがあえぎ、足元をふらつかせる。メロディは深く大きく息を吐いて、荒れ狂いそうな感情を抑え込んだ。



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