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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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9 救出

 邪魔者がいなくなるのを待ち構えていたジェラルドは、メロディが離れるやすかさずやってきて、会場からダイアナを強引に連れ出した。

 驚いたダイアナが声を出しそうになると、手で押さえて黙らせるという狼藉ぶりだ。まるきり誘拐まがいのしわざを、しかし目撃していたのはリリアン一人だった。彼女は兄の行動に呆れた顔をしつつも、止めもしなければ親を呼びもせず放置していたので、とてもあてにならない。フェビアン達が気付いてくれることを願うしかなかった。

「ジェラルド様、その手をお放しください。どこへ行こうとなさっているのですか」

 一旦庭に出たあと、別の場所からすぐにまた屋内に戻り、ジェラルドは足早に廊下を進む。ダイアナを逃がすまいと、あざになりそうな力で手首をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていく。

「落ち着いて話ができる静かなところへ行くだけですよ。あそこでは邪魔ばかり入って、少しもあなたと話ができない」

 抵抗するダイアナを問答無用で引きずって来ながら、口調や表情はいたって普通で機嫌よさげなのが不気味だ。自分のしていることを、彼は正しく理解できていないのだろうかと、ダイアナはおびえた。

「お話でしたら、こんな人気のないところまで来なくても」

「あの出しゃばりな連中がいないところへ行かないとね。今後のこともゆっくり話さないといけないのに、やつらがいては何もできませんから」

 今後のこと、と言われてダイアナは唇を噛んだ。

「わたしも、ジェラルド様のお話を聞きたいと思っておりました。ですが、それは第三者のいる場所でするべき話です。できれば、伯爵ご夫妻にも同席していただいた上で、お話ししたいと思っております。どうか会場へ戻ってください。話し合いをするからとお断りすれば、公爵様たちも邪魔などなさらず見届けに徹してくださいます」

「なぜ身届けが必要なのです? 私とあなたのことに、他の人間など関係ないでしょう」

 ダイアナの訴えに聞く耳を持たず、ジェラルドは階段に足をかける。二階へ連れていかれるということは、私的空間に連れ込まれるのだ。それが何を目的とするのか悟り、ダイアナは身を震わせた。

「おやめください! どうか、放してください。わたし、これ以上行けません!」

 自由な方の手で階段の手すりにすがり、なんとか踏みとどまろうと抵抗するダイアナに、初めて不快げな顔をしてジェラルドは振り返った。

「ダイアナ、なぜ今さらそのように駄々をこねるのです。何も心配する必要はない、あなたは私に全部まかせていればいいんです」

「あなたを誤解させてしまったことはお詫びします! そんなつもりはなかったけれど、わたしの言葉か何かが、あなたに好意を持っているように感じさせてしまったのでしょう? ごめんなさい、ずっと言おうとして言えなかった。あなたはどんどん話を進めてしまわれるし、両親もすっかりその気になってわたしが口を挟めない雰囲気で、言い出せなくなっていった。でも、わたしはずっとお断りしたかったんです。あなたとはお付き合いできませんって」

 必死の告白を、ジェラルドはいぶかしげな顔で聞いていた。何を言われているのかわからないと、彼の表情が語っていた。

「わたしのような者をプラウズ家の嫡男が望んでくださるなんて、とても光栄なことだとわかっています。でもごめんなさい、わたしはどうしてもあなたとはお付き合いできないんです。何様のつもりだとなじられても、それでもわたしは……」

「ああ、ダイアナ、それ以上言わなくていい」

 気味が悪いほどに優しい声を出して、ジェラルドはさえぎった。

「わかっています。あなたは自分には分不相応な話だと遠慮しているのでしょう? 奥ゆかしく聡明なあなたのことだ、ご自分の生まれを気にして身を引こうとしているのでしょう。ですが、そんなことを気にする必要はない。私は始めから、あなたがどういう方か知った上で望んだのです。身分や血筋など関係ない」

 ダイアナは首を振った。必死に振って、ちがうと伝えたかった。

 今までずっとこうだった。ジェラルドはこちらの言うことを聞いているようで聞いていない。何か言っても自分に都合のいいようにしか受け取らず、それ以外は理解してくれない。これまでだって、気乗りしないという態度は見せていたし、遠回しに断ろうと努力したこともあったのだ。だがまったく通じなかった。ダイアナを気に入り、熱心に求めながら、けれど何も見ていない。いったい彼は誰を相手にしているのだろうという違和感が膨れ上がっていくばかりだった。

 その違和感が、ここにきて恐怖に変わった。熱に浮かされたジェラルドの目が、ダイアナではなく他の何かを見ているようで怖い。同じ言語をしゃべっているのにまったく話が通じず、一人で勝手に決め付けて暴走していく彼がおそろしかった。

 一度止めた足をふたたび動かし、ジェラルドはダイアナを二階へ連れて行こうとする。力に負けてダイアナは足をもつれさせた。その場に崩れ落ち、階段に脚をぶつけてしまう。それでも必死に手すりにしがみついて、引っ張る力に抗った。

「ダイアナ、強情な真似はよしなさい。妻は夫に従うものだと、わかっていないあなたではないでしょう。そのように逆らうなど」

「わかっていないのはあなたです! わたしとあなたは夫婦どころか婚約者ですらないのに、こんなふうに扱われる筋合いはありません! その手を放して! もうやめて!」

「もう夫婦も同然ですよ。あなたの両親も認めているんだ、気にしなくても」

「両親はだまされているだけです! あなたがわたしを、正式に妻にすると思っているんです。でも違うんでしょう? あなたのご両親は認めていらっしゃらないと、リリアン様からうかがいました。わたしはあなたの妻になるわけではないのでしょう?」

「ああ、それで拗ねてしまったのですね」

 子供をなだめるように、ジェラルドは優しく微笑んだ。

「たしかに正式な結婚はできない。格が違いすぎると言われれば、しかたありませんからね。正妻は他から迎えるしかないでしょう。でも、私が愛しているのはあなた一人ですよ。形式など関係ない、実質的にはあなたが私の妻になるんです。何も問題ありません」

 ダイアナの前にかがみ込んだジェラルドは、優しく黒髪をなでる。なんら罪悪感を感じるようすもなく、ただいとおしげに見つめ、ふれてくる姿が、ダイアナにはどうしようもなくおそろしかった。

「……いやっ、放して! もう嫌……フェビアン……フェビアン!」

「やーっと呼んでくれた」

 緊迫した空間に、あまりにそぐわない軽い声がしたと思ったら、突然にジェラルドの身体が離れた。急に解放された反動で、ダイアナはその場に倒れる。顔だけなんとか上げれば、フェビアンに腕をつかまれ顔をゆがめるジェラルドの姿が見えた。

「……フェビアン」

 安堵の涙が頬を滑り落ちていく。

「ごめんよ、怖い思いさせて。ちょっとようすを見ようと思ってね」

 暴れるジェラルドを難なく取り押さえながら、フェビアンが笑う。人を食った表情に、たちまちダイアナから安堵も喜びも吹っ飛んだ。

「な、なにそれ、ずっといたの? いたのに助けてくれないで、見ていたっていうの? なによそれは!」

「ごめんてば。ただ邪魔するだけより、決定的な場面を押さえた方がいいでしょ。さっきの言葉は十分以上だ。嫌がる相手を、それも正式に妻にする気もないくせに無理やり連れ込もうとするなんて、いくら伯爵家の息子でも許されることじゃないよねえ」

 いつもの調子でにこにこと笑いながら、こっそり捕らえた腕に力を込める。痛みにジェラルドが悲鳴を上げた。

「きさま……私を誰だと思っているんだ! たかが護衛士ふぜいがこんな真似をして、ただですむと――」

「あー、そういえばまだご挨拶してませんでしたねえ。いや申し訳ない、こちらも仕事中でしたもので。僕はフェビアン・リスター。彼女の幼なじみで、リスター子爵家の嫡男です」

 ジェラルドを突き放して解放し、フェビアンはわざとらしく礼をする。床に尻餅をついたジェラルドに使用人たちが駆け寄ってきた。その後ろからジンとエチエンヌとナサニエルも姿を表す。今の今まで、邪魔が入らないよう三人が止めていたのだ。力ずくで脅されていた使用人たちは、おびえた顔を騎士たちに向けながら若様を助け起こした。

 フェビアンもダイアナに手を貸して立ち上がらせる。うらめしげににらまれて、笑いながらごめんと頭をなでる。髪をくしゃくしゃと乱されて文句を言う令嬢が、本当には嫌がっていないことは誰の目にも明らかだった。

 ジェラルドの顔に憤怒が浮かんだ。彼は自分を裏切った(・・・・)ダイアナと、彼女を奪う男に憎悪をぶつけた。

「フェビアン・リスター……聞いたことがある。女癖の悪い、成金の息子の名だ。ダイアナ、あなたともあろう人が、そんなごろつきに引っかかるとは」

「し、失礼なことをおっしゃらないで」

 身をすくめてフェビアンにくっつきながら、ダイアナは懸命に言い返した。

「リスター子爵は立派な方です。フェビアンも……たしかに女好きだとは思いますけど、士官学校も中退してしまったけど、いろいろ不良なところはありますけど、でもごろつきとまで言われる人ではありませんわ!」

「ダイアナ、弁護されているのか追い討ちかけられているのかわからないよ」

「茶化さないで! 日頃の行いが悪いんだから、しかたないでしょう」

「えー、真面目に働いてるのにぃ」

 仲良く言い合うようすに、ますますジェラルドの怒りが増していく。エチエンヌが頭をかいて言った。

「おい、痴話喧嘩はそこまでにしとけ。そっちの若様が見せつけられて憤死しそうだぞ」

「この程度で死んでくれるならいくらでも見せつけるんだけどねえ」

 フェビアンはまったくこたえない。ダイアナが顔を赤くして、彼から少しだけ離れた。

 なおもくってかかろうとしたジェラルドを、プラウズ家の執事が引き止めた。

「若様、どうかこの場は……旦那様がお呼びです」

「うるさい! こんな侮辱を受けて、黙って引き下がれと言うのか!?」

「なりません、どうか抑えて……」

「放せ! 私に命令するな!」

「旦那様のご命令です!」

 強く言われて、ようやくジェラルドが黙る。まだどうにか聞き分ける頭は残っていたようで、歯ぎしりせんばかりの顔で身体を震わせながらもおとなしくなった。

「少々行き違いがございましたようで、まことに失礼いたしました。あちらにお茶を用意させますので、どうぞ皆様ご一服くださいませ」

 慇懃に頭を下げて、執事が近くの部屋を示す。フェビアンはダイアナの背に手をまわし、仲間たちへ歩きながら断った。

「せっかくだが、遠慮しておくよ。僕らはすぐに主の元へ戻らないといけないのでね」

「双方に誤解がありますようなので、ご説明させていただきたいのですが」

「ああ、いずれ伯爵夫妻も交えてお願いするよ。もちろんそのときには、うちのご主人様にも同席していただく。可能ならダイアナのご両親もお呼びしたいところだね」

 フェビアンは足を止めない。この場で言いくるめるのは不可能と素早く判断し、執事は丁重に詫びを口にした。

「今宵のことは、深くお詫び申し上げます。若様も、けっしてそちらのお嬢様に無体を働くおつもりなどなかったのですが、お気が急かれましたのでしょう。少々強引であったことは認めます。驚かせてしまいまして、まことに申し訳ございませんでした」

 ふてくされるジェラルドの横で執事が深々と頭を下げている。滑稽なものだと思いながら、フェビアンは彼らに背を向けた。ちょっと気が急いただけ、驚かせただけ、無体を働こうとしていたわけではない――そんな言い訳が通用する状況ではなかったが、伯爵家の力でうやむやにしてしまおうという腹なのだろう。相手がコヴィントン家だけならば問題なかった。リスター家に対しても押し通せると思ったか。だがさらに後ろにシャノン公爵がいることを、どう思っているのだろうか。

 まだ基盤の弱いセシルでは強く抗議できないと踏んでいるのか。いや、そうあってほしいという期待だろう。若様の失態をなんとかして隠さねばならないと、必死になっているのだ。執事としては正しい行動だ。仕える主が悪かったことを、気の毒に思う。

 その後は邪魔が入ることもなく、すぐに会場に戻ってセシルとメロディに合流した。ダイアナの疲労を口実に、一行は早々に引き上げることにする。伯爵家の方で宿泊の用意をされていたのだが、引き止める伯爵を振り切って強引に出発した。夜盗を恐れる彼らではなかったので、月明かりの下馬車を走らせた。

 その夜のうちに城まで帰ることはせず、途中の豪農の家で泊めてもらうことになった。実は始めからこうする予定で、ヘクターが手配してくれていたのだ。不愉快な場所で寝泊まりしたくないのは、ダイアナだけではなかった。

 夜中に押しかけた客を、家の主も妻も嫌な顔をせず迎え入れてくれた。ここはもうモンティース領に入っているので、彼らにとっては領主様の訪れだ。できるかぎりの世話をしようと用意してくれていた。しかし時間が時間だ。十分に礼を言ったあと、あとは自分たちでやるので気にせず寝てほしいと、セシルは彼らを引き上げさせた。

 ダイアナがファニーに付き添われて寝室へ向かう。口実だけでなく、じっさいに彼女は疲れていた。青い顔をしながらも懸命に背を伸ばしていたが、ここまで来てようやく気が弛んだようだ。セシルからもやすむよう言われ、一足先に一行から離れた。

「フェンの馬鹿! あんな時にまで女の子に声かけて、どういうつもり!? ダイアナ様のこと心配じゃなかったの!?」

 いつもの顔ぶれだけになると、さっそくメロディはフェビアンへの怒りを爆発させた。

「目を離したわたしもいけなかったけど、フェンはあんまりにも薄情すぎるよ! みんなでダイアナ様を守ってあげようって言ってたのに!」

「ちょっと、ちょっと待って、ハニー。ちがうから」

「なにが違うの! おもいっきりナンパしてたじゃない!」

「わお、いつの間にそんな言葉覚えたの」

「――歯を食いしばれ!」

「いやーっ、助けて団長!」

 セシルは額を押さえた。

「メロディ君、静かにしなさい。家の者たちに迷惑だ」

 フェビアンが彼の後ろに逃げ込む。瞳を金に光らせながらも、夜中の騒音はまずいとメロディは追いかけるのをあきらめた。

「遊んでたんじゃないんだよー。伯爵家の内情を調べてたんだ」

 セシルが座る椅子を盾にして、フェビアンは弁解した。

「内情?」

「そうだよ。若い女の子は口が軽いからね、うまく誘導すればいろいろしゃべってくれる。表面はとりつくろってても、使用人なら家計が苦しいこととか知っているからね。そういう話を聞いていたんだよ」

「んなこと聞いて、どうすんだ?」

 聞いたのはエチエンヌだ。彼は窮屈なトップコートとウエストコートを脱ぎ捨て、タイもほどいて襟元を大きく開いていた。髪をくしゃくしゃとかきまわし、ようやくひと息つけたとほっとしている。

「伯爵家がダイアナから手を引いてくれるよう、働きかけるためだよ、もちろん。僕の知っている話では、プラウズ伯爵家は以前ほど勢いがなく、どうも最近身代が傾きかけているらしいということでね。というのも、今の伯爵夫妻は派手好きで、屋敷の改築やら何やら散財しまくってるんだ。今夜の舞踏会も立派だったけど、ああいう宴をしょっちゅう催して見栄を張っている。それだけならまだしも、投機でけっこうな損失を出したらしい。ろくな知識も経験もない貴族がやりがちな失敗でね、うまい話に釣られて大損したんだ」

 驚いたのはメロディだけではなかった。初耳だったようで、ナサニエルも意外そうな顔をしていた。当然エチエンヌやジンが知り得る話でもない。ただ一人、セシルだけが思い当たる顔でうなずいていた。

「実は、私もそういう話を聞いていた。他でもない、フェビアン君の父君からだけどね。だからあそこの娘はあまりお勧めではないという忠告だったわけだが……君も父君から聞いたのかね?」

「いや、僕はあちこちからの噂で。最近親父殿ともほとんど会ってないんでね」

 フェビアンは軽く肩をすくめる。実の息子よりも他人の方が、リスター子爵との接触が多そうだ。

「情報源が噂話だから、裏付けがあるわけじゃありません。それで伯爵家の女中を引っかけて、話を聞き出していたんですよ」

「……本当にそれだけ?」

「なんでそんなに疑うの、ひどいよハニー」

「身から出た錆って言うんじゃねえのか、そういうの」

「勉強が進んでいるようで何よりだね。その調子で立派な若君を目指してくれ」

 鼻を鳴らしてエチエンヌはそっぽを向く。それに軽く笑い、セシルは尋ねた。

「しかし、その内情を調べることで、どうやってダイアナから手を引かせる?」

「金に困っているならやりようはありますよ。さらに追い討ちをかけて嫁取りどころじゃなくする手もあるし、援助で釣って交換条件にする手もある。向こうも、どうせなら持参金をたくさん持ってきてくれる花嫁の方がいいだろうしと思ってたんですけどねえ……まさか、最初から嫁にする気はなかったとはね。道理であっさり伯爵夫妻が許したわけですよ」

 さらりと言った内容に、彼の育ちが表れているとセシル達は感じた。商売には興味がないと言いながら、やはり彼はやり手商人の息子だ。効果的な金の動かし方を心得ている。莫大な財産と組織力、人脈を背景にしているからこその、自信と余裕があった。

「でも、これなら破談に持ち込むのは簡単ですね。破談っていうか、そもそも縁談そのものがなかったわけだし」

 フェビアンの言葉にその場の全員がうなずいた。今まで頭を悩ませてきた問題が、そもそも存在していなかったのだ。プラウズ夫妻に縁談の意識はなかったわけで、ダイアナの両親にしても、娘が花嫁ではなく妾に望まれていたと知れば激怒するだろう。れっきとした貴族の、なんら瑕疵(かし)のない未婚の娘が、そんな扱いを受ける筋合いはない。なかったことにと言えば、どちらも反対しないはずだった。

「多分、プラウズ伯爵夫妻は、ダイアナ様ご自身も乗り気なのだと思っていらしたのでしょう。リリアン様のお口ぶりから、そんなふうに感じました」

 舞踏会でのやりとりを思い出しながら、メロディは言った。

「別れさせるのはあきらめた――って、そういうことですよね」

 視線を受けてセシルはうなずく。

「そうだね。つまり、我々も含めて、みんながジェラルドに騙されていたわけだ。結局は彼一人の思い込みと暴走にすぎなかった話だが、上手に周りを味方につけて、さも正当な経緯があるかのように見せていた。事前に裏が発覚しなければ、まんまとダイアナは囲われ者にされ、気付いた両親が取り戻そうとしても伯爵家の力で妨害され、下手に騒ぎ立てればダイアナの名誉を傷つけるばかりとなり――結果、泣き寝入りということになっていたのだろうね」

 卑劣としか言いようのない真相を知り、憤りを感じたのはメロディだけではなかった。エチエンヌは冷たく鼻を鳴らし、ナサニエルも男らしい顔に嫌悪を浮かべていた。

「ダイアナ嬢とのやりとりを聞いた時は、いささか常軌を逸した、精神的な病を患っているのではと思ったのですが……こうも周到な真似をしていたとなると、そうとも決め付けられませんね。冷静な思考力がなければできないことです」

「ああ……厄介な例だね。たしかにまともな人間ではない。ある意味、病ではあるのだろう。だが日常生活に支障をきたすこともなければ、人づきあいも普通にできる。執着している問題に関わらなければ、なんら常人と変わりないんだ。正常な狂人、とでも言おうか……」

 セシルの妙な表現に、それぞれなんとなく納得する。たしかにジェラルドのようすは、そんなふうに表すしかないものだった。

 リリアンには感謝するべきかもしれないと、メロディは思った。彼女がいろいろしゃべってくれたおかげでジェラルドの魂胆がわかったのだ。個人的に好感は持てない相手だが、今はありがとうとお礼を言いたかった。

「ダイアナ様のご両親に説明するのは楽になりましたけど……問題は、ジェラルド様がこのまま引き下がってくれるかどうかですね」

 口にしたメロディ自身、おそらく無理だろうと思っていた。ここまでした男が、そう簡単にあきらめるはずがない。セシルもナサニエルも難しい顔をしていた。

「折を見て伯爵夫妻に話をするよ。こうして事実が発覚した以上は、何かあればこちらも遠慮なく世間に公表できる。跡取りの不祥事だなんて不名誉な事態を防ぐよう、しっかり息子を監督しろと言っておこう」

 現段階でできるのはそこまでだろう。消極的に思えるが、あまりことを荒立てるとダイアナの外聞にも関わってくる。まだすっきりしない気分を抱えながらも、メロディたちはうなずいた。

 ともかくも今夜はもう寝ようと、セシルが解散を告げる。とうに深夜と言うべき時刻だった。

「エチ、悪いけど手伝ってくれない? これ一人じゃ着替えられないの」

 メロディが切実な、しかしとんでもない願いを口にした。

「あ? ……ああ」

 頼まれたエチエンヌは欠伸混じりにうなずくが、周りの男たちはとうてい聞き流せない。

「いやいや、ハニー。それはまずいでしょ」

「え、何が?」

「こんな顔してるから忘れた? エチは一応男だよ」

「いちおうってなんだよ。男だボケ」

「そうだよ、男なんだよ。男に着替えを手伝わせるなんてまずいでしょ」

 もっともな指摘に、メロディはうーんと考えた。

「でもファニーはもう寝ちゃってるだろうし、エチならなんかあんまり気にならないっていうか、エチの方も気にしないよね?」

「どっちが胸か背中かもわかんねえのに、どこを気にしろってんだよ」

 打てば響く無慈悲な返事に、メロディはだまって靴を投げつけた。

 けんかになりそうな二人の間に割って入り、フェビアンは強引にエチエンヌの背中を押した。

「はいはいはい、そういうわけでエチの手伝いはなし。もちろん副長も」

「するわけがないだろう!」

「ジンもだよー」

「はい……もちろん」

 男たちをまとめて、フェビアンは部屋を出て行こうとする。一人だけ呼ばれなかった人物があわてて立ち上がった。

「ちょっと待ちなさい――まさか私に手伝えと?」

「他にできる人いないでしょー。じゃあね、ハニー。おやすみー」

 にこにこと手を振って、彼は強引に扉を閉めてしまう。メロディと二人で取り残されて、セシルは頭を抱えた。

 背後ではあ、とため息が漏れる。

「もういいです……失礼いたします」

 力なくうなだれて、メロディが扉へ向かう。着替えを手伝う気はさらさらなかったが、放っておくのもためらわれてセシルは声をかけた。

「その……どうするのかね」

「別にどうもしません。しょうがないからこのまま寝ます」

 ファニーを叩き起こすという選択肢はないようだ。メロディらしい潔さだった。しかし、と思う。

「そのままでは落ち着いて寝られないだろう。コルセットが苦しいと言っていたじゃないか。ドレスがしわだらけになるし、化粧もきちんと落とさないと肌に悪いよ」

「……お詳しいですね」

 地を這うような声が返されて、何かまずいことを言ってしまっただろうかとセシルは焦る。

「いや、詳しいというほどでは。常識の範囲かと」

「常識……そうですね、常識なんですね……わたしが非常識なだけですね」

 いつも明るく暑苦しいほどに前向きな少女が、やけに暗く自嘲的につぶやくのが不気味だった。

「メロディ君?」

 扉の前で立ち尽くし、メロディはじっと床に視線を落としている。

「わたしには女らしいところなんてひとつもないですから……どうせ前と後ろもわからないほどですよ……色黒だし腰は太いし筋肉モリモリだし……」

「は……? え、筋肉? 太い? 何が?」

「どうせ筋骨隆々の怪物女ですよーっ」

 わけのわからない叫びとともに、メロディが飛び出していく。どこにどうつっこめばいいのかわからず、セシルは不甲斐なくも黙って見送った。

「筋骨隆々……?」

 そっと戻ってきたジンが見たのは、ひたすらに困惑して首をひねる主の姿だった。

 結局、よく出来た侍女のファニーは寝ずに待っていてくれて、メロディは問題なく着替えて寝ることができたわけだが、彼女も、彼女の主も、おかしな夢にうなされる一夜となったのだった。


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