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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第三話 きみがほしい
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4 招かれざる客

 のどかな風景の中を進む一団を、農民たちが仕事の手を止めて見送っていた。領主が城に入ったことは、昨日のうちに知れ渡っている。どれが領主様だろうと彼らは目をこらしていた。

「やっぱりあれが領主様だよ。あの、いちばん背の高い人」

「他はお供の家来かね。でもあの栗色の髪の人の方が立派そうじゃないかい?」

「いやあ、やっぱり前の黒髪の人じゃないか? 男で髪を長く伸ばすのなんて、貴族くらいだろう」

「こっちに手を振ったよ! 領主様があたしらに挨拶してくれるなんて!」

「まだずいぶんとお若いようだけど、どんなお人なんだろうねえ。あんまり無茶を言わない、優しい人ならいいけど」

 どこへ行っても興味津々で注目されている。まるで見せ物だな、とセシルは苦笑した。

「不調法で申し訳ございません。皆新しい領主には期待と不安を抱いているのです」

 先導するヘクターが言った。

「土地によっては厳しい搾取にあえぐ民もおります。領民の暮らしは領主次第ですから、旦那様がこの地をどう治めていかれるのか、気にせずにはいられないのです」

「だろうね」

 よく育った作物が畑いっぱいに緑の葉を伸ばしている。生産力が安定しているのは環境に恵まれているだけでなく、管理が適切に行われているからだろう。

「今のところ、税率を変える必要はないと思うが……今年は干ばつや水害は起きていないはずだね?」

「はい。病虫害も起きていませんので、農業の方は特に問題はございません」

「ん? 他に何かあるのかね」

 言外の含みを察したセシルに、ヘクターは少し迷うようすを見せた。

「……まだ詳しい調査ができておりませんので、はっきりしたことはお話できないのですが……この五年ほど、蛍石の採掘量が減少しております。昨年はほとんど採れなかったということでして」

「ああ、報告書にもそうあったな。鉱脈が尽きたかな」

 ヘクターは気難しい顔をさらに厳しくした。

「まだ手つかずの場所もございますので、領地全体で考えればそう判断するのは早計です。詳しい調査が必要と考えておりましたが……」

「ふむ。まあ君に任せるよ」

 セシルは鷹揚にうなずいて、それ以上聞き出そうとはしなかった。

 はっきりと示唆されたわけではないが、ヘクターの表情や口ぶりから、何か気になる点があることはうかがえる。もしかすると不正が行われているのかもしれない。その可能性を否定できない何かがあるのだろう。どう調べるのか、まずはヘクターのやり方を見守ろうとセシルは考えた。今はまだ、直接動かないほうがいいだろう。領主が乗り出すと話が大きくなり、かえって調査の邪魔になりかねない。

 収入額に大きく関わってくる話なので、どうでもいいと放置するわけにはいかないが、血相を変える必要もなかった。セシルには女王から与えられた領地以外に、シュルクから持ち込んだ財産もある。師匠が餞別に投げて寄越した財宝だ。

 超人的な能力を悪用して王宮の宝物庫に侵入し、とびきりの値打ち物ばかりを選んできてくれた。はっきり言って泥棒で、国宝級の宝石や細工物をごっそり奪われた兄はさぞかし腹を立てているだろう。だがこちらは金銭では替えのきかないものを奪われたのだから、申し訳ないとは思わない。師匠からの最初で最後の贈り物だ、有効に使わせてもらう。

 ジェロームが張り切って整えたコレクションルームから、小さめの宝石を一つ二つ持ち出してオークションにかければ、事業に投資する十分な元手になった。フェビアンの父親が紹介してくれた会社を買い取り、税収だけに頼らない生活を始めている。経済的にはまったく困っていないので、蛍石の件については、あわてずようすを見ることにした。もともと領地の中心産業というわけでもないし、鉱物資源などいつかは尽きるものだ。なくても困らない環境を作ることが、セシルの仕事だろう。

 川辺の少し開けた場所で昼の休憩を取ることになり、一行は馬を下りた。バスケットを開く人間たちのそばで馬も思い思いに草を()み、川から水を飲む。食事のあと近くを歩き回っていたメロディが、何やら目を輝かせて戻ってきた。

「セシル様、今夜狩りをしてきてもいいでしょうか?」

 気持ちのいい草原にごろりと寝ころんだまま、セシルは顔だけを向けた。

「来る時から言っていたね。狩り自体はかまわないが……今夜? 夜に行く気かね」

「はい!」

 太陽を追いかけて咲く花のように、晴れやかな笑顔でメロディはうなずいた。

「……フェビアン君かエチを連れて行きなさい。ひとりでは出ないこと」

 一体何を狩ってくるつもりか知らないが、田舎が舞台ならメロディの本領発揮だろう。護衛をつける以外の口出しはすまいと、セシルは達観して許可を出した。

 メロディはさっそく仲間の方へ駆け寄った。

「フェン、エチ、ふたりともついてきて」

「いきなり今夜かよ。なにを張り切ってんだ」

「狩りは貴族のたしなみだけど、君を見ているとどうも違う光景が繰りひろげられそうに思えて仕方ないな。夜でないといけないのかい?」

 声をかけられた男二人は及び腰だ。

「そうだね、夜の方がいい。その方が確実だから」

「女の子から夜のお誘いを受けるなら、もっと違う目的がいいなあ」

「お前……夜行性の獣を狙ってんのか。熊はやめろよ。それだけは絶対にやめろよ」

「そんな危ないの狙わないよ。だいじょうぶって」

 にこにこする少女に、二人は顔を見合わせてため息をつく。主から同行しろと命じられたも同然なので、逆らうことはできなかった。夜に働くなら今のうちに寝ておこうと、主にならって横になる。

「ちょっと、今護衛任務中って自覚ある?」

「こんな何もねえ田舎でピリピリするこたねえだろ」

 うるさそうにメロディを追い払い、エチエンヌは背中を向けてしまう。口をとがらせたメロディは、やはり寝ているフェビアンのそばに腰を下ろした。

「ダイアナ様、退屈してらっしゃらないかな。お誘いした方がよかったかな」

「んー、昼日中に歩き回って日焼けするのは嫌がるんじゃないかなあ。馬車で移動するとなると、通れる場所が限られるし」

 目を閉じたままフェビアンは答える。

「散歩にでも行ってるだろうから、気にしなくていいよ」

「フェンとダイアナ様って、ずっと前からの知り合いなの? 他の人とは、なんだか違う雰囲気だよね」

 端整な顔に薄い笑みが浮かんだ。

「そうだね、ずっと……っていうか、ほとんど生まれた時からの知り合いかな」

「幼なじみってこと? それとも親戚?」

「幼なじみの方。昔の話だけどね」

 知らん顔をしながら、他の面々もこちらの会話に耳をそばだてている。興味を持たれていることを承知の上で、フェビアンは答えた。

「うちとコヴィントン家はけっこう付き合いが深かったんだよ。先代の頃から家族ぐるみで交流してて、僕とダイアナがちょうどいい年回りだから婚約させようかって話も出ていたね」

「じっさいには婚約しなかったの?」

「ああ。ほら、うちは親父殿のおかげで金持ちになったから。暮らしぶりが変わっていくにつれて祖父母や母親の気持ちが変わってね、もっといい家の令嬢を迎えるべきだって方針になったらしい」

「…………」

 フェビアンの口調も表情も変わらない。けれどひどく冷たい何かを感じて、メロディは口をつぐんだ。

「羽振りがよくなると、交流する相手も変わっていく。昔は親戚みたいに仲良くしていた家なのに、ほとんど見向きもしなくなって、今じゃ絶縁状態と言ってもいいね。苦しい時に助けてもらったこともあるらしいのに、身勝手なものだよ。あんな歴史も財産もない男爵家なんて、うちには釣り合わないとまで言い出した。言える立場じゃないってことは忘れたふりして、上級貴族ぶってるんだ。金のために平民の男を婿にした、没落子爵家ふぜいがね」

 フェビアンはいつもどおり、軽やかに話す。まるで他人の話をしているようだ。彼自身がどう思っているのか、声や顔からはうかがえない。辛辣な言葉を口にしても、ただの噂話のような態度だった。

「親同士の付き合いがなくなっても僕らはしばらく交流を続けてたんだけど、お互い大人になってくれば男と女で行動範囲が変わっていくからね。自然と疎遠になっていって、もう滅多に顔を合わせることもなくなってたよ」

 穏やかに関係が途切れていったようにフェビアンは言うが、本当にそうだろうか。ダイアナが言った、フェビアンに嫌われているという言葉が気にかかる。男爵家を見下すようになった親と同じ考えを持っているとも思えないし、もし本当に嫌っているのなら、何か別の理由があるはずだ。

「フェンは、誰をお嫁さんにするか、もう決めてるの?」

「ええ? いやあ、難しいなあ。みんなそれぞれ可愛いから、とても一人にはしぼりきれないよ」

 ふざけた返事にメロディは肩をすくめた。ふと気付けば、セシルが小さく手招きしている。メロディは立ち上がってフェビアンから離れた。

 しつこく聞いてもフェビアンははぐらかすばかりだろう。そう簡単に腹のうちを見せる男ではない。嫌っていないにしてもダイアナに対して特別な感情を持っていなければ、余計なお節介にしかならないだろう。

「遊び人の浮気性だもんね……何人と付き合ってるのかわかんないし」

 そばの草をちぎりながらつぶやくメロディに、セシルが笑った。

「彼に恋する女性は多いだろうね」

「でもフェンは誰にも本気じゃないんですよね。友達としてはいいけど、結婚相手にはおすすめできませんよね」

「ふむ……」

 男と女の仲は、時にひどく単純でもあり、おそろしく難解にもなる。いつでも全力でまっすぐ突き進む少女には、なかなか理解の難しい話だろう。

「まあ、フェビアン君との関係は置いて、ダイアナ嬢が今直面している縁談の方が差し迫った問題だろうね。そろそろ気持ちも落ち着いているだろうし、戻ったら一度話を聞いてみるか」

「気が進まないごようすでしたけど、お相手に問題がなければ断りにくいですよね。ご両親は乗り気みたいですし……」

「そうだね……問題がないなら、彼女は自分の気持ちと対決するしかないだろうね」

 あくまでも結婚を拒絶するなら、家を飛び出す覚悟をしなければならない。女が一人で生きていくには厳しい世の中で、まして貴族の育ちでは絵空事と言ってもいい。よほどに強い自立の決意があっても、大変な苦労はまぬがれないものだ。ダイアナにそこまでの意志があるようには見えないし、メロディたちにできるのは、気持ちの整理をつけられるよう手助けするくらいだろう。

 いずれ、自分も向き合う問題だ。メロディは摘んだ花から、視線をそっとセシルへ流した。気持ちよさそうに目を閉じる美しい人を見ていると、ひそかに胸が痛む。

 彼の部下として仲間たちとともに働く今の生活は、とても居心地がいい。このまま、ずっとみんなと一緒にいたい。騎士として修行を続けたい。

 ……けれど、それはかなわぬ願いだ。あと五、六年もすれば、メロディもどこかへ嫁がねばならないだろう。ずっと今のままではいられない。それは父も許さないだろうし、セシルにも迷惑をかけることになる。

 いっそ、父が望むとおりセシルと結婚できたなら――一瞬そんなことを考え、あわてて頭から振り払った。それはなしにしたはずだ。セシルにその気はまったくないとわかっている。考えてもしかたがない。現状維持のために結婚を望むだなんて、セシルに対して失礼な話だ。

 前向きになろうと、気持ちを奮い立たせた。夫となる人はどんな人物かと想像してみる。父が選ぶ相手に間違いはない。きっと誠実で頼もしい、信頼のおける人だろう。ちゃんとメロディが好む男性を選んでくれるはずだ。好みと言うなら父のような人だが……。

 そう思いながら、気付けばセシルの姿ばかりを思い浮かべている理由に、メロディはまだ気付いていなかった。




 時間をかけてゆっくりと領地を見て回り、一行が帰ってきたのは夕方近くだった。

 まだ門まで距離があるのに、下男が迎えに飛び出してくる。ヘクターが短く断って先に進んだ。

「何かあったのかな」

 妙にあわただしい雰囲気に、メロディは首をかしげた。

「あのねーちゃん――ミス、ダイアン、が、思い詰めて失踪したとか」

「ミス・ダイアナ。彼女はそんな考えなしじゃないよ。むしろ考えすぎて動けなくなるタイプだ」

 からかい混じりなエチエンヌの言葉を、フェビアンはあっさりと否定する。よほどしっかり確信しているようで、心配するようすはまったくない。

 下男から何か聞いていたヘクターがまたこちらへ戻ってきた。

「留守の間に、お客様がいらしたようです。お約束はなかったとのことですが」

「たしかに約束はないね。誰だい?」

 瞬時に察しつつセシルは尋ねる。はたして家令が告げたのは、予想どおりの名前だった。

「プラウズ伯爵家のご嫡男、ジェラルド様にございます」

 思わずメロディはフェビアンを見た。彼は表情を変えず、メロディの視線に気付くと小さく肩をすくめてみせた。

 城に入ったセシルが着替えもしないままに応接間へ向かえば、ダイアナと話している青年の姿があった。

 セシルたちに気付いて、素早く立ち上がる。

「これは公爵、おかえりなさいませ。お留守の間に上がり込むなど、不躾な真似をして申し訳ございません。ジェラルド・プラウズと申します」

 品よく礼をする青年は、フェビアンと同じ年頃だろうか。なるほど、いかにも貴公子といった、見栄えのいい人物だった。金に近い茶色の髪で、明るい青い瞳には自信がただよっている。主の不在中に押しかけた無礼を謝りつつも、特に恐縮もせず堂々と胸を張っていた。

「父は何度かお話する機会を得ていたようですが、私がご挨拶できるのはこれが初めてですね。隣同士のよしみで、どうかよろしくお願いいたします」

 仕立てのよい衣装は王都で作らせたものだろう。流行りの型の帽子や象牙で飾られたステッキなど、貴族らしい身なりが隙なく似合っている。きらきらと輝くような笑顔はメロディの兄たちを連想させるが、何かが決定的に違うと感じさせた。暑苦しさが足りないのだろうか? いや、こっちはこっちでなんとなくうっとうしい、とメロディを除く男たちはこっそり考えた。

「ようこそ、ジェラルド君。ダイアナ嬢を心配して来られたのかな?」

 椅子に腰を下ろすこともなく、セシルは立ったまま問いかけた。そのためジェラルドも座り直すことができない。同じく立ち上がっているダイアナをちらりと振り返ってからうなずいた。

「ええ、コヴィントン家の別荘から知らせを受けまして。なんでも賊に襲われたとか。どれだけ恐ろしい思いをされたかと考えるといてもたってもいられず、約束もなしに押しかけるなど失礼きわまりないと承知しつつも、一目彼女の無事をたしかめたくてまいりました。どうか、お許し願います」

 ダイアナがこちらへ滞在することは、昨日のうちに別荘へ連絡している。それで今日さっそくやってくるとは、フェビアンが言ったように彼女の到着を待ち構えていたのだろう。

 恋しい女性を思うあまりの行動、と言えば聞こえはよいが、いささか性急にすぎる気もする。

 ダイアナはと見れば、おとなしく控えながらも困った表情をしていた。ジェラルドの行動をけっして歓迎していないことはすぐにわかる。

「そう、気持ちはわかるよ」

 セシルの言葉に、ジェラルドはぱっと顔を輝かせた。だが続けて言われたことに目を丸くする。

「で、このとおり問題がないことはたしかめられたわけだね。では急いで帰るといい。もう大分遅いから、ぐずぐずしていると途中で日が暮れてしまうよ」

 いきなり帰れと言われるとは思わなかったのだろう。一瞬何を言われたのかわからないという顔をして、ジェラルドは言葉に詰まった。

「は……いえ、あの……」

「ここに泊めてさしあげればいいのだろうけどね、恥ずかしながら客人を迎えられるような用意が何もないのだよ。なにせ私自身昨日初めて入ったばかりで、村の者に無理を言って急遽手伝いに来てもらっている。いろいろ足りないことばかりなのだよ」

「いえ、そのような。どうぞお気遣いなく」

「今回は顔合わせと領内の見回りを目的に来ていて、客を招く予定はなかったんだ。我々はどういう状況だろうとけっこう平気なんだが、やはり客人を迎えるなら相応の用意をしないとね。せめて事前に連絡をくれて、準備させてくれればよかったんだが、こう急に来られては何もしてあげられない。申し訳ないが、今日のところはお引き取り願えるかな」

 優しげな微笑みにはどこか迫力があった。おっとりと口にする言葉も、要約すればこちらの都合も聞かず一方的に押しかけてこないでくれ、という内容だ。招かれざる客はさっさと帰れと言われ、ジェラルドは言葉を失った。

 あまりにあからさまな対応だが、不満を見せることはできない。礼を失した訪問なのは間違いないのだし、まして相手は女王の甥たる公爵だ。頭を下げておとなしく引き下がる以外、ジェラルドに選択肢はなかった。

「……さようですね、こちらの勝手なわがままでご迷惑をおかけするわけにはまいりません。おっしゃるとおり、すぐさま失礼いたしましょう。申し訳ございませんでした」

 すぐに立ち直り、堂々と笑顔で答えたあたりはなかなかのものだ。さらに彼は、ダイアナを振り返って言った。

「ダイアナ嬢、あなたも一緒に行きましょう。別荘の管理人も心配していましたよ」

「え……」

 突然自分に話が振られ、ダイアナが動揺した。

「あの、そんな……急に、そんなこと」

「急も何も、もともとその予定だったでしょう。ああもちろん、あなたが公爵のご厚意におすがりしたのは当然のことですよ。大変な目に遇われてさぞお困りだったでしょうし、心細くもあったでしょう。でももう大丈夫、私がこうしてお迎えにあがりましたから、安心して別荘へ向かいましょう」

「…………」

 ダイアナは何も言えなくなって立ち尽くした。たしかに迎えが来たのに、いつまでもここに居座っているのはおかしい。なりゆきで保護されただけで、もともと招待されていたわけではないのだ。セシルが遊びに来ているのではないことも、すでに知っている。ジェラルドの申し出を断ることはできなかった。

 セシルも今度は何も言わない。ダイアナが辞去すると言えば、すんなりうなずかれるだろう。そうしてほしいと思われているのだろうか。ダイアナはフェビアンに救いを求めたくなるのを、懸命にこらえた。

「さあ、急いで支度をしなければ。そこの侍女、すぐに荷物をまとめてくるんだ」

 ジェラルドは勝手に話を進めて、ファニーに指示まで出す。命じられたファニーはダイアナをうかがい、周囲にもおろおろと視線をさまよわせた。

「何をしている、聞こえなかったのか。さっさとダイアナ嬢の荷物を持ってくるんだ」

 ダイアナはぎゅっと目をつぶった。覚悟を決めて、ファニーに従うよう言おうと口を開きかける。けれど一瞬早く別の声が響いた。

「だめです!」

 凛とした声とともに、ダイアナの前に割り込んできた人がいた。ダイアナは驚いて目の前の金色の輝きを見る。

「ダイアナ様とは、いろいろお話したり、遊ぶ約束をしたんです。まだ昨日着いたばかりでろくに落ち着いてもいないのに、もう連れて行くだなんておっしゃらないでください」

 胸を張って自分を見上げてくる男装の少女に、ジェラルドは奇妙な顔になった。

「……お前、いや、君は?」

「このようななりで失礼いたします。アラディン・エイヴォリーの娘、メロディと申します。はじめまして、ジェラルド様」

 かの有名なアラディン卿の娘と知り、ジェラルドの余裕にわずかなほころびが生じた。

「これは……はじめまして、メロディ嬢。なるほど、たしかにその髪、その瞳……そのお顔立ちも、間違いなくアラディン卿のお血筋ですね」

 メロディはにこりと微笑んだ。

「たまたまのなりゆきでご一緒することになりましたけど、ダイアナ様とは女同士親睦を深めたいと思っているのです。せっかくのご縁ですもの、これきりではさみしいではありませんか」

「はあ、そうですね。いやそれは大変けっこうなことですが」

「ねえ、セシル様? いいですよね、このままダイアナ様が滞在なさっても。わたしもっとダイアナ様と一緒にいたいです。ダイアナ様なら多少行き届かないところがあっても気にしないでくださいますし、許してくださるでしょう?」

 ジェラルドの言葉を最後まで聞かず、メロディはセシルに顔を向ける。ダイアナに身を寄せ彼女の腕を取って、貴族の令嬢らしくおねだりした。

 天使の笑顔の下に、無言の威圧を感じた。これに逆らうと、あとで怖いことになりそうだ。

 ふっとエチエンヌが笑いを漏らし、メロディにならって進み出た。

「そうですね、せっかくの機会を逃したくはありません。当家の領地にもいろいろと見所はありますし、ぜひ彼女をご案内したいと思っていたところです。父上、私からもお願いいたします」

 今の誰!? 思わず素に戻ってメロディはエチエンヌを凝視した。普段の柄の悪さを完璧に隠し、エチエンヌは貴公子然としてジェラルドに向き合った。

「はじめまして、ジェラルド殿。エチエンヌ・シャノンです」

 胸に手を当て、軽く礼をするしぐさも堂に入ったものだ。

「シャノン……ち、父上というと」

「ええ、セシル・シャノンの息子です。ご承知のとおり養子であって、血はつながっておりませんが」

 これまた驚愕の台詞である。あれほど頑として認めまいと抵抗していたのは誰だったか。

 品よく姿勢を正して微笑んでいれば、エチエンヌは王子と言っても信じられそうな容姿だ。下層の育ちを表す言葉づかいも見事に直され、きれいな発音で話している。今ここに立っているのは、まぎれもなく公爵家の若君だった。

 ただの従者と思っていた者たちが予想外な大物で、そろってダイアナの滞在を望んでいる。さすがにジェラルドが絶句するのを見てセシルはくすりと笑い、ダイアナに問いかけた。

「こう言っているのだが、どうだろう、ダイアナ嬢? この子たちのわがままに付き合わせるのは申し訳ないかな?」

 ダイアナは驚いてセシルを見た。小さなうなずきが返される。彼らの意図がわかって一瞬泣きそうになるのを、あわてて首を振り、ダイアナはしゃんと背筋を伸ばした。

「滅相もないことですわ。とてもうれしいお申し出です。ご迷惑でなければ、ぜひお願いしたく存じます」

「ダイアナ嬢」

 目を剥くジェラルドにも微笑みを向ける。

「心配してわざわざようすを見にきてくださって、ありがとうございました。わたしはこのとおり大丈夫ですから、どうぞお気遣いなく。別荘の方にもあらためて連絡をしておきますわ。お帰りの道中、どうぞお気をつけて」

 こうなってしまっては、もうジェラルドにはどうしようもない。顔中にはっきりと不満を浮かべながらも渋々引き下がり、手ぶらで帰っていった。急がないと日が暮れるとセシルは言ったが、今からではどんなに飛ばしても夜までに帰り着けないだろう。頑張って夜道を行くか、どこかで宿を求めるしかない。お気の毒さまと思いつつ、本気で同情する者はいなかった。

「セシル様、ありがとうございます!」

 メロディに満面の笑顔を向けられて、セシルは笑いながら肩をすくめた。

「どうしようと思っていたのだが、先を越されたね。いざという時には本当に思い切りがいいね」

「だってあの人、すごく強引で自分勝手な感じがして嫌だったんですもの。ダイアナ様のことを心配するような口ぶりだったけど、ご自分の希望を押しつけていただけじゃないですか。それに表面上はセシル様を敬うふりしてましたけど、内心けっこう軽んじていましたよね。でなきゃ、いくらなんでも無断でいきなり押しかけないでしょう。留守だって言われても図々しく上がり込んで、失礼にもほどがあります。セシル様のことを馬鹿にしていますよ。ダイアナ様が気乗りしない理由がよくわかりました」

 ぷんぷんと腹を立てる少女に、エチエンヌも笑う。

「舐めくさった奴だったよな。セシルの立場がそれほど強くねえと踏んで、強引に押せば通ると思ってたんだろう。帰れって言われた時の顔は傑作だったぜ」

 もういつもどおりの彼だ。さきほどの完璧な若君は幻だったのかと思わせる変わり身の速さだった。

「エチ、さっきすごくびっくりした。やればちゃんとできるんじゃない」

「さんざん目の前で見せられてりゃ、真似くらいできるようになるさ。長くは続けられねえけどな」

「頑張ってしっかり身につけようよ。さっきのエチ、どこから見ても立派な若様だったよ。ジェラルド様も気押されてたじゃない」

「やらねえ。あんなの続けてちゃ肩が凝るし舌噛むわ。さっきは特別だ」

「ええー、そんなこと言わずに」

「うるせー」

 じゃれあう子犬と子猫のような二人に、大人たちが笑いをこぼす。ダイアナはそっとセシルに近づき、礼を言った。

「ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳なく思いますが、助かりました」

「いいさ、乗りかかった舟だ。それに縁談が持ち上がっていると言っても、まだ婚約はしていないのだろう?」

「はい。おそらく今回求婚されることになっていたのでしょうが」

「現時点では無関係な独身の男女というわけだ。それなのに保護者面して君を連れ去ろうなど、誉められた行動ではないね。私の立場では止めるのが常識だろう」

 いたずらっぽく笑ってみせる公爵に、ダイアナもつられて笑う。そんな彼女を、常になく口を閉ざしてフェビアンは静かに見ていた。

「これで解決したわけではないが、しばらく猶予ができたね。私がいる間は好きなだけ滞在していいから、今後どうするかじっくり考えなさい」

 フェビアンへちらりと視線を流し、セシルは言う。

「私に何ができるかわからないが、相談くらいには乗るよ」

「ありがとうございます……本当に、たまたま行き合っただけですのに、ご親切にしていただいて心から感謝いたします」

 かすかに涙ぐむ少女の頭をつい癖でなでそうになって、セシルは手を引っ込めた。あっちでたわむれている子犬と同じ扱いをしてはいけない。こちらは若くてももう立派なレディだ。

 ダイアナにはうなずきだけを返し、セシルはエチエンヌに声をかけた。

「エチ」

「あ?」

 振り向いた息子に、彼はとびきりの笑顔を向けてやる。

「もう一度、父上と呼んでおくれ」

「……ぜってー呼ばねえ!!」

 応接間から一斉に大きな笑い声が上がり、使用人たちを驚かせた。


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