3 はじめましての領主たち
モンティース領に入ってからしばらくすると、行く手に領主館が見えてきた。
小高い土地に建つ城に戦闘用の備えはなさそうだ。堀も跳ね橋もない。比較的新しい建物のようで、近代的な装飾の目立つ優美な城だった。
周囲にはのどかな田園風景が広がっている。温暖な気候に恵まれた地方で農業生産力が高く、量はさほどでもないが蛍石も採掘される。妙なことに手を出さないかぎり、この土地からの収入でセシルは十分な生活ができた。
護衛に守られた見るからに貴族のものとわかる馬車を、畑から土地の農夫たちが珍しそうに見ていた。五十年近く前に絶えた公爵家の領地を、以来国が管理していたので、彼らは長い間領主というものを見ていない。領主がいなければ館に客人が訪れることもない。数年に一度王都から役人が来る程度の土地に一体誰が来たのだろうと、みんな興味津々だった。夜には噂が村中に行き渡っていることだろう。
これが自分の領地かと、感慨深くセシルは眺めていた。シャノン公爵家という、遠縁にあたるすでに絶えた家系を受け継ぐことになり、あわせてこの土地を与えられた。ありがたく受け取った以上は責任も発生している。自分の配下となった人々に対して、単なる収入源とだけ見なすのではなく、できる限り心配りをしていかなくてはならない。
思えば、シュルクではどこか腰の定まらない生活だった。数多い王子王女の中でも一、二を争う血筋に生まれながら、王となることは望まれず、むしろ腫れ物的な存在だった。幼い頃から自分の微妙な立場は理解していたので、周りを刺激しないよう権力には無欲な態度を示してきたが、それでも警戒の目は消えなかった。いつか王位を望んで行動を起こすのではないかと疑われ続け、生まれ育った祖国であるのにここが自分の居場所だと安らげた記憶がない。直接仕えてくれる宮の家来たちだけが心許せる存在だったが……彼らを守りきることもできなかった。
この国へ逃れてきて、ようやく居場所を得られた気がする。逃げ続けようとする彼を強引に引き止めて、ここにいろと言ってくれた部下たちのおかげで、ふらふらしていた腰が定まった。この国の人間として生きていこうと決めたからには、責任ともしっかり向き合っていかなくてはならない。
ひと月ほどの滞在中に、どれだけ領地を見て回れるだろうか。領民たちは新しい領主を快く受け入れてくれるだろうか。今まで自分たちだけでやってきたのに、よそからやってきて偉そうに上に立たれるのを嫌がったりはしないだろうか。
「さすが公爵領、立派なお城ですね」
同乗している娘がやはり窓から外を見ながら、感心の声を上げた。彼女の家が持つ荘園も近くにあるが、この辺りまで来たことはないらしい。
「私も初めて見るのだよ。カムデンの屋敷より大きいんだなと思っていた」
「それは、当然でしょう」
ダイアナはくすりと笑ってセシルに目を向けた。公爵の馬車に乗せられて多少緊張しているようすではあるが、落ち着いたふるまいだ。いわくつきとはいえ若い独身の公爵という物件に目の色を変える令嬢が多い中、ダイアナはそうした関心をセシルには抱いていないようで、礼儀正しい敬意を向けてくるだけだった。非常に気楽でありがたい。
すぐ身近にもまっすぐな好意を無自覚に向けてくる存在がいるだけに、どうも若い娘というものに身構えがちになっていたようだ。ダイアナは見るからにフェビアンと訳ありな雰囲気だし、いささか自意識過剰だったかと内心苦笑した。
「先触れを出して君のことも知らせておいたから、受け入れの準備はできているはずだ。今夜はゆっくり休みたまえ」
「ありがとうございます……本当に、何から何までお世話になりまして」
「気にすることはない。実は私も、初めて向かう場所に少々緊張しているのだよ。連れが多い方が心強くてね」
彼女に持ち上がっている縁談がどのようなものなのか、フェビアンとはどういう関係なのか、気になる点はいくつもあるが、あまり性急に聞くものでもない。問題の伯爵領はお隣だし、ついでに調べていけばいいだろう。
「森があるね、狩りができそう」
「何を狩ってくるつもりだよ。熊ならオレは食わねえぞ」
「熊はもっと山の方にいるんじゃないかな。エチだって兎肉は好きでしょ、一緒に行こうよ」
「ああ? ……狩りねえ」
「ハニー、『素敵なお城』とか『きれいな風景ね』とかじゃなく真っ先に狩りを考えるところ、女の子としてかなり残念だよ」
「え、なんで? うちの領地では女の子だって鹿くらい獲ってくるよ」
「領民まで筋肉かよ」
「オークウッドの女の子とデートしたら、鹿をかついで帰ることになるのか。僕にはちょっと荷が重いな」
窓の外から呑気な会話が聞こえてくる。肩をすくめるセシルに、ダイアナがこらえきれない笑いをこぼした。
一行を出迎えた家令は、四十過ぎの鋭い目をした男だった。
「遠路お疲れさまにございます。お待ち申し上げておりました」
礼儀正しく挨拶をしながらも、気難しそうな顔はにこりともしない。セシルの背後に控えたメロディは、なんだか怖そうな人だと思った。
「はじめまして、だね。陛下よりこの地を預かったセシル・シャノンだ。これから長い付き合いになるだろう、よろしく頼むよ」
対するセシルの方がおっとりと愛想のいい笑顔を浮かべている。これではまるで主従が反対だ。
「これは、大変申し訳ございません。旦那様に先に名乗らせるなど、不調法をお許しくださいませ。シャノン公爵領の管理を任されております、ヘクター・ガーランドと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
顔は怖いが家令の態度はうやうやしい。一行を城内へ案内し、待機していた使用人たちに馬車と荷物の片づけを手際よく命じた。
「意外とたくさん人がいるんだね」
「セシルが来るまで持ち主不在の城だったんだろ? こいつらどうしてたんだ? 最近雇われたのか」
忙しく動く使用人たちを眺めながら、なんとくメロディがつぶやくと、エチエンヌも疑問に思っていたらしく口を開く。先に立って一行を案内しているヘクターが振り向いて言った。
「おっしゃるとおり、長らくこの城には主がおりませんでした。わたくしの家は代々家令として仕えてまいりましたので、祖父から父へ、父からわたくしへと役目を引き継ぎ管理してまいりましたが、他の者は定期的な手入れをしに来るだけで普段は村で生活しております」
「じゃあ、今来ているのは村の人? 今は農繁期でしょ、忙しいのに畑の仕事を置いてきて大丈夫なの?」
メロディも故郷で農民たちの暮らしを見てきたので、今がどういう時期なのかはわかる。夏場の農民は、日が暮れて真っ暗になるまで畑に出ているものだ。
「ようやくこの城が主をお迎えできるのです、十分な用意ができなくていかがいたしますか――と、申し上げたいところなのですが」
そこで一旦言葉を切って、ヘクターの目はセシルへ向けられた。
「正直なところ、不十分な点が多いかと存じます。村人たちには貴人にお仕えする心得も徹底できておりません。わたくしどもも精一杯努力いたしますが、なにとぞご容赦いただけますよう、お願い申し上げます」
「かまわないよ、食事と風呂さえ用意してもらえば、あとは自分たちでやるから。今回は客を招いて宴を催すような予定もないから、気にせず畑を優先してくれていい。すまなかったね、忙しい時期にやってきて」
前もっての断りに、セシルは鷹揚にうなずいた。彼をはじめ薔薇の騎士たちには、使用人が一から十まで世話をしないと怒るような人間はいない。ダイアナにもファニーがついているので、本当に最低限のことをしてくれるだけで十分だ。メロディが指摘するまで農民たちの都合を考慮していなかったことに気づき、セシルの方こそ頭を下げる気分だった。
夏に自領へ向かう貴族は、使用人を引き連れて移動することが多い。セシルがそうしなかったのは、もともと薔薇屋敷に仕える使用人の数が少ないことと、社交が目的ではなかったからだ。日常的なことは現地の使用人に任せればいいと軽く考えていて、そうした人々が普段どんな生活をしているかにまで考えが及ばなかった。シュルク王族とイーズデイル貴族の生活様式の違いも影響している。
主人の無茶ぶりに応じてこそ一流の使用人とばかり、薔薇屋敷の執事も黙って彼の希望を聞いていたし、いちばん気が利くフェビアンも使用人は主人の都合に振り回されるもの、という認識でいる。セシルが使用人の都合を気にするとは誰も思わなかったため、今頃発覚した事実だった。
「滅相もないことにございます。旦那様こそ、どうぞお気になさいませぬよう。たしかに畑の忙しい時期ではありますが、皆それぞれ都合をつけて来ておりますので大丈夫です。ご心配なく」
丁寧に頭を下げて、ヘクターはふたたび歩き出した。にこやかな笑顔には縁のない人物だが、どうやら拒絶の気配はなさそうだ。おそらく向こうも、新しい主がどんな人物かと慎重に見極めているのだろう。まずは彼といい関係を築くことが肝要だ。
気に入らなければ首を飛ばして新しい人間を雇えばいい、というわけにはいかない。質のよい使用人はどこの家でも求めているから、すぐにいい人材が確保できるものではない。それに領地の管理を任される家令とは、主人以上に土地のことに詳しく、領民たちとのつながりも深い実質的な権力者だ。よそからやってきた新米領主のセシルならばなおのこと、軽視するわけにはいかない。彼と上手く付き合えれば、領主として大半の責任を果たせると言ってもいいくらいだ。
部下たちも皆、そこは心得ていた。エチエンヌだけが細かい事情をさっぱり理解していないが、このおっさんを怒らせるとまずいな、と本能で察知して、彼にしては実に行儀よくだまっていた。
ヘクターは二階の応接間へセシルたちを案内した。それぞれの部屋へ荷物が届けられ、片づくまでの間、ここでしばらく待たされる。
女中がお茶と軽食を運んできた。まだ結婚もしていなさそうな、若い娘だ。糊の効いたお仕着せを着て、髪もきちんときれいにまとめていたが、顔だちはいかにもあどけなく垢抜けない。王都から来た貴族たち、そして新しい領主を前にして、がちがちに緊張しているのが一目でわかった。
「し、失礼いたします」
ポットからお茶を注ぐ時も、カップをテーブルに下ろす時も、手が震えて見ている方がはらはらしてしまう。
「だいじょうぶ、そんなに緊張しなくていいよ」
今にも中身をこぼしそうなカップを彼女の手から優しく取り上げ、フェビアンが甘い微笑みを向けた。
「うちのご主人様はとっても優しい人だから、君がちょっと失敗したって何もおっしゃらないよ。なにせ誰も怒ったところを見たことがないからね。仮に突然殴りつけたって、きっと怒らないさ」
「いや、意味もなくいきなり殴られれば怒るよ」
セシルが反論すると、面白そうに彼を見る。
「そうですか? 団長なら怒るより驚いてどうしたのかねって聞いておしまいな気がしますけど」
「あー、ありそう」
メロディがうなずく横で、エチエンヌが笑う。
「ばっか、そもそも殴れるかよ。ジンが止めるかセシル自身に反撃されて、てめえが地べたに這いつくばるのがオチだ」
「……そっちだな」
ナサニエルがうなずく。ダイアナたちは目を丸くするばかりだ。当の本人はおっとりと笑い、そのそばでジンは座らず控えたまま、真っ先にお茶に口をつけていた。
初めて来る場所、初めて会う人々だ。完全に信用するわけにはいかない。どこにどんな危険があるかわからないので、セシルが口をつけるものにはすべて毒味が必要だ。使用人たちを不愉快にさせるとしても、これは譲れなかった。
どう思っているのか、ヘクターは何も言わず静かに控えている。女中の娘は間近に接近したフェビアンの顔に、真っ赤になっていた。それを見てダイアナが呆れた顔になる。とがめる視線はフェビアンの方に向いていた。
「坊っちゃまはミルクはいかがなさいますか?」
自分の番が来た時、問われたエチエンヌが目を丸くした。
「ぼっちゃま?」
「え、あの……す、すみません、若様とお呼びするべきでしたか。失礼しました!」
あわてて女中が頭を下げるが、エチエンヌの顔はこのうえなく渋くなる。
「……やめろ。そういう呼び方はぜってーするな」
「え、でも……旦那様のご子息だと聞いて……じゃない、うかがっておりますが」
「言うな! オレは認めてねえ! こんなやつを親父だなんて死んでも呼ぶか!」
「ひっ……ご、ごめんなさい……っ」
「エチ」
止めると同時にセシルが手元で何かをはじいた。それは見事にエチエンヌの額に命中し、彼をのけぞらせる。床に落ちたものをメロディが見れば、カップに添えられていたティースプーンだった。
相変わらず、怒らないけれどお仕置きは容赦ない。
メロディはスプーンを拾い上げ、少し迷ったあとヘクターに渡した。彼は眉ひとすじ動かすことなくそれをワゴンに戻し、新しいスプーンをセシルのソーサーに置いた。
「すまないね、このとおり口の悪い子で。本気で怒っているわけではなく、ただの悪態だから放っておいていい。驚かしてしまったね。エチも謝りなさい」
涙目な娘に優しく言ってから、エチエンヌに少し厳しい目を向ける。額を押さえたエチエンヌもやや涙目になっていた。けっこう痛かったようだ。
「ってー……悪かったよ。あんたに怒ったんじゃねえから。けど坊っちゃまも若様もやめてくれ。オレはエチエンヌだ。それでいい」
「は、はい……」
純朴な娘を驚かしてしまったことを彼なりに申し訳なく思い、素直に謝る。エチエンヌがそちらに気を取られている隙に、フェビアンが彼のカップに砂糖を放り込んだ。メロディは思わず出そうになった声を抑え、自分も素早く砂糖を入れる。せわしなくかきまわされたカップの音にエチエンヌが気付いて振り返るが、そのときには二人とも知らん顔で手を離していた。
「……?」
いぶかしげな顔をしながらも、エチエンヌはカップを取り上げる。次の瞬間、カップに口をつけたままの姿勢で固まった。
「あ、あの、お口に合いませんでしたか……?」
びくびくと尋ねる娘に何も言えず、だまって口の中のものを飲み込む。
「……いや、なんでもねえ」
普段彼は何も入れずに飲むと知っての悪戯だ。甘党でもこれはちょっと、と思うほどにダダ甘い。爆笑をこらえるメロディといい笑顔で親指を立てるフェビアンをにらみつつ、必死に残りを飲む。なんだかんだ言って優しいエチエンヌには、先程驚かしたばかりの娘にお茶を突き返すことはできなかった。
しっかりお仕置きされた少年に、大人たちもこっそり笑っている。仲のよさそうな雰囲気に、面食らっていたダイアナもほっと肩の力を抜いた。
その視線はどうしてもフェビアンに向かいがちになる。
彼はメロディに顔を寄せて何やらささやいていた。何を聞かされたのか、メロディが楽しそうに笑い声を上げる。ふたりでエチエンヌをからかっているようだ。親密そうな姿に、ダイアナはそっと目を伏せた。
翌日さっそくセシルは領地の見回りに出ることを希望した。
ヘクターが案内してくれることになり、ダイアナたちを残して薔薇の騎士全員で外へ出る。乗馬ズボンに上はシャツだけという珍しいセシルの軽装に、メロディは目を丸くした。
「着込んで出かけたのでは暑いからね。畑道を行くこともあるだろうし、洒落めかしては行けないよ」
笑って言いながらセシルは長い髪をかき上げ、ひとつにまとめている。普段は貴族の装いの下に隠された、鍛えられた肉体がはっきりとわかり、ついメロディは見とれてしまった。
胸板や肩幅の厚みなら父やナサニエルの方ががっしりしているが、抜きんでた長身で見栄えは負けていない。隙のないしなやかな動きがあるからこそ、優雅にも見えるのだ。黒豹ってこんな感じかな、と話に聞く動物を思った。
「相変わらずいい身体してらっしゃいますねえ。こっそりジンと二人だけで鍛練してるんでしょ」
「なまるわけにはいかないからね。鍛えておかないと、いざという時に困るだろう?」
フェビアンとの会話に、いつの間に、と驚く。
「そんな、ずるいです! 鍛練なさるならわたしも混ぜてください!」
「え……いや、それは……」
セシルはジンと顔を見合わせる。無口な従者も、困ったようにメロディから顔をそらした。
「セシル様は一度もわたしと手合わせしてくださらないじゃないですか。ひどいです」
「そう言われてもね……」
少女に責められて、セシルは顎をなでる。
「ジンとは訓練しているじゃないか。私とするのと変わらないよ」
「……セシル様は、わたしと訓練なさるのがお嫌なんですか?」
みるみるしょげる少女に、セシルはうっとたじろいだ。救いを求めて周囲に視線を向けるも、フェビアンはわざとらしく知らん顔で目をそらすしナサニエルも難しそうに黙っている。エチエンヌに頼んでも……と迷いつつもつい彼を見れば、赤毛の少年は息を吐きながら前髪をかき上げた。
「嫌と言えば嫌だろうよ。あんたみてえなちっこい女相手にどう手合わせすりゃいいのかわかんねえんだろう」
遠慮のない言葉にあちゃあと男たちは顔を覆った。
承服できず言い返そうとするメロディに、エチエンヌはさらに言う。
「それにあんたとやり合ったってセシルの訓練にゃならねえ。力の差がありすぎるからな。社交とやらの合間に訓練するのに、あんたの相手をしてる暇はねえんだろうよ」
さらに容赦ない言葉にメロディはぐうの音も出せなかった。うわあ、とフェビアンがつぶやく。ここまではっきり言えるのはエチエンヌだけだろう。男たちは感嘆の念を抱くと同時に、メロディに少々同情した。
完全にひしゃげたメロディの背中を、フェビアンとナサニエルが叩いてなぐさめる。セシルは息をついて蜂蜜色の巻き毛に手を置いた。
「……すまないね、私はどうしても女性を相手にする気になれなくて。それに手加減というものが苦手で、ジン以外とは手合わせできないんだよ」
メロディはそっと目を上げる。大きな手に隠されて、彼の表情は見えない。
「私たちの師匠は、敵を確実に仕留める方法だけを徹底的に叩き込んでくれた。だから実戦は問題ないのだけれど、練習の手合わせというものは不得手なんだ」
「……それ、似たようなことをジンからも聞きました」
「ああ、そうだろうね。私から見ればジンの方が器用だが、それでも手加減が苦手なのは同じだ」
頭に乗った手が優しくなでてくれる。メロディは深呼吸して、深々と頭を下げた。
「わがままを言って申し訳ありませんでした。いつかセシル様と手合わせできるほどの力を身につけられるよう、精一杯修行に励みます」
「……ん」
女としてその方向性はどうなのか、という疑問は今さらだ。
「たっけー目標だな」
「まあ、志は高い方がよい」
エチエンヌが笑い、ナサニエルがうなずく。フェビアンはいたずらな顔でメロディの耳元にささやいた。
「ハニー、団長との手合わせならすぐにもできるよ。今夜、団長の寝室に行ってごらん」
「フェビアン君」
がしりとセシルの手がフェビアンの頭をつかまえ、ぐりぐりと痛めつけた。
「そういうことを聞かせるなと言っただろう」
「痛たたた。や、純粋培養もほどほどにしないと、いざ本番で困りますよ。今のうちから少しずつ教えていかないと」
「必要ない。教えるにしても、それは親の役目だ」
「いやいや、ここは婚約者が」
「婚約してない」
「もー、往生際の悪い……って、痛たたた、すみませんごめんなさいちょっと本気で力入れてません? もしかして怒ってる!?」
「寝室で手合わせって、何をするんですか? 何か特別な訓練法でも?」
「ほらみろ、興味を持ってしまったじゃないか!」
「おーい、いつまでやってんだ。日が暮れるぞ」
いつまでもじゃれ合う主従を、まだ行かないの?と馬が退屈して待っていた。




