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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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10 急転

 モンティースとプラウズ伯爵領との境界近くに、蛍石の鉱山がある。ヘクターが気にしていた問題の場所だ。視察を予定していたわけではなかったが、せっかく目の前を通るのだからと、セシルは寄り道していくことにした。

 宿を借りた村から城までは、二時間ほどで帰れる距離だ。急ぐ必要はない。家主もゆっくりしていってほしいと言ってくれるので、出発は昼過ぎにして、午前中を視察にあてることにした。

 ダイアナは当然留守番である。彼女は昨夜の一件でひどく衝撃を受けており、朝から顔色がすぐれない。ゆっくり休んでいるよう言ったセシルは、メロディにも留守番を命じた。

「ファニーと二人だけでは彼女も不安だろう。君がついていてあげなさい」

 ここはまだ伯爵邸に近い。ジェラルドが追いかけて来ないかとおびえずにはいられないだろう。ダイアナから目を離してジェラルドの接近を許したことで、メロディも昨夜からずっと申し訳なく思っていたので、この命令には素直にうなずいた。

 ただし、自分一人だけという点には納得がいかなかった。

「フェンも残ってよ。その方がダイアナ様は安心するよ。ゆうべもあんまり話してないし、もっとちゃんとなぐさめてあげて」

 ダイアナにいちばん必要なのはフェビアンだ。それはもう明らかな事実だ。彼がそばにいれば、他の何よりもダイアナを安心させられるだろう。そうすることがいちばんいいとわかりきっているのに、彼がわざと避けているようなのがメロディには不満だった。

「女同士の方がいいでしょ。僕がいたんじゃ、ダイアナは怒ってばかりだからね。かえって落ち着かないよ」

「そんなはずないじゃない!」

 メロディの抗議をへらへらと聞き流し、フェビアンはさっさと逃げてしまう。いったいあの男は何を考えているのかと、憤慨せずにはいられないメロディだった。

 危ない時だけ助けて、それ以外ではほとんど知らん顔だ。ダイアナの目はずっとフェビアンを追いかけているのに、なぜまともに向き合おうとしないのだろう。

 夜のバルコニーで約束している姿を見た時には、ちゃんと心配していたのだと安心したのに。ダイアナのために、裏では行動している。けっして放置しているわけではない。なのになぜ、本人に直接安心させてやらないのだろう。メロディにはフェビアンがどういうつもりなのか、さっぱりわからなかった。

 腹を立てるばかりの少女とは異なり、主の方はいくらか恋愛というものを知っていた。一見すると陽気で軽薄な部下が、実は非常に複雑な内面を抱えていることも承知している。メロディのように真正面から聞いても答えが得られるとは思えなかったので、並んで馬を進めながらからかうように話しかけた。

「女性に対する君の手腕を、見直さなければならないね。本命に対してこれほど不器用とは知らなかったよ」

 フェビアンは呆れた笑いで返す。

「それを団長に言われる筋合いはありませんよ」

 男ふたりは軽くにらみ合い、同時に肩をすくめる。

「牽制にハニーを引っ張り出した以上、覚悟を決めたと受け取っても?」

「……はっきり何かを言ったわけではない。パートナーとして同行しただけだ」

「それで婚約しているのかと突っ込まれたら、実は部下でと明かすんですか。ハニーが可哀相だなあ」

 耳が痛い。セシル自身、卑怯な言い訳を使っているという自覚はあった。

「なんでそんなに抵抗するんですかねえ。今は子供でも、じきに大人になるって言ったでしょうが」

「『今』が問題なのだよ。彼女はまだ、知らないことやわかっていないことが多い。一生に関わる問題を決められるほどの経験がない。その自覚すら持たず一時の感情に動かされているだけだ」

 ため息まじりの答えを聞いて、フェビアンはますます呆れた顔になった。

「恋愛てのは、その『一時の感情』が重要なんですけどねえ」

「ただの恋愛ならともかく、結婚となると一生の問題だろう。相手が私のような訳ありでは、もっと慎重に決めるべきだ」

「そんなこと言ってるうちに爺さん婆さんになっちゃいますよ」

 容赦なくやりこめながらも、フェビアンの目は優しかった。相手を思いやるあまり後ろ向きになりすぎている主に、やれやれと苦笑する。

「そう難しく考えなくてもいいと思うんですけどねえ……団長とハニーの結婚に賛成の人ー」

 後ろの仲間に声をかけると、すかさず全員が挙手して応えた。セシルはなんとも言えない顔で忠実な従者を振り返る。

「ジン……」

 恐縮しながらも、ジンは手を下ろさなかった。

「……メロディ様は、将来に何が起きても、けっして後悔などなさらないと思います」

「わかってるねえ、ジン! そのとおり! あのエイヴォリー家の姫君が、うじうじ後悔するだけの人生を送るなんて想像つきますか? ないない、あり得ない。絶対に、どんな状況だろうと前向きに突っ走りますよ」

「…………」

 反論できずにセシルは黙り込む。たしかにあの一族から前向きと筋肉を取ったら、何も残らない気がした。

「で? そういうてめえ自身はどうなんだよ。ダイアナをどうする気だ」

 エチエンヌがつっこんで、話をフェビアンのことに戻した。

「どうって? どうもしない。ジェラルドときっぱり縁を切らせて、ご両親にも納得してもらって、それで終わりだ」

「あいつの気持ちを無視したままでか? てめえらしくねえな。振るなら振るで、もっと上手くやると思ってたぜ」

「はっきり振らず、自然消滅を望んでいるのだろう」

 ナサニエルが端的に指摘した。

「わからんな。セシル様のように、気がかりな事情を抱えているわけではない。家格を考えても釣り合う相手だ。なにがお前を足止めさせている?」

「えー、うちだって厄介な事情がありますよ。親父はともかく、あの母が見下している家の娘なんて受け入れるはずがないですからね。さぞかし反対するでしょうし、強引に結婚したなら嫁いびりは壮絶だろうって確信できますよ。祖父母がいた頃は、親父がずいぶんとひどい目に遇ってたんですよ。まああの人はてんで気にしちゃいませんでしたけどね。それと同じだけの強さを女性に求めることはできないでしょ」

 フェビアンの言い分は、十分理由になるものだった。たいていの人を納得させられる話だっただろう。だがそれでごまかされる仲間たちではなかった。

「君が、愛する女性を守れないとは思わないのだが」

 先程のお返しとばかりにセシルが言った。

「母君に手出しも口出しもさせないよう、対策を立てるくらいできるだろう?」

「…………」

 フェビアンはふざけた表情を消し、静かに息を吐いた。

「みんな、本当にお節介ですねえ」

「お互いさまだ。それこそ、君に言われる筋合いはない」

 胸を張って言い返す主に笑いをこぼし、フェビアンは目を伏せる。

「だめなんですよ」

 常の彼とはまったく違う、静かで、けれど強い意志を感じさせる声だった。

「他の誰でもいい……でもダイアナはだめだ。ダイアナだけは、だめなんですよ」

 愛しているからこそ、だろうか。仲間たちは意味をはかりかねて、それぞれに考える。

「絶対に受け入れることはできない。それなのに期待を持たせるなんて残酷でしょう。ジェラルドの件はなんとかしないといけないけど、それ以上関わるつもりはありません。距離を取っていれば、ダイアナもあきらめますよ。新しい恋をすればすぐに忘れられる」

「……君は、それでいいのかね」

 セシルの問いに、目を上げた彼はいつもの笑顔で答えた。

「ええ――それが、いちばん正しい選択なんですよ」




 教えられたとおりに進めば、迷うことなく鉱山の入り口に到着できた。こんもりとした山の裾に、ごく小さな集落が張り付いている。周囲の農地はあまり大きくなく、自分たちの口を養うくらいのものしか作っていない。ここの住人が採掘によって生計を立てていることは、説明されるまでもなくわかった。

「でも最近採掘量が減って、昨年はほとんど採れなかったってことですよね。彼らの暮らしは、どうなってるんでしょうね?」

 集落へ向かいながら、フェビアンがつぶやく。畑には女や老人の姿があり、よそものに不審げな目を向けていた。

「基本的に自給自足だから、食べることはどうにかなるだろう。採掘した蛍石は領地のもので、彼らが直接売買して利益を上げているわけではない。採掘量に応じて報酬を支払っているのだが、それに頼っていたのなら生活は苦しくなっているだろうね」

 セシルが説明する。鉱夫たちに課せられた税金は、報酬から天引きされている。税額は一定ではなく率で計算されるので、収入が少なければ自動的に減税されるという仕組みだ。したがってヘクターのもとに、税の免除を訴える声は届いていない。

 税を軽減することで彼らを救済するという手は使えなかった。いずれ、鉱脈が完全に尽きた時のためにも、彼らには採掘だけに頼らない生活を提示しなければならない。それを考えるのがセシルの仕事だった。

「フェビアン君なら、ここにどんな産業を興すね?」

「んー、それは土地のことをちゃんと知らないと難しいですけど、陶芸なんてどうです? 土が合うかって問題がありますけど、掘ることにかけちゃ専門なわけですし」

「……なるほど」

 さすがに、すぐに案が返ってくる。

「蛍石は陶磁器の原料としても使われますからね。できるかどうか、調べてみるのもいいんじゃないかと思いますよ」

「ふむ、検討しよう」

 話しているうちに集落に入り込んだ。鉱山の案内を頼める者がいないか見回していると、向こうから人が近寄ってきた。片足を軽く引いた、初老の男だ。騎士の姿におびえたか、やけにおどおどと声をかけてきた。

「伯爵様のお遣いですかね? なにか、急なご命令でも……?」

「伯爵?」

 セシルは首をかしげた。

 聞き返すより早く、男の後ろからまた人がやってきた。今度は三十代くらいの、体格のよい男だった。妙に目つきが鋭く、剣呑な空気をまとわりつかせている。初老の男を押し退けて前に出、馬上のセシルをにらみつけた。

「誰だ、あんたら。ここに何か用かい?」

 セシルの背後でナサニエルが顔をしかめ、ジンの無表情もさらに温度を下げる。セシル達が村人にも行商人にも見えるはずはないのに不敬な態度だ。しかし問われた当人は、いつもどおりのおっとりとした調子で答えた。

「まあ、ちょっとね。ところで、伯爵というのは……」

「ああ? 伯爵? うちの新しいご領主は公爵様って話だぜ」

 そのとおりだ。さきほどの男の言い違いか、覚え違いだろうか。疑問に思って見れば、初老の男はおびえた顔で離れていく。セシル達よりも、あとから来た男を恐れているような雰囲気だった。

 どうもようすが妙だ。とっさに全員が、疑念と警戒心をとぼけた表情の下に隠した。ナサニエルもやろうと思えば、多少は表情をとりつくろえる。相手を警戒させないよう、鋭い気配を隠して周囲の風景をながめるふりをした。

「うん、実はその領主なのだけれどね、ちょっと近くを通りがかったもので、ついでに鉱山を見て行こうかと立ち寄ったのだよ」

「……は?」

 眉を寄せる男に、セシルは優しく微笑んでみせる。

「私が、新しくモンティースの領主となったセシル・シャノンだ。君はこの村の住人かね? 名前を教えてくれるかね」

「…………」

 男が顔色を変える。セシルと、尽き従う騎士たちを見回し、一歩下がった。ずいぶんと軽く自己紹介されたが、たしかに身なりは貴族のもので、ものものしいお供を連れている。領主が城に滞在していることもすでに知れ渡っている。冗談ではないと悟るには十分だった。

「いや……それは、その、ちょいとお待ちいただけますかね。今顔役を呼んできますんで」

 問われた名を告げることもせず、男は身をひるがえした。あっという間に駆け去って、領主たちをおいてけぼりにしてしまう。セシル達は顔を見合わせた。

「なんとも、おかしな雰囲気ですな」

「ああ……寄らない方がよかったかな? ヘクターの邪魔をしたのでなければいいんだが」

 馬を降りて、抑えた声をかわす。あちこちから視線を感じた。建物の中から、物陰から、こちらを覗き見している者が何人もいる。

「どうすんだ? 知らん顔して帰るのか?」

 エチエンヌの問いにフェビアンが首をひねった。

「領主が来ていながらろくに視察もしないで帰るのは不自然だよ。ひととおりは見て回った方がいいんじゃない?」

「いっそ最初からガツンとやるか? 大した人数もいないだろうし、村の連中なんぞ簡単に取り押さえられるだろ」

「いやあ、それは上策とは言えないねえ。彼らが何か隠し事をしているなら、いきなり脅すのはまずいよ。できるだけ油断させないと。力ずくってのは、ここぞという時の手にしまっておくべきだ」

 セシルがうなずいた。

「そうだね。とりあえず、何も気付いていないふりでいこう。どこまで通用するかわからないが、思いつきで立ち寄っただけで通すんだ」

「副長、顔が怖くならないよう気をつけてくださいね」

「……承知している」

 フェビアンにからかわれて、ナサニエルが渋い顔になった。いや無理だろう、とセシルはこっそり笑う。村人たちから見れば、身体が大きく剣を提げたナサニエルは、普通にしていても怖い相手だ。ここはもう強面の護衛ということで通すしかない。

 のんびり歩き出した一行は、じきに何人もの男に出迎えられた。若い者もいれば四十がらみなのもいる。ちょうど働き盛りの男ばかりだ。特にどうということのない、ありきたりな風体だが、違和感を覚えてセシルは内心首をかしげた。今までに接してきた村人たちとは、どこか雰囲気が違う気がした。

「これは、どうも。うちの若いのが失礼をしましたそうで、申し訳ありません。いやしかし、ご領主様がわざわざお越しとは、なにごとですかね」

 年長の男が愛想のいい笑顔で尋ねてきた。セシルは先程と同じように答える。

「いや、驚かせてすまない。たまたま近くを通りがかったのでね。蛍石の採掘というのは、どんなふうに行われているものなのか、見てみたいと思って立ち寄ったのだよ。やはり、山の中に穴を掘って採るのかね?」

「へえ、まあ。屑石ならそこらの崖や河原にもごろごろしてますが、売り物になるようなのは、なかなか見つかりませんでね。掘って掘って、やっと一かけらって感じですよ」

「ほう、ずいぶんと大変なのだな。掘れば出てくるというわけではないのか」

「それだったら楽なんですがねえ」

 いかにも世間知らずな貴族らしく、セシルはのんびりと会話する。もともとが浮世離れした元王子なので、これが演技なのか素なのか、部下達にすら判別が難しかった。

「坑道、というのだったかな? 掘っている現場を見ることはできるかね?」

 セシルの希望に、代表者の男は少し困った顔をした。

「お見せすること自体はなんでもありませんが……危険ですからねえ。ご領主様をお連れしていいのかどうか……」

「危険? 村の者は危ない状況で働いているのかね」

「こういう仕事は危険と隣り合わせですよ。そりゃあ、崩れてこないよう支えも作りますが、それでもたまに事故が起きることはあります。小さい崩落ならしょっちゅうだ。石炭を掘ってるとこみたいに爆発することはありませんが、それなりに覚悟しないと踏み込めない場所ですよ」

「……ふむ」

 男の説明におかしなところはない。知識としてセシルが知っていることと、大きな違いはなかった。

「なるほど、それならあまり奥深くまでは入らないようにしよう。しかし危険というならなおのこと、確認しておきたい。私の領内で悲惨な事故を起こさないよう、対策を考えるにしてもまず現状を知る必要がある。すまないが、案内してもらえるかね」

 おっとりした口調でも、これは命令だった。領主に指図されたなら、領民としては従う以外にない。男もそれ以上は止めなかった。

 馬をあずけて、彼らは徒歩で山に入った。坑道はいくつもあるという話だが、いちばん低い場所の入り口へ連れていかれた。

「上の方だと山を登ってかなきゃなりませんのでね。あたしらは慣れてるんで平気ですが、都の人にはしんどいでしょう」

 採掘以外で領民が入り込むことはないそうで、山に整備された道というものはない。人が踏み分けて自然にできた、ごく細い道があるだけだ。足元が悪く、たしかに慣れない者にはきついだろう。

 セシルとジンは、シュルクからの旅路でもっと険しく高い山を越えたことがある。それ以前に、師匠の訓練の中で、転げ落ちたら一貫の終わりというような危険きわまりない岩山を何度も登らされた。それに比べれば散歩みたいなものだが、余裕の表情などもちろん見せず、さも歩きにくそうに足元を気にして進んだ。

 たどりついた場所は、長身のセシルでは少し身をかがめないと入れないような、小さな入り口だった。

 周囲の斜面はごつごつとした岩がむき出しになっている。たしかに、いつ崩落が起きてもおかしくない眺めだ。入り口のすぐ上に大きな岩があって、今にも落ちてきそうに見えた。

「あれは撤去しなくていいのかね? 落ちてきたら入り口がふさがれるだろう」

 尋ねるセシルに案内の男は首を振る。

「のけようとしたら、あの辺全部崩れますよ。かえって危ないんで」

「……なぜ、わざわざそんな場所に掘ったのかね?」

「そいつは、なんといいますか、そうするしかなかったと……どこでも掘れるわけじゃありませんでね、掘ったそばから崩れるようなとこも多いんですよ。あそこは、あれでけっこう落ち着いてまして。ですが、ご不安でしたらやっぱりやめときましょうかね? 外から見ていただくだけにして」

 セシルは少し考えた。危険というのは本当の話だろう。だが、外から入り口を見ただけでは何もわからない。中へ入れば何か見つけられるという確証もないが、ここで引き返したのでは来た意味がない。

「今も、あそこで採掘が行われているのかね?」

「へえ。大分奥の方になりますが」

「ふむ……まあ、入り口近くだけでも、覗かせてもらおうか」

 一行はぞろぞろと坑口へ向かった。あらかじめ用意していたランタンに火を入れ、坑内へ踏み込む。案内の男を先頭に、続くセシルのそばにジンが油断なくつき従った。

「この辺は天井が低いんで、ぶつけないよう気をつけてくださいよ」

 案内人が注意しながら進む。言われるまでもなく、セシルとナサニエルは最初から背中を丸めていた。彼らがまっすぐに背を伸ばすと、つっかえて身動きできなくなる。

 その姿勢で、セシルが何事か小さくささやいた。足音にまぎれて聞こえなくなりそうな声だ。なんと言ったのか、はっきり聞き取ることも難しい。不自由な体勢に愚痴をこぼしただけのようでもあった。案内人はそう解釈して聞き返さなかった。フェビアンとナサニエルは、理解できないまでも主を信じて黙っている。内容を正しく理解していたのは、ジンとエチエンヌだけだった。

「山に穴を掘ったら泥だらけかと思ったけど、案外きれいですねえ」

 フェビアンがのんきな声を上げた。

「土じゃなく岩盤を掘り進めたって感じだなあ」

「へえ、おっしゃる通りで」

 下り坂になっている足元を照らしながら、案内人が答える。

「鉱物ってのは、そういうとこで採れるもんですよ」

「でもこれ、掘るの相当大変そうだよね。硬かっただろう?」

「そりゃあもう。だから一日に掘り進められる範囲はごくわずかなんですよ」

 なるほど、と納得しながら一行は狭い道を歩く。代わりばえしない景色が続いた。採掘する音も聞こえてこず、いったいどのくらい深くまで伸びているのだろうと思った時だ。

 あとにしてきた入り口の方で、重く大きな音が響いた。かすかに振動も伝わってくるのを感じた。

「何だ!?」

 振り返ったナサニエルが、反射的に足を戻そうとして天井に頭を打ちつける。たまらずに頭を押さえたのと同時に、案内人が走り出した。

 坑道の奥へ向かってだ。

 入り口の異変をたしかめに行くのではない。セシル達を置き去りにして、驚くべき素早さでその場を逃げ出した。

「どうした!? 待て!」

 呼び止める声にも振り返らず、あっという間に姿を消してしまう。ジンが追いかけたが、しばらくして一人で戻ってきた。

「申し訳ありません、見失いました」

「えー、ジンが追いつけなかったって、本当に?」

「横道へ入ったようです。いくつかそれらしい場所がありますが、どこへ入ったのかはわかりません。うかつに踏み込むのは危険と判断し、戻ってまいりました」

「正しい」

 セシルがうなずいた。

「こういう場所は、複雑な構造になっているらしいからね。不慣れな者が道をそれると、確実に迷うだろう」

「……で、さっきの音って、なんなんでしょうねえ」

 いやそうなフェビアンに、彼も苦笑した。

「大体想像はつくが、一応戻ってたしかめるか」

 苦労して歩いてきた狭い道を、彼らはもう一度たどる。そうして見たのは、大岩と崩れてきた土砂でほとんど埋められた坑口だった。

 隙間から外の光が差し込むだけで、人が通り抜けられるほどの空間はない。土砂は根気よく掘ればなんとかなるかもしれないが、大岩がとても動かせそうにない。これが陣取っているかぎり、外へ出ることは不可能だった。

 男たちは顔を見合わせ、息を吐く。

 閉じ込められてしまった。


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