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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第二話 威風堂々
36/60

16 仲なおり

 現れたのはサリヴァンだった。部下をひとり従えて、彼は常と変わらない無表情で牢の前に立った。

「団長っ」

 ヴィンセントが泣きそうな声で訴える。

「誤解です、間違いです、濡れ衣なんです! 自分はけっして叛意など持っておりません! 全部こいつらのしでかしたことで!」

 品位を取り繕う余裕もなく、必死に言いつのる。

「陛下が危険だからと言われお助けするために行動しただけで、けっして危害を加えるためでは――」

 なおも続けようとするのを、サリヴァンは軽く片手を上げて制した。

「承知している」

「ですから! ……へ?」

 取り乱すヴィンセントとは対照的に、サリヴァンは温度のない声で淡々と語った。

「乾杯用のワインに毒が混入されていたことが、すでに確認されている。それに王都騎士団からも連絡がきた。真偽は未確認ながら陛下暗殺計画の可能性あり、薔薇の騎士たちが関与していると」

「その言い方だと、まるで僕らが暗殺をたくらんだみたいじゃないですか」

 牢の奥からフェビアンが抗議した。

「ボリスがちゃんと伝えてくれたのなら、事情はわかっているはずですよ」

「だから承知していると言っている」

 みずからの又従兄弟に対しても、彼の態度は変わらない。

「君たちが暗殺を防いだことは、陛下もご承知だ。現在詳しいことを確認中だ」

「じゃあ、なんで僕らはまだ牢の中なんです? 出しに来てくれたんですか?」

 すでに疑いが晴れているのなら、釈放されてしかるべきである。期待する若者たちの視線に、しかしサリヴァンは無情に首を振った。

「確認中だと言ったろう。完全に無実が証明されたわけではない。あの現場を目撃した人々の目には君たちこそが襲撃犯に映ったわけだし、そう簡単に釈放するわけにはいかない」

「そんなあ」

「んだよ、恩知らずな話だな」

 口をとがらせるふたりを、薄青い目が冷やかに眺める。

「疑いが晴れないまま外へ出るよりも、しばらくここで身をひそめていた方が君たちのためでもあると思うがな。雑音を耳にして不愉快な思いをすることもないだろう」

「鍵のかかった牢の中で、空きっ腹抱えているだけで十分不愉快なんですが」

「食事は用意させる。他にも要望があれば、可能な範囲で応じよう」

「それは普通の食事でしょうね?」

「毒味役に立候補したいなら、係の者に話を通してやる」

 態度はとりつく島もないが、そこそこ融通を利かせてくれるらしい。なにより食事がちゃんと出るのならいいかと、三人組は納得することにした。ヴィンセントだけがまだ不満顔だが、部下のうらめしげな視線を受けてもサリヴァンはびくともしない。

 メロディは鉄格子に近づき、訊ねた。

「あの、サリヴァン団長、陛下だけじゃなく、他の皆様もご無事でしょうか。あのワインを飲んでしまった人はいませんか?」

 セシルや王太子のことが気になる。不安げな彼女を見下ろし、サリヴァンは軽くうなずいた。

「問題ない。チェスター殿下が少し口をつけてしまわれたが、すぐに適切な処置がされてご無事だ」

「そうですか……」

 よかった、とほっとして胸をなでおろす。そんな彼女にふと首をかしげ、サリヴァンはかたわらの部下を振り返った。

「ところで、なぜ男女が同じ房に入っている? 分ける決まりのはずだが」

「――あ」

 指摘されて今はじめて気付いたという顔で、問われた部下はメロディを見た。

「ああ、そういえば」

「……女だったな、考えてみれば」

 フェビアンとヴィンセントまでが今さらに真面目な顔でメロディを見る。エチエンヌが肩をすくめた。

「女扱いする必要あんのかよ、これ」

「…………」

 またこの流れかと、メロディはため息をついた。

「すぐに移動させよう。鍵を開けろ」

 部下に命じるサリヴァンに、あわてて首を振る。

「いえ、このままでいいです。どうかおかまいなく」

「そういうわけにはいかない。規則だ」

 扉が開けられ外へ出ろと言われて、メロディは手を組み、ひたとサリヴァンを見上げた。

「わたしひとりだけ仲間外れなんてさみしいです。みんなと一緒にいさせてください、お願いします」

 大きな蜂蜜色の瞳をうるませて懇願する。しかし氷の騎士団長は揺るがなかった。

「だめだ。早く出なさい」

 がっくりとうなだれて、しかたなくメロディは出口へ向かった。

「さっすがキース、ハニーのうるうる攻撃にびくともしないとは。同じ男として理解不能だよ」

「同じ男だからこそだが。今のを見てなおさらここに置いてはおけないと判断した。特にフェビアン、君が一番危険だ」

 ひどーい、とあがる抗議を無視して、サリヴァンは踵を返した。

 彼に連れられ、とぼとぼとメロディは歩く。階段を下りるので階まで別にされるのかとしょぼくれていたら、一階まで下りて牢ではなく詰め所の一角に通された。

 不思議な気分で進めた足が、そこにいた人に気付いて立ち止まった。

「セシル様……」

 夜会を抜けてきたのだろう。濃い菫色のイブニングコート姿で、セシルが椅子に腰かけていた。

 いつかと似たような展開だが、今彼のそばには誰もいない。それが少し不思議な気分だった。

 常に影のようにつき従うジンがいないせいだ。彼のことだからあの後無事に切り抜けただろうが、一人では王宮に入れない。多分門の外で、セシルが出てくるのを何時間でも待つのだろう。

「閣下、彼女だけ先にお返しします」

 サリヴァンの言葉にうなずき、セシルは立ち上がった。

「ありがとう。他の子たちはどうしているね?」

「元気です。フェビアンは死刑囚と同居させてもこたえませんよ」

「それは死刑囚のためにやめてやってくれたまえ」

 笑ってセシルはメロディの前に立った。見るも無惨な姿に呆れたのか、しばし無言で見下ろす。しかし何も言わず、行こうとだけ告げて歩きだした。

 メロディはだまってセシルのあとについて歩く。外はすっかり夜も更けて、西の空に月が沈みかけていた。そろそろ夜会がお開きになる頃だろうか。牢獄がある場所は会場から離れているので、ここまでは明かりも人の声も届かない。

 外で待っていた侍従がふたりを案内する。暗い中、どこへ向かっているのかメロディにはわからない。セシルもだまっているので訊ねるのがなんとなくはばかられ、黙々と歩き続けた。

 ようやく明るい場所に着き、建物の中に入る。どうやら本宮に入ったようだ。まっすぐ屋敷へ帰るわけではないのかと、少し意外に思う。壮麗な宮殿の廊下を歩くには、今のメロディはあまりに汚れ、乱れている。申し訳なさと恥ずかしさで、身の置き所のない気分だった。

 かなり歩いてようやく侍従が立ち止まったのは、客室らしい部屋の前だった。中へ通されたが、このなりで椅子に座るのは気が引ける。メロディは壁際に立った。

「どうした? 座りなさい」

 振り返ったセシルがようやく話しかけてきたが、メロディは首を振った。

「汚れておりますので」

「……少し話をしたいんだが」

「このままでけっこうです。わたしにかまわず、どうぞおかけください」

 困った顔で首をかしげたセシルは、侍従になにごとか告げる。うなずいた侍従が出て行き、しばらく室内に気まずい沈黙がただよった。

「フェビアンたちはいつ釈放されるんでしょうか?」

 メロディが壁際に立ったまま近付こうとしないので、セシルもやりにくそうだ。色々考えた結果、メロディは自分から口を開いた。

「ん? さて、それは私にはなんとも……まあ、それほど長くはかからないだう。多分二、三日のうちには出られるんじゃないかな」

「わたしだけ先に出て、申し訳ないのですが」

 端整な顔が苦笑する。

「彼らは気にしないと思うよ。君を死刑囚と一緒にしておくわけにもいかないしね」

「……わたしが、女だからですか」

 つい視線を落としてしまい、メロディは床のじゅうたんを見つめる。もうそれについて文句を言ってもしかたがないと思う。けれど、ここでもかと気持ちは落ち込んだ。

 しおれる少女に、セシルは困って視線をさまよわせた。

「ちがう、とは言えないが……別に君を軽んじてのことではなく……なんというか、まあ男側の気持ちというかね」

「…………」

 少女は切なげな顔でうつむいたままだ。セシルはますます困り果ててしまった。よく動く口で陽気に助け船を出してくれる部下は牢の中、執事や女中たちの援護もない。ここは自力でなんとかせねばならず、若き公爵は頑張って言葉をさがした。

「ここで女の子だからと特別扱いをしても、別にかまわないと思うのだが……牢に入ってもらったのは、状況をこれ以上ややこしくしないためで、君たちを本当に襲撃犯だとは陛下も思っておられない。単に、うるさい連中の目にふれない場所に隔離しておきたかっただけだ。ちょっとだけ気の毒ではあるが、男ならこのくらいはこらえてくれないとね」

「…………」

「君がその状況に耐えられないだろうと思って別にしたわけじゃない。女の子をむさ苦しい男どもと一緒にしておくのはどうかという、それだけだろう。そう深刻に考えず、当然の権利と思っていればよかろう。男はご婦人のために汗を流すもので、君は捧げられる花を微笑んで受け取ればいいんだよ」

「……はあ」

 気のない生返事がかえってくる。みずから汗だくになり、ぼろぼろになるまで頑張った少女に、今の例えはうまくなかったかと反省した。

「……君が弱いとも、頼りないとも思っていない。そういう態度で君を閉じ込めようとしたことは、謝るよ。私はね、もう家族を失いたくないんだ。それで、君の努力も意欲も見ないふりして、自分の目の届くところに囲い込もうとした。私が臆病なだけなのだと、本当はわかっている。すまなかった」

「…………」

 メロディは目を上げて、若い主を見た。

「家族、ですか?」

「……ああ」

 ひどく静かにセシルは微笑む。

「あの屋敷のみんなは、私にとって家族だよ。ジン以外なにもかも失い、暗闇で暮らしているような気分だったのが、あの温かい場所に救われた。いつも誰かが笑っていて、お互いを思いやり、仲良く暮らしている……とても幸せな、大切な場所なんだ」

「…………」

「また失うのが怖くて、一度は自分から離れようとした。こわされる前に私がいなくなってしまえば、すくなくとも彼らがこの世から消えることはない……そう考えてね。でも君たちが連れ戻してくれただろう? ともに暮らし続けることを選ぶなら、全力で守ろうと思った。そうでないと落ちついていられなかったんだよ。私はひどく臆病で、弱虫だから」

 ゆっくりと、セシルが近付いてくる。すぐそばで立ち止まる美しい人を、メロディはだまって見上げる。

「君たちは強くて、私を守るためにいてくれるのであって、それを私が守ろうとするなんておかしな話なのにね。おかしいとわかっていながら、そうせずにいられなかった。ついつい悪い方へと考えてしまって、また失うのが怖かったんだ」

 青い瞳と静かに見つめ合う。ずっと不満を抱くばかりで、彼の気持ちを理解しようとしていなかったことに、はじめてメロディは気付いた。メロディが色々と悩むように、セシルにだって考えがあるのだ。認めてもらえないのは自分が女であり、未熟で頼りないからだと決め付けていた。でも彼の口からそうと聞かされたことはない。メロディは、自分にわかりやすい理由を基準にしていただけだった。

 彼の事情をもっとよく考えるべきだった。話の通じない偏狭な人物ではないことなど、じゅうぶんにわかっていたのに。

 互いに相手を思いやっているつもりで、すれ違っていた。なにがいけなかったのだろう? ちゃんと話をしなかったから? もっと胸の内を伝えて、理解し合うべきだったのか。

「……わたしは、セシル様がお怒りになったところを見たことがありません」

 ずれているような少女の言葉に、セシルはとまどった。

「はじめてお会いしてから、まだほんの少しですが……怒られてもおかしくない状況は何度もありました。でも、セシル様はいつも怒らずにわたしたちを許してくださっていた……それは、怒るほどの関心もないのかと思って」

「悪さをした子には、ちゃんと叱ってきたつもりだが」

「叱るのと怒るのは別です。わたしは自分が、セシル様のお気持ちを動かせるほどの存在ではないように感じました」

「…………」

 視線を上げてセシルは考え込む。これまでのできごとをふり返り、うーんとうなった。

「怒るほどのことは何もなかったように思うのだが……たしかに君たちは少々やんちゃが過ぎるところもあるが、基本的に優しい、いい子たちだと思っている。悪意で人を傷つけるようなことはしない。もしそんなことをしていたら私だって不快に思っただろうが、まだ見た覚えはないからね」

 視線をおろせば蜂蜜色の瞳とぶつかる。いつもおそれずまっすぐ見つめてくる少女に、こちらが怯み逃げ腰になってしまう。

 彼女といい、その父親といい、あまりにもまっすぐでまぶしくて、自分のような人間には刺激が強すぎるのだ。逃げようとしても追いかけてきて、目をそらすことを許してくれない。本当に厄介で、迷惑で、そしていとしい人々だ。

 太陽の熱と輝きは強すぎる。けれどそれがないと、人は生きていけない。

 知らずセシルは苦笑していた。なんだかんだ言って、この厄介な火の玉が、もうなくてはならない存在になってしまっているようだ。

 それを恋愛感情と言うのかどうかは、まだわからないが。

「実を言うと、君がなかなか言う通りになってくれず、私の守りの中から飛び出していこうとするのに苛立つこともあったよ。けれどそこで怒るのは間違いだろう。私の勝手なわがままだったのだと、承知している」

「…………」

 セシルは手を上げ、乱れたままの巻き毛にふれた。ゆっくりとなで、顔にかかるところを梳いて落ちつかせてやる。

「きちんと詫びなければならないね。騎士たらんと努力する君を認めず、侮辱して申し訳なかった」

 傷だらけの頬に、ほろりと涙がこぼれ落ちた。濡れた睫毛を伏せ、大きな手にメロディは頬を寄せる。

「……わたしは、セシル様のおそばにいてもいいのでしょうか」

 セシルは両手で柔らかな頬を包み込み、光る雫をぬぐってやった。

「あまりお役に立てていません。いつだって助けられてばかりの、未熟な身ですが……」

「一人ひとりが完璧でなくても、力を合わせることで強くなれると思うよ。客観的に見て君は十分強いとは思うが、たしかにまだ子供で足りない部分も多い。それは私たちの誰もが、同じようにたどってきた道だ。否定されるようなことではないだろう」

「今回のことにしても、わたしは意気込むばかりで結局助けられていただけでした。上手に交渉して情報を引き出したのはフェンですし、町の人たちが協力してくれたのは元々エチに恩があったからです。最後の最後で陛下をお助けしたのもエチですし……わたしは、彼らのあとをついて行くばかりで……」

「そうだとしても、彼らだけなら動くことはなかっただろう。けっしてあきらめず行動を起こそうとする君の存在が彼らを動かした。私の目には、それぞれが特技を活かして協力し合ったように見えるね」

 ふとメロディは目を開く。異なる生い立ちや性格、能力の持ち主が集まる薔薇の騎士団。周りからは寄せ集め集団などと揶揄されているけれど、そのちぐはぐさがうまくかみ合った時、大きな力となるのではないだろうか。

 ……自分も、その力の一部であるのだとしたら。

「君たちは、私の自慢の部下だよ。この情けない主をまだ見限っていないのなら、これからも助けてほしい」

 いちばんほしかった言葉を、主から聞かされる。おさまったと思った涙がまたこぼれた。

「わたしに……できますか。セシル様の方がうんとお強くて、わたしなんか逆立ちしてもかなわないのに。頑張ってもなかなか追いつけない」

「いや、それは」

 少し笑ってセシルは少女の頭を軽く叩いた。

「力は多い方がいいに決まっているだろう? 自分が強いから他に誰もいらないなんて、そんなことは考えないよ。それと、簡単に追いつかれても困る。私とジンはかなり特殊な教育を受けてきたからね。あの師匠は絶対に王子を育てているなんて意識は持っていなかったよ。あまりに過酷な訓練ばかりで、本気で死にかけたことも一度や二度じゃない」

「え……」

「殺すつもりでやっているだろうと、心底うらんだし憎んだよ。それを笑って蹴散らすような人でね……我ながら、よく耐え抜いたものだと感心する」

 過去を思ってか、セシルはしみじみ息を吐いた。

 一体どんな師匠だったのだろう。メロディも父から厳しく鍛えられてきたが、そこまでされたことはもちろんない。

「文字通り命懸けで会得してきた力だ。それを十五歳の子供に簡単に追いつかれてしまったのでは、私は絶望するしかないね」

「はあ……」

 どう解釈すべきか困惑する少女に笑い、セシルは身を離した。戸口へ向かって入るよう声をかける。込み入った話の最中かと遠慮していた女官たちが、大きな(たらい)や洗面具などを手に入ってきた。

「まず身を清めて、それから手当てもしてやってくれ」

「かしこまりました」

 盥に湯と水が入れられ、ほどよい温度に調節される。衝立が動かされ、部屋の隅に見えない一角を作ってくれる。その陰でメロディは服を脱ぎ、汗と汚れを拭いた。顔を洗うと傷にしみて、飛び上がりそうに痛かった。汚れた湯を捨ててもう一度用意しなおした女官が、頭を洗ってくれる。こちらもすっきりした後、ていねいに梳られて元の輝きと美しい房を取り戻した。

 差し出された着替えは誰のものだろうか。寝間着もガウンも最高級の絹地だ。まさか女王や王女の持ち物を借りてきたわけではないだろうが……とびくびくしつつ、袖を通す。

「今夜はここに泊めてもらいなさい。明日までに君の服を届けさせるよう手配するよ」

 衝立の向こうからセシルが言う。部屋を出て行くようすはなく、椅子に落ちついているらしい。

「王宮に泊まるって、そんなこと勝手に決めていいんですか?」

「今の状況なら、勝手に連れ出すよりはいいと思うんだがね。手続きはしておくから、心配しなくていい」

 ひととおりの身支度を済ませて、メロディは衝立の陰から出た。寝間着姿で男性の前に出るなど、教育を受けた階級の娘としては避けるべきふるまいだが、どうせ女には見られていないのだ。特にセシルには十代の娘なんて意識する対象ではないのだから、こちらも気にしないことにする。

 彼と向かい合って座ったメロディに、別の女官が傷の手当てをしてくれた。手と顔中に薬を塗られるはめになり、女官もセシルもいささか呆れ顔だ。

「いったい何をやってそんなに傷だらけになったのかね? それは戦ってついた傷ではないだろう? なにやら、庭の迷路が破壊されたとも聞いたが」

「出口をさがす時間がありませんでしたので。……あの、王宮の庭を破壊するのって、どんな罪に問われるのでしょう。弁償では済みませんよね……?」

 かなりまずいことをしてしまったのではないかと今さらに思い至り、メロディはおそるおそる訊ねた。弁償するにしても、大変な額になりそうだ。父に頼めるだろうか。

「さあ……どうなのだろうね」

 問われたセシルも困惑顔だ。

「事情が事情だし、許していただけるようお願いしておくよ。多分陛下もわかってくださるだろう。しかし、生け垣を破ってきたわけか」

「はい。家訓に曰く、『道がなければ己で作れ』」

 その意味するところは文字どおりの「道」ではなかろうと思ったが、セシルが口にしたのは別の疑問だった。

「君の家の『家訓』は、全部でいくつあるのかね」

 メロディは指を折って数えた。

「三十個くらいですが……ぜんぶお聞かせしましょうか?」

「ん、いや、今はいい」

 聞かなくてもなんとなくわかる。どうせどこまでも暑苦しく前向きな文言ばかりだろう。

 軽く笑ってセシルは立ち上がった。

「疲れただろう。とりあえず、今夜は休みなさい。しばらくは事情聴取のため王宮にとどめ置かれるかもしれないが、心配しなくていい。あとのことは、こちらにまかせなさい」

「は、はい……ありがとうございます」

「ん。おやすみ」

 優しく言って踵を返す主に、まだ言っていないことがある。あわててメロディは呼び止めた。

「あの、もうひとつお願いが」

「なにかね?」

 振り向いて見た少女の頬が恥ずかしそうに染まっていて、らしくもなくセシルの胸が音を立てた。動揺を表に出さないよう取り繕っていたら、少女が消え入りそうにはかない声で請うてくる。

「ごはん、いただけませんか。おなかが空いて眠れそうにありません」

 小さな手が押さえていたのは胸でなく、腹だった。その下からきゅるる、と切ない音がする。

 動揺した自分が馬鹿だったと、男は脱力した。

「……頼んでおこう」

 ふたりの間に甘いときめきが流れる日は、まだ遠そうだ。


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