終曲
丘を登り切ると、その先に広がる大きな街が一望できた。
「やっと着いたぞ」
美しい悪魔が街を指差す。あれが目的地だと聞いていた彼は、それほど感慨もなく眺めた。
はじめて来る場所ではない。生まれた時から諸国を巡る暮らしだったから、この国の都にも何度も足を踏み入れていた。ここまでの道案内をしたのも、ほとんど彼だ。
けれど悪魔たちの方は、しばらく言葉もないようすで街を眺めていた。
「遠かったな」
「はい」
いつも無表情で不気味な悪魔も、この時ばかりは深い吐息とともにうなずく。安堵しているようにも、不安を抱いているようにも見えた。
それは背の高い悪魔の方も同じだった。
「……あそこに、何があるんだ?」
まだ詳しいことを知らなかった彼は、今までと違う悪魔たちのようすが不思議で訊ねた。
ずっとおびえ、言われたことに黙々と従うばかりだった少年が自分から声をかけてきたことに、悪魔が驚いた顔でふりかえった。そしてやわらかく微笑む。さあ、と悪魔は言った。
「何が出迎えてくれるだろうね。願わくば、優しいものであるとよいけれど」
「……?」
彼は土地の民から優しく迎えられた記憶などない。流れ者を見る人々の目は、常に冷たく侮蔑や警戒に満ちていた。それで正しい。まさしく自分たちは災いだったのだから。
優しいものって、なんだろう。
腹一杯食べられることだろうか。夜露や冷たい風に震えることなく、安心して眠れる寝床だろうか。
そう問うと、悪魔はさっきよりも深く笑った。
「ああ、たくさんあげるよ。そうだな、これだけは確実だ。あそこには、未来がある」
「……未来?」
濃い色の肌を持つ、大きな手が頭に乗せられる。どうしても一瞬身をすくめてしまうけれども、ぬくもりがゆっくりとなでるのは嫌いじゃなかった。
「そうだ、未来だ。それが明るいものになるか、そうでないかはお前次第だよ。お前が望み、頑張れば、きっと幸福を手に入れられるだろう」
幸福なんて、自分には縁のない話だ。それがどんなものかも想像できない。言われてもまるで実感できなかったが、悪魔から逃げたいと思う気持ちはもう消えていた。
気分まかせに殴られることにも、ふざけて数人がかりでのしかかられることにも、身体を張って稼いだなけなしの金を取り上げられることにも慣れっこだったけれど、この悪魔たちと旅を始めてからは一度もそうした扱いは受けなかった。野の獣や人の形をした獣の襲撃から彼をかばってくれ、食糧の少ない時でもちゃんと食べさせてくれた。なんのためにそんなことをするのかわからない。ただここにいれば大丈夫なのだとは、わかるようになった。
だから、悪魔があの街へ行くと言うのなら、自分も行くまでだ。そこに何があろうとかまわない。どうせ、どこへ行っても同じなのだから。
けれど……。
未来、という言葉に胸の奥がうずいた。光ある未来がほしかった。こんな自分でも、明るい場所で生きられるのならば。それが許されるのならば。
「行こうか」
悪魔たちが歩き出す。それぞれの未来へ向かって。彼もともに、まだ見ぬ未来を求めて丘を下りる。
春を告げる強い風が、彼らの背中を押していた。
《第二話・終》
威風堂々……作曲:エドワード・エルガー(英)
「イギリス第二の国歌」とも呼ばれる、とてもポピュラーな行進曲。日本でよく知られているのは第一番の部分で、今回の話もその旋律をイメージしました。
本場イギリスでは歌詞もついて「希望と栄光の国」と呼ばれています。
実はこの「薔薇の騎士団」という物語の全体イメージでもあります。どこかコミカルなわちゃわちゃしたパートと、まさに威風堂々のかっこいいパート、それぞれが私の持つ彼らのイメージにぴったりでした。
ちなみに序盤の乱闘シーンではオッフェンバックの「天国と地獄」、勲章授与シーンではパーセルの「トランペット・ヴォランタリー」が脳内に流れておりました。ひとり遊びです(笑)
中断していた第二話を、ようやく書き切りました。これでまたしばらく間が空いてしまうと思いますが、次の更新時にも見てやっていただけましたら幸いです。
第三話はフェビアンがメインです。