2 気になる二人
幸いにして人の被害は大したことがなかったものの、馬車が横転した衝撃で破損してしまっていた。車輪や車軸にも被害がおよんでいる。近くの村へ応援を頼みに行ってどうにか運んだが、修理には時間がかかるとのことだった。
「どちらへ向かわれるところだったのかな。よければお送りしよう。ここで足止めされるのは大変だろうし、ご婦人だけで旅を続けるのも不用心だしね」
セシルの申し出に、コヴィントン男爵家のダイアナはあわてて首を振った。
「いえ、そんな。公爵様にそのようなご迷惑をおかけするわけにはまいりません」
助けてくれた一行の主人が女王の甥であるシャノン公爵と知り、たいそう恐縮しながらも、ダイアナは気丈に背筋を伸ばして答えた。
「急ぐ旅ではありませんし、ここで馬車が直るのを待ちますわ。どうぞお気遣いなく。賊から助けていただいただけで十分でございます。本当にありがとうございました」
はきはきと答えるようすからは、彼女の聡明さが感じられる。年齢はメロディより三つ上の十八歳ということだが、それよりもずっと落ち着いた雰囲気の、大人びた少女だった。
「ここで待つと言っても、レディには厳しいのではないかな? 村の者にとっても、どうすればいいのか困るだろう」
襲撃された場所からいちばん近い村は、二十ほどの農家が集まっただけのごく小さな集落だった。代官のいる町とは離れていて、旅人が泊まるような宿もない。旅慣れた商人や傭兵が相手ならば、ちょっとした礼金と引き換えに納屋を貸すこともある。しかし貴族の女性を泊められるような部屋は、どこの家にもなかった。
少し離れた場所で見守っている村の代表格の男も、難しい顔でセシルの言葉にうなずいていた。
「承知しております。この状況でわがままを言う気はございません。村の者には極力迷惑をかけないよう、納屋でもどこでも寝るつもりです」
当たり前の口調でダイアナは答える。これに真っ先に反論したのは、彼女の侍女であるファニーだった。
「とんでもないことを! お嬢様を納屋に寝泊まりさせるだなんて!」
「ファニー、静かにしていなさい」
ダイアナは厳しくたしなめた。
「急に押しかけられて村の者にとっては大変な迷惑なのよ。いくらお礼をすると言われても、なんでもできるわけではないわ。この季節だから寒さに震えることはないのだし、雨風が防げて寝られる場所が借りられれば十分よ」
「ですが、そのようなことを旦那様や奥様がお知りになれば、どれだけお怒りになるか」
「わざわざ言わなければいいだけでしょう。馬鹿正直にすべてを報告する必要はないわ」
これはこれは、とひそかにセシルは笑いを隠す。気丈なだけでなく、なかなか柔軟な考え方もできる令嬢のようだ。
部下たちの反応はさまざまだった。エチエンヌにとっては納屋で寝ることの何が大変なのか理解できない話だし、メロディも自分が平気なのでそれほど大変なことだと思わない。わがままに贅沢を望まない、とても立派な人だなあと呑気に感心していた。
普通に驚いているのはナサニエルだけだった。ジンはもともとあまり感情を表さないので、いつもどおりに黙って控えている。そしてフェビアンは――。
「滅多にできない経験だと、逆に楽しめばいいじゃない。わたし、一度藁のベッドで寝てみたかったの。子供の頃にそんな話を読んだじゃない? それにこの村には山羊がいるわ。乳しぼりもできるわよ」
「お嬢様……そんな、小さい子みたいなことを」
「考えてごらんなさい? たまたま公爵様たちが行き合ってくださらなければ、今頃賊に囚われてどうなっていたことか。それを思えばこの状況は天国にいるようなものよ。すべてがありがたく、幸福に思えるでしょう」
「現状を前向きに受け入れようって姿勢は悪くないけど、君が楽しめても周りはそうはいかないよ」
呆れを隠さない口調で、フェビアンがダイアナの言葉を止める。むっと振り向く緑の瞳に、肩をすくめて返した。
「村の人たちにとっては、貴族の客人なんて気を遣うばかりで厄介な存在だよ。納屋でいいと言われてもはいそうですかって答えられるもんか。あとでどんな文句を言ってこられるかとおびえずにはいられないよ。自分たちの部屋を明け渡すにしても、貴族にとって十分なものではないしね。君自身言ったとおり、大変な迷惑なんだよ」
「文句なんて言わないわ。両親に報告するつもりもないし」
「君がどう考えているかはこの際関係ない。村人にとっては迷惑、それだけだ」
「…………」
ぴしゃりと言われてダイアナがくやしそうに口をつぐむ。メロディはそっとフェビアンの服を引っ張った。
「フェン、そんな言い方しなくても」
「だいじょうぶ、ダイアナはそれはもう気が強いから。このくらい言っても堪えない、というよりこのくらい言わないとこっちが負けるから」
「し、失礼ね! 初対面の人たちの前で、おかしなことを言わないでちょうだい!」
「ね? このとおり、おっかないから」
おどけた笑顔でわざとらしくささやく。メロディは困ってしまって、彼とダイアナを見比べた。
「まあ、フェビアン君の言うことももっともだし、こちらにも多少責任があるしね。馬車が横転してしまったのは、彼を驚かしてしまったせいだから」
公爵の視線を受けて馭者が身を縮める。同時にメロディも小さくなっていた。驚かしたのはメロディだ。馭者が早とちりしたとはいえ、猛然と突っ込んで行ったのはまずかったかもしれない。
「いいえ、公爵様がそのようにおっしゃる必要は」
「こちらも急ぐ旅ではないし、ご婦人を二人乗せる余裕も十分にある。気にしなくていいから、送らせてもらえるかね」
「あ……ですが……」
老若問わず社交界の女性たちを魅了する微笑みを向けられても、ダイアナの表情は晴れなかった。むしろますます困った顔になり、視線をさまよわせる。そんな彼女に、またフェビアンが言った。
「往生際が悪いよ、ダイアナ。本音を当ててあげようか? ここで足止めされる方が君にとっては都合がいいんだろう? 家に帰りたくないのか、目的地に着きたくないのか――この場所だとどっちか判断しづらいけど、時期的に考えると帰宅じゃなくて向かう方かな。どうせフィッシュバーンの別荘へ行く途中だったんだろう。反対方向へ向かって走っていたのは襲われて逃げたせいで、カムデンをめざしていたわけじゃないよね?」
「…………」
「君はあそこの別荘がお気に入りだったはずだけど、この夏は何か行きたくない事情があるのかな。そういえば、すぐ近くにプラウズ伯爵の領地があったっけ。ああ、伯爵家の息子は君とちょうどいい年頃だよねえ。ちょっと家格が釣り合わない気もするけど、跡継ぎが惚れ込んでぜひにと望めば、伯爵夫妻は息子に甘いから聞いてやるだろうね。君のご両親は願ってもない良縁だと大喜びするだろうし――つまり、お見合いを兼ねた旅行ってことかな?」
「……っ」
「別荘に着いてもすぐ向こうからお招きがかかるんだろうね。気の進まない君としては、道中でトラブルが起きてやむなく引き返したってことになった方がありがたいわけだ」
メロディは目を丸くした。フェビアンの察しがいいのはいつものことだが、これはもともと事情に詳しいとしか思えない。知り合いにしても、ふたりは相当に付き合いが深かったようだ。ただの女友達よりも親しそうと感じたのは間違いではなかった。
「なんてったっけなあ、男の名前はあまり覚えてないんだけど……ああそうそう、ジェラルドだっけ。なかなかの男前だよね。僕ほどじゃないけど。プラウズ家は羽振りも悪くないし、たしかに良縁だ」
「……か、勝手なことを言わないで!」
「人柄としては、ギルと五十歩百歩かな? いやあ、僕としてはギルの方がおすすめと思うけど、あんなことにならなければねえ。彼なら純粋に君を大事にしてくれただろうに、残念だったよねえ」
「いい加減にしてちょうだい、フェビアン! 勝手にぺらぺらとしゃべらないで!」
真っ赤な顔で怒鳴られて、フェビアンは苦笑しながら黙る。メロディはそっとセシルを見た。彼もどうしたものかと、思案顔で顎をなでていた。
「お嬢様……」
ファニーがダイアナの肩に手を置く。取り乱して怒鳴ってしまったことを恥じて、ダイアナはうつむいた。
「……事情はおいおい聞くとして、とにかくどこかで落ち着く必要があるだろう。ひとまず、私の領地へ一緒に行くというのはどうかね? モンティースとプラウズ伯爵領はお隣だから、行こうと思えばすぐに移動できる。私としては、ここに君を置いていくのは非常に心配だ。この辺りは治安がいいと聞いていたんだが、盗賊が出るようでは護衛もいないご婦人の旅など危険だからね」
「公爵様……」
「それがどうしてもだめというなら、護衛にフェビアン君を残していこう。どちらがいいかね?」
「…………」
とんでもない条件を突きつけられたという顔で、ダイアナは返答に窮した。セシルとフェビアンの顔を交互に見、あきらめたように肩を落とす。
「……大変申し訳ございませんが、お言葉に甘えてご一緒させていただきたく思います」
「ああ、それがいい」
セシルがうなずき、周りの一同はほっと安堵した。ダイアナの馭者も村の代表も、やれやれと胸をなでおろす。
「しかしプラウズ伯爵か……縁があるというか」
「え?」
「いや」
聞き返したメロディに首を振り、セシルはすぐさま部下たちに指示を出した。この村には泊まれないので、日が暮れる前に宿場町まで行かなければならない。手早くダイアナの荷物が移動させられた。馭者は馬車の修理のために村に残ることになった。ダイアナが村人に心付けを渡したあと、セシルからもこっそりと追加が渡される。馭者一人ならばこれで十分な待遇が得られるだろう。喜んでお土産の果物をくれた奥さんにお礼を言って、一行は慌ただしく出発した。
馬車の移動や代官への連絡などでかなりの時間を費やしてしまった。もう夜まであまり時間がないので、急いで宿場町をめざす。馬車を挟んで反対側を並走するフェビアンを、メロディは気にしながら進んだ。
ダイアナとはどういう関係なのか、正直言って大変気になった。いつも女の子に優しいフェビアンなのに、彼女には妙に辛口だったのもひっかかる。さりとて嫌っているようすではなく、むしろ気にかけているのではと思える。なんだかんだ言ってダイアナを同行させるよう説得したのは、あそこに残していくのが心配だったのだろう。
ダイアナのフェビアンを見る目も複雑そうだったし、一体どういう関係なのかと考えずにいられない。野次馬根性と言われてしまうかもしれないが、きっと他の人だって同じように感じているだろう。と、思ったので、
「……ね、エチはどう思った?」
こっそりと馬を寄せてエチエンヌに聞いてみた。
「フェンとダイアナ様って、なんだかとってもお互いをよく知っている感じだったよね。どういう関係なんだろう」
「どういうって、フェンと女の関係なんざひとつっきゃねえだろうが」
「だって、他の人とはちがう気がするもの。普通にお付き合いしている友達なら、フェンはもっと優しく相手するよ。でも意外に冷たく突き放すところもあると思うの。ダイアナ様が村に泊まるって言った時に、あんなふうに説得しなかったと思う。そう、じゃあねってあっさり別れていたんじゃないかな」
「へー、鈍いと思ったら案外見てるんだな」
感心した顔で言われて、メロディはほめられたのかけなされたのか判断に悩んだ。
「……そう言うってことは、エチも同じように感じたんだよね?」
問いには答えず、エチエンヌは肩をすくめた。
「他人の色恋沙汰に首を突っ込むもんじゃねえぜ。フェンとあのねーちゃんがどういう関係だろうと、傍からごちゃごちゃ言うもんじゃねえだろ」
「ねーちゃ……エチ、そんな失礼な呼び方しちゃだめだよ! ちゃんとミス・ダイアナって呼ばないと」
「なんだそりゃ、んな舌噛みそうな呼び方できるかよ」
「できるようにならないと。エチだってもうシャノン公爵子息って立場なんだから」
「だーっ! それを言うな!」
セシルと親子になったことをいまだに認めたがらないエチエンヌが歯を剥いて怒る。メロディはため息をついて彼から離れた。
たしかに他人が興味を持つのも、口を出すのも、余計なお世話かもしれない。けれど幸せそうな顔を一度も見せないダイアナと、それに気付いているだろうに知らん顔しているフェビアンが、気になってしかたがなかった。我ながらお節介と思いつつ、放っておけない気分になるのだ。
(セシル様なら、何かお気付きかな……)
あとで機会があったら聞いてみようと、先を行く馬車を見守りながら、日暮れの迫った道をメロディは急いだ。
どうにか暗くなる前に着いた町で、メロディたち一行は宿に入った。そこそこに大きな宿ではあったが、客の数も多く、一人ずつ部屋を取ることはできなかった。セシルは当然にジンと同室となり、残る男三人が一部屋に押し込められる。女性陣も三人で一部屋だが、男側よりも広くベッドもちゃんと人数分あった。
「てめーは馬小屋で寝てろよ。オレと副長でしっぽり楽しませてもらうからよ」
「人の恋路を邪魔したくはないが、僕もちゃんと布団で寝たいからねえ」
「……お前たち二人でベッド一つだ。こちらは一人で寝させてもらう」
「あ、副長ずるーい」
「何度も言うが私には許嫁がいるのだ! それ以前に男と同衾する趣味はない!」
「そんなの僕だって一緒ですよ」
「男も女も変わらねえよ。ちゃんと楽しませてやるからさ」
「エチ、おとなしく寝ないとお前を馬小屋へ放り込むよ」
男三人のしょうもない言い合いをセシルが止めて、それぞれの部屋に落ち着く。笑って見送ったメロディも、自分に割り当てられた部屋へ入った。
中ではさっそくファニーが働いていた。主がくつろげるよう世話を焼き、入浴設備を確認する。衝立の陰に簡易の浴槽があるだけで、中は空だった。宿に湯を頼めばおそらく追加料金が発生するのだろう。懐事情に問題はないし汗と埃に汚れた身体のままでは寝られない。さっそく彼女は湯を頼みに出ていった。
「どうぞ、お座りになって」
部屋でも食事ができるようにか、小さな机と椅子がある。先に座っていたダイアナに呼ばれて、メロディはそちらへ向かった。
「きちんとご挨拶していなくてごめんなさい。あらためてよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いいたします。メロディ・エイヴォリーと申します。セシル様の護衛士をしております」
丁寧にあいさつしてくれるのに応じてメロディも名乗れば、ダイアナは顔色を変えて椅子から立ち上がった。
「エイヴォリーって……アラディン卿の縁の方?」
「はい、アラディン・エイヴォリーは父です」
「申し訳ございません! 伯爵令嬢でいらっしゃったとは。大変失礼いたしました」
深々とおじぎをされて、メロディは目をまたたいた。
「いえ、お気遣いなく。謝っていただくようなことはございません」
「エイヴォリー伯爵家の方に、失礼な態度を」
「伯爵は父で、わたしはただの護衛士ですから」
笑いながらメロディは腰を下ろし、ダイアナにも座るよううながした。おそるおそる座り直したダイアナは、また恐縮してしまっている。
「そのようになさらなくても。ダイアナ様の方が年上なのですし、どうぞお楽になさってください」
「歳など関係ありませんでしょうに……」
「ダイアナ様もれっきとしたレディでいらっしゃるのですから、立場は同じでしょう? 王族と話しているわけでもないのですから、かしこまる必要はありません」
「……同じではありませんわ」
小さく苦笑してダイアナは言った。
「エイヴォリー家と我が家とでは、歴史も格もまるで違います。コヴィントン家はとりたてて財産もない、ちっぽけな家ですから」
「そんなことを気にするようでは、セシル様のもとでは働けませんよ。うちはいろんな人がいますから。それに父がよく言っていたのです。人と付き合う時に大切なのは身分や財産ではなく、相手の人柄だと。その言葉どおり、父は階級に関わりなく、さまざまな人と交流しています。わたしも、ダイアナ様を見ていて親しくさせていただきたいと思いました。だめでしょうか?」
飾り気のないあまりにまっすぐなメロディの言葉に、ダイアナは驚きと呆れ半々な顔になった。ややあって、小さく笑いをこぼす。
「とても光栄なお言葉ですわ。今日の昼までは最悪な夏だと思っていましたけど、この出会いで神様に感謝したくなりました」
彼女の肩から力が抜けたのを見て、メロディもほっと顔をほころばせた。
「盗賊に襲われるだなんて、驚かれたでしょうね。さぞおそろしかったでしょう」
「ええ、とても。フィッシュバーンの別荘には毎年のように行っておりますが、こんな目に遇ったのは初めてです。人里離れた場所とはいえ、白昼に危険があるとは思ってもみませんでした」
「セシル様も、治安はいいはずなのにっておっしゃってましたものね。たまたま流れてきた賊だったのでしょうか……代官に知らせておいたから、ちゃんと対処してくれるとは思いますけど」
後半は独り言のようにつぶやくと、少し不思議そうな顔でダイアナは問いかけてきた。
「さきほど護衛士をなさっているとおっしゃいましたよね? メロディ様も……その剣で、戦われるのですか?」
当然といえば当然な疑問に、メロディは軽く苦笑した。
「ええ、わたしは騎士ですから。こう言うとみなさん驚かれたり笑われたりなさいますが、そのつもりで働いています。本当は見習いがいいところなのですが、女王陛下より叙勲していただいた以上は、誇りと責任を持って全力を尽くそうと思っています」
「申し訳ありません、馬鹿にするつもりで言ったのではないのです。シャノン公爵配下の薔薇の騎士団については聞き及んでおります。公爵様をお守りする実力者集団だとか。つい先日の記念式典の折にも、陛下の暗殺計画を阻止して表彰されていましたよね。それを疑うわけではないのです。ただ……その、メロディ様は伯爵家の令嬢でいらっしゃって、そうしたお役につかれることが意外といいますか……」
「ええ、ごもっともです」
苦しげに言葉をにごすダイアナに、メロディは笑顔でうなずく。彼女の疑問は当然のものなので、不愉快に思うことはなかった。
「貴族の女性としては、ふさわしくないと言われるでしょうね。でもわたしは今の生活が気に入っているのです。父も後押しをしてくれますし」
父が応援している本当の理由は別にあるが、そこは無視しておく。メロディとの結婚なんて、セシルが受け入れてくれるとは思えない。メロディ自身まだそうしたことを考えるよりも、もっと力をつけて騎士として存分に働くことの方が大切だった。
「……さすが、エイヴォリーですね」
今度は感心と苦笑半々な反応だった。エイヴォリー一族が貴族としては特殊な、かなり筋肉寄りの人々であることは広く知られている。彼らについて語られる時、その力と義理堅い人柄に対する信頼とともに、ちょっぴり暑苦しいと一歩引かれるのは、イーズデイルの貴族社会でおなじみの光景だった。
「うらやましく思います……わたしにも、それだけ強く誇れる信念があれば、もっと違った生き方をしていたでしょうね」
ダイアナの表情にふと陰がよぎる。メロディは昼間のやりとりを思い出した。
「失礼なことをお聞きしますが、ダイアナ様は今持ち上がっている縁談に困っていらっしゃるのですか?」
はっきりと聞かれてダイアナは目を丸くする。頬が少し赤らみ、気まずげに目をそらした。
「いえ、その……悪い話ではないのですわ。伯爵家の、それもご嫡男との縁談なんて、我が家には僥倖と言ってもよいほどで……気がすすまないなんて、わたしのわがままでしかありません」
「相手が誰であろうと、その気になれなければ仕方がありませんよ。結婚なんて一生のかかった大切なお話なのですから、慎重に考えて当然です。でも、ご両親には言いにくいんですね?」
「……ええ」
しょんぼりとダイアナは肩を落とす。貴族女性の結婚は親が決め、顔を知らない相手であっても命じられるままに嫁いでいくものだ。相手によほどの問題でもない限り、拒否しても聞き入れられることはない。ダイアナが悩みつつも親に何も言えないでいるとすぐにわかった。
メロディ自身、結婚問題ではつい最近悩んだばかりだ。メロディの父は一方的に命じることはなく最終的な決定は自由にさせてくれたが、いずれ結婚しなくてはならないのだという前提はメロディの中にもあった。今は、ただの猶予期間だ。
だからダイアナにも共感してしまう。
ただ、彼女が悩む理由は、メロディとは少しちがうのかもしれないと思った。
「本当に失礼なのですが……もしかして、ダイアナ様はフェンとの結婚を望んでいらっしゃいますか?」
ぱっとダイアナが顔を上げた。照れや恥じらいが顔に浮かぶことはなく、ひどく深刻そうなまま彼女はメロディを見つめる。長い沈黙のあと、静かにダイアナは首を振った。
「……いいえ。フェビアンとはとうに縁が切れていますから」
さみしげな顔をしながらも、はっきりと言った。
縁が切れている? メロディは首をかしげる。そうだろうか。たしかに友好的とは言えなかったが、ふたりのやりとりを見ていてそんな風には感じなかった。
どう言おうと思っていると、ダイアナが言葉を付け足した。
「それにわたしは、フェビアンに嫌われていますから」
完全にあきらめたまなざしをそっと落とす。レディとして気品を失わない凛とした姿に、けれどひどく悲しげな気配がただよっていた。




