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エイヴォリー家から届いたばかりの荷物は、まだほとんど開かれないまま部屋を占領していた。
ドレスを収めた衣装箱が、いくつも並んでいる。帽子や靴や装飾品とおぼしき箱も、山のように積み上がっている。
大きな鏡のついた化粧台まであった。その引き出しには新品の櫛や小物類が入っている。
どれもこれも、今までメロディが目にしたことのないものばかりだ。
知らない人が見れば、令嬢の荷物としてこのくらい普通だと言われるだろう。
だがこれまでの生活を考えれば、メロディにとってそれらは、ほとんど嫁入り道具も同然だった。
部屋の中を見回して、メロディは力なく絨毯の上に崩れ落ちた。
「二ヶ月くらい前だったかなあ。アラディン卿がこの屋敷に来られた時に、娘を差し上げましょうって話になったんだよね。まあ団長はこのとおり、若い子に興味ない人だからあんまり乗り気じゃなかったんだけど、アラディン卿の方は大乗り気でね。いやー、それにしても仕事が早いね。二ヶ月でこれだけ用意できたってことは、あの後速攻で注文したんだな。アラディン卿の有能さは武力方面だけじゃないってわけか」
一緒に来ていたフェビアンが、何が楽しいのか明るく軽く言う。
「だから僕らみんな、君が来た時、てっきりその話の続きだと思ったんだよね」
「……そんな……」
「思うも何も、確実に続きだろ。あんた、こんな大荷物持って、セシルを護衛しに来たのかよ」
やはりくっついて来たエチエンヌが容赦なく言う。
自分が用意した荷物ではない、と言い返す気力もなかった。
「まあ、君が何も知らないらしいということには、途中から薄々気づいていたけどね。しかし一度も疑問に思ったことはなかったのかね。普通に考えて、君が私の護衛士に任命されるわけはないだろう――いや、能力のことを言ってるんじゃないよ。まがりなりにも伯爵家の子供が、そんな仕事に回されるわけがなかろうと」
この場にはセシルもいた。
ジンとナサニエルもいた。結局あの後、全員でやってきていた。
「……兄様たちは騎士団で働いていますから……そういうことも、あるかと……」
「いや、ないだろう」
「ないよねー」
「ねえよ」
「あまり、聞かない話かと」
「…………」
男性陣の反応は、にべもない。
メロディはもう、何も言えなかった。
「不幸な行き違いだったねえ」
少しも気の毒と思っていない口調で、フェビアンが言う。
「君が知らなかったなんて思わないからさ。乗り気じゃない相手に強引に迫っちゃえと、積極的かつ大胆な行動に出たお嬢様だとばかりねえ。いや感心するというか、ちょっとびっくりするというか、その割にちっとも色気はないなあとか思ってたんだけど。つまり、既成事実的なことを目論んでやって来た花嫁候補だと思ってたんだよね。ちなみに、そういうの下々じゃ押しかけ女房って言うんだけど、知ってた?」
「お、押しかけ……」
メロディは床にめり込みそうになった。
それでは、今までの自分の言葉や行動は、全てそういう意味に受け取られていたのか。セシルに受け入れてもらおうと、懸命に訴えかけたあの言葉の数々を、護衛士ではなく結婚相手として売り込んでいたものと――
顔と言わず身体中が、火がついたように熱くなった。
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
穴があったら入りたいとはこのことだ。なければ掘ってでも、いっそ頑丈な蓋をして二度と出てきたくもないほどに。
叫び出したいほどに恥ずかしかった。
じっさいには何も言えずに、ただその場で震えるしかないメロディだった。
それを哀れに思ったのか、セシルが苦笑の混じる声で言った。
「悪いのは、君の誤解を利用したアラディン卿だがね。疑わせないようわざわざ一人旅までさせて、念の入ったことだ」
「えー、でもそれもおかしいと思うとこですよ。いくら就職目的だったとしても、従者の一人もつけずに旅するわけないし」
メロディは蚊の鳴くような声で言い訳した。
「ライナス兄様が用事で出かけるからって、途中までは一緒だったので……ホークスビーで別れることになって、そこからの道や、宿の泊まり方とか、いろいろ教えてもらって、お財布渡されて、頑張って行っておいでって言われて……」
「はじめてのおつかいなノリだなあ」
「どうせ、一人で行かせたと見せかけて、後からこっそりついてったんだろ」
「そ、そんなことは……!」
反論しようと顔を上げたメロディに、セシルは首を振ってみせた。
「言いにくいんだがね、あの試合場に乱入した君たちの後を、少し離れてついていく一団を見かけたよ」
「…………」
「池にも飛び込んでましたよねー。すぐ助けられたから、近寄ってはこなかったけど」
「誰かさんと同じ、金髪のくりくり頭な連中がな」
メロディは再度うなだれた。どこにも、抵抗の余地はなかった。
言われることはいちいちもっともだ。メロディだって少しくらいは考えた。が――何よりも、この世でもっとも尊敬し信頼する父を、疑おうなどと欠片も思わなかったのだ。
少々常識と外れていても、そもそもメロディは普通の令嬢とは違う育ちなのだし、父も一般的な貴族とは違う人だから、あまり深くは考えなかった。自分たち一族が世間の人とちょっと違うのは今にはじまった話でもないから、よくあることだと流してしまっていた。
メロディは拳をにぎりしめる。
父の子に生まれて十五年。それを常に誇りにし、大きな背中を頼みにし、また目標にもしてきた。
父に逆らったことも、逆らおうと思ったこともない。おおらかで、強く優しくたくましい父が、メロディはいつだって大好きだった。
だが今は、心から、力いっぱい叫びたかった。
「父様の……馬鹿ああぁ――――――――っ!!」
生まれて初めて、メロディは父を罵った。
王宮近くのエイヴォリー伯爵邸へ(メロディの家もちゃんと王都に屋敷を持っていた)乗り込んでみれば、そこには案の定三兄弟が勢揃いしていた。
「兄様たちっ! いったいどういうことなの!?」
顔を真っ赤にして詰め寄る妹に、兄たちはへこへこと頭を下げた。
「もうばれたか! すまん!」
「すまんで済むか!」
頭に血が昇ったメロディは、付き合ってやってきたセシルたちを放り出して、兄を怒鳴りつける。
「だ、だがな、父上の言いつけに従って、手は出さないで見守りだけにとどめたんだぞ。ものすごく出したかったけどな!」
「お前が道を間違えそうになるたびに、はらはらした」
「ホークスビーからカムデンまで一本道じゃねえか。どうやったら間違えられんだよ」
エチエンヌが呟く。
「人攫いにだまされてあやうくかどわかされそうになった時にも、よっぽど飛び出したかったんだけどな、兄さんは我慢したよ」
「え、軽く流さないで。そこ詳しく聞かせて」
フェビアンの声は届かない。
「いったいどんな道中だったんだろう。激しく興味がわいてくるな」
「は……」
セシルとナサニエル、そして影のように従うジンは、完全に傍観に徹していた。
メロディは地団駄を踏んだ。
「そうじゃなくて! 大体、ティム兄様ダン兄様、騎士団の仕事はどうしたの!?」
指摘を受けた二人は、びっと親指を立てて見せた。
「ふっ、心配するな、抜かりはない」
「ちゃんと休暇を取ってきたとも」
「威張るなーっ!!」
これは当分収拾がつくまいと見切りをつけ、公爵一行はエイヴォリー家の執事にお茶を頼み、勝手にくつろがせてもらうことにした。
少し離れた場所から大騒ぎの兄妹を眺めながら、フェビアンがどこか遠い目をする。
「それにしても、そっくりな兄妹だなあ。一人ずつだと目を瞠るような美形なのに、こうも数が揃うと、ありがたみがないというか、なんというか……はっきり言って、うっとしいっていうか」
「暑苦しくてうぜえ」
エチエンヌが身も蓋もなく言い切る。
揃って同じ蜂蜜色の豪華な巻き毛を持つ兄妹は、その美貌と存在感があまりにまぶしすぎて、ちょっと目障りなほどだった。
「父親似だね。一目見てわかったよ。……ふむ、夫人はどんな方なのか気になるな」
セシルが優雅に茶器を傾ける。
「いや夫人より令嬢を気にしてくれませんと。あなたの花嫁候補ですよ」
フェビアンが言ったとたん、それまで客人そっちのけで騒いでいた三兄弟が、一斉にセシルを振り返った。
長男ライナスが進み出る。セシルに向けた笑顔には、敵意があふれていた。
「お客人を放り出して、大変失礼いたしました。お初にお目にかかります、公爵閣下」
「ああ、よろしく」
猛獣が牙を向いているかのような笑顔だった。父親に比べればまだ迫力に劣るものの、その分数で押してくる三兄弟に、しかしセシルはたじろぐこともなく鷹揚に応える。部下たちは主の図太さに内心で拍手した。
「このたびは、いささか強引な手法を取りましたことを、父にかわってお詫びいたします。父は、この縁談をぜひとも進めたいと希望しておりまして……しかし!」
次男三男も握り拳で踏み出した。
「我々は、はっきり言って反対だ! 本当はこんな縁談、妨害してやりたいくらいなんだ!」
「うちの可愛いメロディを、そう簡単にやれるか。大体犯罪だろうこの年齢差!」
「父上の命令だからここまで黙って見届けてはきたが、認めたわけではなーいっ」
「あー、うん、そのまま引き取ってくれて構わないよ」
投げやりなセシルの言葉に、今度はメロディが「えっ」と声を上げる。彼はそちらにも言い訳しなければならなかった。
「いや、別に君が嫌いだとか、追い出したいとかじゃないんだけど」
「図太いように見えて、実は団長も調子狂ってるのかな」
「セシル様は押しの弱いところがおありですので」
フェビアンとジンがこそこそやり合う。セシルは一度、大きく息を吐いた。
「それで、事実を知ってどうするね、メロディ君? 君の目的とはまったく違ったわけだが、このまま私の下に残るのかね」
「……それは」
メロディは言葉に詰まった。
まだ頭は混乱していて、落ち着いて考えられる状態ではない。
どうするべきなのか。一生懸命自分に問いかける。
「……公爵様が命を狙われているというのも、嘘なんですか」
「いや、まあ、そこは一応事実かな」
「ああ、それについても、言っとかなきゃいけないことがありますよね」
フェビアンが話に加わった。彼はにこにこと説明した。
「たしかに僕らは彼を守るための護衛士なんだけど、国から正式に配属されたのはナサニエル殿だけなんだよね。ジンは言うまでもなく昔からセシル様の傍にいたわけだし、エチもね、イーズデイルへ来る旅の途中で拾われたんだって。で、僕はというと、士官学校を追い出された後、知り合いの紹介で雇ってもらうことになったの。つまり、なりゆきで集まった、寄せ集め集団なんだよね」
「寄せ集め……って……」
エチエンヌは肩をすくめ、セシルは苦笑している。ナサニエルは横を向いてため息をついた。
「王都騎士団や近衛騎士団の皆さんからは、そう呼ばれてる。あるいは落ちこぼれ集団とか。まあこれは僕のせいだけど」
少しも悪びれずにフェビアンは続ける。
「さらに言うとね、実は必死に守ってあげなきゃいけないほど、この人弱くないんだよね。やる気満々な君に言うのは忍びなかったんだけど、シュルクからの追手を撃退しながら、ジンと二人だけで一年かけて陸路でイーズデイルまで来ちゃうくらい、強くてしぶとい人なんだよ。この見た目にだまされちゃ駄目だよ。ね? エチ」
「オレに振るなよ。思い出したくもねえ」
過去に何があったのか、エチエンヌはうそ寒そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。
「そんなわけだから、じゃあもうこの人が指揮官でいいじゃないと思って、僕は団長と呼んでます。で、ナサニエル殿が副長。すごーくちっちゃい騎士団だけどね」
メロディは肩を落とした。父や兄たちに対する怒りもどこかへ消え失せて、もういっそ笑ってやりたい気分だった。
「そう……」
「あれ? あんまり驚かないね。知ってた?」
意外そうな問いに、ぼんやりと頷く。
「まあ、なんとなく……武術をする人なのは見てわかるし……助けられた時、はからずも密着しちゃったから、結構いい身体をしてらっしゃるのもわかったし」
「え」
思わずといったように、セシルが自分の身を抱いた。
「あ、おじさんが動揺してる」
「ん……今のはちょっと、どきっとしたな」
「えっ! いえ変な意味ではなく!」
今度はメロディが真っ赤になってあわてる番だ。
しかしこれではっきりした。ではセシルを守るという目的も、それほど必要とされていないものだったのだ。
父は、いったい何を考えて、こんな茶番を仕組んだのだろう。メロディをセシルに嫁がせたいのなら、そう言うだけでよかったのに。
結婚は基本的に当事者よりも親が決めるものである。メロディにとって、結婚はまだ想像もできない遠い話だったが、いずれ父が決めた相手の元へ嫁ぐのだろうというくらいには考えていた。父がセシルに嫁げと命じたなら、メロディは黙って従っただろう。こんなおかしな真似をして、だます必要などなかったのに。
セシルが乗り気ではなかったから?
――そんなもの、理由にならない。
何か理由があるはずだ。何の意味もなくこんな真似をするわけがない。あの父のことだから、何かしら考えがあるはずだった。
それは何なのだろうと、考え込んでしまう。わからない。
「メロディ? やっぱりオークウッドへ帰るか?」
「こんな無茶な話、嫌だよな。はっきりお断りして、帰っていいぞ」
「父上には俺たちも一緒にお願いしてやる。お前に結婚はまだ早いものな」
兄たちがそろそろと近寄ってきて、悩む妹に唆す。メロディは冷やかな視線で見返した。
「兄様たちだけで帰って。それで当分顔を見せないで」
「なっ……! おお、なんということだ、ついにメロディに反抗期が!」
「うぬっ、成長してるんだな。あの小さかったメロディが、立派に育って!」
「そうじゃないだろ兄さん、喜んでる場合か!」
相変わらず馬鹿騒ぎを続ける兄たちは無視して、メロディはセシルに向き直った。
彼は、まるで自分の屋敷にいるかのように、椅子にゆったりとくつろいでいた。少しだけ困ったような微笑みを浮かべ、自分の意見を強く主張することはなく、メロディがどうするかを待っている。
思えば、ここまであわただしくしてばかりで、落ち着いて彼を観察することもなかった。
この人に仕えるのだと、思っていた。その気持ちは一旦わきへ置いて、では結婚相手としてはどうだろうと考えてみる。
人柄は悪くないと思った。出会ったばかりではあるが、ここまでの印象は良好だ。
セシルは常に穏やかで、大きな声を出すことも激しい感情を見せることもない。そのせいか、実年齢以上に年長に思えた。本当にこの人が兄と王位を争って、国を追われたりしたのだろうかと疑いたくなるような、おっとりのほほんとした雰囲気だ。王位争いという言葉から連想される、殺伐としたものは感じられなかった。
年齢はちょっと釣り合わない。だが十歳くらいの差なんてよくある話だ。メロディがもっと大人になれば、気にならなくなるだろう。
身分や家格は釣り合っている。今の彼は王族ではなく、貴族である。女王の甥とはいえ、なりたての公爵だから、イーズデイル国内で強い力を持つとは言えない。むしろメロディの父の方が各方面への影響力を持ち、そういう意味でこの縁談は、彼にとっても好都合なはずだ。有力貴族との結びつきを得るために、結婚という手段を用いる者は多い。もちろんエイヴォリー家にとっても、王家と縁続きになるわけだから、結構な話だ。
問題は――そう、いちばんの問題は、メロディが彼の好みから、大きく外れているという点だった。
「公爵様は、このお話をどう考えていらっしゃるんですか? あまり乗り気ではないようですが、受ける気があるのか、ないのか、お聞かせ願えませんか」
はっきりと尋ねると、セシルはますます困った顔になった。
「うーん……そうだね……」
「わたしに対する遠慮は無用です。公爵様のお好みは、すでに承知していますから」
「セシルでいいよ。まあね……君は可愛いよ。しかし、十五歳の子供を女性として見る気にはなれない」
「では、なぜ父にそうおっしゃらないんですか? 公爵様がはっきりお断りになれば、父も無理に押し通そうとはしないはずですが」
セシルは盛大にため息をついた。
「あのおじさんと対決するのはね、ものすごく、気力を消耗するんだよ。君たちは家族だからわからないだろうけど、私には大変な覚悟と苦労を要するんだ」
メロディは首をかしげた。いまひとつ、納得のいかない返事だった。
たしかに父は押しの強い人だ。だがそれに負けて自分の意見もろくに言えないような人が、王位を争ったりできるわけがない。おっとりしていても、セシルに惰弱さは感じられない。そこまで弱腰な人には見えない。
彼は、迷っているのだろうか。好みで言えば、メロディなどお呼びでない。しかし有力な貴族との縁は惜しい――そんなところだろうか。
メロディはもう一度尋ねた。
「はっきりとお答えください。わたしと結婚なさいますか、断られますか」
「…………」
セシルは答えなかった。
これでメロディは腹を決めた。彼がはっきり断らないというのならば、こちらも遠慮はしない。やりたいようにさせてもらおう。
「父は、わたしに自分の目で確かめ判断しろと言いました。わたしが望まないのであれば無理強いはしないと。その言葉に偽りはなかったと思います。ですから、その通りにいたします。申し訳ありませんが、もうしばらくお宅に滞在させてください。公爵様をお傍で観察して、今後どうすべきか自分で決めたいと思います。よろしいでしょうか」
選んでもらうのではなく、自分で選ぶ。そう宣言するメロディに、セシルは驚いたように目を瞬き、しばらく考えた後答えた。
「ひとつ聞きたいんだが……君は私のことを、どう思うのかね」
メロディも少し考え、答えた。
「いい筋肉かと」
「……………………うん、わかった。じゃあ、これからしばらく、よろしく」
椅子に沈み込みながら、セシルは力なく言う。ひとまず満足しながら、メロディはふと、つまりこれはお見合いだったのだろうか、などと考えていた。